朝日新聞の戦争責任

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266戦時下の言論統制
言論統制に抵抗示した毎日の「竹槍事件」
 これまでに見てきた戦中の朝日記事は、こうした統制の下に生み出されたのは事実である。
当時の朝日記者は「政府の取り締まりが厳しく、仕方がなかった」といったかもしれない。
 しかし、戦争を推進した戦時下の朝日報道を全て言論統制のせいにはできないだろう。こ
うした統制下でも、公然と軍・政府に異議を唱えた新聞社はある。中でも当時の新聞界のも
う一つの雄、毎日新聞の起こした「竹槍事件」は、厳しい言論統制下でも、新聞社が抵抗の
姿勢を示した事件として知られている。
 敗色濃厚となってきた昭和19年2月、戦争の見通しをあやぶんだ毎日新聞は発禁処分を覚
悟して検閲を通さずに、戦局悪化の事実と戦争指導へのあり方への批判を内容とする記事を
掲載した。これが東条首相の怒りを買い、毎日は廃刊の危機にさらされたのである。毎日は
この記事の中で、国民に竹槍で戦うことを求める陸軍の精神主義をこきおろし、竹槍では間
に合わない、飛行機を増産せよ、と提言したのである。もっとも、毎日新聞の例を出さなく
とも、言論統制に対する抵抗の仕方はあったはずである。例えば、戦況報道はできるだけ大
本営発表のものに限り、それ以外は極力掲載しない方針とし、感情的な表現でことさらに読
者をあおる報道を避けることはできなかったのだろうか。もし、それが軍・政府の圧力で不
可能であったならば、主張すべきことは主張して、廃刊するのも一つの方法であったはずで
ある。
 国家の圧力で大新聞が消えたことを国民が知れば、それだけでも国民に事態の異常さを訴
えかけることができたのではないだろうか。当時の朝日記者に「新聞人」のプライドがあっ
たとすれば、それも保てたはずだ。