1 :
132人目の素数さん :
02/12/04 02:34 波動関数の時間変化は連続的だから 現実の物理において運動は連続的です。 そして連続は、ある値とその値に収束する変数と (つまり或る値とその値プラス無限小と) によって定義されるわけだから、 したがって飛ぶ矢が飛ぶとかアキレスが亀に追いつく というような運動が可能になるためには 運動の移動距離について無限小と何がしかの数の積が、 イコール1メートルのような普通の値になることが必要になります。 しかるに、無限小に掛けて普通の値になる数は無限大しかありません。 つまり飛ぶ矢が飛ぶとかアキレスが亀に追いつくためには 無限大の回数の運動を行わなければなりません。 しかしそれは不可能事なので、やはりゼノンの言うとおり、 飛ぶ矢は飛ばず、アキレスは亀に追いつかない、 という観察事実に反するおかしな話になってしまいます。 この問題をどう解決したらいいでしょうか?
>運動の移動距離について無限小と何がしかの数の積が、 >イコール1メートルのような普通の値になることが必要になります。 ここだここ。ここの根拠を言って見れ
>>1 すまんもう少し分かりやすく焼きなおしてくれ。
いちおう、もしかしてなんだけど、
物理:観察
数学:定義
がそれぞれ根源的基礎になってるって言うのがごっちゃになってない?
物理の連続を数学で定義してるようにみえるような・・・(錯覚かも
>>2 運動が連続的であるということは
運動は無限小の移動距離なり経過時間なり
を最小単位としていて
それの積で運動の移動距離なり経過時間なり
が成り立っているということであるから
>>運動の移動距離について無限小と何がしかの数の積が、
>>イコール1メートルのような普通の値になることが必要になります。
と言えます。
6 :
132人目の素数さん :02/12/04 02:55
ゆんゆんがいしゅつスレはここですか?
>>3 は
>>4 で言われている
物理の連続と数学の連続がごっちゃになっているということを
言われたかったのでしょうか?
波動関数の時間変化は連続的であるという時の連続は
数学で言う連続とは違うということでしょうか?
違うとすればどう違うのでしょうか?
>>5 運動が連続的なら最小単位は存在しないのでは?
君が無限大の回数等という物に振り回されているのは
自分勝手に無限小という物を定義したせいだ。
>>8 たしかに最小単位を無限小とするならば
これを最小単位と決めたら
それよりも小さい単位ができてしまうから
デデキントの切断で最小単位は存在しないことになりますが、
しかしだからといって無限小という数は存在しない
としてしまうことはできないと思います。
デデキントの切断が無限小の概念を数学から放逐したという話は
私は聞いたことがありません。
>>10 数学においては
無限小の概念も無限大の概念も同じく存在しててOKのものです。
存在したら駄目なものではありません。
>>2 >>3 >>4 >>8 >>10 あ、分かりました。
無限小の経過時間を無限大の回数経れば
無限小の移動距離を無限大の回数運動することができるわけですね。
だから飛ぶ矢は飛ぶしアキレスは亀に追いつけるわけですね。
得心が行きました。
みなさん質問にお付き合い下さり有難うございました。
>>12 いや、やっぱり違うか。
飛ぶ矢が飛ぶ運動やアキレスが亀に追いつく運動に必要な時間の経過中、
無限小の時間を無限大回経過したことになるわけだから、
しかしそれは不可能事であるわけだから、
やっぱり運動やそれに必要な時間の経過はありえないという
観察事実に反するおかしな話になりますね。
あいかわらず謎は謎のままなのでした。
この謎をどうすれば解決できますでしょうか?
無限大回経過するのが駄目で 無限小の時間がOKなのは何故よ?説明してみ。
>>14 無限大の回数を経ることができないというのは
どういうことかというと、
無限大回というのは回数に限りがない、つまり終わりがない、
ということだからそれを経過し終えるということは矛盾であるわけです。
無限小の時間を経過できるのはなぜかというと、
一回で無限小の時間は経過できるからです。
>>15 回数に限りあるじゃん、終わりあるじゃん。
「無限大」回が限りで「無限大」回で終わり。
なんでこれ駄目なの?説明してみ。
1の言うとおりならば、そもそも1mという距離も存在しようがないじゃないか。 無限小の距離をいくら集めても有限にならないんだろ?
>>16 「無限大」回という限りはないのです。
無限大というのは限りが無いという意味なので。
>>17 1mは無限小の距離を無限大個集めて作ったものではなくて
もともと無限小の距離の無限大個の集まりとしてあったのです。
>>18 んじゃ
>飛ぶ矢が飛ぶ運動やアキレスが亀に追いつく運動に必要な時間の経過中、
>無限小の時間を無限大回経過した
ことになるのは何故?
「限りが無い」という意味の回数だけ通過するなんて変だね。
>>19 >>飛ぶ矢が飛ぶ運動やアキレスが亀に追いつく運動に
>>必要な時間の経過中、
>>無限小の時間を無限大回経過した
>ことになるのは何故?
1に述べた通り時間変化は連続的だからです。
>「限りが無い」という意味の回数だけ通過するなんて変だね。
はい。ありえません。
わたしは1から一貫して、
このありえないことが起きてしまうという謎を
問題にしているのです。
>>18 つまり個数の無限大はアリで、回数の無限大はナシってこと?
