同様のスレはなかったので立てました。
私のような門外漢が立ててしまったのを機に数学とは何か
考えてみるのもいいでしょう。
まだ考えがまとまってないですが。
1、チャイティン「数学の限界」について
2、公理を使わない「今井塾の数学」について
3、ホフスタッターの「数学的命題は記号列」で
「推論規則は記号の変換規則」として帰着できる、
というアイデアについて
などの話題(話題を提供して下さると幸いです)が考えられます。
>2、公理を使わない「今井塾の数学」について
数学ちゃうし。
あと私の最近の考えを少し。
任意の数学体系において、その体系内で扱う数学的諸対象は互いに独特のやり方で
区別されていますよね。
その区別のされ方によって、任意の数学的体系を記述できるのでは?
つまり数学的体系の全貌は区別された対象の集まりにすぎないということです。
推論規則については、その推論規則の適用例を新たな数学的対象とするわけです。
たとえば、論理式Aと論理式Bのあいだに論理式A→Bが成立する体系においては
論理式A→Bも数学的対象に新たに含める、というふうに再帰的に数学体系を
記述していきます。
>>2 どうしてですか?
公理を使わないという部分に関しては共感しますが。
「公理」は(日常語としての)<定義>を含みますよね。
(数学用語としての)「定義」だけでなく「公理」と合わさって
数学的対象が<定義>されている、
というところまでは一般的な認識ではないでしょうか。
バカ?
6 :
132人目の素数さん:02/12/17 16:14
電波出現
説明不足でしたか?
公理は導出規則ではないですよね。
公理は数学的対象であって、そこから他の数学的対象(定理など)
を導くには推論規則が必要です。
公理がただの数学的対象だということがここでは大事です。
点と線で言えば点にあたる部分が数学体系です。
ただし公理系(点の集合)から線でたどって導出できる点は
便宜上除外したりしますが。
ばか。
>>5,6
トンデモかもしれませんが、バカだとは思いません。
きちんと理由を言ってください
もうすぐ出かけるので批判なら今のうちにどうぞ
/ ̄ ̄'' -、
( / ) ヽ
i r-,,,, /,,,, )
( >| ● ●// / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
`‐| U /ノ < 馬鹿。
\ ━ ,/ \__________
(((O⊃>
\ 'oヽ
|,,,,,,∧|
/ ∧ \
/ / ヽ ヽ
ト-< |_/''┐
ヽ='' `=='
いい加減にしてくださいよ。
まだ何も言ってないのにどうしてばかって言うんですか。
今は言うべきことを言い切れないのでまたまとめて書き込んでおきます。
ただの馬鹿にはただ一言「 馬 鹿 」、と。
∧_∧
∧_∧ (´<_` ) 流石だよな、俺ら。
( ´_ゝ`) / ⌒i
/ \ | |
/ / ̄ ̄ ̄ ̄/ |
__(__ニつ/ FMV / .| .|____
\/____/ (u ⊃
ガタガタガタタタタタ・・・・
14 :
132人目の素数さん:02/12/17 17:07
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´Д` ) < ばか?
/, / \________
(ぃ9 |
/ /、
/ ∧_二つ
/ /
/ \ ((( ))) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ /~\ \ ( ´Д`) < ばか?
/ / > ) (ぃ9 ) \_______
/ ノ / / / ∧つ
/ / . / ./ / \ (゚д゚) バカ?
/ ./ ( ヽ、 / /⌒> ) ゚( )−
( _) \__つ (_) \_つ / > (・∀・)バカ!
ずっと前、かなしみがこんなスレ建ててたが、せめてあれくらい気のきいた
内容書いておけばマジレスもつくだろうに、これじゃネタにしかならん。
16 :
132人目の素数さん:02/12/17 17:22
まだ何も言ってないのにどうしてばかって言うんですか。
>>3 数学を論理学の応用としてみるからそういう話になる。
論理学の応用というのなら「何か」は大げさ。
それとsageでやれ。200越える元気を見せたらクソスレとして
ちゃんと無視されるから心配するな。
>数学を論理学の応用としてみるからそういう話になる。
これは従来の考え方ですね。
私が言っているのは、
数学は論理記号を用いたものにすぎないのだ
と帰着される、ということです。
>>18 一つ以上メタな論理体系を使えば整合的に記号論理で体系化されるのが数学だと
いうことがいいたいの?
