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45外出先で書いたメモの一時保存
竹原信一様

私は阿久根市の住民ではないのですが、昨今阿久根市と竹原市長のことがよくメディアで取り上げられたこともあり、色々と注目をしておりました。
部下の公務員たちと日々闘っていると聞き、色々とやりすぎなどの批判は耳にするものの、ここまでしない限り腐海は清めることができないとも思いますので、ぜひ心労で参ってしまわない程度に頑張って頂きたいと思っております。

さて、竹原市長は学校給食の問題に取り組むなど、教育問題にも強い関心がおありかと思います。
実は、日本の教育界には、非常に大きなしがらみが存在しています。
何かといいますと、小中学校、あるいは高校においても、「同じ学年には同じ年齢の人しか存在しない」という考え方のことです。
このため、中学や高校以下の学校においては、成績や出席日数がどうであれ、進級するのがほぼ原則となっており、留年することはかなり稀となっています。
このことを専門用語で「年齢主義」や「履修主義」と呼んでいます。
私はこの年齢主義一辺倒の考え方を変えない限り、日本の教育に未来は無いと考えております。
ヨーロッパの先進国でもアフリカの開発途上国でも、「同学年=同年齢」などという無意味な制度は採っていません。

もし詳しくお知りになりたいとのことでしたら、下記のウィキペディアの記事が最も充実しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E9%BD%A2%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%A8%E8%AA%B2%E7%A8%8B%E4%B8%BB%E7%BE%A9
46外出先で書いたメモの一時保存:2010/01/11(月) 04:01:38
この年齢主義というものは、あくまで現場の校長・教頭や教育委員会の慣習的な判断から生まれたものであり、法律上の規則ではありません。
むしろ法律では、小中学校では留年する場合があることを前提とした条文となっており、例えば学校教育法では、15歳までに小学校を卒業できなかった場合についての記載があることから、少なくとも15、6歳まで小学校に在籍するケースが想定されていることが分かります。
また、幼稚園や保育園を除き、年齢的な上限の明記はありません。
そのため、教育委員会の判断基準を変えれば、学齢(9歳から15歳の9年間)を超過している人の小中学校への入学が自由に可能になり、校長などの教師陣の判断基準を変えれば、留年の適用の拡大も可能となります。
(逆に、下限年齢は法律によって規定されていますので、飛び級などでそれを突破する形は法改正が無ければできません)

年齢主義の問題点や、それで学校から追い出された人々の話は前述のページで多く語られているので詳しくは述べませんが、21世紀になってから、町村信孝、河
村建夫両文部科学大臣がこの年齢主義に疑問を呈し、町村大臣にいたっては「10歳の大学生がいてもいいし、20歳の中学生がいてもいい」とも言っています。
ただ、大臣の職にある者としては、うかつにそれ以上の踏み込んだことをする勇気は無かったようであり、口先だけの意見表明に終わってしまったようです。
しかし、小中学校は市町村の教育委員会の管轄であり(高校は通常は県教委)、そこの上級組織の長である市長であれば、現状を変えることが可能であるはずです。
今のところ、日本の市町村の中で、この問題に気づき、積極的に取り組みを行なっている自治体の話は聞きません。
しかし、阿久根市がこれを行なえば、日本で初めてという称号を得ることができると思います。
47外出先で書いたメモの一時保存:2010/01/11(月) 04:02:20

なお、東京や大阪には、夜間中学といった形で、学齢超過者を対象にした、年齢主義に束縛されていない学校はありますが、本当に大切なのは、昼の普通の中学で年齢制限をなくすことであり、異年齢者を夜間中学に隔離することではないはずです。
なお、竹原市長は障害者問題についても色々とご発言があったかと思いますが、この年齢主義という考え方は、障害児教育と関わる部分で、大きな齟齬をきたしているのが現状です。
現在、福祉や人権の観点から、「統合教育」という教育運動が実践され、実を結びつつあります。
これは「健常者と障害者を同じ環境で育てよう」というような思想で、実際にこの理念に基づいた教育が行なわれる地域が増えてきており、これ自体はそれなりに崇高な理念をもった運動だと思います。
これは「障害者が異質な存在だからといって排除したりしないで、共生の心を持ち、共に学び合おう」という考え方であるため、ある程度重い障害を持っている人であっても、一般の小中学校や、場合によっては高校でも健常者に混じって教育を受けることができています。
しかしながら、その一方で、年齢がたった1歳上であるというだけの健常者が、年齢が異なるとまずいというだけの理由で、強制的に進級となったり、入学を拒否されたりしているのです。
重い障害があっても同じ場所で学べるのに、年齢が違うだけの健常者は学べない、というのは、どう考えても論理的におかしな話です。
この部分にメスを入れられるかどうかが、30年先、50年先の日本の将来を左右すると思います。

長くなりましたが、選挙ではお力になれないものの、もし竹原市長がこの問題に取り組まれるのであれば、私は思想信条を度外視して応援したいと思います。
なお、私のライフワークとしてもう一つ「ベーシックインカム」の制度の実現に向けての研究というものがありますが、こちらは本格的にやろうとするとあまりにも抜本的な改革を必要とするため、現状では多くの自治体では難しいと思います。
しかし、年齢主義の問題については、何も条例などを変えることなく実行可能なことであり、またその話題性などは大きいと思いますので、改革を断行する価値は充分にあると思います。
48外出先で書いたメモの一時保存:2010/01/11(月) 04:03:45
現在、日本中が阿久根と竹原市長を見守っています。
何事にもやり初めには挫折はつき物だと思いますが、それを乗り越えられるかどうかが成否を握る鍵だと思います。
今後とも、過激すぎて選挙で落ちてしまわない程度にラディカルな言動を期待しております。
49名も無きマテリアルさん
あげ