>>21 そういうことではありません。
無限小の距離を無限大個集めて作った1mはナシ、
もともと無限小の距離の無限大個の集まりとしてあった1mはアリ、
ということです。
>>20 それじゃ「無限小の時間を無限大回経過した」の「無限大」が
「限りが無い」って意味の「無限大」になるのは何故?説明してみ。
>>23 1に書いた通り、
無限小に掛けて普通の値になる数は無限大しかないからです。
>>22 ナゼ? そう考える理由がぜんぜんわからないよ。説明してみせてよ。
>>24 「無限小に掛けて普通の値になる数」が
「限りが無い」という意味になるのは何故?説明してみ。
>>25 もともと無限大個あったものが今も無限大個あるのは当然ですが、
無限小を一つ一つつなぎ足していって無限大個つなげ終えるということはできません。
>>27 だとすると、もとからある「運動」を無限回の操作か何かに分解できるとする根拠は?
分解しようとしても限りがないよ。
>>26 無限小に掛けて普通の値になる数は限りはありませんから。
無限小に限りある数を掛けても無限小のままですから。
>>29 「ある数を目的の数になるだけ足した回数」が「限り」という意味に受け取れるけど、
だったら「無限小を普通の値になるだけ足した回数」というのは存在しないの?
それならなんで「無限小」は存在するの?
>>28 アキレスが亀に追いつくにはアキレスが運動を起こさなければなりません。
もとからある運動ではありません。
飛ぶ矢が飛ぶためには矢が運動を起こさなければなりません。
もとからある運動ではありません。
運動は現実の作業です。分解は頭の中の観念上の作業です。
これが一緒くたになっているので一言注意しておきます。
わたしは現実の運動をするために無限回の運動を行い終えなければならないという
パラドックスを問題にしているのです。
>>30 >「無限小を普通の値になるだけ足した回数」というのは存在しないの?
>それならなんで「無限小」は存在するの?
無限小を無限回足せば普通の値になりますが、
有限回足しても普通の値になりません。
もしも有限回足して普通の値になったらもとの値は
無限小ではなく普通の値です。
>>33 「無限小という数」はOKで「無限大という数」は駄目なのは何故?
有限の数をどういじくりまわしたって「無限小」にはならないけど。
>>31 >分解は頭の中の観念上の作業です。
ところで、ここで言う「分解」とは何の分解のことですか? 運動ということでいいですか?
>>34 「無限小という数」も「無限大という数」も同じく
存在しててOKです。
存在してちゃ駄目なものではありません。
ちなみに無限小も有限の数です。
>>35 >「分解」とは何の分解のことですか? 運動ということでいいですか?
はい。運動の分解です。
>>36 > ちなみに無限小も有限の数です。
要解説。
>>36 「無限小の時間だけ動く」は観念上の作業じゃん。
>>38 無限小は無限大ではないので有限の数です。
>>39 「無限小の時間だけ動く」は
現実の作業であると同時にそれに対応する観念上の作業でもあります。
>>40 まあいいや。
つまり、
運動を「無限小の運動」に分割するのは無限回の分割操作が必要だけど
これは観念上だからよいと。
しかしそれを合成してもとの運動に戻すのはやはり無限回の操作が必要だが
なぜかは知らないがこちらは現実のことだと見做して禁止する、と。
片手落ちでは?
>>41 無限小が「現実の作業」である根拠は
>そして連続は、ある値とその値に収束する変数と
>(つまり或る値とその値プラス無限小と)
>によって定義されるわけだから、
で合ってる?
これ「(つまり或る値とその値プラス無限小と)」って部分が違うよ。
収束の定義の中には無限小という物は出てこない。
>>42 現実の運動は人間が頭の中で分解して再構成したものではありません。
まず現実の運動があって、
ついでそれを人間が分解して、
しかるのちそれを人間が再構成するのです。
>>44 でも1が今やっていることはまさしく観念上のことそのものでしょう?
無限小が実在するのですか?
>>43 >収束の定義の中には無限小という物は出てこない。
収束というのは或る値でない数をとりながら
限り無くそれに近づくということだから、
それを或る値プラス無限小であると
私は理解していたのですが、
そうではないのですか?
>>4 >運動が連続的であるということは
>運動は無限小の移動距離なり経過時間なり
>を最小単位としていて
>>40 >無限小は無限大ではないので有限の数です。
あーつまり
>>1 が「連続」と呼んでるモノは
世間一般では「不連続」と呼ばれているわけだ。
>>45 >でも1が今やっていることはまさしく観念上のことそのものでしょう?
そうですが、だから何だと言いたいのですか?
>無限小が実在するのですか?
実在という言葉が数学でどう捉えられているのか
知りません。
>>47 世間一般をどうこう言う前に数学の勉強をして下さい。
>>48 0に収束する変数を無限小と言うと数学小辞典(共立出版)にありますが・・・
>>49 とりあえず数学小辞典の該当部分を正確にここに書いて頂けると嬉しいです。
46のままでは違うので。
>>50 無限小[infinitesimal]
変数が0に収束するとき、
その変数は無限小となるといい、
無限小となる変数のことを略して無限小という。
また関数f(x)がlim(x→a)[f(x)]=0となるとき、
f(x)はx→aのときに無限小となる、または無限小であるという。
>49
書き方が悪かったか?
