マスコミの 「盗聴/盗撮」 は許されるの?その3

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524他人の声
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盗聴は声がするだけで姿が見えない。その者が側にいると同じだから、それなら家の中の何処で聞こえようが無断で家に上がってきて話し込んでいるようなもの。声だからこちらが止めさせる訳にもいかず後は相手が自分で意識的に止めるまでは言いたい放題という訳だ。馬鹿を言おうが、何を言おうが家の中で酒酔いにからまれているのと同じ。
これが又おまけつきで、姿が見えず声だけだから、家の外でも同じ。声だけだから何処にでもついてくるということ訳なんだ。

声だけですむのだから外も家も関係が無い。家にいるときならば声だけの透明人間がいるみたいなものという訳だ。

だから言ってみれば声を通した不法侵入みたいなものだという説明をしたんだが。強制的に聞かせていることでは確かに暴力的範疇にあるとは言える。
しかし脅迫的というより相手によって違うかもしれないけれど干渉して妨害する意図だね。それと何かに取り込もう、利用しようという意図もあるのかな。特に相手によって明確な組織的利用意図があったりした場合は、もろに利用してる感じになってくる。

聞こえるにしても聴かれるにしても、相手は私の声を聴いて会話しているのだし、わたしも相手の声が聞こえるのだから、実はこちらの側でも相手を盗聴しているのとおなじ意味になる。
若し私が声を強引に聞かされてその上更に、強引に話し掛けられているのと同じように相手にしたって強制的に、聞かされている盗聴だとしたら、ほんとはどっちも同じ状態という訳だ。
ただ違いは相手の側に一方的に盗聴して話し掛ける機会の主導権があるということなんだろう。その権は事の成り立ちを想像するとどうも相手の側でも持っていないと私はみているのだ。それは又別にあるんだろうとね。

若しそういうことなら、それ式にやれば、双方の相手さえ決まればどこでも誰でもお互いが盗聴状態になってしまうという発想だ。

例えば相手はマスコミであったり、少しは知っている誰かであったり,まったくの他人であったりするという訳。
それがマスコミに適用されると所謂今問題の”電波”、反応現象になっているということじゃないかな。

町を歩けば町中で、家にいれば家の中でお互い”電波”になっている訳じゃないのかな。