AならばB
2 :
132人目の素数さん :03/10/27 02:07
2げと
3 :
132人目の素数さん :03/10/27 02:08
良スレ保守
4 :
132人目の素数さん :03/10/27 02:09
ここは relevance logic について語るスレですか?
天才ならA→Bとなるべきだ。
ををっと間違えた。 天才ならA→Dとなるべきだ。 って言いたかったのね。
7 :
132人目の素数さん :03/10/27 02:40
想像をふくらまして、Curry-Howard 対応について語るスレですか?
糞スレ保守党
駄スレ保守
イ.真ならば真・・・・・真 ロ.真ならば偽・・・・・偽 ハ.偽ならば真・・・・・真 二.偽ならば偽・・・・・真 イ.の場合を考えるとさあ、例えば 「πは超越数」ならば「1+1=2」・・・・・真 って事になるじゃん。 つまり「πは超越数」って事実から「1+1=2」が証明されたというわけだな。
ならばには二つの意味があってね。
A→B = ¬A∨B の命題記号としての「ならば」と
A, A→B ⇒ Bという推論での推論記号としての「ならば」。
>>10 のイは上の意味であって下の意味ではないから
「πは超越数」という事実から「1+1=2」が証明されたわけではない。
いや、さらにまだMシラのならばがあるだろう。 (ある意味終了w
>>11 でもさあ、
「偽の命題からはどんな事も演繹される」
って言葉よく聞くじゃん。
この言葉はまさに、ハもしくは二の場合を指してるんじゃないの?
おまいら、揃いも揃って、レヴェル低いな(爆笑 # 偽と矛盾との違いさえ分からんだろ?
>>12 「Mシラのならばがある」ってどういう意味?
>>13 それは
Aが偽ならA→Bは任意のBに対して真、ということであって
どんな命題も真になるというわけじゃないよ。
Aが真、A→Bも真ならばBも真だけど。
>>11 とかぶってるのでsage
>>16 ありがとう。
よく考えてみるよ。
先輩や教授の話を鵜呑みにしない方が懸命だな。
そう思った。
やっぱ、「ならば」を真理表を使って イ.真ならば真・・・・・真 ロ.真ならば偽・・・・・偽 ハ.偽ならば真・・・・・真 二.偽ならば偽・・・・・真 と「定義」するのって、やばいんじゃないかな〜。
そだな。真理表を用いての「ならば」の定義では、定義の中に「ならば」が使われてんだから、循環論法だよな(爆笑
通常、A→B の真理値は、 1.A:真かつB:真のとき、A→B:真 2.A:真かつB:偽のとき、A→B:偽 3.A:偽かつB:真のとき、A→B:真 4.A:偽かつB:偽のとき、A→B:真 と”定義”します
>>24 おまえも相当なマヌケだな(爆笑
「pのときqである」ってのは「pならばqである」と同義じゃんか(w
>>25 では、A→B の真理値の定義を、
1.A→B が真であるとは、次の3条件のいずれかが成り立つこととする。
A:真かつB:真
A:偽かつB:真
A:偽かつB:偽
2.A→B が偽であるとは、次の条件が成り立つこととする。
A:真かつB:偽
を書き下した場合はどうでしょうか?
私は、”定義する”とは”共通に用いる概念の意味を規定する”こと捉え、
24においては、”ならば”や”真理値”という”術語”を”はっきりと規定している”にすぎません。
馬鹿か、オマエ(爆笑 「"pなる条件が成り立つとき、qである"とする」 ってのは、「"pならばqである"とする」と同義じゃんか(w
>>27 > 「"pなる条件が成り立つとき、qである"とする」
> ってのは、「"pならばqである"とする」と同義じゃんか(w
前者は
"q"という術語を"p"によって定義している
ことになり、また後者は、
"pならばq"という術語を定義している(但しその条件はここでは書かれていない)
のではないでしょうか?
28では、"pならばqである" を "(pならばq)である" と読み違えて書いてしまいました。 "pならばqである" を "pならば(qである)" と読み直しました。2つは同じ意味です。 また、25の >> 「pのときqである」ってのは「pならばqである」と同義じゃんか(w も確かにこの2つは同義です。 言いたかったことは、 「(〜〜)が成り立つ」 ならば(*1)、 「(p ならば(*2) q)が真である」と定める といったとき、「ならば(*2)」を定めるのに「ならば(*1)」という同じ「ならば」が使われているが、 「ならば(*2)」は術語の「ならば」で、「ならば(*1)」は術語の「ならば」ではないのでは? ということなのです。
AならばBというのは AでないまたはBと同じ
31 :
132人目の素数さん :03/11/06 11:49
このスレの書き込みを読んでると
(特に
>>11 ,
>>14 ,
>>16 ,
>>26 ,
>>28 ,
>>29 とか)
「基礎論(≒数理論理学)」と「普通の数学」との感覚の違いを妙に感じるな。
折れは「普通の数学」をやってるものだが、
「矛盾と偽との違い」とか、そんなもんどうでもいいとしか思えない。
そんなこと考えて何がおもしろいのか教えて。マジで
「偽と矛盾とはどう違うのか」ってことをしっかり掴んでいないと、例えば、 背理法も「まともには使えない」ってことだよ。
>>30 >AならばBというのはAでないまたはBと同じ
って考えていた間抜けもいたようだけどな、昔は(爆笑
>>31 「”AならばB”の真理値の定義」に「ならば」が現れていることは循環論法だ
という22の主張に対して、24 ,26, 28, 29のように述べたのですが、
記述内容に問題があるのでしょうか?
それとも記述に問題が無いが、そのようなこと(循環論法、真、偽など)に反応して
意見を述べていること、もしくは、そのようなことに対して何かこだわりが有るような
記述の仕方に、「普通の数学」との違和感があるということでしょうか?
35 :
132人目の素数さん :03/11/06 15:50
>>32 「偽と矛盾とはどう違うのか」というようなことを考えたことは
ないが、背理法を「間違いなく」使ってる自信はあります。
>>34 記述内容に問題があるっていうようなことじゃないです。なんでこういうこと
にこだわるのかっていう、その価値観がわからない。
まあもっと有体に言えば、すごくつまんない話に見えちゃうってこと。
「普通の数学」の範囲内だと、分野が違っても数学の面白さの本質的
なとこってのはそんなに違わないように思うんだが、基礎論方面だと、
何かその本質的なとこがもしかして違うのか?って印象を受けることがある。
36 :
132人目の素数さん :03/11/06 15:53
で、偽と矛盾ってどう違うんでしょう?
37 :
132人目の素数さん :03/11/06 16:38
AとnotAのいずれかは偽(いずれかは真) A and (notA)が成立してしまうのが矛盾
38 :
132人目の素数さん :03/11/06 16:40
ちょっとちがう? AとnotAのいずれかは偽(いずれかは真) AとnotAの両方が成立してしまうのが矛盾
>>35 「数学をする」と言ったときには、「数学世界」という共通空間で研究しているが、
「基礎論をする」といった時には、そういう共通感覚から離れた、
言うなれば基礎論をやっている個々人の信念にのみ基づいた偏った世界に住んでいるように見える
のだと思います。基礎論をしている個々人の勝手な世界をフォーミュレートしているだけのような。
まず、実際のところ「基礎論」を「(数学の基礎付けという)基礎論」として
研究の中心課題にしている人は、(ほとんど)いないと思います。
もし、数論をしている人を「数論の学者」、解析をしている人を「解析の学者」と呼ぶことはあっても、
数学基礎論という分野で研究をしている人は、自身を「基礎論の学者」とは言わないでしょう。
現在の”ロジック”は、「推論」「構造(意味世界)」「計算」「システム」というものを対象として、
それらの性質を調べたり、強さの分類をしたり、様といったことをする普通の数学です。
特にモデル理論なんて”論理式”の代数にしか見えません。
自然数や実数ではなく、通常意識しないものを対象としているところが、
”ロジック”独特の香りを漂わせているのでしょう。
確かに”推論”というものには独自性が色濃く入ったりもしますが。
”ロジック”の面白さの質は「普通の数学」と同じと思います。
イデアルやスキームをイメージするように、推論や巨大基数などをイメージする訳です。
そこはもう好き嫌いや趣味の問題かと。
>>35 「なぜこのようなことにこだわるのか」についてですが、正直言うと
一数学として理論的に意味のあることが見出せそうな場合を除いて、全く興味はありません。
特にこの分野は「意味」というものですら研究対象としているのに、
それらをオブジェクトと認識できない方がままいらっしゃいます。
この壁を乗り越えられない方は勝手な解釈に走ります、そして何故か攻撃的。
ですので、今回の書込みは「基礎論」としてでなく、「数学の基礎」として、
ただなんとなく「こうではないですか?」と書いたつもりでした。
私の書込の意図する所に対して直接的意見が返って来ないので、28,29と書き直しましたが、
的確なもしくは丁寧な”ツッコミ”がない限り続けるつもりはありません。
加えて、通常は”AならばB”の真理値の定義自体を議論することはありません。
微分の定義、多様体の定義自体を議論しない(と思います、しますか?)と同様です。
ただ〜微分、〜多様体などのバリエーションがあるように、
”AならばB”の解釈やその他の概念にもバリエーションがあります。
しかしそのようなロジック界の流行は、一部を除いて一般には知られてはいません。
実際、よく書き込まれている基礎論の話は、「数学となってしまった基礎論」ではなく
「基礎付けとしての数学基礎論」か「基礎レベルの数学の話」が大半です。
実際「基礎付けの基礎論」を超えた日本語の「基礎論」の本も出版されていますが話題にならず、
話題にあがるのは不完全性定理辺りの今の流行ではない所です。それが悪いというわけではないのですが、
ただ私自身はまだまだ下っ端ですので、「数学となってしまった基礎論」をする必要があります。
一応断っておきますが
>>39 , 40
については、あくまで私見です。
いちいちageてまで書く内容ではない。
43 :
132人目の素数さん :03/11/06 20:08
>>39 > もし、数論をしている人を「数論の学者」、解析をしている人を「解析の学者」と呼ぶことはあっても、
> 数学基礎論という分野で研究をしている人は、自身を「基礎論の学者」とは言わないでしょう。
Harvey Friedman, Steve Simpson, 田中一之……このへんの人たちは自分
の専門分野は「数学基礎論」だと答えると思うよ。いわゆる「ロジック」の
研究者の一部には、「数学基礎論学者」を自認する人たちが少数ながらいる
のは確か。逆数学とかやってる人たちがそう。
ちなみに「ロジック」と「数学基礎論」の違いについては、Simpson がこう
いう特徴づけをしている↓
http://www.cs.nyu.edu/pipermail/fom/2001-January/004712.html
>>43 逆数学はヒルベルトプログラムの現代版とおっしゃっていますし、
基礎論としての意識で研究されていますね。
御指摘ありがとう御座います。
よくよく考えてみると、他にもOrdinal Analysis等が
基礎論という意識で研究されているのかも知れません。
いわば純潔の基礎論の後継に相当するでしょうから。
ただOrdinal Analysisは既に基礎付けとは違うような気もしますが
その最近の結果は知らないので・・・と言葉を濁しておきます。
45 :
132人目の素数さん :03/11/06 21:20
⇒と→は区別しなきゃ。 ⇒は、ある概念に関する性質や条件の間の関係を表す記号でしょ。 ある概念に該当する要素からなる集合をAとする。 そしてその集合Aの 要素を一般的にあらわす記号をxとする。 そしてそのAの要素xに関する性質 若しくは条件をP(x),Q(x)とする。 このPとQは、Aのそれぞれの要素に対して Tか若しくはFを対応させる写像と考えてください。 そして⇒という記号は、Aの要素に対して、P(x)をTに対応させるならば、その 要素は、Q(x)もTに対応させる時、P(x)⇒Q(x) というように使われる。ただそれ だけです。 つまり簡単にいうと、Aの要素の内、Pという性質を持つものは必ず Qという性質を持つとき、以上のように表記するわけです
「Pという性質を持つものは必ずQという性質を持つ」ってことは、「PならばQである」ってことと同義じゃんか、ヴァーカ(w
>>35 >背理法を「間違いなく」使ってる自信はあります。
じゃあ、改まって、「背理法とは何か?」って聞かれたら、何と答える?
48 :
132人目の素数さん :03/11/07 00:10
ヴァカか? けっこう納得したYO!
>>47 そういう問題って、意外に難しいんだよね!
助詞の「が」と「は」を正しく使っていても、「両者の違いは何か?」って、
改めて聞かれたら、大抵の人は答に窮するのと同じで。
>>47 簡単じゃねーか。 xを概念Aに該当する集合の要素を一般的に表す記号とする。
んで P(x) ⇒ Q(x) が今成り立つとする。 この論理が成り立つということは、
集合Aの中で、P(x)を満たす要素からなる部分集合は、Q(x)を満たす要素から成る
部分集合に完全に包含されるということ。 実際にベン図を描いてみると分るが、
このとき それぞれP(x),Q(x)の否定である、notP(x),notQ(x)の間には、次の関係
が成り立つ。 すなわち、notQ(x) ⇒ notP(x).
