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時代:
時代でいえば植民地の独立運動もはるか昔から行われていた。
第一次大戦以後は植民地は独立出来るようになり、人権という考えも
徐々に浸透していっていた。
欧米も植民地で得た利益は一部の金持ちが独占し、国民の大半は
貧しかった。スイスの銀行家の息子で金持ちだったデュナンも
肉の入ったスープを週に3日食べていた程度。国王のパーティの
ような豪華な食事ではなかった。
それでもうらやましいといわれ、人権に目覚めた。
当然、日本でも人権が意識され始めていた。
共産主義という思想も、もともとは貧困層救済のためのものだった。
だから貧しかった日本でも共産主義が入り込んだ。
人権という考えが誕生してからは、植民地は強者の理論でしかない、
という意識は数の大小に関わらず誰かしらが持っていた。時代でいえば、
日本の植民地経営が完全に免責されるほど野蛮ではなかったといえる。
226事件にしても農村での人身売買が問題提起となっていた。
アヘン戦争の事実を知った日本は非植民地の悲劇を認識していた。
そのため富国強兵政策を実施していた。にもかかわらず自国防衛の
大儀のためなら他国を支配していいとも考えた。その矛盾に気がついて
いたか?当然気がついていた人たちもいた。それがあるからこそ、
時代という逃げは通じまい。
日本は植民地を得るには遅すぎた。
アメリカもまた然り。遅れてきた帝国主義は成立しない時代でも
あった。結局、いくつかの植民地を比較的早期ら手放すこと
になった。もっともしたたかなアメリカはその埋め合わせの政策を
実行しているが。
人権は人間が発明したものの中で、最も崇高で最も偽善にまみれている。
人権を生み出した思想こそ、500万年における生物進化の頂点で
はないか。なにしろ食物連鎖を超えて自らの種を自覚し、思想によって
その連鎖の呪縛から脱しようとしたのだから。