★「朝生」サヨクオヤジ大敗北のあせり★

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103文責:名無しさん
サヨクが戦後保証のモデル・ケースとして大絶賛するドイツが、戦後いかにユダヤ人虐殺を反省したかについて、面白い事実がある。
 落合信彦著『モサド、その真実』(集英社文庫)より
1:ナチ戦犯アイヒマンについて(p29〜)
「アドルフ・アイヒマン。ユダヤ人なら決して忘れられない名前である。ナチス・ドイツ下でユダヤ人問題の“最終的解決法”を考案し、六百万のユダヤ人を虐殺した張本人とされている男だ。
西ドイツ、ヘッセの地方検事フリッツ・バウワーからアイヒマンの所在についての情報が、ハレル(注、イスラエル諜報機関モサドの初代長官)のもとにもたらされたのは1957年だった。バウワーは最初その情報を西ドイツ官憲に持ち込もうと考えたが、結果は目に見えていた。おざなりのチェックをするぐらいでさほど真剣に取り組まないことは明らかだったし、へたをするとアイヒマンに通報して彼の逃亡を手助けする可能性さえあった。当時ボン政府内部には相当多数の親ナチ高官がいたからだ。(今日もこの状況はそう変っていない)アイヒマンに関する情報を真剣に受けとめ即刻アクションを起こし得る機関はバウワーの知る限りモサドを除いてはなかった」
同書の内容が初めて世に出たのは1981年であるので、西ドイツにおいては1980年代にいたっても、政府内に多数の親ナチス派が存在していたことになる。戦後35年経っても、ナチスと絶縁できなかったのが、ドイツの戦後史なのである。
なお、ハレルはアイヒマン逮捕に西ドイツが動かなかった理由について、
「ゲーレン(西ドイツ諜報部)がそれについてアクションを起すと思うかね。彼らが本気でアイヒマン狩りをやらなかった理由は簡単だ。世界中の人々はもう残虐な話にへきえきしていたからだ。彼らの良心を責め続け安眠を妨げるいまわしい過去の想い出を消え去るよう望んでいたのだ」(p44)と語っている。
せめて、西ドイツがアイヒマン逮捕に失敗しており、そのためにモサドにお鉢が回って来たというならば、まだ格好が付くのだけどね。

2:エジプト在住の元ナチ科学技術者に対する工作について(p72〜)
1962年、モサドはエジプトに雇われた元ナチ技術者がミサイルや細菌兵器の開発を進めている情報をキャッチして、これを阻止する工作を開始した。エジプト国内のドイツ人技術者に対して手紙爆弾、小包爆弾が送られ始めたが、これに不快感を示したのが、他ならぬ西ドイツ政府であった。当時、西ドイツはイスラエルに対する兵器輸出を行っていたのである。
「このようにデリケートな状況にある両国関係にモサドのドイツ人科学者達に対する工作がおよぼす影響は明らかだった。現に西ドイツ政府はモサドの爆弾工作をやり過ぎと非難し不快感を表し始めていた」(p73)
この件について、ノビさんが、「しかし手紙爆弾作戦は、ちょっと強引すぎると思われるが……。西ドイツ政府を通じて科学者達になんらかの圧力を加えるということは考えられなかったのですか」と聞いたが、ハレルの答えは、
「それは何度もした。直接西ドイツ諜報機関の責任者にも会ってなんとかするよう頼み込んだ。そして彼の同朋がエジプトで開発しているミサイルや細菌兵器の標的になるのは我々イスラエル人なのだということをくどいほど強調した。しかし、彼の返事はごくなま半可なものだった。我々にしてみれば一刻の猶予も許されなかったのだ」(p75〜)
もし、西ドイツが本気で過去のユダヤ人虐殺を反省していれば、このようなことがあり得たであろうか?ナチ戦犯の逃亡を見て見ぬ振りをし、ホロコーストの再現をやりかねない状況を放置していたとは……
私がイスラエル人であれば、ワイゼッカーが何を謝罪していようが、その真意など絶対に信じない。