つまり背理法とは、notQ(x) ⇒ notP(x) という論理を証明することで、間接的に
P(x) ⇒ Q(x) という命題を証明するという事だと思う。 あくまで僕の理解だけど
な。
>>50 > んで P(x) ⇒ Q(x) が今成り立つとする。 この論理が成り立つということは、
> 集合Aの中で、P(x)を満たす要素からなる部分集合は、Q(x)を満たす要素から成る
> 部分集合に完全に包含されるということ。
{x∈A|P(x)=T}⊆{x∈A|Q(x)=T} が成り立つということは、
全てのAの元xに対して「P(x)=TならばQ(x)=T」が成り立つ必要がありますが、
どのようにすれば、P(x)⇒Q(x)から導かれるのでしょうか?
45では
Aの元xをfixしたときに、P(x)⇒Q(x)を「P(x)=TのときQ(x)=Tとなること」と定める
のように読めるのですが、本当は、
P(x)⇒Q(x)を「全てのAの元xに対して、P(x)=TならばQ(x)=Tであること」と定める
ということですか?
P(x)⇒Q(x)だけみると、与えられたAの元xに対して述べているように見えるが、実は、
> 簡単じゃねーか。 xを概念Aに該当する集合の要素を一般的に表す記号とする。
この一文の「一般的」という言葉が、Aの全ての元xに対してのことであると主張しているのですね。
この理解であっていますか?
もしそうであれば、P(A)⇒Q(A)や(P⇒Q)(A)などとするべきでしょう。
もうすこし読みやすい文章でお願いします。
>>51 えーとね、、、この「ならば」という記号がちょっと曲者でね。 この「ならば」
を表す記号には2つあるじゃない? ”→”と”⇒”ね。
→ は次のように定義される。 {P(x) ⇒ Q(x)} ⇔ 全てのx∈A(P(x) → Q(x))
このように記号”→”を定義すると、→の意味は必然的に、notP(x)orQ(x) になる。
証明は自分でベン図を色々な条件で描いてみて確認してね。
君の文章中での「ならば」という言葉は”→”の意味で使ってるでしょ? もしそうなら
合点がいくと思うんだが
んで続きだけど、 今例えば、 全てのx∈A(notP(x) or Q(x))が成り立つとするじゃない。 これが成り立つ唯一の場合は、P(x)とQ(x)との間に以下の相関関係、すなわち P(x) ⇒ Q(x) 言い換えれば {x∈A|P(x)}⊆{x∈A|Q(x)} の場合しかない だよ。
>>52 > 「ならば」を表す記号には2つあるじゃない? ”→”と”⇒”ね。
2つあるかどうかは知らないです。私は世間一般の数学しか知りません。
ただ45を⇒の定義だと思って51を書きましたが、
> → は次のように定義される。 {P(x) ⇒ Q(x)} ⇔ 全てのx∈A(P(x) → Q(x))
ということから、(⇔という新しい記号が出てきてよく分からないですが)ニュアンスとしては、
{P(x) ⇒ Q(x)}
と
全てのx∈A(P(x) → Q(x))
が(何らかの意味で)同値になるような{T,F}×{T,F}から{T,F}への写像「ならば(→)」と「ならば(⇒)」をもって→,⇒を定める。
そしてそのような→は(よく分からないですが、)
> このように記号”→”を定義すると、→の意味は必然的に、notP(x)orQ(x) になる。
と一意に定まり世間一般で言う所の「PならばQ」になるというのですね。
not や or については何も言及せず使われておりますが、世間一般の数学のnot, orですか?
ここまでの理解は正しいですか?
では⇒はどのようなものなのになるのでしょうか?
>>54 間違いました。
→は、{A->{T,F}}×{A->{T,F}}から{A->{T,F}}への写像
⇒は、{A->{T,F}}×{A->{T,F}}から{T,F}への写像
>>54 だから「⇒」の定義は 集合の概念を使って{x∈A|P(x)}⊆{x∈A|Q(x)}と定義
するんだYO! つぎに「→」は、先に定義した「⇒」を使って
PとQに関して {P(x) ⇒ Q(x)} と 全てのx∈A(P(x) → Q(x)) が同値になるように
定義する。 すると必然的に P(x)→Q(x) ⇔ notP(x) or Q(x) となる。
notやor については「世間一般」とやらで通用してるものでいいんじゃないの?w
んで⇔については、P(x) ⇔ Q(x) は、{x∈A|P(x)}={x∈A|Q(x)} と定義する。
ってかこんなん文章からの類推で分んねーのかよw
>>53 > んで続きだけど、
> 今例えば、 全てのx∈A(notP(x) or Q(x))が成り立つとするじゃない。
> これが成り立つ唯一の場合は、P(x)とQ(x)との間に以下の相関関係、すなわち
> P(x) ⇒ Q(x) 言い換えれば {x∈A|P(x)}⊆{x∈A|Q(x)} の場合しかない
> だよ。
で54の最後の質問「⇒はどのようなものになるか」の答えは、
{x∈A|P(x)=T}⊆{x∈A|Q(x)=T}が成り立つとき、またそのときに限り、P(x) ⇒ Q(x)となる
と一意に定まるというのですね。
>>56 > ってかこんなん文章からの類推で分んねーのかよw
類推でわからそうとするから伝わらないのですよ、そんなことも分かんねーのかよ。
「Aの要素xに関する性質若しくは条件をP(x),Q(x)とする」の「もしくは」って何ですか?
「P(x)=T」を「P(x)となる」と読み替えるならそう定義すべきです。
45内のP(x)⇒Q(x)ですが、
Aの【全ての】要素に対して【P(x)をTに対応させるならば、その要素は、Q(x)もTに対応させる時】、P(x)⇒Q(x)
を表しているのだとか分かるわけないですね、P(x)⇒Q(x)にxが残っている限り、
Aの要素に対して、<【P(x)をTに対応させるならば、その要素は、Q(x)もTに対応させる時】、P(x)⇒Q(x)>
と読むのが普通です(あなたの世界での読み方なんて知りません)。
このような基本的なことも出来ていないのに非難される覚えはないです。
>>56 >notやor については「世間一般」とやらで通用してるものでいいんじゃないの?w
それと、その世間一般に使われていない用語を人に対して書くのなら、笑う前に最低限以下のように書けませんかね?
Aを集合とし、P,QをAから{T,F}への写像とする。
まず {A->{T,F}}×{A->{T,F}} から {T,F} への写像 「ならば⇒」を次で定める。
P(x)⇒Q(x) <=def=> {x∈A|P(x)}⊆{x∈A|Q(x)}
(左辺でP(x)⇒Q(x)とxが表示されている理由が不明)
( (P⇒Q)_A 等のようにと書かない所があやしい)
ここで、P(x)⇔Q(x) を {x∈A|P(x)}={x∈A|Q(x)} で定義しておく。
このとき、{A->{T,F}}×{A->{T,F}} から {A->{T,F}} への写像 「ならば→」を次の式が成り立つようなものとして定める
(P(x)⇒Q(x)) ⇔ 全てのx∈A(P(x) → Q(x))
するとそのような「ならば→」は、P(x)→Q(x) は (not P(x)) or Q(x) と一意に定まる。
但し、not:{T,F}->{T,F}は、or:{T,F}×{T,F}->{T,F}は次のように定められた写像である。
not(T)=F, not(F)=T
or(T,T)=T, or(T,F)=T, or(F,T)=T, or(F,F)=F
これであってると思いますが。
人の理解に対してとやかく言う前に、まず「日本語」を勉強してください。
60 :
132人目の素数さん :03/11/07 05:07
なんでこいつ必死なん(ry 揚げ足取ろうとして思うように取れなかった とか(稿
些末的な不明点を指摘して勝気になってるだけじゃないのかね。 複雑な記号を多用するのが高度な説明だと思ってるだけではないかと。 どちらかというと日本語で説明されたほうが自分のような馬鹿には分り やすいんだけど
どっちも酔う分らん。 けど背理法の説明はよく分った
64 :
132人目の素数さん :03/11/07 11:11
>>64 60-61も分かった気になってるだけ。
何が問題すらわかってない。
68 :
132人目の素数さん :03/11/07 13:09
エムシラが陥っている過ちは、 論理記号の「→」で日本語読みでは「ならば」になるものの定義と、 日本語の日常会話などで前文を条件として述べるときに使われる 接続詞「ならば」を区別できずに混同しているところにある。 あくまで言葉として同じ単語が用いられることで、その意味までもが 循環していると思い込んでしまっているのであろう。 いつもながら毎度のことだが、ただひたすらに同じであると 強弁するのみで、その理由を明確に説明しないエムシラは、今回も ベルトランの仮説で打ち負かされていることが理解できなかった のと同じことを繰り返している。哀れとしか言いようがない。
69 :
132人目の素数さん :03/11/07 13:28
A(キス)→B(ペッティング)
70 :
132人目の素数さん :03/11/07 14:05
ふと疑問に思ったんだけど、M_SHIRAISHIの論理改革では 「ならば」はどう定義されているのだろうか? 当然、彼にいうところの「循環」はないのだろうけど…。 どうやら、これまでのところをみる限りでは、 表現として「ならば」で言い換えることができると 彼的にはアウトということらしいが。
relevance logic の意味論はわけがわからん。
>>58 >>59 の説明は何回読んでも分らない。説明するならもっと分りやすくキボン!
回答者とり「理解してる」という自負心があるんのなら、あなたが質問に
答えてあげれば? 質問してる振りをして「私の方が理解してる」と言いたげ
で、はたから見てると気持ち悪いよ
73 :
132人目の素数さん :03/11/07 15:58
>>67 あ、それ僕も持ってる。 初めて読んだときは感動したけどなぁ
>>72 >> 「理解してる」という自負心があるんのなら
59の最後に「これであってると思いますが。」と書いているように正しいと確信はもっていません。
ただそれまでに書かれていたことを私が要約すると、59になったというだけです。
それにたいして45,56サン達がYESと言ってくれるかどうかです。
>> 質問してる振りをして「私の方が理解してる」と言いたげ
共通のバックグラウンドを持っていなさそうな人と論じているのに、
>>2つあるじゃない? ”→”と”⇒”ね話しします?
彼らは私が同じ感覚を持っているだろうと思っているわけですよ。
56でやっと共通の感覚で話をしていないことに気付かれた訳です。
ですから私にとっては、それまでの彼らの解説は解説となっていないのです。確かに私も
>>2つあるかどうかは知らないです。私は世間一般の数学しか知りません。
と書きましたが、それで笑われた日にゃぁ、”こうとは違うのか”という文章になります。
>>61 >> 複雑な記号を多用するのが高度な説明だと
59の記述内容で、45,56サン達が使っていないのは、写像X->Y くらいですが・・・これで高度すぎますか。
あと、定義が不明なnotとorの私なりの定義を与えておいただけです。
→、⇒の再定義をする方が無定義で使っているnot, orが、私のnot, orと一緒とは限りませんから。
それと、私も全てを記号で書くのが正しいと思っていません。
>>61 >> どちらかというと日本語で説明されたほうが
では、45,52,〜が分かる方に伺いたいのですが、
1.「Aの要素xに関する性質若しくは条件をP(x),Q(x)とする。」について
性質とは?条件とは?p(qも)は性質?それとも条件?それともどちらかだけど不定な物?
2.「PとQは、Aのそれぞれの要素に対してTか若しくはFを対応させる写像と考えてください」について
性質(条件?)というのは写像であり、かつ何かの条件をみたすもの?
それとも、写像とは違うけど、とりあえず写像って考えていいよってこと?
写像のうち、その値域が{T,F}であるような物を性質(条件)と呼ぶのですか?
