朝日新聞の戦争責任

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 こうした社内騒動を経て、昭和20年11月7日朝刊には「国民と共に立たん」
と題する社告が載った。
 この社告は「支那事変勃発以来、大東亜戦争終結にいたるまで、朝日新聞の
果たしたる重要なる役割にかんがみ、我等ここに責任を国民の前に明らかにす
るとともに、新たなる機構と陣容とをもって、新日本建設に全力を傾倒せんこ
とを期するものである。
 今回、村山社長、上野取締役会長以下全重役、および編集総長、同局長、論
説両主幹が総辞職するに至ったのは、開戦より戦時中を通じ、幾多の制約があっ
たとはいえ、真実の報道、厳正なる批判の重責を十分に果たし得ず、またこの
制約打破に微力、ついに敗戦に至り、国民をして事態の進展に無知なるまま今
日の窮境に陥らしめた罪を天下に謝せんがためである。
 今後の朝日新聞は、全従業員の総意を基調として運営さるべく、常に国民と
ともに立ち、その声を声とするであろう。いまや狂瀾怒濤の秋、日本民主主義
の確立途上来るべき諸々の困難に対し、朝日新聞はあくまで国民の機関たるこ
とをここに宣言するものである」と、朝日新聞が新しく生まれ変わることを誓っ
ている。
 この社告は朝日新聞の戦後の再出発を語る上で欠かせないもので、過去の過
ちを認め、今後の理念を明確にしたという点で、好意的な評価が与えられるこ
とが少なくない。
 しかし、この社告に疑問を持つのは筆者だけであろうか。その理由はいくつ
かある。第一にこの社告はわずか33行(1行13字)で、一面下方に小さく掲載。
太平洋戦争の約3年8カ月にわたり、連日国民を戦争に駆り立てた割には、あ
まりにも目立たない扱いだ。
 第二に社告は謝罪しているだけで、朝日が戦争に加担していった経緯や理由
についての詳しい説明がない。同じ過ちを繰り返さないための教訓が導き出さ
れていない。
 第三に幹部退陣までに社内騒動があったにもかかわらず、この社告は幹部達
がまるで自発的に責任を感じて辞職したような印象を与える内容になっている。
 第四に「幾多の制約があったとはいえ、真実の報道、厳正なる批判を十分に
果たし得ず、またこの制約打破に微力」というくだりは、朝日の戦時報道の大
部分を体制のせいにしているきらいがあり、自己弁護的だ。朝日新聞には自ら
進んで戦争を推進した面もあるのではないか。
 戦時中の朝日社長以下全社員による軍への献金運動、戦意高揚標語「撃ちて
し止まむ」の大写真を東京の繁華街に掲げたこと、新聞・通信八社合同で「米
英撃滅国民大会」を開催したことなど、朝日が戦争に積極的に協力した印象を
持たせる事柄について朝日はどう説明するのだろうか。
 この3つの出来事は、朝日社史に全く掲載されていない。この点を考えると
朝日はこれらの事柄について、やましい気持ちを持っているのかもしれない。
その朝日社史は今年、従来の社内頒布から、一般販売も開始したそうである。