朝日新聞の戦争責任

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昭和17年5月17日福岡日日新聞社説
敢えて国民の覚悟を促す
 (前略)陸海軍人が首相官邸に押し入りて、老首相を虐殺せるに至っては、実に言語道断
の沙汰と謂わねばならぬ。(中略)何人といえども、今日の議会、今日の政治、今日の選挙、
今日の政治家に満足するものはない。そこに多くの腐敗があり、欠陥があり、不備不足が
あることは事実である。にも拘らず、故に吾々は、直ちに独裁政治へ還らねばならないと
云う理由はない。ファッショ運動に訴えねばならぬと云う理由はない。独裁政治が、今日
以上の降伏を国民に与うべしと想像し得べき寸毫の根拠もない。ファッショ運動が、日本
を救うべし、と信じ得べき何等の根拠もない。(中略)
 ここに於て吾々は、敢えて政治家と言わず、官吏と言わず、全国民に対して、一死報国
の一大決心をもって粛然としてこの難局に処するの覚悟を要求せねばならぬ。国民に対す
る挑戦に向かっては、断々乎としてこれを排撃するの堅き決心を懐かんことを要求せねば
ならぬ。(中略)
 唯だ一事、吾々が指摘せねばならぬことは、この事件は、昨秋よりして明白に予見せら
れたる事件を、傍観して今日の結果を招来した責任は何人にありや。検察当局なりや、政
府当局との事実に於て如何ともすべからざる軍部それ自身なりや、国民は厳粛にそれを知
らんことを要求する。
昭和7年5月19日福岡日日新聞社説
騒擾事件と輿論
 今回の事件に対する東京大阪等の諸新聞の論調を一見して、何人も直ちに観取するとこ
ろは、その多くが、何ものかに対し、恐怖し、畏縮して、率直明白に自家の所信を発表し
得ざるかの態度である。言うまでもなく、もし新聞紙にありて、論評の使命ありとせば、
このような場合に於てこそ、充分に懐抱(思っていること)を披瀝して、所謂文章報国(文章
で国に報いること)の一大任務を完うすべきである。然らずして、左顧右眄、言うべきを言
わず、為すべきを為さざるは、断じて新聞記者の名誉ではない。(中略)
 換言すれば、この種の事件に対する輿論なるものは、明白に歪められた形に置かれてある。
正当なる国論発表の機会は断じて充分でない、ということを国民は牢記(心にかたくとめて
おく)しておく必要があるであろう。吾々は、同業者を誹謗するの意思は毛頭ない。けれど
も今日に於て、事実を事実として指摘するのは吾々に課せられたる一大義務であることを
痛感せざるを得ない。
昭和7年5月20日福岡日日新聞社説
当面の重大問題
 日本国家の当面する重大問題は、次の内閣が、何人によって組織せらるるや、何党によっ
て支持せらるるや、如何なる閣僚をもって組織せらるるやではない。今回の事件によって暴
露せられたる、一部軍人の政治運動、革命計画の善後を如何に策するかであらねばならぬ。
既に心ある人々が絶叫しつつあるように、全国民一致の力をもって、先ず国情の安定を図り、
国軍の綱紀を正し、国軍と国民との間に発生せる暗×を一掃することであらねばならぬ。そ
れ以上の重大問題はない。
 吾々の所見をもってすれば先ず何よりも軍部首脳者自身、単なる口頭の辞令にあらずして、
心から今回の事件に対し、遺憾の意を表し、上陛下に対し奉り、下国民に対して、全責任を
取りて、寸毫の遺漏なき処置を取ることが先決問題であらねばならぬ。それ以外に軍部首脳
者の取るべき処置はない筈である。(中略)
 けれども陸軍当局が、海軍当局と自らその態度を異にし、事件の善後策以外進んで政局の
前途に対し、大に策動しつつあることだけは、厳然たる事実として認めねばならぬ。国民は
甚だそれを不快とする。陸軍当局者は、何の×ありて政治を語り、後継内閣を論ぜんとする
か、陸軍当局者は、昨秋以来、あのように、全国民を恐怖せしめたる、軍隊内部に於ける政
治運動、革命的運動の一爆発としての重大にして複雑なる事件の善後を策して、果たして遺
漏なきや否や。(後略)
昭和8年5月16日福岡日日新聞社説
憲政かファッショか五・一五事件一周年に際して
 犬養老首相兇手に倒れてより既に一年である。(中略)吾々が、老首相の一周年に際して、
その追弔に重大なる意義を感ずるのは、実にその政治的意味に於てである。老首相逝いてよ
り最早一周年、人々は、或いは歳月の経過の早きを思うであろうけれども、吾々に取りては、
この一年は、殆ど百年の長きを感じせしめた。犬養内閣崩壊と同時に政機の運用は、所謂非
常時の名の下に、全然変態的となり変態的な斎藤内閣の成立と共に、一年間に三回の議会招
集を見、これらの議会は徹頭徹尾、非常時対策の論議討究に大童であり、遂に日本ありて以
来の膨大予算を通過せしめた。
 にも拘らず、国民の頭上より、所謂非常時の重圧は、更に軽減せらるるところがなく、観
方によりては、重圧は益々加わる、とも称することが出来る。これ吾々をしてこの一年間を
もって、百年の長き思いあらしめた所以である。蓋し(想像するに)、所謂非常時なるものは、
満蒙問題を中心として、国際日本の立場が、重大なる危機を孕んでいる、と謂うの意味を濃
厚に含むことは言うまでもない。(中略)
 けれども更に一層濃厚なる問題が、所謂非常時なるものを色づけつつあることを忘れては
ならない。これを端的に云えば、吾々は、明治大帝が、千載不磨(不滅)の大典として、吾々
国民に下し賜える帝国憲法を護持して、今後益々日本憲政の発達を図るべきか、それとも伊
太利に於て、ムッソリーニが敢行しているように、独逸に於てヒットラーが模倣しているよ
うに、それを模倣して所謂ファッショに走るべきか、この問題の解決を迫られつつあること
が、即ちそれである。(中略)
 而してこの問題は、実に五・一五事件、老首相の遭難を合図に国民の面前に提供せられた
大問題であるが故に、日本の政治的国民は、この一周年に際して、単に一個老政治家の末路
を弔し、その冥福を祈ると云う以外、最も切実にこの問題に想到し、吾々が、今後に執るべ
き断乎たる決心を定めねばならぬ。(中略)明治大帝の示し賜える日本国民の政治的進路を、
堂々として、平坦々として進むべきか、それともムッソリーニを学ぶべきか、それともヒッ
トラーを模倣すべきか、この機会に於て、吾々の態度を定めねばならぬ。(後略)