3.「Aの要素に対して、P(x)をTに対応させるならば、 その要素は、Q(x)もTに対応させる時、P(x)⇒Q(x) というように使われる。」について この「Aに対して、Bならば、Cのとき、Dとする」という文章は @.(Aに対して、Bならば、C)のとき、Dとする A.Aに対して、(Bならば、Cのとき、Dとする) のように二つの捉え方がありますが、この文章を読んで、@の P(x)⇒Q(x)の定義を、全てのAの元xに対して「P(x)=TののときQ(x)=T」である、ことと定める と読めますか? P(x)⇒Q(x)という概念が、写像P,写像Q,集合Aから定義される物であるのならば、 なぜそこにA自身ではなく、Aの元を表す「パラメータのような」xを表示する必要があるのですか? P,Q,Aで定義されるのであれば、xでなくAを含む表記にすれば良いではないですか。 >> 集合Aの要素を一般的にあらわす記号をxとする。 ここに「記号を使っているという」コダワリがあると思って51で質問しましたが、回答はありません。 なんとなくですがxを使う理由って、 このP,Qの定義では、素朴な意味での集合Aを使っている。 この集合Aを記号の世界に持ち込むため、集合Aに対応した記号xを用意する。 そうすると、全ての(存在しうる)集合Aに対して、Xに対応する記号x_Aを用意しないといけない。 しかしそれは(何らかの独自の感覚(危機感)から)できない。 よって「「集合Aに対応する記号」ではなく、「集合Aの元の記号」を用意する。 のような気がするのですが。 4.⇔の定義が文脈から読み取れますか? また定義は(読者の自助努力により)文脈から読み取る物だと思いますか? どのような本を読んでも書いてあるものや、それらの知識を前提としている場合を除いてですが。
ついでに59の修正 するとそのような「ならば→」は、P(x)→Q(x) は (not P(x)) or Q(x) と一意に定まる。 を するとそのような「ならば→」は、常に、P(x)→Q(x) =(not P(x)) or Q(x) という写像になる。
78 :
132人目の素数さん :03/11/07 18:39
なげー、少し落ち着こうよ。
>>74 45さんの説明に不満があってあなた自身が、自分自身の理解で補完もしくは
全否定できたならそれでいいのではないの?
なぜ写像がでてくるのかというのであれば、 >> PとQは、Aのそれぞれの要素に対してTか若しくはFを対応させる写像と考えてください。 あくまでP,Qは写像であり、それをPである、Qであると読むのは間違いです。 Aの元の値によって変わりますから。 ましてやここでの話には、P、P(x)、P(A) (とでも言うべき物)が混在しています。 そこで誤りのないように、写像の形で書いただけです。 性質は写像ですから。
>>78 , 79
45をみて、彼の⇒→に関する考え方を真面目に理解してみたくなっただけです。
理解したかったのは、あくまで再構築法であり、彼らの信念はどうでもいいです。
例えば、非古典論理、構成的論理、古典論理を考えたとき、差の一部はそこにでますから。
多分59でよいのだと思うのでもう良いのですけどね。
お騒がせしました。
83 :
132人目の素数さん :03/11/07 21:48
で、「→」の定義が循環しているのでよくない、というエムシラの告発はどうなるんだ?
もうどうでもいいやw
85 :
132人目の素数さん :03/11/07 22:14
「ならば」が未だによくわからないです。 何か違いがわかる例はないの? そして、それを使い分けない場合、どう困るの? あんぽんたんにもわかるように、教えて。 難しい論理式を使わないで、日常的な例で。
パンが無いならば、ケーキを食べればいいんじゃない?
ごはんが無いならばパン。 パンが無いならばケーキ。
おならばっか出る
>>50 >背理法とは、notQ(x) ⇒ notP(x) という論理を証明することで、間接的に P(x) ⇒ Q(x) という命題を証明するという事だ
ヴァーカ、それは、背理法じゃなくて、対偶法じゃんけ(爆笑
背理法の基礎になってるのは、元の命題とその対偶の関係じゃないか
>>43 >Harvey Friedman, Steve Simpson, 田中一之……
>このへんの人たちは自分の専門分野は「数学基礎論」だと答えると思うよ。
つまりこいつらはGoedelの結果が、「数学の基礎」についての
議論を終わらせたことを、認めないってことか?
>>44 逆数学の数学的意義は認めるが、それは「数学の基礎」という
哲学的な問いとは直接関係がないと思う。
そもそも今時ヒルベルトプログラムなんていってるヤシは
Goedelの結果が、「数学の基礎」についての議論を終わらせた
ことを分かってないわけで・・・
>純潔の基礎論 純潔・・・キモッ
>>91 当時はそれ以上議論できなかったって考えればいいんじゃないの?
>>90 >背理法の基礎になってるのは、元の命題とその対偶の関係じゃないか
じゃないのだ(w
>>91 おまい、「Goedelの結果が、数学の基礎についての議論を終わらせた」なんて思ってんのか、ヴァーカ(爆笑
>>94 そういうことじゃなくて、Goedelの結果を真面目に考えれば
絶対的な無矛盾性証明なんて無理だって認めざるを得ないって
こと。
もっとも
>>91 の人たちが本当にいまだにヒルベルト・プログラムの
達成を信じ続けているとは思えないが。田中氏が数セミで逆数学と
ヒルベルト・プログラムの関係に言及したとしても、そこから即
「逆数学によって本来の意味のヒルベルト・プログラムを達成する」
とはいえないんじゃない?
>>97 田中氏の著書から抜粋:
逆数学はヒルベルトのプログラムの現代版とか部分的実現とかいわれることがある。
>>95 ホント化よ んじゃ説明してくれ。 煽りじゃなく純粋な興味からおねがい
>>75 条件も性質も本質的には同じもんだろ。 違いは、ある概念に該当する要素が
主体的に持ってるものが「性質」で、外部から課されて要素を特定するものが
「条件」なんじゃねーの? 「条件」や「性質」という概念自体、非常に基礎的
なもので、より原始的な概念を用いてこれら2つの概念をどのように明確に定義
するか?と問われれば俺には明確に答えることは出来ないがね
背理法は、本質的に、排中律あるいは、二重否定除去と同じこと ととらえるのが普通。「ならば」を使って説明するのは、錯覚を 呼び起こす高等戦術で、わけをわからなくする場合の常套手段。 →、⇒の使いわけなどということをしないで論理式で書くのが 明解であり、この使いわけも相手を惑わす役にたつ程度のくだら ないことだ。(この区別を滔々と書いてある本もある。)
背理法ってのは、真であることを証明しようとする命題を否定して、 他の真なる命題に反する結論を導くことで、元の命題の真偽を証明する 思考法だろう。 命題の基本的構造は、主語(何らかの概念に該当する 集合の特定の要素)+その概念に関する特定の性質 から構成されてる 訳じゃない? 例えば、ある特定の関数 + それが特定の点で微分可能 とかね。 今、ある概念の特定の要素を主語とする命題Pを証明する場合を考える。 その命題を今 P(a)と表記することにする。 これに背理法を適用すると、このP(a)の否定である notP(a)が論証の出発 点となる。 これは、aが属する集合の要素に関する性質 notP(x) から数学の 定理・公理を適用して、aが満たさない条件(これをQ(x)と表記する)を導き出し notP(x) ⇒ Q(x) という関係を導きだし、この対偶とり notQ(x) ⇒ P(x) を証明する。 aは notQ(x)を満たさない訳だ から、当然 命題P(a)は偽になる。 これが背理法の基本的な論証法なんじゃないの? まあ飽くまで俺的な 理解だがね。
アフォが独り善がりな自説を唱えて悦に入るスレは此処ですか。
はい。ここもですが、他のスレも全部そうです。
んじゃお前が説明しろぼけ。 アフォ呼ばわりするだけなら、訓練した アイちゃんでも出来るだろうよw
明確な反論無しに「アフォ」ですか? オスギ・ピーコ以下じゃないか 主観の塊で生きてるんだろうなぁ
109 :
132人目の素数さん :03/11/08 21:31
>>45 いや、愛ちゃんにも失礼だろう。 向こうは京大だし
愛ちゃん?
(・∀・)
112 :
132人目の素数さん :03/11/08 22:29
だれか
>>103 への反証なし? いや違う、背理法とはこういうものだっ
って難しい言葉使わずに説明してくれる人は?
簡単な言葉でっつーとなんだろ。 うーん、要するに消去法かな。 Pという命題とPでないという命題の どちらか一方は成り立つわけで、 Pでないという命題が成り立たないことが示せれば 消去法でPであるほうが正しいことになるっつー
>>112 102に書いて書いてあるだろう。X を仮定して矛盾がでれば
¬ X と結論するのは普通のことだ。だから¬ A を仮定して
矛盾が導ければ¬¬ A が導かれる。二重否定を除去すれば
A が結論される。つまり、背理法とは、
¬ A を仮定して矛盾が導けたとき A を結論すること。
A が B(x) であったり ∀xB(x) であったり ∃xB(x) のときも
あてはめればよいだけ。あとはすべてことを混乱させてわけを
わからなくさせるための余計なこと。
アフォし甲斐ないスレですね?
>>114 俗説では、背理法はそのようなものだと信じられているのだが、実は、それは違(つが)うのだよ、チミー(w
117 :
132人目の素数さん :03/11/08 23:43
んじゃ、おまいがここで決定打をだせよ
118 :
132人目の素数さん :03/11/09 00:05
漏れも
>>114 のような理解しかなかったけど、何が違うの?
「→」と「⇒」の違いで云々といってた人もいたが、何か例はないの?
本を読めとかいって、アマゾンへのリンクをはるのはやめてください。
119 :
132人目の素数さん :03/11/09 00:07
尤も 「→」と「⇒」の違いも未だによくわからないんだけど。 これの例もキボン。
“「→」と「⇒」の違い”なんてアホなことは、アメリカの new math の走りの "Introduction to Finite Mathematics" という「しょうも無い本」を 矢野健太郎 という、これまた「しょうも無い」三流数学者が"新しい数学"(共立出版)という 題名で翻訳して日本で広まったことで、問題の設定からして間違い(w
>>120 アホなこと? 全く無意味では無いんじゃねーのかよ。 お前みたいに
文句垂れてるだけで、実績もクソもねー数学者やその崩れよりよほどマシ
だろw
ヒソヒソ(´д)ヒソ(´д`)サリン(´д`)ヒソヒソ(д`)サリドマイド
あ、ごめん。数学者じゃなく単なる坊の可能性もあった。 数学者 は腐っても鯛だから
並の数学者ではないと思うが、どうか?
129 :
132人目の素数さん :03/11/09 01:08
だから、「→」と「⇒」の違いのわかりやすい例を教えれ!
130 :
132人目の素数さん :03/11/09 01:10
背理法が間違っている部分についても解説しる!
>>129 強いて言えば、[P→Q]&[Q→R]⇒[P→R] においての「→」と「⇒」の違いだが、分かるか?
132 :
132人目の素数さん :03/11/09 01:19
>>131 本当にそうなのか?
もしそれでよいのなら、安心して眠れるわけだが。
>>130 >背理法が間違っている部分についても解説しる!
自分(ずぶん)で考えろ!!!
136 :
132人目の素数さん :03/11/09 01:37
>>131 命題:風が吹く⇒桶屋が儲かる
風が吹く→砂ぼこりが舞う
砂ぼこりが舞う→目を患う
目を患う→外を出歩かなくなる
外を出歩かなくなる→家の中に閉じこもるようになる
家の中に閉じこもるようになる→家の中で習い事を始める
家の中で習い事を始める→三味線がよく売れる
三味線がよく売れる→猫が減る(三味線の胴には猫皮だから)
猫が減る→ねずみが増える
ねずみが増える→桶をかじって穴を開ける
桶をかじって穴を開ける→桶屋が儲かる
こんな感じでいい?
x∈Rとする。 x>0 ⇒ x^2>0 は当たり前だが真なる命題。 この場合の⇒は 集合の概念を使って、{x∈R|x>0}⊆{x⊆R|x^2>0}を意味するってのはもう いいだろ つまり⇒は、ある概念に関する条件(性質)と条件(性質)の間の相互の関係(包含関係) を表し、条件から命題を作る記号と考えられる。 一方 → の方は、{P(x) ⇒ Q(x)} ⇔ ∀x∈A(P(x)→Q(x)) が真と成る ように定義するわけ。 しかし左右それぞれの論理式での変数は、ある概念に関する条件 P(x),Q(x)であることを注意しておく。 つまりP(x),Q(x)に関して、両者が同値 に成るように定義する。 先の具体例では、P(x)を X>0 , Q(x)を x^2>0 と すると、P(x)→Q(x)は (¬x>0 ∨ x^2>0) 日本語読みすると「xは零より大きく ないか、又は その二乗は零より大きい」という事にある。 これはその真偽が定かではないから、 命題ではなく条件命題(簡単に条件)という事になる。 つまり記号「→」は、ある概念に 関する2つの条件から1つの条件を作る記号ということになる。 x∈R に関する条件(¬x>0 ∨ x^2>0)は、全ての実数xについて成り立つだろう。 記号「→」を {P(x) ⇒ Q(x)} ⇔ ∀x∈A(P(x)→Q(x))と定義することにより P(x) ⇒ Q(x) が真となるとき、その二つの条件から生成される P(x)→ Q(x)は 全ての x∈A について成り立つようになる。 → をこの様に定義することの実益は、俺 にも良く分からないが、論理式をを論理法則に従って展開していくときは、非常に見通しが よくなるとはおもう。 国語になんで、これ以上気の利いた説明できない。
138 :
132人目の素数さん :03/11/09 01:42
ごめん、間違えた。 風が吹く→桶屋が儲かる を証明するのに、 「風が吹く→砂埃が舞う→・・・→桶屋が儲かる」 ならば⇒ 「風が吹く→桶屋が儲かる」 なんか変な日本語
ヒソヒソ(´д)(´д)ヒソヒソ(´д`)ヒソヒソ(д`)(´д)ヒソヒソ(´д`)ヒソヒソ(д`)(´д)ヒソヒソ(´д`)ヒソヒソ(д`)ヒソヒソ(´д`)ヒソヒソ(д`)ヒソヒソ (´д)ヒソヒソ(´д)ヒソヒソ(´д)ヒソヒソ(´д`)ヒソヒソ(´д`)ヒソヒソ(´д`)ヒソヒソ(д`)ヒソヒソ(д`)ヒソヒソ(д`)ヒソヒソ(д`)
ヒソヒソ(´д)ヒソヒソ(´Д)化化(´д)ヒソヒソ(´д`)ヒソヒソ(´д`)ウヒヒヒ(´Д`)ヒソヒソ(д`)ヒソヒソ(д`)ヒソヒソ(д`)ヒソヒソ(д`)ヒソヒソ
141 :
132人目の素数さん :03/11/09 01:54
>>141 別の人間がそれぞれ自分の言いたいことを書いているので
同じになるはずがない、と断定してみる。
まあ自分なりの定義を模索すればァ?w
144 :
132人目の素数さん :03/11/09 02:03
>>143 なんだよそれ、そんなところに落ち着かせるな!