あーつまり
>>1 が「連続」と呼んでるモノは
数学では「不連続」と呼ばれているわけだ。
>>52 あなたは数学の勉強不足なので数学の勉強をして下さい。
>>51 46や1で君は変数自体を普通の数のように扱ってるけど、それは駄目だよ。
51も「xがaに近づく時、f(x)は0に近づく」以上の事は言ってない。
「変数」だけ時間が経過するなんておかしいと思わない?
おいおい。 有限の数の最小単位があるものを連続っていうのかよ。
>>44 アキレスと亀の話はどう理解したらいいですか?
アキレスが亀がいた地点に追いつくとき亀は
その地点より少しだけ先に進んでいるから永遠に追いつけないという、
運動が連続的である以上避けられないパラドックスはどう理解したらいいですか?
>>55 >>8-9
>しかしだからといって無限小という数は存在しない >としてしまうことはできないと思います。 こんな妄想されても困るんだが?
>>57 妄想の世界にいるのはあなたなのだからどうぞ妄想を訂正すべく数学を勉強して下さい。
>>56 まず運動が連続的っていうのは
「経過する時間を小さくしていくと運動も小さくなっていく」以上の事は言っていない。
次に亀の話も
「足していく時間を短くしていけば、どの段階でもアキレスが亀を追い越さないように出来る」
「ある数に到達しないように数をいくらでも足していく事が出来る(1+0.1+0.01+0.001…とか)」
と言ってるだけ。
どれも無限大の回数の動作は行ってないけど?
>58
そこまで言うなら
>>51 の「無限小」が実数の定義を満たすことを示してくれ。
君の妄想じゃない数学とやらで。
61 :
132人目の素数さん :02/12/04 11:27
http://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=19700439 出版社名 講談社
書籍名 ゼノン4つの逆理 アキレスはなぜ亀に追いつけないか
著者名 山川偉也/著
出版年月 1996年2月
ページ数・版型 302P 20cm
ISBNコード 4-06-206400-6
価格 2,427円 (税別)
内容
2500年の長きにわたって、人間の知をあざ笑いつづけてきたゼノンの逆理。
その謎が精緻に解かれた時、行く手に姿を現した巨大な暗影とは―。
白熱の哲学エッセイ。
目次
プロロゴス 原風景
第1章 4つの逆理
第2章 飛ぶ矢は飛ばず
第3章 アキレスは走った、が走らなかった
第4章 多の本性
第5章 パスカルの眼
第6章 エレア学派と現代思想
エピロゴス アキレスとその影
稀に見る良スレだな… 応援するよ
良スレかどうかはともかく、この煽り文・スレタイトルで50過ぎても荒れなかった事が奇跡的。
>>60 おまえ、変数が実数なわけないじゃん。なに言ってんの。
>65 ネタか? 60はまさにそう言いたいんだろ?58に向かって。
・等速運動を取る「矢」(速さ:v=1)があり、運動方向に空間座標:x を取る。 時刻:t=0 にて座標:x=0 に「矢」があり、座標:x=1 に存在する「的」に通過する事を考える。 ・t[0]=0、x[0]=0 とする。 時刻:t[0] においての「矢」の座標:x[0] から「的」までの間には「中点」が存在し、その座標を x[1] とする。 「矢」が中点:x[1] を通過する時刻を t[1] とする。 時刻:t[1] においての「矢」の座標:x[1] から「的」までの間には「中点」が存在し、その座標を x[2] とする。 「矢」が中点:x[2] を通過する時刻を t[2] とする。 同様に、時刻:t[n] においての「矢」の座標:x[n] から「的」までの間には「中点」が存在し、その座標を x[n+1] とする。 「矢」が中点:x[n+1] を通過する時刻を t[n+1] とする。 ・2点間には必ず「中点」が定義できるので、上のような試行は無限に行うことが出来る。 ○「矢」は「的」を時刻:t=1 で通過できる事は明らかであるのだが、 「的を通過した矢(t≧1)」は「無限回の(終わることの無い)試行」を終えてしまっている。 という矛盾。
「時間」を追う観測は「x を t で計って」おり、そこで定義される「矢」の座標:x は t の写像で x=f(t) と表される。 一方、「試行」を追う観測は「x を n で計って」おり、そこでの「矢」の座標:x は n の写像として x=g(n) と表される。 この異なる変数に関する「f(t) の x 」と「g(n) の x 」とは全く別の関数である。 これを混同したための矛盾である。 物理の問題(x の観測)を、異なる数学の視点(t関数 と n関数)でアプローチした時、 観測範囲に差異が現れたための矛盾と思われる。 「f(t) の x 」は x=vt=1t=t であり、定義域:t≧0 で 値域:x≧0 t写像の x では「的を通過した矢(t≧1)」を(当然 t≧1 において)観測することはできる。 「g(n) の x 」は x[n]=1-2^(-n) であり、定義域:n≧0 で 値域:0≦x<1 n写像の x では「的を通過した矢(t≧1)」は存在しない。 よって t≧1 の「的を通過した矢」は n と関連しないので、「“n と関連する”無限回の試行」とは無関係。
うん。ネタだ。よくわかったね。 無限小の定義を書いた時点で1は死んでいたんだ。よって このスレは終了。
ていうか、1の無限小の定義は19世紀以前。恥ずかしいと思え。
>>70 定義は共立の辞典の丸写しだからいいとしても、
1の無限小の理解は18世紀の無限蒋介石のママだ罠。
必要な知識さえ足りてれば古い・新しいなんて別にどうでもいいんだけどね。
まぁ子供が新しい玩具に憧れる程度の価値はあるだろうけど。
>>1 の疑問を解決するだけなら、その18世紀程度の知識とやらがあれば十分な気がするけど。
んじゃ極限使わずに1の疑問を解決してみれ
74 :
132人目の素数さん :02/12/05 11:18
何で極限使っちゃいけないの?意味不明。
もう1も来ないことだし、このスレ普通に沈めちまってよくないか?
