朝日の基地外投稿7

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338転載バカボン
朝日新聞 8月21日 12版N 10面
ポリティカにっぽん ノーマさんが語る日本の8月
早野 透 (本社コラムニスト) [email protected]

13日午後、小泉純一郎首相が急に靖国神社を参拝するという報を聞いて、おっとり刀で
駆けつけてみた。空を何機もの取材用のヘリコプターが舞っていた。

 境内にはもう多くの人が集まって、拝殿前は押すな押すなの騒ぎだった。「押さないで
下さい」と警備の人が何度も必死に叫んでいた。
 「初めてここに来たんよ」という声で振り返ると、茶髪でジーンズの若い女性たちの
会話である。中高年の人々に交じって、どこで聞きつけたのか、部活帰りの制服の女子高生が
あちこちに。「純ちゃーん」とカメラをかざす。どこかで見た風景だなと思い巡らすと、
そうだ、参院選での首相の街頭演説がこれと同じだった。
 しかし、人々から小泉さんが見えるのは、車の乗り降りのわずかなときだけだ。日の丸の
小旗が振られ万歳の声があがった。大部分の人に小泉さんは見えなかった。小泉さんが去ると、
係員が「日の丸を返してくださーい」とせっせと回収していた。
 「われわれは15日の参拝を求めている。中国の圧力に国を売るな」などと大スピーカーで
小泉批判をする一段もある。けげんな顔で通り過ぎた若者はケータイを出し「かき氷食べに
行こうよ」などとだれかと話していた。「熟慮」の13日参拝の現場は、ひどくちぐはぐだった。
339転載バカボン:2001/08/22(水) 01:07
 終戦の日の15日、平和遺族会全国連絡会の催しにでかけた。かつて中曽根康弘首相の靖国神社
公式参拝に抗議してつくられた戦没者遺族の団体で、この日はシカゴ大学教授のノーマ・フィールド
さんの「支社の追悼と小泉改革」と題する講演を聴く。
 彼女は1947年、東京生まれ。米国人が父、日本人の母。「日本の8月、空はぎらぎらと青く、
あたりには死者たちの霊がたちこめる」という書き出しの『天皇の逝く国で』(みすず書房)と
いう日本研究の名著がある。 講演で耳に残った彼女の言葉を記せば・・・
 「平和は日常の中で、戦争という非日常をどう考え続けることが出来るか。心の敏感さ、
こまやかさがなければできない」
 「『新しい歴史教科書』を買う若い人たちとも通いあう言葉を見つけなければ。反対するだけでは、
むなしい少数者になってしまう」
 「靖国には、天皇のために死ねば女性も下層階級も元植民地の兵士も祀られるという平等性がある。
だが、その平等性の中に(権力の)無責任構造が隠されている」
 なるほど「みんな靖国に」ということでA級戦犯も祀られるならば、戦争責任はどこかに消え失せて
しまう。さらにノーマさんは
 「信仰は統制の原理として強く機能する。だから政治と宗教の分離が必要だ」
 「養護学校でのあの歴史教科書採択、そして自殺者3万人。なんとグロテスクな悲惨さ!聖域なき
構造改革というが、聖域があってはいけないのか。『人間の尊厳』こそ絶対の聖域である」
 それから平和遺族会の人々に韓国から来た人も加わり、自分の身内も祀られている靖国神社まで
「小泉さん、靖国参拝はダメ」と叫ぶデモ行進をした。「アジアとの友情を壊すな」「軍神の前で
不戦を誓うとは笑止千万」などのプラカードが見える。
340転載バカボン:2001/08/22(水) 01:08
 デモを交差点で見送っていると、赤いTシャツで肩掛けカバン、何気ない感じのスポーツ刈りの
男が電柱に隠れるようにして、デモ行進の人々をなめるようにビデオ撮影しているのに気づく。
「ご精が出ますね」と声をかけたら、ぎくりと振り返って逃げ出した。戦前の特高警察などは
廃止されているんだから、一体だれなんでしょうね。
 私も途中で牛どんで腹ごしらえをして(値下げで込んでいるなあ)、九段坂を上って靖国神社まで
歩いた。日差しの強い午後の境内は、13日にもまして人々でごったがえしていた。アイスキャンデー
売りやらまんじゅう売りも出ていた。「陛下の靖国参拝を」「明治天皇のように、昭和天皇にも
神宮建設を」などと叫ぶ人もいた。
 やれやれ。だけどノーマさんの言葉に救われる。そんな思いの15日だった。