朝日新聞の戦争責任

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207朝日戦時報道のルーツ
茶番劇を支持した責任
 なぜ、朝日は右翼の圧力にやすやすと屈服したのか。朝日新聞は以前から社長、
役員に対する襲撃事件や社屋への乱入事件など、右翼のテロの標的になることが
多かった。時の政府や軍部にたびたび批判的な立場をとったからである。右翼は
政府や軍部と通じていることも多く、警察は右翼テロを熱心に取り締まらず、せっ
かく犯人を警察に突き出してもすぐに釈放されることがしばしばあった。
 また在郷軍人(平時は民間人だが、事変などの際に召集される軍人など)や軍部、
右翼などによる朝日新聞の不買運動もたびたび展開された。こうした相次ぐ嫌が
らせ、妨害の流れに、新たな圧力が加わり結局白旗を掲げたものとみとられる。
 それにしても満州事変が関東軍の自作自演で始まったことを朝日が知った上で、
方針を転換したのであれば、言論機関として致命的な罪といえる。
 憲兵隊秘密報告には、満州事変勃発後に特派員として現地入りしたひとりの大
阪毎日新聞記者の発言が残されている。それによると、この記者は現地で真相を
知って馬鹿らしくなり、真面目に勤務することができずに会社の命令が出る前に
帰ってきたというのである。朝日も満州事変勃発の際に特派員を派遣している。
朝日の記者に真相がわからなかたというのは疑問が残る。
 真相がわかっていたとすれば、朝日は事実を暴露し、軍と戦うべきではなかっ
たか。日本軍による謀略が明らかになれば、国内外から日本軍部への非難が集中
し、事変の拡大防止、平和解決はもちろん、事変を契機とした軍部の強大化、日
本国内のファシズム化を阻止できたかもしれないからである。
 この頃は既に政府の言論統制はあったものの、事変前に大阪朝日が軍部批判を
できたように、まだ徹底した言論弾圧は行われていなかった。むしろ軍部は満州
での武力発動に際し、国内世論の反応、新聞などマスコミの論調が軍に批判的に
ならないかを恐れていたのである。
 にもかかわらず、朝日新聞は国の将来を決定付ける大事件を前に、軍部の犯罪、
暴走を暴き、世に問うという重大使命を忘れ、あっさりと軍部に屈服、迎合した
のである。