最初さ、ここの
>>1 って悲しみだと思ったのよ。
けど、どうやら違ったみたい。
>>1 は悲しみほどDQNじゃない。
EPR実験が示す通り、 量子力学における空間の分離不可能性(非局所性)のために、 空間は二つに区分けしようとしても 区分けされた二つは二つでありながら一つのままだから、 区分けされたことにならない。 つまり、アキレスと亀や矢と的の間は 局所的な無限個の区間でできているのではないので、 アキレスが亀に追い付いたり矢が的を射たりという運動を 可能ならしめるために 無限個の区間を通過するという矛盾は犯さなくて済む。
お前ホントに1か?
>>79 はい。1です。
世界の分離不可能性というのは、
ここを観測することが同時にあそこを観測することになるという
空間の非局所的関係のことで、
非局所性というのは
ここはここだけに限局されているのではないということです。
つまり、ここはあそこではないという局所性が量子力学では否定されるので、
こことあそこは分けることができず、
空間をこことあそことの二つに分けようとしても
分けられた二つは二つでありながら一つのままであり、
分けられたことにならないのです。
このような一即多という曖昧さは
一方のぼやけを小さくしていくと他方のぼやけが大きくなるという
位置と運動量、時間とエネルギーの不確定性と密接不離な関係にあります。
量子力学の非局所性、分離不可能性、不確定性、ぼやけ、という一連の概念が
空間の無限分割の可能性を否定し、
ゼノンのパラドックスを解決してくれます。
>>81 >ここのを書き込みを適当に貼り合せた書き込みばかりしてないで、
>ちゃんと量子力学勉強した方がいいよ。
いえ、物理板のレスも同じわたしが書いたものです。
わたしは量子力学を専門的に勉強したことがありませんから
これから正しい数学的理解を身につけるべく勉強する予定ですが、
現在のわたしの一般向け概説書レベルの知識でも解決が付く問題だったので、
説明しました。
>あと、ゼノンのパラドックスには
>「これ以上分割する事は原理的に不可能、という限界が存在する」
>という事実は余計な仮定でしかない。
>この仮定が無かったら説明出来ないのかい?君は。
いえ、「これ以上分割できないという限界がある」のではなくて
いくらでも分割できるけれども
分割しても分割したことにならないということです。
そして、量子力学は「余計な仮定」ではなく、
無数の実験的事実によって完璧に実証されている知識です。
>>82 そうか。ちゃんと勉強する気になったのか。まぁ頑張ってね。
それはともかく、後半。
その知識が無きゃ君はゼノンのパラドックスは解決出来ないのかい?
と81で言ってるわけだ。こっちは。
>>83 >その知識が無きゃ君はゼノンのパラドックスは解決出来ないのかい?
>と81で言ってるわけだ。こっちは。
はい。わたしは量子力学という知識抜きの解決法は知りません。
86 :
132人目の素数さん :02/12/14 15:17
亀頭はアキレス腱より上についてるだろ。 アキレスは亀に追いつけないの。 終了
87 :
132人目の素数さん :02/12/14 15:20
女だったらどうすんだよ
88 :
スカウト@お笑い板 :02/12/14 15:53
(^^)
90 :
132人目の素数さん :03/01/15 12:21
世界の分離不可能性というのは、 ここを観測することが同時にあそこを観測することになるという 空間の非局所的関係のことで、 非局所性というのは ここはここだけに限局されているのではないということです。 つまり、ここはあそこではないという局所性が量子力学では否定されるので、 こことあそこは分けることができず、 空間をこことあそことの二つに分けようとしても 分けられた二つは二つでありながら一つのままであり、 分けられたことにならないのです。 このような一即多という曖昧さは 一方のぼやけを小さくしていくと他方のぼやけが大きくなるという 位置と運動量、時間とエネルギーの不確定性と密接不離な関係にあります。 量子力学の非局所性、分離不可能性、不確定性、ぼやけ、という一連の概念が 空間の無限分割の可能性を否定し、 ゼノンのパラドックスを解決してくれます。
その分けたつもりの段階で既に無限分割は出来ないのだけど。 自分達のいる空間の仕組みにあんまり頼っちゃ駄目だよ。
>90 まさに牛刀を以て鶏を割くの類。
93 :
132人目の素数さん :03/01/15 13:43
>>1 君は、数学も、もしかしたら量子力学も根本的なところで理解していないところがある、
と疑ってみたほうがいいと思う。
私も人に教えをたれるほど理解してるなどと、うぬぼれる気はないが、まず、
数学においては無限小といったとき、少なくとも2つの違った使われ方がされているの
はわかっているかね。
(1)無限小そのものを定義している方法。これは私の知っているものではロビンソン
(だっけか?)が始めた無限小解析におけるもの。
(2)厳密ではあるが無味乾燥でわかりづらい説明を避けるために、イメージ豊かに
わかりやすい説明をする目的で、単なる言い回しとしての無限小を使うやり方
もちろん、数学を深く広く知っている人はこれよりもたくさん知っているかもしれない。
が、とりあえず、
君が何かの辞典から定義を拾ってきたのは(2)だね。これは、単なる言い回しとして