(´д)ヒソヒソ(´д`)ヒソヒソ(´д`)ヒソヒソ
結局なにがあってて何が違うのかわからん
>>131 の例に沿っていうと
P→Qは単に¬P∨Qの省略形。
⇒はそれを→に置き換えたときに全体の式が恒真であることを意味する。
P, Q, R にどんな真偽を割り当てても
((P→Q)∧(Q→R))→(P→R)は真になることを確かめよ。
148 :
132人目の素数さん :03/11/09 03:20
桶屋の話はどうなった? あれはあれで、⇒の使い方はあってるのか?
131は間違ってる 138はあってる
→と⇒をわざわざ導入した理由がわからん。メリットは何? ⇒を集合で導入するして、→を定義するほうが自然なのか? すごく不自然に見えるんだけど。
>>150 「→を⇒を使って定義する方が自然なのか」だね。
→は「写像f:R→R」のように使います
⇒は推論過程を表すときに使う記号、 →は論理式を表現するときに使う記号。 こういう理解でいいですか?
154 :
132人目の素数さん :03/11/09 19:07
その「ならば」の二つを混同すると、どんな風に困ったこととか 論理的なミスが起こるの? 数学をやる人は、これは押さえていなければならないものなのですか?
押さえなくていいぴょ〜ん
混同もなにも、∀ が省略されているのを ⇒ っていってるだけで あとは、へーのくーのいうだけで本質的ではない。153 が証明論に 関することをいってるのなら、それは他の分野では関係ない。 どっちにしても、ずーっと意味のないことをぐだぐだいってるだけ だよ。まあ、Yahoo で有名な爺さんよりはましだけどね。
普通は、あくまで論理式を最初に定義して、 論理式を操作するものとして、推論を定め、それらの性質を調べる(証明論)。 また論理式に対して真偽の概念を定義し、それらの性質を調べる(モデル理論)。 それ以外の数学ではそんなこと意識しなくていいでしょ。
>>137 > 論理式をを論理法則に従って展開していくときは、非常に見通しがよくなる
⇒→派の考えてる論理法則って何?
159 :
132人目の素数さん :03/11/09 23:14
⊃, →, ⇒ は、論理式の「ならば」を意味する記号として 使われている(書物によって記号がことなる)。 一方、 →、 |- (カタカナのトのような記号) は、数理論理学でいうところのシーケント計算(LK, LJ)の、 仮定と結論の間に書く記号としても使われている。 つまり、 Γ → Δ Γ |- Δ (Γが前提となる論理式のリスト、 Δが結論となる論理式のリスト) といった感じで…。
├ ←こういうの?
├ 記号があたらしいかどうかはともかく1世紀以上前の文献平気でref.するバカはいるね。
163 :
132人目の素数さん :03/11/09 23:58
結局、矢印を分けよとか、背理法が実は違うとかいうけど、 具体的におかしいことが起こる例を、ここにいる論理屋さんが 誰も示していないところをみると、結局数学とは関係のない 話なのね。ちょっとは興味を持ってここのスレみてたのに。
164 :
132人目の素数さん :03/11/10 00:26
>>161-162 シーケント計算や、├ 記号は、べつに古くはなくて、
最近の数理論理学の教科書や論文でも
普通に使われてるよ。
165 :
132人目の素数さん :03/11/10 00:38
>>163 矢印の違いは、人によって使い方が違うだけだからどうでもよいけど、
背理法を使わない数学(排中律がない数学)は、
直感主義とか構成的数学という数学基礎論の一分野として
発達してきているよ。立派な数学の一部だね。
数学に主義もクソもねーじゃんか 政治や思想じゃあるまいしw
168 :
132人目の素数さん :03/11/10 02:09
>>167 そうでもないのですよ。とくに数学基礎論がらみでは、
なにを仮定するかによって、主義や立場のようなものが
登場します。
(他にも「有限の立場」とか、「Zornの補題を仮定しない数学」とか…)
とりあえず、「直観主義」とか「構成的数学」で検索
してみてください。いろいろ出てきます。
>>147 大体P(x)→Q(x)は、{P(x) ⇒ Q(x)} ⇔ ∀x∈A(P(x)→Q(x)) をみたす物として定義し、
つまり→は恒真であることを意味するように定義すると。
すると、そのような物は、真理値関数として一意に決まり、notP(x)orQ(x)になると。
それはもうわかったので、
その予定調和的に定義することになんの意味があるのか早く答えてくださいよ。
170 :
132人目の素数さん :03/11/10 17:53
で、「→」の定義は循環しているのですか? そこんとこ早くはっきりさせて下さい。
“「P→Q」は、実質的に「PならばQ」と同義である”と主張していながら、 「P→Q」の定義の中で「ならば」を使ってしまったのでは、明らかに循環論法。
>>171 はぁ? 「→」の定義のどこに「ならば」を使ってる? 「⇒」は使って
はいるがぁ?
定義はわかったので、
150,154,158,169等にある意義とかメリットについても回答お願いします。
あと
>>137 の
> P(x)→Q(x)は (¬x>0 ∨ x^2>0) 日本語読みすると
> 「xは零より大きくないか、又は その二乗は零より大きい」という事にある。
> これはその真偽が定かではないから、命題ではなく条件命題(簡単に条件)という事になる。
成り立たない?
「xは零より大きくないか、そうでないときはxゼロより大きいからx^2>0が成り立つ」ではだめ?
排中律も駄目?
> つまり記号「→」は、ある概念に
> 関する2つの条件から1つの条件を作る記号ということになる。
> x∈R に関する条件(¬x>0 ∨ x^2>0)は、全ての実数xについて成り立つだろう。
成り立つって・・・
>>172 ニブイな、おまえ(爆笑
# 真理表を使った「P→Q」の“定義”について、よく考えてみろ。
「Pが真でかつQも真ならば、P→Qは真,
Pが真でかつQが偽ならば、P→Qは偽,
Pが偽でかつQが真ならば、P→Qは真,
Pが偽でかつQも偽ならば、P→Qは真,
とする」ってな具合に、たんまりと「ならば」を使ってるじゃないか(w
>>137 > x>0 ⇒ x^2>0 は当たり前だが真なる命題。 この場合の⇒は
> 集合の概念を使って、{x∈R|x>0}⊆{x⊆R|x^2>0}を意味する
{x∈R|x>0}⊆{t⊆R|t^2>0} も真だろう。 じゃあ、x>0 ⇒ t^2>0 も成立するってことになるじゃないか、ヴァーカ(爆笑
>>137 おまいの文章をコピーした為に、こっちまでもミスしてしまったじゃんか!”
{x∈R|x>0}⊆{t⊆R|t^2>0} も真だろう −−−> {x∈R|x>0}⊆{t∈R|t^2>0} も真だろう
>>175 両辺とも同じxという変数じゃないと駄目なんでしょう、タブン。
>>45 > そしてその集合Aの要素を一般的にあらわす記号をxとする。
>>47 > xを概念Aに該当する集合の要素を一般的に表す記号とする。
って書いてるから。
>>174 自信たっぷりの知障相手に講釈たれんもの罪悪感感じるがぁ、、、w
俺がいつそいういう風に「→」の定義したかなぁ、お前の夢の中でかな?
>>176 お前の頭の中には「変数」って概念が無いみたいだよなぁ。 偉そうに人の
説明批判してる割にわ、、、、、。張り合う気も起きんわ。
>>177 定積分の値が積分変数に関係しないように、集合の相等性も変数には無関係であり、
例えば、{x∈R|x>0}⊆{t∈R|t^2>0} は真だから、
>>137 の言っていることが正しい
なら、x>0 ⇒ t^2>0 も成立するってことになるじゃないか、ヴァーカ!(爆笑
マジかよこいつ、、、、、最後の(爆笑 は自分に対してだ・よ・な、、、、 そう言ってくれ
知障とは、おまえのことだ
>>45 (w
a a
∫ f(x)dx の値は ∫ f(y)dy の値 とは異なり、{x∈R|x>0}⊆{t∈R|t^2>0} も成立しないとでも言うのか、ヴァーカ!(爆笑
b b
>最後の(爆笑 は自分に対してだ・よ・な その通り。 オマエに対してだ(w
お前の頭の中での「変数」の概念はどうなってるんだぁ? もしかして大変な ことになってるんじゃねーのか? 蛇足かもしれんが、ご親切に俺がその定義を 述べてやると、「"ある集合に"属する要素を一般的に表す記号が変数」って ことだよ。 言い換えれば、その一つの記号がその集合の全ての要素を代表 してることになる。 ある集合の要素を代表する変数を一度「x」と決めたか らには、同じ集合の要素をお前が使った「t」などといった別の記号で置き換える ことは出来ないんだよボケがぁw。 一つの集合の要素を代表する記号は一つ に限らなければ、たとえ内容の同じ集合同士でも、議論の対象が別々になる んだよ。 ある概念に該当する集合の要素について議論してるときは、各要素 を代表する記号は”一つに”絞らないとだめってことだよ。 それこそヴァーカだよw。 ってか坊の方ですか?w
185 :
132人目の素数さん :03/11/11 02:32
45さんよ、たのむから↓には答えてくれよ。 45の⇒→の定義は45が考えた定義なの? それともだれか別人が考えた物なの? 別人のものだとしたら、それを考えた人と、その定義がかいてある本教えて。 Webで公開されてるならそのurlも希望!
>>185 違う。ってか知ってんじゃねーの? 俺に聞かずとも
ときに、45 に質問。 ∀y(∀x(p(x,y)→q(x,y)) → r(y)) というような表現はよく使うけれど、∀x(p(x,y)→q(x,y)) の → は ⇒ と →を区別する立場ではどのように定義するの?
そもそも、{x∈R|x>0}⊆{x∈R|x^2>0} なんて書くのが間違いであって、 {x|x∈R & x>0}⊆{x|x∈R & x^2>0} と書くべきだろう。(w そして、言うまでもなく、{x|x∈R & x>0}⊆{t|t∈R & t^2>0} は真だ。
>>45 のような「知的障害者」に聞いても無駄だろう(爆笑
坊ってのはまったくw
繰り返し言う。
>>45 のような「知的障害者」に聞いても、聞くだけ無駄。(爆笑
>>186 知らん。こんな質問答えるのくらい簡単でしょ。
このスレ内の質問で一番簡単じゃんか。
なんで答えられんのよ。
原典出したらマズイの?
俺様作の
>>184 の文章に対してのまっとうな反論期待してたのに、
これだもんなぁw まったくこれだから坊相手にすんのは
朝倉の数学ブックシリーズだったかな? 本橋が書いたやつ
>>67 のいってる本↓でいいのね。
新しい論理序説 すうがくぶっくす
本橋 信義 (著)
朝倉書店
この本あたって見ます。サンクス。
>>187 x∈A y∈B (x,y)∈AxB とする。
∀x∈A(p(x,y)→q(x,y)) は ∀x∈A(¬P(x,y)∨q(x,y)) だろ。
集合AとBの直積集合AxBの要素(x,y)に関する条件 ¬P(x,y)∨q(x,y)が
集合Aに属する全てのxに対して成り立つって言ってるわけだろ だけど命題としての真偽
はy∈Bに依存してる。 だから∀x∈A(¬P(x,y)∨q(x,y))はyに関する条件だろ
だから∀y(∀x(p(x,y)→q(x,y)) → r(y))を書き直せば
∀x∈A(¬P(x,y)∨q(x,y)) ⇒ r(y) ってことになるんじゃねーのぉ?