その論でいうと記号論理学も理論計算機科学も数学の一種ということになるね。
別にそう言うのを止めやしないけど、それが今の数学を説明することになるか?
20 :
132人目の素数さん:02/12/17 19:13
/⌒彡
/ 冫、 ))
/ ~ヽ ` , (((( ティモテ
| \ y )))) ティモテ〜
| ニつ))つ
|、ー‐ < ((
/ ヾ \、 私をお呼びでしょうか?
// しヽ__)〜
~〜〜〜`
23 :
132人目の素数さん:02/12/17 21:04
数学は論理記号を用いたものにすぎないのだと帰着される
24 :
132人目の素数さん:02/12/17 21:10
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
WOTAKU RADIO CLUB
___________________
// // ||
ビシッ / ̄ ̄ ̄ ̄\ [lllllll]
/ ̄\( 人____) ̄ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
, ┤ ト|ミ/ ー◎-◎-) | バカ。
| \_/ ヽ (_ _) ) <
| __( ̄ |∴ノ 3 ノ |
| __)_ノ ヽ ノ | ̄| \___________________
ヽ___) ノ )) ヽ.|∩| //
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
哲板にはこの手のカキコが多いよねー.
ちょっと数理論理を習ったくらいですぐに
「数学なんてただの記号操作に過ぎない」
とかかっこつけてみたり,あるいはそれがさも新しい考え方で
あるかのように思い込んでいたり.
鉄顎は落ちこぼれ
27 :
132人目の素数さん:02/12/17 22:06
数学は論理記号を用いたものにすぎないのだと帰着される
幼稚な煽りというのは見てて痛々しい。
命題 数学は論理記号を用いたものにすぎないのだと帰着される
哲学者は論理記号に習熟している
数学的論理記号を理解できない哲学者は哲学者といえるのか
哲学は分析系にのめりこむか、あとは文献学みたいなもんでしょ。
別に相手にしなければいいのでは?他人の形而上学を勉強
してるだけで、社会のことにノータッチ(というか関与できないヘタレ)
な哲学屋は死んで欲しいとおもっちょるよ。
これくらいの煽りでいなくなるくせに、なんでスレを立てるかなあ
>>1は次書き込む時はageちゃ駄目だよ。
数学板なら200番台以下で書き込みあっても反応してくれるんだから、
わざわざageて荒らしてもらう必要は無い。
…次は来るのかなー?
sageで書きましたよ
哲学板で哲学を判断するのはどうかと思いますよ。
ちなみに私は駄目な芸術家です。でも(というかだからこそ?)超多忙です。
だから返事が遅くなっております。
では続き
数学は記号操作だとか、そうではない、というのは一見何の意味もない、
真偽の判定不能な言明ですよね。
ところが議論領域を変えてみると違ってくるのです。
人間の行動はすべて身体の動きで表されるという意味では
数学的活動は身体が繰り出す数学的行為の総体です。
で、その行為の本質は何かと先に考えるのではなく、とりあえず
議論領域を定めてみようとするわけです。
ところが、数学活動は精神的なものなのでその領域の確定など無理です。
でもまぁ、数学の厳密性からいえば、ある程度確定できると思うのです。
それが記号操作ということだったのです。
記号操作がすべて、というのはその程度の意味です。
さて、数学記号や数学的対象は独自の仕方で意味づけられています。
純粋性からいえばちょっといびつというか対称性の崩れがある、ということです。
その結果、人間くさい現象も数学で扱えるわけですね。
なぜ、このような非対称性が生まれたのでしょうか。
これが私からの問いです
問題意識がうまく伝わっていない可能性が大有りなので
補足説明をします。
たとえば、絵画は、画像工学的に扱おうとするなら、
2次元の直交座標であらわされるR*Rから色のスペクトルへの写像(関数)
とでもなるのでしょうが、このようにあらわされたからといって絵の表現内容は
表されたことになりません。
言い換えると、上のような写像からなる集合を取り出してそれら相互の関係を解明
しないといけないということです。
ところが数学は自然言語とは違って厳密で純粋なので、対称的に対象を切り分けることしか
できません。ここが大切です。