無限小という言葉が使われているだけだから、それに実態があると思ってはいけない。
(2)の無限小が使われるときは、厳密には無限小という言葉なしですべてが定義さ
れ、すべての定理も証明される。
もし(1)の無限小をいうのなら、この定義における無限小分の1としての無限大
を考えるなら、この定義ではまさに、
「人間は無限大回の作業を行うことができる」
ことになるのだよ。これは(1)の流儀の無限の定義がそうなのだからしかたないね。
いずれにしても、「定義をしっかりと確かめる」ことだね。数学や物理のエキスパート
の人達が、(違う場所で)同じ言葉を使っていても、定義が同じとは限らないよ。
気をつけるんだね。
そもそも君は数学を根本的な定義とか公理から組み立てたことはなさそうだ。
(それをしたことがあったとしても、肝心なところに気が付いていないのだろう。)
94 :
132人目の素数さん :03/01/15 13:57
>>1 大学の講義で、仏教の華厳思想とライツプニッツのモナド論の相似性を
解いていた教授がいました。
「一即多・多即一」というのは、華厳思想の有名なテーゼだったと思います。
で、ちょっとネット検索してみました。
http://www1.odn.ne.jp/~cak69050/mmonad.html 中込照明によるライプニッツ「モナド論」解釈
「唯心論物理学の誕生」海鳴社
1.世界はモナドにより構成される。それ以外のものは存在しない。したがって、モナドをいれる空間も存在しない。
2.空間はモナドの内部にあるだけである。モナドはその内に世界を反映する(意識)。3.あるモナドが反映する世界には特にそのモナドの関係する部分がある。
4.モナドは互いに相互作用はしないが、内なる世界は予定調和により相互に照合し合う。
5.モナドは能動性(意志作用)を持つ。したがって他のモナドの影響を受ける形の受動性も持つ。
Last Updated on 1999/04/04
タイトル 作者名 出版社名 備考
唯心論物理学の誕生 中込照明 海鳴社 「観測問題をついに解決」
物理入門 山本義隆 駿台文庫 1987年初版
量子力学T 中嶋貞雄 岩波書店 物理入門コース5
量子力学U 中嶋貞雄 岩波書店 物理入門コース6
相対性理論 中野薫夫 岩波書店 物理入門コース9
物理のための数学 和達三樹 岩波書店 物理入門コース10
95 :
132人目の素数さん :03/01/15 13:58
もう一個
http://www.iwanami.co.jp/shiso/0930/shiso.html ライプニッツ
思想の言葉 坂部 恵 (2)
I 現代思想とライプニッツ
ヨーロッパ学問史の中のライプニッツ 佐々木 力 (6)
ライプニッツにおける原初的思考対象(プロトノエマ)の問題 石黒ひで (33)
モナド論・基礎有論・メタ有論
――もうひとつの〈ライプニッツ-ハイデッガー問題〉―― 酒井 潔 (47)
II モナド・表象・オプティミズム:ライプニッツ哲学の可能性
地上のオプティミズム
――ライプニッツの社会哲学への視点と数学的方法―― 佐々木能章 (72)
ライプニッツと意識・記憶・表象 谷川多佳子 (90)
「予定調和の体系」と機会原因論の批判 M. フィシャン (105)
ライプニッツと生命体の科学 F. デュシェノー (126)
サミュエル・ベケットのモナド・機械・他者
――無窓性のドラマトゥルギー―― 森 尚也 (147)
ライプニッツにおける記号的認識と普遍記号法 岡部英男 (165)
III 比較哲学への視座
ライプニッツと中国 孫 小 礼 (182)
ライプニッツの中国学
――昨日と今日―― R. ヴィドマイアー (201)
表意文字とユートピア
――ライプニッツによる普遍エクリチュール―― A.-M. クリスタン (229)
IV 数学史の観点から
精神の最も自由なる探索の中で
――ライプニッツ数学の目標と方法―― E. クノープロッホ (244)
「差異算の歴史と起源」の二稿本 原 亨吉 (265)
『人間知性新論』の数学史的背景 林 知宏 (278)
96 :
132人目の素数さん :03/01/16 02:30
ゼノンのパラドックスは、アルキメデスの公理と同じことをいっているのです。
>無限大の回数の運動を行わなければなりません。 >しかしそれは不可能事なので、やはりゼノンの言うとおり、 何で不可能なんだよ?根拠をいってみろ。ここに論理的な飛躍が あるように思うが? とか、偉そうに書いてみたが、これはスマリヤンの解説のパクリね。
>>94 は題名がアレっぽいけど
中身は真面目な観測問題の本だよ…
無限小[infinitesimal] 変数が0に収束するとき、 その変数は無限小となるといい、 無限小となる変数のことを略して無限小という。 また関数f(x)がlim(x→a)[f(x)]=0となるとき、 f(x)はx→aのときに無限小となる、または無限小であるという。
100ゲト (^-^)v
101 :
132人目の素数さん :03/01/24 14:31
まず、アルキメデスの公理を勉強してから出直せ。
102 :
132人目の素数さん :03/01/25 01:45
任意に小なる正の実数aに対して、整数Nを適当に大きくとれば、 Na>1とすることができる。 これをアルキメデスの公理という。
103 :
132人目の素数さん :03/01/26 13:53
