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文責:名無しさん:
兵制についても一言しておきます。
台湾では、昭和十七年になって、陸軍特別志願兵制度ができた。
「この志願兵制度が発表されるや、約千名の募集人員に対し、た
ちまち四十万人もの志願者が殺到した。その競争率たるや実に
四百倍に達したが、翌年にはこれをはるかに上回る六百倍を記録
している。こうした応募者の中には血書嘆願する者も多く、その
決意は内地の日本人に優るとも劣らぬものがあった」
「「台湾人元志願兵と大東亜戦争」の著者である鄭春河氏が血書
嘆願し、大東亜の戦場へと赴いたのが昭和十七年の第一次募集の
ときであり、こうして多くの台湾人青年が(祖国)を護るために
志願していったのである。昨今、日本で強制化否かが取りざたされ
た「台湾少年工」も、彼らは決して「強制徴用」で日本につれて
いかれたのではない。このことは「台湾少年工と第二の故郷」に
詳しいが、台湾の公学校を卒業したおよそ八千人の少年達が自ら
志願して日本に行ったのである。(略)だからこそ、本の題名に
もあるように、高座海軍工廟のあった神奈川県大和市を「第二の
故郷」と呼び、市の公園に「台湾亭」という東屋を寄贈して、いま
でも心暖まる交流を続けているのである」
「(略)黄氏は、台湾人より早く志願兵制度が導入された朝鮮の軍人
志願者のデータを紹介している。それによると、1942年(昭和十七年)
の募集人員4千77名に対して志願者は254万273名で、その倍率は約
六十二倍。同じ年の台湾人志願兵倍率(四百倍)には遠く及ばない
までも、高い倍率で志願者が殺到したことには相違ない」