{x|x∈R & x>0}での x も、 {t|t∈R & t^2>0} での t も、れっきとした変数だ。 そして、明らかに {x|x∈R & x>0}⊆{t|t∈R & t^2>0} は成立する。 {x|x=1 or x=2}={1,2}であり、{t|t=1 or t=2 or t=3}={1,2,3}である。 一方、{1,2}⊆{1,2,3}であるから、{x|x=1 or x=2}⊆{t|t=1 or t=2 or t=3}。 このように、集合の包含関係の成否は(定積分での積分変数と同様に)変数には無関係。
自由変数とか束縛変数とかいう表現を使わないのですか?
変数が違えば、たとえ要素が同じでも、議論の対象が全く別々になるって、、、 言っても無駄かw 変数をxと決めたR と 変数をyと決めたR この二つの Rは共に内容が同じでも、同じ集合じゃないってのに ま、やめとこう タイ人あいてに日本語で説明するみたいなもんだしなぁw
なりすまし注意報
>>198 「変数」の概念すら知らない坊相手に、坊にとっては高度なそんな用語を
使えと?
俺は
>>197 の言ってることは、まっとうな反論だと思うよ。{x|x∈R & x>0}⊆{t|t∈R & t^2>0} は成立するし、
>>137 の言っていることが正しいのなら、x>0 ⇒ t^2>0 も成立するってことになってしまうよな〜。
自演注意報
集合の包含関係の成否は(定積分での積分変数と同様に)変数には無関係って、全くその通りじゃんか(w
>>196 なるほど。二変数以上の述語についての → は本来定義されていないので、
一変数の類推で拡張として定義しているという立場ですか。
そういう説明だと、直観主義論理の → はどうなるのかという疑問が当然
出てくるけど、「そんなものは知らん」という答になるのでしょうね。
で、結局のところエムシラの言う通り「→」の定義は 循環しているということで満場一致でいいんですか? で、エムシラの言う通り20世紀の論理学は間違いであったと。 そこんとこ早くはっきりさせて下さい。
>>207 エムシラの言うことは正しかったことがないから疑って聞いておいたほうが良い。
「疑って聞いておいたほうが」なんてヌルいこといってると、 精神がエムシラで汚染されるぞ。
>>207 →の定義が自己参照しているなんて間抜けなことほざいてるのはエムシラぐらい。
他の連中は「また、言ってやがら」とさらりと受け流しているだけだよ。
ちょっとでもエムシラの戯れ言に納得しかかってしまったようなら、
国語能力に深刻な問題があるので、小学校あたりからやり直す覚悟をした方が良い。
そもそもエムシラが自己参照してるといってる「“→”の定義」とやらはどこに 書いてあるんだろう?彼が数理論理学専攻の人間対象にかかれた現代数理論理学の 書物を参照してるの見たことないんだが・・・マジ一冊も読んだことないんだろうか?
仮に読んでいたとしていても、以下略な状況に変わりはないであろう。
>>137 > → の方は、{P(x)⇒Q(x)} ⇔ ∀x∈A(P(x)→Q(x)) が真と成るように定義する
オマエ、P(x)⇒Q(x) とは{x|P(x)}⊆{x|Q(x)} のことだと「定義」したんだろ?
そして、A(x)⇔B(x) とは{x|A(x)}={x|B(x)} のことだと「定義」されるって言うだろ?
じゃあ、{P(x)⇒Q(x)} ⇔ ∀x∈A(P(x)→Q(x)) の中の ⇔ は、一体、どんな集合の
相等関係を表わしてるって言うんだ?(爆笑
エムシラ御大は、以前、fjに投稿された記事の中で、 > 私と議論したいのなら、*最低でも*次の書物を読破してからにしなさい。 > > 1) "Grundzuge der theoretischen Logik" by D.Hilber & W.Ackerman, Springer-Verlag. > 2) "Foundations of Mathematical Logic" by H.B.Curry, McGraw-Hil. > 3) "The Development of Logic" by W.Kneal & M.Kneal, Oxford University Press > 4) "Philosophy of Logic*s*" by S.Haack, Cambridge University Press. って書いておられた。 # こんな書物が「あるってことすら知らない」様なオマエらが太刀打ちできるような御方ではねーんだよ、エムシラ御大ってのはよう!(w
もう二冊ほど “Introduction to Metamathematics”by S.C.Kleene, North-Holland, と “Introduction to Mathematical Logic”by E.Mendelson, Van Nostrand, もあげてあったと思うが?
エムシラは、Hilbert と Ackermann の綴りがわからない
俺がタイプミスしたんであって、御大がfjの記事でタイプミスされていたわけじゃあない。
「PならばQ」を真理表でもって“定義”したのなら、循環論法になるのに、
そうやってしまっている本は数え切れないほどある。
>>214 や
>>215 にあがっている本の中にそういう本があるかどうかは知らないが
日本語で書かれた本の中からあげてみると、
『論理学をつくる』(戸田山和久:著,名古屋大学出版会)p.38
『数理論理学』(福山 克:著,倍風館)p.7
『論理学入門』(近藤・好並:共著,岩波全書)p.32
『新版 現代論理学』(坂本・坂井:共著,東海大学出版会)p.36
『論理学』(野矢茂樹:著,東京大学出版会)p.20
『記号論理学』(清水義夫:著,東京大学出版会)p.11
『知の根拠としての論理学』(末木,etal,公論社)p.149
etc.
219 :
132人目の素数さん :03/11/12 05:13
>>101 おお・・・ちょと感動しますた。 条件と性質ってなんとなく同じもの
だと思っていたのけど、言葉で明確にその違いを言われると頭の中での曖昧さ
が消えた気がする。 性質・・・能動的 条件・・・受動的 だけどその
本質は同じという事ですね
>214
>> 私と議論したいのなら、*最低でも*次の書物を読破してからにしなさい。
あった、あった、そんな趣旨の記事が。
最後の1冊だけは御免こうむりたいものだなw
>Subject: Re: <タイタニック号の乗客>
>Date: Tue, 05 Jan 1999 07:48:18 +0900
>Message-ID: <
[email protected] >
>10) Elements of the Reformed Theory of Logic
>(以上、順不同 -- 尚、最後のものは 私自身の著です )
>>213 どこか変?
{x | {x|P(x)}⊆{x|Q(x)} } = {x | ∀x∈A(P(x)→Q(x)) }
P(x)を満たすxの集合でQ(x)を満たすxの集合に含まれるようなxの集合は、
すべてのxについてP(x)→Q(x)であるようなxの集合と等しい。
単純に定義で置き換えてみたんだが、
どこが爆笑する程おかしいところなんだ?
>213 >一体、どんな集合の >相等関係を表わしてるって言うんだ?(爆笑 冪集合の直積
>>223 エムシラの集合論では、次の二つの概念が完全に欠落しています。
・集合の直積
・要素がまた集合である集合
そのような訳で、あなたのような解答をする人間はエムシラから即座に
「間抜け」とか「たわけ」などと断定されてしまうので十分な注意が必要です。
それで「→の定義」が循環してるって本はどの本でその本の何ページのどんな記述が 循環してるんだ?それをかけっていってるのに。
エムシラの脳内世界にどっぷり浸かる度胸と勇気のある方でなければ、 残念ながら「→の定義」が循環している本を目にすることはできません。 悪しからず。
>>221 >>222 ヴァカが!(爆笑
集合の内包(“集合の内包”なんて学術後を使ったら、オマエらの様なアホには益々わけワカランやろから、
もっと易しい表現を使えば、要するに、集合の条件ってことだw)における変項は自由変項でなければ意味
ないのに、{x | ∀x∈A(P(x)→Q(x)) } での集合の条件である∀x∈A(P(x)→Q(x)) の中の x は束縛変項
じゃんか!(大爆笑
「学術後」じゃなくて、「学術語」だろうが!(w
相当ニブイな、オマエら(大爆笑 # 真理表を使った「PならばQ」の“定義”について、よく考えてみろ。 「Pが真でかつQも真ならば、P→Qは真, Pが真でかつQが偽ならば、P→Qは偽, Pが偽でかつQが真ならば、P→Qは真, Pが偽でかつQも偽ならば、P→Qは真, とする」 ってな具合に、たんまりと「ならば」を使ってるじゃんか(w
「→」の定義式 {P(x) ⇒ Q(x)} ⇔ ∀x∈A(P(x) → Q(x)) はxでは無く、xに関する条件P(x),Q(x)に関して 左右2つの論理式 {P(x) ⇒ Q(x)} と ∀x∈A(P(x) → Q(x)) が同値になるように定義 するって言ったにの分んないのかよ。 Aの要素x に関する条件P(x) と Q(x) の直積集合 (P(x), Q(x))に関する条件だと考えるんだYO! 左右のそれぞ れの論理式を。
集合を使えば、 {(P(x),Q(x))| P(x) ⇒ Q(x)} = {(P(x),Q(x)) | ∀x∈A(P(x) → Q(x))} と考えるってこった
232 :
123人目の素数さん :03/11/13 00:56
P⇒¬P の対偶は P⇒¬P 2へぇ〜
∀x∈A{P(x) → Q(x)} で x∈A とあるのは、「すべての x について、x∈A *な*ら*ば、P(x) → Q(x)」で、 循環論法だな(w
>>233 その「すべて」ってのはどのすべてなんだ?w
∀x∈A{P(x) → Q(x)} ⇔ x∈A であるすべてのxについてP(x) → Q(x)」
>>233 いくらなんでも、それはまずいだろ。
x∈Aでないときはどうなっちゃうんのよ。
「x∈A であるすべてのxについてP(x) → Q(x)」とは、「x∈A であるならば、P(x) → Q(x)」と同義だから、 やっぱり、循環論法(w
そもそも、左辺の「P(x) ⇒ Q(x)」にはAなんて一言も触れてないのに、どうして右辺に(突如として!)Aが出て来るんだよ(w
>>238 ってか工房ならそうだと素直に自己申告してくれよw
しんどいけど敢えて俺が説明してやr(りゃ ってしんどいわ
P(x)やQ(x)はん Aの要素に関する条件だと何度いったら分るんだろう、この坊わ
左辺に記号として敢えて「A」という文字は書かれていないが、P(x)やQ(x)をAの
要素に関する条件だと定めてる時点で、左辺にAの意味は入ってるんだYO!
それなら、 「{x∈A)&{P(x) ⇒ Q(x)}」⇔「∀x∈A(P(x)→Q(x))」 としなきゃ、マズイだろ(w
そもそも、A⇔B って[A⇒B]&[B⇒A]のことだろ?
⇒を使って→を「定義」している本なんてあるのかい?(w
>>237 それを同義だと思ってるのはおまいだけ
ていうか、「ならば」という単語を使って言い換えて
無理矢理循環論法にしたいだけだろ?
お前の頭のなかには「意味」って考え方は無いのか?
>>230 >「→」の定義式 {P(x) ⇒ Q(x)} ⇔ ∀x∈A(P(x) → Q(x))
定義なのに、どうして ⇔ が出て来るんだよ(w
# 自然対数の定義式:
lim(1+1/n)^n:=e で、 ⇔ なんか出て来るかよ(w
n→∞
>>243 「[P(x)であるようなすべての x について、Q(x)が成立する]ってのは、[P(x)ならば、Q(x)である]とは同義ではない」って言うのか、ヴァーカ(爆笑
>>245 阿呆かい。
なんか日本語読解力に重大な欠陥があるみたいだな。
そうやって少しづつ論点をずらそうとやっきになってるあたり、
自分でも分が悪いと薄々分かってはいるようだな。
ほほう、[P(x)であるようなすべての x について、Q(x)が成立する]ってのは、[P(x)ならば、Q(x)である]とは同義ではない」って言うのか?(w
なんなら、英語で書いておいてやろか? You, Scank! Do you foolishly believe that "for all x such that P(x) holds, Q(x) holds true" is NOT equivallent to the fact that "if P(x), then Q(x)" ?