たしかに絵画など非対称なものどうしを区別することは上記の「画像工学的方法」
で可能でした。しかしいくら数学を用いても新たな区別が生じるだけで、
区別されたものどうしの関係は扱えないのではないのでしょうか。
以上は試論ですし、まったく正しいとは思わないです。
現実の数学は人間くさいです。
上の話はあくまで数学から「本質」を抽象したものにすぎません。
>>33 まず
>>35の問題点に入る前に、先に語用的な注意点を書いておくよ。
形式化というものは数学は君がおそらく思っている以上に深刻な問題だ。
数学の論文は非形式的だけど、数学を定義と定理の集まりと見る限りにおいて、
数学の結果は形式化可能だ。形式化可能という意味は、計算機にその証明が
妥当であることを検証させることができるということだと思って構わない。
そして数学者は学術的な立場に立つ限り定義と定理以上の主張を普通しない。
だからゲーデルやチェイティンの結果が全くは無視できないわけだ。
しかし数学者は普段これらの問題を全く気にかけない。なぜならそのような
形式化可能性は言語の特徴に過ぎず、しかもその言語は十分に豊饒なので、
その言語が内容に及ぼす影響を意識する必要がないからね。日本語を
話している時に日本語の性質を意識することはないのに似ているかも知れない。
チェイティンにいたっては名前すら聞いたことのない数学者も多いはず。
一方、形式化可能な他の学問には、理論計算機科学や形式論理学があげられる。
これらの学問を形式によって区別できるかどうかは怪しい。理論計算機科学だけは
特別に制限された論理体系を使う傾向があるが、数学の結果を使うこともある。
そして、当事者以外から見ればどれも数学と呼んでも構わないと思うかも
知れないが、当事者から見れば全く違うものだ。端的には興味の指向が違う。
そのため、数学者と理論計算機科学者や論理学者が実際に学術的な交流を
行なうことはそれほど盛んではない。この点は理解するべし。そうしないと、
君が数学と呼んでいるものとこの板の住人が数学と呼ぶものはすれ違っちゃう
から議論にならないよ。数学ってのは今も行なわれている学問の名称だからね。
>>35 「対称」「非対称」っていうの意味が分からん。説明しる
ただね、今の数学と芸術はよく似てると思うよ。なんでかというと、
数学者と芸術家はその作品の価値を他の言葉で説明しようとしないから。
これに対して例えば物理学者は作品の意味を説明しようとする。
どんなに専門的な結果であっても物理学者はその結果を理解する
方法をふつうの言葉で説明しようと努める。長めの物理の論文と
数学の論文の introduction や conclusion を読み比べると
そのことは分かるんだが。
また、その結果が世界に与える影響に対して無関心なところが
数学者と芸術家は似ているだろうね。数学は物理でも利用されて
いるのは知ってるけど、それが原爆につながったと聞いても
あまり何も感じないだろう。芸術も大戦時には随分とプロパガンダに
利用されたが、だからといって新作を危険だから発表できないと
いうような芸術家はまずいないと思う。
その割に、数学者と芸術家はその意義を問われると、「いろんな
ところで利用されている」と、うっかりいってしまうことも多い。
なんでだろ。
39 :
132人目の素数さん:02/12/26 23:32
こら、ageんな。
無闇に馬鹿と喚いたりAA貼ったりする奴もある意味で馬鹿だぞ。
ある意味というか、普通にバカだと思うが‥
(^^)
煽ったつもりはなかったのですが…
>>37さんの質問に追加で,「厳密に純粋」ってどういうこと?
>>33 >数学は記号操作だとか、そうではない、というのは一見何の意味もない、
>真偽の判定不能な言明ですよね。
いや,記号操作とも言えるんじゃないですか?身体性ってのはよくわかんないけど
そんなの無しでも.つーか33の内容全体がよくわからない.
>>1の(3)については定理証明系についての本を読むといいのでは?
45 :
132人目の素数さん:03/02/07 00:23
哲厨ホイホイ保守
全然「数学とは何か」という問いに結びついてないから、
気の毒だがやっぱり
>>1は馬鹿。
数学に対する自分の漠然としかつ勝手な思い込みの矛盾点に気づきはじめて、
「これってすごい事?」とか色めいてるだけだろうが。
いや、それでも思い込みが何だったのかは知りたいんだが。
絵は描き方が分からんでも観ることはできるが数学はそうはいかんから、
特に予算削減の昨今、数学を素人に説明する方法論は必要かと。