創る会の教科書の起こした波紋

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130文責:名無しさん
2.第二次教科書戦争

知る人ぞ知る「新編日本史」での教科書執筆陣(名前は失念)と
「左翼陣営」との闘争。本教科書は、中韓抗議を背景にしたマス
コミによって袋だたきにあった。これ以前に政治家の「失言」問
題などを契機として左翼と中韓との連携プレーが既に完成してい
た事をうかがわせた。その頃自分は学生だったが、この「教科書
問題」を朝日新聞で初めて知った。(朝日新聞を読んでいたのは
科学欄が充実していたというそれだけの理由。科学欄の他はテレ
ビ番組欄、スポーツ欄を見るくらいで、社説や天声人語のページ
を開いたり拝んだりすることはほとんど無かった。)

今でも覚えているが、この「新編日本史」のときの朝日の攻撃は
執拗だった(この時だけは全紙面をじっくり見た)。社会欄、政
治欄、国際欄、社説、天声人語、声などを総動員して総攻撃を、
繰り返していた。たしか、「さながら戦前の国定教科書のよう」
などの見出しをつけ、その他いろいろな思わせぶりのレッテルを
貼り付けて、いかにも怪奇的教科書が出現したかのような印象を
植え付けようとしていた。たしか攻撃者の筆頭に遠山茂樹という
学者がいたが、その時ふと思ったのが「あんたにそんなこと言う
資格あるの?」。

岩波新書は中立で客観的だと思い込んで、うっかり買ってしまっ
たが「昭和史」は今だに本棚にある。

「昭和史・新版(岩波新書)遠山茂樹、今井清一、藤原彰著」

「第二次大戦には、三つの性格がからみあっていた。第一は、
枢軸諸国と反枢軸諸国との双方の側からの帝国主義戦争という性
格である。第二はファシスト諸国の侵略に対抗し、平和と民主主
義を守ろうとする反ファッショ戦争としての性格である。ソ連が
連合国に加わったことは、この性格を強めた。・・・」

「48年9月、中共軍は満州、華北、華中でいっせいに大攻勢を
開始し、たちまち奉天、北京、天津など揚子江以北の大部分を
(米軍や国府軍より)解放した。・・・・。49年10月1日、
中華人民共和国が正式に成立した。このことは、世界情勢を大き
く変える画期的な出来事であった。6億の人が資本主義体制をは
なれた。社会主義陣営は世界人口の3分の1を占めることになっ
たのである。また中国革命の勝利は、アジアや中近東の植民地、
従属諸国の民族解放運動を大きく前進させるきっかけともなった」