>>246 >少しづつ論点をずらそうとやっきになってる
"x∈A" を P(x) に、"P(x) → Q(x)" を Q(x) に、それぞれ置き換えて、論旨を明確にしただけのことで、
論点をずらすなどという瑣末なことなど、ぜーんぜん、しとらんよ(w
# 「分が悪くなったものだから、オマエの主張の欠陥をこちらのせいにしよう」なんてアホな策を巡らしてみても、無駄ってものよ(爆笑
>>237 > 「x∈A であるすべてのxについてP(x) → Q(x)」とは、「x∈A であるならば、P(x) → Q(x)」と同義だから、
これ↑がいつのまにか、微妙に違うこれ↓にすりかわってる。
>>245 > 「[P(x)であるようなすべての x について、Q(x)が成立する]ってのは、[P(x)ならば、Q(x)である]とは同義ではない」
見苦しいことやってないで、他にも
>>242 とかに答えてみろよ。
>121
>御大のHP(
http://www.apionet.or.jp/~eurms/Ronri_Kaikaku.html )で勉強しる
久しぶりに行ってみて、・・・・改めて失望しました。
一昨日の深夜に
>175
>{x∈R|x>0}⊆{t⊆R|t^2>0} も真だろう。 じゃあ、x>0 ⇒ t^2>0 も
>成立するってことになるじゃないか、ヴァーカ(爆笑
みたいなことを、再三わめきちらしていた人がおられましたね。
そのときには、誤りであることを承知で揺さぶりをかけていると思っていたんですよ。
ところが違うんだな。HPをたどっていくと、
上みたいなことが大真面目で書かれていました。
それが真理集合に拠っていては、理論が構築できないと判断した理由ですって。
だ め だ、 こ の 人。
ところで >215 さん、それから >214 さん。
>“Introduction to Metamathematics”by S.C.Kleene, North-Holland,
が含まれている「リスト」って、いつ頃どんな話題に関して投稿されたものですか?
>220 に引用した記事には含まれていないません。
それからもう1冊も出版元が異なっています。そもそもリストの順序がまるっきり違う。
別の「リスト」があるようですね。後学のため該当記事を示してくださいませんか。検索しても見つからないので。
さほどのお手数ではないと思います。ご本人が本棚みながら >214 を書いたのでない限り。
252 :
132人目の素数さん :03/11/13 08:11
>>227 >ヴァカが!(爆笑
>>229 >相当ニブイな、オマエら(大爆笑
>>245 >ヴァーカ(爆笑
>>248 >You, Scank! Do you foolishly believe that ・・・
>>249 >アホな策を巡らしてみても、無駄ってものよ(爆笑
やはり、あの御方か・・・(微苦笑
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | もしもし。電話変わりました。天才のM_SHIRAISHIです | つーかアンタヴァカか? \_____ ___________ ∨ ∧_∧ D ( ^o^)○ ___ ( )D……/◎\
>>244 おまえってやつわ、、、、、こっちが (爆笑 したいよ、、
>>45 の脳内妄想 > 「ならば」には「⇒ で表わされる*ならば*」と「→で表わされる*ならば*」の二種類がある(爆笑
>>21 の脳内妄想 > 前提が提示されるとその直後に来るものはなんでもかんでも「ならば」に意訳される(爆笑
エムシラにかかると、→や⇒だけでなく、おそらく|-や|=とかもみんな 「ならば」でいっしょくたなんだろね。 数学全般でみれば、いっしょでもかまわない場面が多いと思うけど、エムシラで 問題なのは、いっしょでかまう場面でも、いっしょだと言い張るところだな。 ところで、エムシラの頭ではハイティング代数とかは理解可能なんだろか? エムシラにとっては、そこで定義される→とかも循環しているのかな?
>>257 > ところで、エムシラの頭ではハイティング代数とかは理解可能なんだろか?
> エムシラにとっては、そこで定義される→とかも循環しているのかな?
当然、循環していると言うはずだな。
詳しい定義は省略するが、要するに「→の真理値は、かくかくしかじかの
条件を満たす値である」という感じなので、これをエムシラ流に解釈すれば、
「かくかくしかじかの条件が満たされる『ならば』、→の真理値は××である」
という具合いになるはず。
エムシラは「ならば」に関する疑問から出発して、5年かかってようやく
シークェントにたどり着きつつあるのだろう。これが克服できても、
モデルやセマンティックスなどいうハードルが数多く待ちうけている。
20世紀の数学は、まだまだ先が長いぞ、頑張れ>エムシラ痰
エムシラ御大、マンセー!
┌──────────────────────―─―┐ │ | │ | │ | │ | │ ∧_∧ | │ ( ・∀・) | │ ( ) | │ | | | | │ (__)_) | | 2ちゃんねる | │ | │ スレッドを終了しています… | │ | │ | | | | | └───────────────────────――┘
>>259 その割には、四色問題にしろ、ベルトランにしろ敗け続けてるのが目立ち増すなぁ…。
http://www.2ch.net/before.html 頭のおかしな人には気をつけましょう
利用者が増えるに従って、頭のおかしな人もそれなりに出没するようになって
来ています。頭のおかしな人に関わるとなにかと面倒なことが起こる可能性が
あるので、注意しましょう。
頭のおかしな人の判定基準
・「みんなの意見」「他の人もそう思ってる」など、自分の意見なのに他人も
そう思ってると力説する人
他人が自分とは違うという事実が受け入れられない人です。自分の意見が通
らないとコピペや荒らしなど無茶をし始めるので見かけたら放置してくださ
い。
・根拠もなく、他人を卑下したり、差別したりする人、自分で自分を褒める人
他人を卑下することで自分を慰めようとする人です。実生活で他人に褒めて
もらう機会がないがプライドだけは高いとか、匿名の掲示板しか話し相手の
いない人です。可哀想なので放置してください。
・自分の感情だけ書く人
「〜〜がムカツク」とか自分の感情を掲示板に書くことに意味があると思って
いる人です。何がどのようにムカツクのか論理的に書いてあれば、他人が読
んでも意味のある文章になりますが、そういった論理的思考の出来ない人で
す。もうちょっと賢くなるまでは放置してあげてください。
このスレッドは終了いたしました。m(_ _)m
御大、マンセー!、御大マンセー!!、マンマンセー!!!
繰り返し申し上げます。 このスレッドは終了いたしました。m(_ _)m
267 :
132人目の素数さん :03/11/14 03:22
>>103 さんの背理法の説明についてはどうなんでしょうか。 自分としては
非常に納得したのですが。 他の方はどうです? それとも
>>103 さんの説明に反して
命題の対偶 と 背理法とは全く関係の無いものなんでしょうかね
>259 さん、あなたにうかがいたいことがあります。
>>M_SHIRAISHI氏の「論理改革
ttp://www.apionet.or.jp/~eurms/Ronri_Kaikaku.html 」
>>ってのが、俄然、現実味を帯びて来たぞ!
>な〜んだ、M_SHIRAISH氏のHPを読んだら、厨房がここであーだのこーだのって言い争っていることは
>皆〜んな、氏によって「完全に解決され尽くしてしまってる」じゃないか、あ〜、阿呆らしっ!
つまり、あなたはあのHPを読まれたわけですね。
あのHPでは真理集合(実際には別の用語が使われていますが、ここでは使い慣れた言葉でいきます)
の包含関係の成立をもって、「ならば」を定義してます。
で、うかがいたいことは、その前提となる集合の包含関係が「ならば」を回避して定義
できているのか、ということです。
今まであれほど、あちこちから「ならば」をほじくり出しては攻撃されている以上、
ご自分は、そんな詮索の入り込む余地のない形で、包含関係を定義できていなければなりません。
でなければ、ほかならぬご自身が(彼の尺度によれば)循環論法に陥っていることになります。
私は、あのHPで集合の包含関係がはっきり定義されている箇所を、みつけることが出来ませんでした。
ですから、今のところ、引用したような見解は到底持てません。
そこで一足先に上のような考えに至られたあなたに、
私の疑問点に対するご回答をお持ちか、伺いたく存じます。
ではよろしく。
(付記)非力な私の力では「全体集合の全ての要素xに対しx∈B またはx∈[Aの補集合] が成立つ」
をもってA⊂Bと定義するのが精一杯。これではAの補集合を定義する必要があり、生半可な定義では
「xがAの要素でない『ならば』xはAの捕集合の要素である」と同義じゃないか、バーカ(爆笑
と一蹴されてしまうでしょう。
269 :
132人目の素数さん :03/11/15 00:07
>>268 実は漏れM_SHIRAISHI氏の電子本で「論理改革要諦」っての買ったんだけど(^^;)、
その電子本では「集合Aのどの元も集合Bの元であることを“AはBに包含される”と言い、A⊆Bと書く」と書いてあったYo。
背理法:ある命題の否定を示すのに、前提条件からは直接帰結出来な い(より高度な)前提の否定を、その命題の否定を加えると示される ことを提示してその命題の否定を示す方法。 P:証明したい命題。R:その命題の成立する前提条件、Q:Rからは直接導けない命題。 R&(not P)からはnot Qが導けた時Qは最初から真であるとされているのでPが 否定される。Qの真偽がPの信頼性を左右する。 Qが偽ならばPもその否定not Pも示されることは良く知られている。 帰謬法:ある命題Pの否定を示すのにその前提条件RとPが矛盾することを 示す方法。上の背理法で現れる「暗黙に正しい命題Q」がRから導かれる 時はQはRに組み込まれ、帰謬法に退化する。帰謬法は背理法よりも一般 に弱いと考えられる。(つまりよく考えたら自明な命題であったりする ようなものしか証明出来ない)しかし意外に数学では用いられている ことが多い。特に問題を解く場合には頻繁に用いられる。
帰謬ってはじめて聞くけど反駁法と同じなのかな
272 :
132人目の素数さん :03/11/15 00:42
>>270 = 知障(爆笑
“背理法”も“帰謬法”も、英語では、"reduction to absurdity"。
つまり、この2つの日本語の単語は同義語なのだよ。(w
我が国の(多分、明治時代の)知識人の中に、英語の"reduction to absurdity"に対して、“背理法”という訳語を造った者と“帰謬法”という訳語を造った者とがいたってことだな。
そういうことYo(w
>269
>「集合Aのどの元も集合Bの元であることを“AはBに包含される”と言い、A⊆Bと書く」
本当ですか?それ。では、
『 馬鹿か、エムシラ(爆笑
「集合Aのどの元も集合Bの元である」
ってのは、「集合Aの元 _な_ _ら_ _ば_ それは集合Bの元である」
と同義じゃんか。
はい、 エ ム シ ラ も 循 環 論 法 』
と、この方(↓)ならおしゃいますな。
>>27 >馬鹿か、オマエ(爆笑
>"pなる条件が成り立つとき、qである"とする」
>ってのは、「"pならばqである"とする」と同義じゃんか(w
>269 >実は漏れM_SHIRAISHI氏の電子本で「論理改革要諦」っての買ったんだけど(^^;)、 大事なご本の名前を間違えては著者に失礼ですよ。 「改革論理要諦」でしょう。 さりげなく、ご本人でない、とのアピールですか? >その電子本では「集合Aのどの元も集合Bの元であることを >“AはBに包含される”と言い、A⊆Bと書く」と書いてあったYo。 残念ですが、一見したところ生半可な定義そのものとお見受けします。 このスレでご活躍の「ならば」探検隊の面々(?)に 満足してもらえるものではなさそうですね。 ゆっくり検分いたしましょう。 ところで 1 万2,000円の大著(「記号論理学の根本的改革」か「改造」かどっちだ…) には 「私は、 {x|x>3}⊆{t|t>0} なる包含関係を見せられたら x>3 → x∈{x∈R|x>3} → x∈{t|t>0} → x>0 のような記号操作も出来ません。」 ということを、さも万人に共通する問題点であるかのように公言している ところがあるらしいのですが、価格 3,700 円也のそちらに、 そんなくだりはありますか? いずれにしても、ありがとうございました。 (「リスト」の回答もそのうちいただけるかな、わくわく)
「関係者の皆様」に繰り返し、ご連絡いたします。 このスレは終了いたしました。
270 にあるようなものは背理法(帰謬法)ではない。 一般に否定命題を示すには、肯定を仮定して矛盾がでること をもって示すのでありこれはふつうの推論。 背理法(帰謬法)とは ¬ A を仮定して矛盾がでたときに、 A を結論する論法だよ。
>>278 >背理法(帰謬法)とは ¬ A を仮定して矛盾がでたときに、A を結論する論法だよ。
と、俗説ではそのように信じられているが、それは、シカシ、幻想なんだよ、チミー(w
>>275 「xxxならば、○○○である」と「xxxであることを○○○と言う」は同義じゃないだろと思うが、どうか?
誰がどんな立場で話してんのか分からなくなってきたよ。
俺もだYo (^^;)
「ネット数学者スレ」に広告をだして、M_SHIRAISHI氏にこのスレに来てもらって、じかに講釈してもらうってのは、どうよ?
今、どれだけの主張があるの? 45の新しい論理序説派 25のならばの定義は循環してる派 M_SHIRAISHIの論理改革派 現状の論理学で良い派 まだあるのかな?
ロクに数学の知識が無くても入ってこれる 話題だからこういうことになるんだろうな。 憂慮すべきことだ。 もちろん全員がそうだとは言ってない。
「(25の)ならばの定義は循環してる派=M_SHIRAISHIの論理改革派」では?
>>284 背理法と帰謬法とは違うと主張している「マヌケ派」もいるようだが、どうか?
