読売と朝日の比較スレッド その4

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130文責:名無しさん
国会閉幕に関する6/30の社説を今さらながら、見てみました。深みのある文章で朝日が読売を突き放しています。

・読売
「改革を問う 政党は具体像と道筋を明示せよ」
「小泉政権の経済財政運営の基本方針では、具体的な優先順位や手法、タイムスケジュールが明確にされていない。」
「政策論争としてその具体像と筋道を有権者に提示していくことこそ、各政党が取り組むべき重要課題である。」
「改革の本家を任じる民主党であれば小泉改革とどこが違うのか。改革の中身や手法、手順などを具体的に示すべきだ。改革に反対あるいは慎重という政党なら、大安を提示するのは当然だ。各政党は、論議を掘り下げ「改革」の内実を明示してもらいたい。」

何の深みもない読売の社説にはあきれんばかりです。読売が指摘していることの正しさを否定することはできませんが、単なる事実と本当の問題点を指摘しているだけで、お茶の間でニュースを見ている一般庶民には興味がわきません。読者にとって「改革」という総論は理解できても、各論など興味のない話なのです。だれも細かい問題点を具体的に検証したり、善悪を決めつけることができない、具体的な改革のための手法など理解できないのです。読者は何の感情の抑揚を感じることもなくこの、砂漠のような無味乾燥の社説にあくびが出ることでしょう。

朝日は読者のことをよく理解しています。読者は自分が賢いと思いたいのです。他人、できれば感情的に悪と決めつけることのできる政治家等をバカだと見下したいのです。「改革」といった漠然とした総論的キーワードに酔っぱらいつつ、予算、組織や法律が絡み、勧善懲悪のストーリーが構築できない具体的な改革論など聞きたくもないのです。今回の朝日も国会の矮小化と見下しすことにより国会をわかりやすく解説している名文と言えるでしょう。

・朝日
「国会閉幕 深みのない論戦だった」

「深みのない論戦」、いい表現です。見出しのキーワードはその記事への着目度を決定します。感情的で他者否定的なこのキーワードに、潜在的不満の原因を政治に求めようとする多くの朝日読者は知らず知らずのうちにこの社説を読み始めていることでしょう。

「(塩爺の失言、田中氏の放言を受け)いずれも進退問題になりかねない重大発言であるが、野党側の追求は中途半端に終わった。こちらの責任も大きい。」

与党も野党も悪い。このように一刀両断に全てを否定することは読者にとって非常に気持ちのいいものです。この表現で読者は与党も野党も見下せるもう一段上の立場に自分がいるものと勘違いできるでしょう。また、この記述から進退問題にして欲しかったという本音がみえます。社説では女性読者を意識して「真紀子さん」なとどファーストネームでちゃかして、批判色を和らげていた朝日ですが、進退問題として大騒ぎし、そのことを火の粉のかからない中立的な立場から記事にして売り上げの向上に結びつけたかったという本音が見えます。

「深みのある論議はむしろ乏しくなった。政治家達の力不足からである。」
「天皇の責任追及について中曽根康弘首相と共産党の正森成二議員が手元にメモもなく約20分間、それぞれの歴史観や思想を激しくぶつけ合った。そんな場面は最近の国会ではまず見られない。」

個人的にはそんなことを国会で話し合うこと自体時間の無駄に思えますが、小泉首相に靖国参拝をあきれられるほど繰り返し質問し、毎日新聞のコラムでもバカにされ、東京都知事の記者会見でも靖国を毎回のように質問しあしらわれている朝日としては、もう一度天皇に絡む論議をして欲しいという意思表示なのでしょう。教科書キャンペーンの最中でもあり、朝日としては戦争がキーワードにないと記事にならないし、多くのすでに洗脳を終えた読者がそのような記事を期待しているのです。小泉内閣も朝日の期待に応えるために次回の組閣では中曽根氏に文部大臣等役職をお願いし、朝日の期待に応えて欲しいと思います。

「政治家は言葉に伴った責任を自覚し、もっと勉強すべきである。」

「勉強すべきである」、すばらしい締めの言葉です。通常この言葉は勉強している人間が勉強していない人間に言うべき言葉です。この言葉で読者は教師が生徒に勉強するよう叱るよな快感を味わうことができるでしょう。日教組を強力な読者基盤として持つ朝日ならではの味があります。経済、技術記事については勉強不足を毎度のごとく露呈する朝日ですが、政治論調では強気です。

とにかく政治家のやることは否定に終始し、わかりやすい感情論。今回の朝日の他人をも下す手法の前に多くの読者が自分が偉くなったと勘違いし、心地よい怒りの感情の中で政治家をも下せたことでしょう。