朝日の基地外投稿6

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545大阪版にゃ勝てません
8月10日東京本社版の「声」

「戦犯の判決に万雷の拍手」

無職 田村貞雄(東京都町田市 63歳)

 私が住んでいた中国地方の町は空襲で焼かれた。戦争が終わると、駅周辺の焼け跡に
いろんな店が立ち並び始め、にぎやかになった。私は小学生だったが、夕方にはいつも
駅前広場に遊びに行った。
 ある日、そこに大きな掲示板ができ、ラジオの拡声器が取り付けられた。既に大勢の
人が詰めかけ、ラジオ放送を待っていた。放送は東京裁判の判決だった。被告の名が
呼ばれ、絞首刑とか終身刑と言われると、人々は拍手した。万雷の拍手だった。
 数年後、中学生になって他県に転校したが、転校先の担任の教師も自分の町の駅前広場
で同じような光景を見ていた。
 あの時の万雷の拍手がまだ耳に残っている。当時、ほとんどの国民は東京裁判を支持
していたのだ。A級戦犯の人々は国の犠牲者ではない。自らの野望で無謀な戦争を始め、
多くの国民をむざむざ死なせてしまった。軍人たちは無責任集団だった。
 1951年のサンフランシスコ講和条約第11条には、東京裁判の結果を日本が受け入れる
ことが明記されている。日本は東京裁判を受け入れることで国際社会に復帰できた。
今になって東京裁判は受け入れられないという人がいるが、あの時あなたは拍手を
しなかったのか。