「背理法(帰謬法)とは ¬ A を仮定して矛盾がでたときに、A を結論する論法だ」と*信じてる*「俗流派」もいるみたい(w
>>288 そういうウソを何度も繰り返し書き込む手法を
「エムシラのさざ波法」
っていうんだよ! 寄せては返す繰り返し、チミ−。
>284-8 「今や話題は背理法に移った」ということにしたい 「とんずら派」もいそうだな。 毎度毎度の竜頭蛇尾か。
>>280 条件を表すときは「ならば」になるので、
真理値表を使った「→」の定義は循環しているが、
状態を表すときは「ならば」にならないので、
集合の包含の定義は循環していないというわけですか?
もう一度日本語を勉強しなおしたほうが良いですな。
現状派であれば、背理法が構成的なものとそうでないものの差になる
という意味で、議論の余地がある。他にもあるだろう。
残り2つは、定義やメリットが分かってないのに背理法ってもなぁ。
173でもスルーされてるし。
推論の名前のつけ方に意固地になっても仕方ないと思うけど、
278の「¬Aから矛盾が導かれたとき、¬Aの仮定を落としてAを導いても良い」という推論
以外の何かを背理法と言う人たちは、この「」の推論をどう呼んでるの?
そのような推論は我が体系には無いっていうのかな。
定義以外のこういう質問は常にスルーされてるが意図的としたら間抜けだなぁ。
>>290 だいたい君の立場はどれよ?
「xxxであることを○○○と言う」と定義した*ならば*、「xxxであるならば、○○○である」は真だが、逆は言えないだろ。
>>280 > 「xxxならば、○○○である」と「xxxであることを○○○と言う」は
> 同義じゃないだろと思うが、どうか?
>>275 に書かれているのは
> 「集合Aのどの元も集合Bの元である」
> ってのは、「集合Aの元 _な_ _ら_ _ば_ それは集合Bの元である」
> と同義じゃんか。
だろう。つまり、
xxx=「xは集合Aの元である」
○○○=「xは集合Bの元である」
だ。これを
>>280 の発言に当てはめると、
『「xは集合Aの元である」ことを「xは集合Bの元である」と言う』なんて発言
があったことになるが、こいつ本当にそう思っているのか?
「“集合Aのどの元も集合Bの元である”ことを“集合Aは集合Bに包含される”」と定義した*ならば*、 「集合Aのどの元も集合Bの元である*ならば*、集合Aは集合Bに包含される」と言えるが、逆は言えないってことだろ。
>>294 全面的に勘違いしてるな、オマエ(爆笑
xxx=「集合Aのどの元も集合Bの元である」
○○○=「集合Aは集合Bに包含される」
だろが!(w
自分に都合の悪いレスにはスルーなんだな。 よく分かったよ。
298 :
132人目の素数さん :03/11/17 01:14
> 自分に都合の悪いレスにはスルーなんだな。
というか、ろくに人の文章読んでないんじゃないのかな。日本語の読解力に問
題があるということかもしれないけど。
>>275 の
> 「集合Aのどの元も集合Bの元である」
> ってのは、「集合Aの元 _な_ _ら_ _ば_ それは集合Bの元である」
> と同義じゃんか。
を、
> 「xxxならば、○○○である」
にあてはめると
> xxx=「集合Aのどの元も集合Bの元である」
> ○○○=「集合Aは集合Bに包含される」
になるという恥ずかしい勘違いに未だに気付いてないらしいし。
「集合Aのどの元も集合Bの元である」と「xが集合Aの元ならば、xは集合Bの元である」とが同義であるとは、 「Pならば、Qである」の意味を定義した後で言えることなんじゃないのか?
そだな。
>>298 >日本語の読解力に問題があるということかもしれない
オマエがだろ(w
「背理法(帰謬法)とは ¬ A を仮定して矛盾がでたときに、A を結論する論法だ」との*俗説*を信じてる阿呆は、そのまんま、阿呆でおればいいのだよ〜ん(爆笑
このスレには、いちいち人の感情を逆撫でする香具師がいるな。
> 「集合Aのどの元も集合Bの元である」と「xが集合Aの元ならば、xは集合B
> の元である」とが同義であるとは、「Pならば、Qである」の意味を定義した
> 後で言えることなんじゃないのか?
つまり、
>>27 の
>"pなる条件が成り立つとき、qである"とする」
>ってのは、「"pならばqである"とする」と同義じゃんか(w
は誤り、というわけだな。
もまいら、ドイツ語、知ってるか?
ドイツ語の“wenn”という接続詞は、英語の“when”と姉妹関係にあるが、
しかし、“wenn”には、when の意味のほかに、英語での if の意味もある。
つまり、ドイツ語では、「pであるとき、qである」と「pならば、qである」とは表現が同じになる。
だから
>>304 の言っていることは、ドイツ語では意味がなくなる。(w
>>304 >"pなる条件が成り立つとき、qである"とする」
「qであること」を「pが成り立つ」ときと定めている。
定義しているのは「q」について。
>ってのは、「"pならばqである"とする」と同義じゃんか(w
何かわからんが、「pならばq」というものを定義してる。
>は誤り、というわけだな。
でしょうね。
>299 >「集合Aのどの元も集合Bの元である」と「xが集合Aの元ならば、 >xは集合Bの元である」とが同義であるとは、「Pならば、Qである」 >の意味を定義した後で言えることなんじゃないのか? 穏当なお考えですね。その考えと、2・3日前まで横行していた、 >「・・・xx・・・」とは「・・・ならば・・・」と同義じゃないとでも >いうのか、ヴァーカ)(爆笑 みたいな論法は両立するのでしょうか。 あなたの立場からみて、>250 あたりまで盛んだった「ならば」が明記されてもいない文言にむかって 「これは『ならば』と同義だ」と言い立てる議論はどう映るのでしょうか。例えば >237 > 「x∈A であるすべてのxについてP(x) → Q(x)」とは、 >「x∈A であるならば、P(x) → Q(x)」と同義だから、やっぱり、循環論法(w などは、「Pならば、Qである」の意味を定義したあとの吟味の結果といえますか? こういう立場の人には、 >299 さんがおっしゃることは、まったく説得的でないでしょう。 最近も >30 のような、外国語の辞書が同義性の論拠になると言わんばかりの書き込みがありますが、 こういう事を書く人は、あなた(たち)の見解を容認しないと、私は考えます。 「集合Aのどの元も集合Bの元であることを“AはBに包含される”と言い、A⊆Bと書く」 という記述が、「ならば」の定義の前にある書物があるなら、 彼らにとって、これまで非難を向けてきた「大概の教科書」と同様「循環論法」宣告の対象と なるべきでしょう。 仮に、非難してきた当人がそんな書物を書いておられたとすれば、失礼ながら、とんだ茶番という他ありません。
エムシラの流派の御方がいられるスレで恐縮ですが、やはり syntax と semantics いう2つの概念規定などしてからでないと とても議論になっていませんね。 language の「ならば」と metalanguage の「ならば」と混同 させるという、その筋では普通の技によって混乱に陥れるのは World Cup のレベルでは通用しないんだけどねぇー、地方大会 だとこれが結構これがうまくいくんだよね。
定義とは概念と名前(もしくは識別子)を対応付けすることだということが理解できていないようだな。 内包による概念の記述も、外延によるそれも、同じ物事の裏表の関係にある。 エムシラは、あくまで言葉による表現上の違いから片方のみの正当性を主張しているだけなのであって、決して本質的なものではない。 そのあたりを間違ってエムシラに賛同などしてしまえば、一生を間抜けの一員としての十字架を背負って生きる事になるぞ。
>>309 >エムシラに賛同などしてしまえば、一生を間抜けの一員としての十字架を背負って生きる事になるぞ
ワス、エムシラに賛同すたことなど、一度(えつど)もねッス。
なのに、どうすてワス、間抜けの烙印を押されて、ネットをさ迷わねばならんッスか?
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\\_ _) ヽ 敬白 マツシン
敬白が 軽薄とダブる マツシン痰 詠み人知らず 圖
312 :
132人目の素数さん :03/11/17 23:38
>>308 エムシラ御大は「semantics とか syntax といった、本来は文法学上の概念を論理学の世界から追放することを“(世界的な)論理改革”の目的の1つとされている」と見たが、どうか?
やはり、エムシラ御大自身に御登場ねがう必要があると思うが、どうか?
「御登場願う」までもなく、すでに「御登場」されているように思うが、どうか(w
背理法と帰謬法とは違うと主張していた「マヌケ」は駆除されちゃったみたい。(w
>背理法と帰謬法とは違うと主張していた「マヌケ」は マツシンだったりしてな(爆笑
はーい!先生質問でーす 演繹法と帰納法って同じですか?
「数学的帰納法」に関する限りでは、帰納という名前はつけられているものの、 これは演繹法だな。
>>273 故 前原昭二氏が「「背理法」というのは「理に背く」と書くが、これはなにも
理に背いているわけではなく、正しい推論法だ。こういう誤解を招くを呼び方
はやめて、「気謬法」という呼び方を使うべきだ」としきりに言ってたね。
>>317 それこそ、まさにエムシラが間抜けの中の間抜けであることを
端的に表した動かぬ証拠ってやつだな。
「尚、”・・・”なる表記自体を問題にするのであれば、 当然syntaxやsemanticsの議論が生じますが、 しかし、それは言語学、記号論ないしは記号代数の 問題であって、論理学の問題ではありません」 数理論理学とは、御大のいうところの 「言語学、記号論ないしは記号代数」 でしかないのだが・・・
そういやー、以前、fj.sci.mathで、偉そうに、「命題とは、基本的に、文のことである」な〜んてな 間抜けなことを書いて、大恥を掻かされたトンデモがおりましたなぁ〜(w
325 :
132人目の素数さん :03/11/19 03:31
>>324 それって、このこと↓ですね(藁
>Shingo Matsumoto stupidly wrote in the message: <
[email protected] >
>>
>> 命題は基本的には文です。
>
>
> ばかもん!
>
> # 「‘赤’という漢字で表わされる≪色≫は、基本的には、≪‘赤’という漢字自体≫ のことです」
> と言って、小学生たち からさえも 笑われたいのか?
>
>「‘赤’という漢字で表わされる≪色≫は、≪‘赤’という漢字自体≫ のことではない」 のと同様、
>[赤は光の三原色の一つである] という文によって表わされる≪命題≫は、 ≪[赤は光の三原色の一つである]
> という、文自体≫ のことではないワ。
>
> このことは、件(くだん)の命題が、文(sentence)としては 全く別のものである、“Red is a primary colour of light”
> なる英文でも表わすことができることからしても、明らかなことだ。
>
>
> M_SHIRAISHI
326 :
132人目の素数さん :03/11/19 12:15
From: "Shingo Matsumoto" <
[email protected] >
Subject: 「恒真命題」
Date: 2000/05/16
Message-ID: <
[email protected] >#1/1
"ぷらとん" <
[email protected] > wrote in message
news:
[email protected] ...
> まず、あなたが、「恒真命題」という用語は、SHIRAISHI氏以外の「皆」が
> 使っていると言ったのが始まりです。
>
> 私は、この「命題」という用語が「formula」の訳語としての意味以外のある意味に
> 受け取られた場合、「恒真命題」という用語が読者から見ていかに不合理に思わ
> れるかということを説明し、(これは、私の考えであり、SHIRAISHI氏の考
> えを説明しようなどとはしていません。)さらに喩え話まで付けたわけです。
Shiraishi氏もぷらとん氏も山田氏も「命題には真偽が定まっている」
という考えを共有しているようですが、私からみれば、それこそが実に
ナイーブな発想です。
「シンタクスとセマンティクスを分割する」という発想からいえば、命題は基本的には文です。
もちろん、文が必ずしも真偽値に対応づけられない場合に
命題を文にさらに制限をつけたものとすることはありましょうが、
基本的にはシンタクティカルなものと考えるべきです。
Shiraishi氏のいう「述型」は、公理や推論規則の表示という点では、
意味があるでしょうが、このことから、ただちに命題論理や一階述語
論理が「否定されるべきもの」という結論が導きだされるわけでは
ありません。
>>326 =「dデモ助平町人マツシン痰」の二の舞を演じている、浅学の「どマヌケ」(爆笑
328 :
132人目の素数さん :03/11/19 17:16
【天の法則】 Das Alte geht, und das Neue kommt.
329 :
132人目の素数さん :03/11/19 18:53
ていうか、
>>326 にあるのは、
> 「シンタクスとセマンティクスを分割する」という発想からいえば、命題は基本的には文です。
とあるように、「〜という発想」を前提として「命題は文である」ということだったわけでしょ?