アキレスは亀においつけない。 追いかけている、つまりおいついていないかぎりは。 パラドックスではない。 命題の前提が『亀のもといたところまで』とあり、そこに アキレスが『おいついていない』ということがふくまれている。 つまり『アキレスが亀においついていないかぎり、アキレスは亀にいつまでたっても 追いつけない』 というドアタリマエのこと。 『得塁数』で検索してホウボウの研究室のところにあります。 『得塁数』もよく読んで反論でもあればして下さい。
104 :
132人目の素数さん :03/01/26 14:36
>>103 そのページを検索しますた。
あなたが書いていることと微妙に違います。
というより、ホウボウさんの書き方も不十分。
「アキレスが亀に追いついていないかぎり、アキレスは亀に追いつけない」なら当たり前だが、
「アキレスが亀においついていないかぎり、アキレスは亀に『いつまでたっても』追いつけない」んだからパラドックスなんでしょう?
「アキレスが亀においついていないかぎり」という前提もパラドクスを作る大事な要因だが、
それよりも、そのページで引用されてる日戸宗太郎のいう、
>この語〔=いつまで経っても〕を時間的に無制限に解釈してこれに「永遠に」の意味を含ませるならば、論理は飛躍し、
が要点だと思われるが。
ゼノンのパラドックスとバナッハ空間って関係ありますか?
>>104 パラドックスうんぬんの前に、実質含意とはどういうものか知るべきでは。
107 :
132人目の素数さん :03/02/01 11:49
「いつまでたっても」追いつけないって言っておきながら ぐずぐずして全時間調べてないだけじゃんか 全時間調べろよ〜って思う。 この問題に対してはおれはそんだけ。
アキレスの持つ時間と僕たちの計算時間を混同している―― いつまでたってもたどり着けないのは僕たちのほうだったんだよ
110 :
132人目の素数さん :03/02/07 09:23
タネは たどりつけいない時間を分割してるだけ。
113 :
132人目の素数さん :03/02/19 00:29
サラ金が1月で100%の利息を取るとするとき、 最初1万円借りて、一月後にその1万円を返しにいくと、利息がまだ 1万残っているといわれる。それでさらにもう1月後にその1万円を 返しにいくと、利息がまだ1万円残っているといわれる。。。。。。。 よって、この1万円の借金を永遠に返すことが出来ない。。。。 パラドックスだぁ。
利率高すぎ。
あと、借りる金額もしょぼすぎ。
116 :
132人目の素数さん :03/02/19 16:14
13.飛ぶ矢は飛ばず ─ゼノンのパラドックス─ このテーマ(の文章)の成立を前提として,AB間の距離(線分)は無限分割されることが 可能であり,無限分割された線分(微小線分)はゼロ(に限りなく近い)値としている。 ゼロ(に限りなく近い)値を,幅のある線分にもどすためには,その微小線分を無限個加 える必要がある。したがって,Bから出発して,AB間の無限分割された微小部分を次つぎ に通過して,Aに達するためには,「無限個の微小部分を通過」する必要があり,それは 「無限の時間」を必要とする‥‥云々。
117 :
132人目の素数さん :03/02/19 16:16
14.距離の無限分割は認められるか ─実在のかくされた性質をめぐって─ ゼノンのパラドックスの解釈・解法をめぐって,実に多くの人々を悩ませ続けた理由の 一つは,「動く」ものを「静止」の状態に還元して,議論を組み立てたことにある――「 動き」を距離や時間と切り離して,長さ(線分)の分割の問題に置き換えたことにある― ―と思われる。 多くの人が信じているように,果たして「現実の距離は無限分割されえる」のだろうか。 ひよっとしたら,現代の人々は(小学1年生で学習を始める「算数」そして中学生からの 「初等数学」などの知識が身に染み込み過ぎているために)“現実”を“観念の中にある 数学の世界”とまったく同一視してしまっているのではないか。だから,数学上の観念で ある「線分の長さ」(すなわち距離)と現実の空間の幅(距離)とを同一視してしまうの だろう。 「線分」は無限に分割されえる(それは数学的思考の前提である!)。線分上の任意の 点は幅をもたない(その数学的値はゼロ値)。 このように数学での思考の対象となる距離〔空間の内部の2点間の幅;3次元の空間な ら,その1次元(方向軸)上の2点間の距離〕は,その内部にいかなる実在も含まない。 すなわち空虚である。しかし,現実にわれわれを取り巻く空間は「物質」によって満たさ れている。それが現実の「実在」というものだ。
118 :
132人目の素数さん :03/02/19 16:17
15.時間の無限分割は可能か ─時間は空間の性質に依存する─ ――「時間は,空間の中に生起する変化の推移を知るるための,便宜的な認識手段である」 と。この場合の“便宜的な認識手段”を,そのように考えるしかない「思考の枠組み」 (それは,思考というものの形成・成立がそのような枠組みの中でおこなわれてきたから) と言い換えることも可能だろう。もっと単純に表現しよう。 時間は,空間の変容である と。すなわち“始めに空間ありき”である。「空間こそが,実在と称すべきもの」であり, いわば「時間は,空間の影」にすぎない。あるいは「空間は実在するが,時間は実在しない」 ということである。 「時間」は観念の中でありえても,現実には存在しない。そして空間は,存在によって 満たされており,空間すなわち存在である。それこそが,実在の姿である。存在は「物質 」によって成立するとすれば(というように,「物質」を規定すれば),「実在とは,物 質に満たされた広がりである空間の多様な表現である」と言うことができるだろう。
