狂想! 朝日の基地外投稿3

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187名無しさん@お腹いっぱい。
今朝の「私の視点」 一橋大・和光大名誉教授 永原 慶ニ
「歴史教科書 史実ゆがめる自由はない」

国家の特徴、社会経済の動き、国民の生活や人権、どういう問題をとってみても、「現在」は、歴史に
規定されている。それについての的確な認識無しには、現在、未来を自覚的に生きることは出来ない。
歴史は国家にとっても個人にとってもその不可欠の基礎知識である。
だから国民は、歴史に強い関心を持ち、歴史の真実についての学習に強い意欲を持っている。歴史教育
はそれに適切に答えるものでなくてはならない。
ところが、明治以来、日本は、自国の優越を信じ込ませ、国家絵の忠誠を信じこませ、画一的な国民「教
化・鋳造」型の歴史教育を推進した。そこでは基礎的に重要な歴史の事実を、子供達に学ばせるというよ
り、直接子供の感性に働きかける「歴史物語」がたたきこまれた。その行きついたところが「一億一心」
の戦争であった。
戦後の歴史教育は、その誤りの確認から出発した。重要な歴史的事実を子供達に提示し、考えさせ、かれ
らが日本・世界の一員として前向きに生きていく判断能力の基礎をつくらせる、というのが新しい方針と
なった。戦後の歴史教科書もその意味で「歴史的事実」尊重の原則で貫かれている。
ところが、西尾幹ニ氏を中心とする「新しい歴史教科書をつくる会」の「中学歴史」、ふたたび子供たち
の心を国家主義的方向に強引に誘導しようとする意図を露骨に示している。教育勅語について、それが果
たした「忠君愛国」へのしめつけ的役割や、1948年6月に国会で失効決議されたことにはふれないで、
「近代国家の国民の心得」などとすりかえて説明している。韓国併合と植民地支配、中国侵略などについ
ても、相手方に責任の一斑を押し付けて日本の立場を正当化しようという、歴史歪曲的な書き方が随所に
にじみ出ている。「大東亜会議」に1ページをさいて太平洋戦争はアジア解放をめざした戦いだ、という
原稿本の記述などもその極端な一例である。
今日の歴史学によって国内的にも国際的にも確認されている歴史的事実を、独善的なイデオロギーによって
歪曲したり修正したりすることは、「忠実」尊重の戦後歴史教育の原則をふみにじるものである。こうした
ゆがめられた知識で育った若者が世に出て行くことは考えただけでも恐ろしい。本当の意味での「国益」を
これほど損ずることなない。
国の教科書検定は、この「つくる会」歴史教科書に137ヶ所の意見をつけ、修正させた上、合格とした。82
年の国際批判は、「侵略」という表現まで使わせまいとした検定の側の歴史歪曲が問題だった。86年のそれ
は、「日本を守る国民会議」編の「新編日本史」を安易に合格させ、いわば筆者と検定側が歴史歪曲の共犯者
となったことへの国際批判だった。それに対して、今度の検定では、多くの注文をつけて正させたうえで、歴
史観の自由とのかねあいでこれ以上のことはできないと表明している。今回は検定側も姿勢を正したように見
える。
だが、この教科書の問題は歴史観の自由の次元のことではない。すでに内外の歴史学会で確認されている史実
や史的評価を無視して歴史を露骨にねじまげようとしているのである。国家の公権力を行使しての検定が、部
分的な表現修正ではすまないそうした歴史の歪曲を見送ることは、結局国がそれへの加担者になることであり、
その責任を負わねばならないことになる。