哲学

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1消防
語れ
2132人目の素数さん:03/03/07 13:27
1000!
3132人目の素数さん:03/03/07 13:32
絶対矛盾の自己同一。
4132人目の素数さん:03/03/07 13:35
対数
5132人目の素数さん:03/03/07 13:35
1発やるか!
6132人目の素数さん:03/03/07 13:35
はなしになんねー
7デカルト:03/03/07 13:36
何か質問あるかね?
8132人目の素数さん:03/03/07 13:36
馬屋氏は?
9132人目の素数さん:03/03/07 13:36
鹿鳴館
(3〜9)-7を求めよ。
11Smallqman:03/03/07 14:19
このすれいたちがいでござる。
だがせっかくだからわたしのこばなしでもきいてもらおうか。
これはこだいからすでにしられているものだが
ありすとてれすはむげんを(たとえばしぜんすうをかぞえるなど)
さいげんなくつづくすてっぷとしてとらえた。
これはいつまでたってもゆうげんのままでおわり
むげんはじつざいしないものとみられていた。
それにたいしぷらとんは
ありすとてれすのむげんとはべつに
(たとえばぜのんのぎゃくりにあるような)
じつざいするむげんをていしょうした。
じゅうきゅうせいきになってかんとるは
ぷらとんのむげんについてのりろんをていしょうした。
これはすうがくかいにおいてじゅうだいなできごととはいえないだろうか。
屑哲
13M上Y一郎:03/03/07 14:25
 瞬間速度という概念が、微分という便宜的な算法を使わずには成り立たない、
あるいは概念上の困難がある、ということを前回に述べた。日常的な考えに従えば、
速さという概念は、あくまで一定の時間が定義されたとき、その時間内に移動する
距離との比によって与えられるものだからであり、「瞬間」である限り、そこには
一定の値を持つ「時間」が定義できないからである。

 それを微分を使って切り抜けて、見事に成功をおさめたのが、近代力学であった。
しかし、そこに争い難い問題が残ることも確かである。

 それは結局時間幅をゼロに近付ければ移動距離もゼロに近付くはずなのに、
移動距離のほうだけはゼロにならない、という微分の言い抜けである。
他でやれ。板が穢れる