119 :
132人目の素数さん :03/02/19 16:23
120 :
132人目の素数さん :03/02/19 22:51
>>13 >飛ぶ矢が飛ぶ運動やアキレスが亀に追いつく運動に必要な時間の経過中、
>無限小の時間を無限大回経過したことになるわけだから、
>しかしそれは不可能事であるわけだから、
無限小を導入した立場なら、無限大回は不可能事じゃない。
>>12 の解釈で問題なし。
ちなみにここでいう「無限大」は、もう少しつっこめば「相対的無限大」とでも言うべきもので、
ある立場でみればただの「有限な」数になる。
121 :
132人目の素数さん :03/02/19 22:54
Zenoなのにゼノンと読むのは何故に?
122 :
132人目の素数さん :03/02/20 06:05
>>120 単に、実数には、どんなに小さな区間であっても、その内部に
無数の点が取れるというのとそれほど言明の質に違いが無い。
>>122 ?
「われわれは有限回しか観測できない」
だから「無限大回観測できるとするのはおかしい」
の部分に対するレスなのだが。
稠密と何の関係があるの?
124 :
132人目の素数さん :03/03/12 05:22
観測すると結果が変ってしまう量子力学に移行すれば、矛盾は解消 するはずだ。
わーざーわーざーいーこーうーすーるーなー
(^^)
127 :
132人目の素数さん :03/04/01 16:20
ゼノンあげ。アキレススレ落ちちゃったしな〜
128 :
132人目の素数さん :03/04/03 18:59
123へ: >つまり飛ぶ矢が飛ぶとかアキレスが亀に追いつくためには >無限大の回数の運動を行わなければなりません。 >しかしそれは不可能事なので、やはりゼノンの言うとおり、 >飛ぶ矢は飛ばず、アキレスは亀に追いつかない、 この「無限回の回数の運動を行う」といっているのが、 目的地までの途中の無限個の中間点を取っていることを意味します。 「それは不可能なので」といいきっているところが、稠密製を 否定していることに相当するので、後段は無意味なんです。(現在の立場からは) 時間とか軌道の空間が有限集合であれば、「それは不可能なので」は 成立しますが。
(^^)
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
131 :
132人目の素数さん :03/05/16 02:29
11
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
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∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
135 :
132人目の素数さん :03/06/11 11:40
19
要するに1個ケーキを1/2、1/2、1/2と延々に分けていくと 物理的な限界として物質の最小単位にたどり着くと。 そこが限界点であり、それより小さくすることは不可能。 アキレスと亀の関係も同じで どんどん距離は狭まってき、 最終的には物質の最小単位に等しい距離より狭めることができない為に そのそこに至った時点で到達したことになる。 ゼノンのパラドクスを矛盾もなしに現実に起こったとすればどのようになるのか ってことを描いた話がジョジョ6部の緑の赤ちゃんなのかな?
137 :
132人目の素数さん :03/06/22 20:32
138 :
132人目の素数さん :03/06/22 22:02
>>1 0.99999999・・・・・・・・・・・・・・=1だって知ってます?
139 :
132人目の素数さん :03/06/22 22:36
>>136 デジタルだね
でも、その最小単位の1/2とかの位置はありえるんじゃないの?
半分はみだした状態とか。
>>140 最大とか最小が存在しない以上、どこまでも無限大、無限小はありうるんだけど
実際問題として分けることのできない最小単位である原子核(より小さいのあったっけ?)
に行き当たるわけだよね?
だから理屈で正しいゼノパラが現実には正しくない(事象として確認できない)ってことになる。
まあ人間が0より小さい自然数なんかを発見できるようになれば
ゼノンのパラドクスがもしかしたらパラドクスではないことを証明できるようになるのかもしれないけどね。
142 :
132人目の素数さん :03/07/12 07:43
9
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
144 :
132人目の素数さん :03/07/12 21:47
文系厨です。 仮に0より小さい自然数があると仮定して、 ゼノンのパラドックスが成り立つ体系を ちょうど、平行線が交わると仮定してできあがった 非ユークリッド幾何学と同じように、もう1つの 体系世界ができる可能性はないのでしょうか?