それを、エムシラは前提を無視して帰結の部分だけとり上げて騒いでいるように読めるね。
俺はマツシンの主張には賛成できないが、エムシラの騒ぎ方も鼻についてへどがでるね。
>>324-326 はエムシラの「『AならばBである』というと『Bである』と曲解する」
救いがたい病気がまたでてしまったことの証拠。
ていうか、こういうのはトンデモの常套手段なんだろうけどね。
>>329 <--- 他でもない、こやつがトンデモ。 しかし、こやつ自身にそのことが分かるのは、かなり時間がたってからのことだろう。(w
「シンタクスとセマンティクスを分割する」という発想は、文法学での発想であって、 それが論理学と関係があると考えるのは蒙昧暗愚な前世紀的発想であったことが、 やがて、人類の共通認識となる。
>>331 今は共通認識でないので、御立ち去りください。
今井は、共通認識ではないので、御立ち去りください。(w
>>331 やがて共通認識となるのでしたら、御大におかれましては、どうか、ここにしばしお居座りあそばしまして、
私どものような愚民を御指導下さいませ。 ひとえにひとえに、お願い申し上げます。 m(_ _)m
【ネットの法則】 エムシラが現われれば、マツシンは逃げる。
エムシラさん、また、出ましたね! 自分が理解できないことは、前世紀的とか暗愚とか言って ケチをつけながら背を向けてしまう悪い癖が!!! 相手を前世紀的とかこき下ろすのはいいんですけど、 それに見合うだけのものをちゃんと出してくださいよ。 大言壮語を撒き散らすだけでなく!!
337 :
132人目の素数さん :03/11/20 15:24
もしかすると 「エムシラにとっては、トートロジーもまた循環論法ということになりRLでは認められていない」 のではないか? なんて、ふと思ったんだが、実際のとこどうなんでしょうね?
338 :
132人目の素数さん :03/11/20 17:34
>>337 これまでの御大の発言内容から推測すると、ZFCなどもダメ。逆に素朴集合論はOK。
>>312 気のぬけたときの返事で恐縮です。
エムシラ御大の目的はそうなんでしょうね。つまり、論理的である
代わりにお絵書きをして済まそうという安直な大計画なわけだ。
かくて、4 色問題の証明なんて、ちょちょいのちょいのブタのしっぽ。
中には、この御大のファンであるだけでなく、同調するマヌケもいる
ようで、これまた面白いんだけどね。
御大の大発明は「色つき 2 階のベン図」ということだろう。
これにより、背理法、循環論法などより、より強力なエムシラ論法を
可能にしている。エムシラ論法のなかには、
「エムシラの、未来はいつも、4、5 年後」という言い古された結論が
あるが、これは2 階のベン図ではバラ色にぬられているわけだね。
340 :
132人目の素数さん :03/11/21 14:30
そもそも、2階のベン図といったって、記号化の手法にベン図を応用したと いうだけのことであって、そこで表されている内容が論理式である限りは、 従来の標準的な記号論理学と本質的な違いはない。 強いていえば、問題の種類によっては図で表現したほうが直感的でわかり やすいものも少なくない、といったていどのことで、ベン図を利用しない かぎり解決できない問題というのは存在しない。従来の論理学が2階のベン図を 利用していないので間違っているなどいうことは、けっしてありえない。 しかも、エムシラのまずいところは、独自表記を説明しようとしなかったり、 自費出版だかの本を買えというばかりで結局説明責任から逃げていたりすることだな。 ここまでもめているにもかかわらず、中途の説明は拒否します、だけど結論は 受け入れろ、なんてのは呆れるほど虫がよすぎる。
341 :
132人目の素数さん :03/11/21 16:44
>>340 「虫が良い」で済ませられる貴方は、なんて優しい人なんでしょうか。
343 :
132人目の素数さん :03/11/21 23:32
>>342 俺さぁ、そいらのHPを読んだ結果、M_SHIRAISHI氏の理論のほうが正しいんじゃないかって思えてきたんだけど、
これって、なんかヤバイの?
別段やばいってことはなんじゃないかな。 今まで「標準理論」とされてきたフレーゲ=ラッセルの理論は(ゲンツェンのNkとかLKも同じだけど) やはり、どっかオカシイし、M_SHIRAISHI氏提唱のRLがそれらに取ってかわって今後の標準理論となる 可能性ってのは、結構高いんじゃないかって思うよ。
まあ、そういうことだね。 340 は少し誤解してるようなので、詳しく説明するが「色つきの2 階のベン図」 こそエムシラの大発明なのだ。それは標準の、、、などと全く異なる斬新な ものだ。このベン図によるエムシラ論法を、エムシラに応用すれば「4、 5年後のケムブリッジ大講演」がバラ色で囲まれて現れる。またこのベン図を ヤマジンに応用すれば、これまた「4、5年後の100万ドル懸賞金とチューリ ング賞の受賞」がバラ色に浮き上がる。マツシンに応用すれば、「4、5年後 の対エムシラ大勝利」がバラ色の涙にまみれて燦然と現れるってわけだ。 まあ、イマイの糞ジジイに応用するのは、練習問題にしておこう。
346 :
132人目の素数さん :03/11/24 17:28
>>345 君、全然違うよ。
エムシラの「2階のベン図」は、今井の「複ベクトル」と同じ。
今井が、複素数の計算公式を受け入れられなかったように、
エムシラは三段論法の「ならば」が受け入れられなかったわけ。
さらにいえば、今井がオイラーやガウスを跪かせたように、
エムシラはフレーゲやヒルベルトを跪かせたってわけさ。
>>347 ⇒と→ の記号の使いわけは,とくに一般的なものではない.
その使いわけを推奨している本では,要するに universal closure
に対して⇒を使えといってるだけ.
つまり ∀x∀y ( P(x,y) → Q(x,y)) を P(x,y) ⇒ Q(x,y) と
書くことをいってるだけだ.
こんな使い分けをせず,universal closure といえば済むわけだし,
こんな,簡単かつ,つまらないことに別な記号を導入するのは趣味
が悪い.だから,他の本には,そんなこと書いてないだろう.
竹内本の証明論に現れる,「ならば」 は解釈すれば,これと同じ
だが,それは証明論の展開の枠組みとして導入しているもので,論理
記号として導入してるわけではない.まあ,感心するようなことじゃ
ないんじゃないのぉー?
> ⇒と→ の記号の使いわけは,とくに一般的なものではない. > その使いわけを推奨している本では,要するに universal closure > に対して⇒を使えといってるだけ. 推奨してる本を教えてください。
>>346 は
>>345 を追認しているだけの様に見えるけど、
どうして、全然違うとか言ってるんですか?
>>350 それは見方の違いだろう。346 はエムシラファンでないが 345 は
エムシラファンである可能性がある。この違いは大きい。346
はエムシラ、イマイをきっておとすことにより、ヤマジンある
いはマツシンを高く評価しようというのかもしれない。
>>352 >エムシラ、イマイをきっておとすことにより、ヤマジンある
>いはマツシンを高く評価しようというのかもしれない。
ははぁ、そうなんでしょうかね。でも、
>>346 氏にとって、
今井・エムシラとヤマジン・マツシンを分けるものは何なんでしょう?
素人の私にとっては、皆、同じように見えるのですが。
>>353 ヤマジン・マツシンは、別の症例なのでここではあつかいませ〜ん
356 :
132人目の素数さん :03/11/26 11:33
>>345 それでは、現在発売中の年末ジャンボもエムシラの2階の便図を応用すれば
結果はバラ色に浮き上がると考えてよろしいんでしょうか?
357 :
132人目の素数さん :03/11/26 12:47
>>356 もちろんです。
ただし、4〜5年後ですが。
>>358 その部分もエムシラの間抜けぶりを証明するまたとない材料だよな。
なんでこの部分をいつまでも残してるんだろうか?
360 :
132人目の素数さん :03/11/28 13:03
>>360 まずは引用。
http://www.apionet.or.jp/~eurms/Honron-2.html > ここで、私たちは もっと 決定的な事例 を あげて、Fregean論者に 致命的一撃 を下すことにしましょう。
>
> P:[ライオンは哺乳動物である],Q:[ライオンもクジラも共に哺乳動物である] と おいてみると:−
> [PはQを内含する]: [ライオンは哺乳動物である は ライオンもクジラも 共に哺乳動物であるを内含する] ------ 明らかに、これは偽です。
> [Pでないか又はQである]: [ライオンは哺乳動物でないか 又は ライオンもクジラも 共に哺乳動物である] ------- こちらは真です。
> 一方は偽であり、他方は真であるような二つの命題 が 同義であるはずはありません。
>
> とまれ、Fregean理論では [PはQを内含する]と[Pでないか又はQである] との関係を 見誤っているのです。 これは 次のように 言うこともできるでしょう:−
> Fregean理論では [PならばQである] という命題の正体が正しく捉えられていない。
確認しておくと、P=「ライオンは哺乳動物である」は真で、
Q=「ライオンもクジラも共に哺乳動物である」は偽である。
ここでエムシラは「PはQを内含する」つまり「ライオンは哺乳動物である(真) は
ライオンもクジラも 共に哺乳動物である(偽)を内含する」を偽であるとしている。
これは良い。
問題はその次で、「Pでないか又はQである」つまり「ライオンは哺乳動物でない(偽)か
又は ライオンもクジラも 共に哺乳動物である(偽)」を真としている部分にある。
エムシラの論狸学では「偽または偽は、真」なんだとさ。
どういう論理体系を持ち出せばこういう結果になるんだか、俺にはサパーリ分からんね。
でもって、この「決定的な事例」が根拠で「Fregean論者に 致命的一撃 を下す」んだと。
>>361 くじらは哺乳動物ではないのですか?
思う存分エムシラに晒ものにされてくらはい。
363 :
132人目の素数さん :03/11/29 11:11
>>339 エムシラ御大のお絵かきが、記号遊びを超えるための方策と
いうことであれば、目的は理解できないこともない。
ゲーデルの不完全性定理は、全てを記号化してしまう点で、
「言語学、記号論ないしは記号代数」だという指摘はもっとも。
エムシラ御大には、ぜひコーエンの連続体仮説の決定不能性を
ひっくり返していただきたい。これこそヒルベルト流の形式
主義では決して乗り越えられない壁。エムシラ御大がこの壁を
超えて、連続体仮説に対する解答を、新しい論理の絵で示せる
ならば、ケンブリッジ講演どころかフィールズ賞も夢ではない。
ヤマジンのP=NPをはるかに超える、論理の金字塔を打ち立て
られるだろう。
>>363 確かに、可能性は高い。
「4、5年後」には必ず、バラ色の金字塔が(論理的には矛盾するが、
お絵書きでは、重ねあわせが可能だ)打ち立てられることであろう。
>>358 厳密含意 (strict implication) とか実質含意 (material implication) を
キーワードにして調べると、どのような雰囲気かはわかるかも知れません。
氏によれば relevant logic, entailment, modal logic などは、検討済み
とのことですが、このあたりのプライオリティには全く気を使っていないよ
うです。
例のベン図のおもちゃも、せいぜい Loewenheim の仕事の焼き直しでしかな
いのですが、氏は気づいているかどうか。
> [Pでないか又はQである]: [ライオンは哺乳動物でないか 又は ライオンもクジラも 共に哺乳動物である] ------- こちらは真です。 この[Pでないか又はQである]の真偽の評価のために[クジラは哺乳類である]という命題を暗に仮定している。いっぽうで > [PはQを内含する]: [ライオンは哺乳動物である は ライオンもクジラも 共に哺乳動物であるを内含する] ------ 明らかに、これは偽です。 この[PはQを内含する]の真偽の評価のために[クジラは哺乳類である]という命題は無視している。 つまり L:ライオンは哺乳類である。 W:クジラは哺乳類である。P≡L。Q≡L&Wと定めたとき W⇒((notP)or(P&Q)は真であるが(“W⇒”の部分が暗に仮定されてる隠された部分) P⇒Qは(Wの真偽が不定であるため)真でない(正確には恒真でない)といってるだけ。 パラドックスでもなんでもない。どうも真性に勘違いしてるようだ・・・
>366
ま、ご本人も口を滑らせて、
>Subject: Re: 含意/内含について
>Date: 1998/12/29
>Message-ID: <
[email protected] >
>「ライオンとクジラ」の例を一般化して言うと「PとQとが真ならば、
>“PならばP&Q”」が (Fregean理論に従えば)言えちゃうわけで、
>これでは、内含に対して我々一般の直観 ―― P,Qの真偽に
>かかわりなく、“PならばP&Q”であるなんていえるわけない
>という直観 ―― から外れているということ。
などと、からくりをばらしておられますね。
前者は「PとQとが真ならば」と常識的に明らかとなっている真偽を前提とし、
後者は「P,Qの真偽にかかわりなく」とその前提をはずして、
それで両者の真偽が正反対と騒いでいる、そう認めておいでです。
368 :
132人目の素数さん :
03/12/02 19:21 つまりエムシラは「わざと曲解して難癖を付けている」というわけですね。 しかも極端な粘着体質でもあるので、こういうのに引っかかるとタチが悪いですね。