『「つくる会」に反対する掲示板』観察スレ2

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393まだあるよ
322 名前:お勉強するニダ 投稿日:2001/06/26(火) 22:26
63)119 頁 秀吉の全国統一
「この検地によって、それまで公家や寺社など荘園領主がもっていた田畑へのさまざまな権利は否定され、農民は土地への所有権を法的に認められた」
(意見) 太閤検地の要点を理解していない記述である。荘園領主の土地に対する所有権は、太閤検地を待つまでもなく16世紀にはいるとほとんど無実化しており、秀吉にとって、荘園領主の権利を否定することが課題だったわけではない。農村社会のなかで重層的に存在していた複雑な権利関係を整理したところに、太閤検地の目的と意義がある。なお「土地への所有権」は日本語として誤っている。 また、197頁地租改正の部分では「政府は地租改正に着手した。……土地所有者を確定して」と書かれており、整合していない。

64)120 頁 キリスト教の禁止
「1587年、島津氏を討つため、九州を訪れた豊臣秀吉は、日本は『神国』だから、キリスト教は好ましくないとして、バテレン(神父)追放令を発した。秀吉は、もともとキリスト教が一向宗のように武装して権力を求めない限り、一般民衆の入信を認める方針だった。しかし、秀吉は九州にきて、長崎が教会領となり、そこで寺院がキリスト教徒によって焼き討ちされたことを知った。また、全国統一を目前にしていた秀吉は、小西行長や高山右近などキリシタン大名が、信仰によって結束し、統一の妨げになるのではないかと懸念するようになった。そこで秀吉は彼等にキリスト教を棄てることを迫り、バテレンの追放を命じた」
(意見) 「神国」であるという規定が禁令の本質でなく、秀吉のめざす公儀支配権の完全な確立に教会領の問題やキリシタン大名の活動が抵触したための禁令であるというのが研究史における理解である。にもかかわらず、ここの記述では、「神国」であることが禁令発布のもっとも重要な理由であるように誤解しかねない。

65)121 頁 朝鮮への出兵
「明との和平交渉のため撤兵した」
(意見) 平壌の戦で明軍に敗北すると日本側は劣勢となり、漢城さらに半島南岸へ撤退したのであり、このあと朝鮮に残った小西の交渉が行われた。撤兵はしておらず、不正確な記述である。北島万次『豊臣政権の対外認識と朝鮮侵略』(校倉書房)。