145 :
132人目の素数さん :03/07/15 11:11
Aが偽ならばBの真偽に関わらずA⇒Bから成り立つって知ってる? 0より小さい自然数があると仮定したとたんに、 どんな結論を持ってきても、その命題は成り立つよ。 なにしろ、その体系は整合的でないからね。
「自然数」や「小さい」の定義を変えるしかないな。 それで有益な結果が出る望みは0だけど…
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
148 :
132人目の素数さん :03/07/30 12:00
10
ウッ ハッ ウッ ハッ フゥーッ
150 :
132人目の素数さん :03/08/20 05:55
13
151 :
132人目の素数さん :03/10/01 09:58
12
152 :
132人目の素数さん :03/10/27 04:44
18
ゼノンのパラドックスってパラドックスじゃないだろ? 量子力学の波動関数とは何の関係もないんじゃないの?
波動関数が連続っていうことは確率が連続なわけで 運動が連続かどうかは分からない
155 :
132人目の素数さん :03/11/08 06:00
24
>>1 こういうことは数学の人間に聞くよりは 物理の人間に聞いた方がいい。 よく理解してくれるだろうし理解しやすく説明してもくれると思うぞ。 数学者は時間という概念に弱い。
時間というキーワードから逃げてるだけだろ。それを正当化する前に、 時間を一つの座標軸と見て、2次元の座標系上の問題として考えれば いいだけの事では?
>>157 いきなり頭ごなしに時間という概念に弱いとは言いすぎというか
けなしているようで真意が伝わらないかな。
つまり、時間というのは物理的な概念であって、
そういうのを扱うのは物理の人間の方が適しているってこと。
物理の基本は数学だが、何か?
こんな簡単なことを理解できてないと、物理の勉強は無理だぞ。
>>156 =158は、何かとてつもないデムパでも受信したか?
>>159 出たよ。。。
物理には物理特有の制限というものがあるのであって、
だからボーズ(ーアインシュタイン)統計だフェルミーディラック統計だって出てくるわけだろうに。
そんなことも分からないで
>物理の基本は数学だが、何か?
なんてよく言えたもんだな。
笑っちゃうよ。
物理の基本は物理数学。
その中には数学者が先に構築した数学もあるだろうけど。
こういう人間はあれだよな、
「数学やってれば物理勉強するのなんて楽なもんだ」
とかってすぐ言い出すんだよな。
物理の勉強を進めていくことの難しさどころか
物理がどういうものかも知らないくせに。
だいたい、数学だけをやっていていつか相対性理論が生まれるか?
もうちょっと頭の中整理してこいや。
スゲー馬鹿が来たな。
162 :
132人目の素数さん :03/11/15 19:31
晒しage!
161=人を馬鹿にすることで自分が馬鹿だということを証明してしまうヤツ
>>156 1のような人はまずはゼノンのパラドックスをちゃんと理解するのが大切では?
それも満足でないのに物理専門の人に時間の解説を聞くのを勧めるのは
あんまりいい考えではないと思うぞ。
ゼノンのパラドクスは微積分学に関連してる。
>>1 に聞きたいが、そもそも一般的にパラドックスとはどういうものと理解しているのかな?
167 :
132人目の素数さん :03/12/01 07:18
3
哲厨死ね
169 :
132人目の素数さん :03/12/12 05:11
6
170 :
132人目の素数さん :03/12/18 06:04
23
171 :
132人目の素数さん :03/12/19 05:32
172 :
132人目の素数さん :04/01/05 06:55
17
477
174 :
132人目の素数さん :04/01/25 13:26
age
258
176 :
132人目の素数さん :04/02/16 07:38
16
978
178 :
132人目の素数さん :04/03/23 06:45
「アキレスはいつまでたっても亀に追いつけない」 を証明するには「いつまでたっても」つまり「全ての時刻tにおいて」 亀に追いつけないことを証明しなければならない。 しかし、パラドックスだという人たちは なかなか亀に追いつくはずの時刻よりあとの真偽を 確かめようとしない。 つまり、彼らは「亀に追いつけないことを証明した」のではなく、 「亀に追いつくことをなかなか証明したがらない」という 単なるわがままを言っているだけなのである。
亀に追いつくはずの時刻ってなんだね! 追いつくことを仮定して、追いつくことを証明しろってのかい!
じゃあ、俺が修正する。 「アキレスはいつまでたっても亀に追いつけない」 を証明するには「いつまでたっても」つまり「全ての時刻tにおいて」 亀に追いつけないことを証明しなければならない。 しかし、パラドックスだという人たちは 一定の時刻よりあとの真偽を 確かめようとしない。 つまり、彼らは「亀に追いつけないことを証明した」のではなく、 「亀に追いつくことをなかなか証明したがらない」という 単なるわがままを言っているだけなのである。
>>180 フォローサンキュ。
アキレスと亀の速度と両者の距離から「追いつくはずの時刻」は求められるんだが、
簡潔にしようと思ってミスしたな。
矢と的も以下同様。
この話は「f(x)=xは非負である」というのと似たような解釈ができる。 「f(1)=1>0だろ、f(1/2)=1/2>0だろ、f(1/4)=1/4>0だろ、… ほら「いつまでたっても」負にならない」 このように彼はx<0のときのf(x)の正負をいつまでたっても求めたがらないだけなのだ。 x<0のときも全て調べてからやっと証明が成り立つのに。 この種の偽パラドックスの議論には「無限」や「連続」に関する考察は全く不必要である。
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