読売と朝日の比較スレッド

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82文責:名無しさん
「第2次大戦の戦時体制下で報道統制が強化され、言論・報道の責務を果たせないまま45年(昭和20年)の敗戦を迎えました。同年11月、朝日は戦争責任を明確にするため社長以下の役員、編集幹部が退陣。「国民と共に立たん」という宣言を発表して、「国民の機関」となることを誓いました。」

これはある有名新聞社の社史の抜粋です(名前が出てる ^^;)。だれしも思い出したくない過去があるものです。大戦中、大政翼賛に積極的な役割を果たし、「撃ちてし止まぬ」のキャンペーンを張り、他者が社説で軍の間違った方向を批判しているときでも常に大本営発表を垂れ流していたこの新聞社にとって、積極的な戦争への関与は今の読者に知らせたくない過去なのです。かくして、あたかも報道統制で自分たちがしぶしぶ従わされていたような文章となり、自分たちが大戦中に果たした積極的な役割は文中からかいま見ることが出来ません。また、「宣言」は紙上で非常に小さく取り上げられ(1面左下)、ほとんどの人が見落とすような内容だったにもかかわらず、あたかも大きく宣言したかという錯覚を起こさせるような文章となっています。だれでも思い出したくない過去があり、そこから目を背けてしまうものなのです。さて、この新聞社から「人間として過去を知り、明日の指針にする」という、教科書問題に的を絞った、「歴史を振り返ろうキャンペーン」が始まりました。社史では歴史を塗りつぶすが、教科書問題では振り返る。韓国から教科書の修正案がくるこの絶妙のタイミングを見計らった、まことに時を得た読者獲得キャンペーンと言えるでしょう。

・朝日社説
「鏡の中の日本1 歴史を学ぶ」
「日本人であり、人間なんだ」
「デイウィス氏は同じ著書で先輩達を批判する。ヨーロッパの歴史家たちは、自分たちの文明こそ最良と思いこみ、他の地域を省みず。自己満足にふけってきたと。同氏は、「悪質な」教科書などの特長を次のように数え上げる。「理想化された、したがって本質的に嘘の姿を、過去の真実の姿として描く。好ましいものは全て取り上げ、深いと思えばはじき出す」。最近問題になった日本のある教科書の編集者の態度にどこか似ている。」
「日本の過去は何でも立派と言いたげな教科書や歴史の本も、これまたおかしい。人間みな自分のルーツを知りたい。ご先祖はけなげで、立派だと思いたいのは人情である。だが、そういう記述だけを、誇張混じりで寄せ集めたのでは、歴史はただのぬぼれ鏡に終わってします。」
「日本人として、同時に人間として、いまの私たちは生きている。「お国のため」が当たり前とされていた半世紀前までに較べて「人間として」の部分が広がっている。これからもっと広がるだろう。父母の世代に起きたことが、様々に関連し合って、今日ただいまの社会が出来ている。何を維持し、何を変えてゆくのか。過去をきちんと知らないでは、明日のことは決められない。かつては弱肉強食は当然だった。今では人道が全面に出る。価値観は時とともに変わる。その時点までの人類の経験の相対から、新しい価値観が生まれる。その経験を整理するすべが歴史だ、とも言えよう。人間として過去を知り、明日の指針にする。いびつな自己満足を排し、大人の判断力を培う。それが本当の歴史教育だ。」
83文責:名無しさん:2001/05/01(火) 17:47

省略しましたが、前半は「歴史」の語源から始まり歴史教育が国民総動員のための手段であったことに触れ、上記のような今後は違うという起承転結を踏んだ見事な文章となっています。読者は知識を得て得したと勘違いできるようにもなっています。「日本人であり、人間なんだ」。まずこの呼びかけが最高です。「夕日に向かって走れ」的な感動と、誰も否定できない当たり前のことを読者に呼びかけることで、多くの受動的思考の読者が知らずに引き込まれます。まず、否定を起こさせない文句で読者を取り込むテクニックです。「日本のある教科書の編集者の態度にどこか似ている」。これも◎です。わかりやすい構図は建設的な意見ではありません。「敵味方」あるいは「勧善懲悪」がはっきりしたストーリーです。ストーリーの流れとしてデイウィス氏による「悪質な」教科書の条件を挙げ、その「悪質な」条件に合うのが「ある教科書の編集者」と導いています。かくしてこの教科書、編集者が「悪」で、あり暗黙のうちに朝日と読者の立つ側が「善」であるという構図ができあがっています。

いちど「悪」と決めつけた教科書ありは編集者に対する次のステップは「悪」のイメージの完成です。そのためには読者に混乱が起こらないよう、悪を補強する情報の追加提供と、単純化により疑問がわかない「決めつけ」が必要になります。「日本の過去は何でも立派と言いたげな教科書や歴史の本」。書籍ですから内容に強弱はあるはずですが、「何でも立派と言いたげな」ということにより、端から端まで、強弱無く朝日のイメージする「悪」であるということが読者の頭に奇想されるよう表現しています。「人間みな自分のルーツを知りたい。ご先祖はけなげで、立派だと思いたいのは人情である。だが、そういう記述だけを、誇張混じりで寄せ集めたのでは、歴史はただのぬぼれ鏡に終わってします」。ここの「そういう記述だけを」とすることで、他の記述がないかのようなイメージを読者に与えています。読者をこのような決めつけ表現により白痴化し、当該「教科書」にたいする単調な「悪」のイメージを植え付ける朝日の文章力は、やはり卓越しています。

「「お国のため」が当たり前とされていた半世紀前までに較べて「人間として」の部分が広がっている」としていますが、現在の教科書に対してクレームをつている国々は「「お国のため」が当たり前」の国々です。世界屈指の軍事力を誇り、その近代化に余念のない中共、徴兵制を持ち軍隊の社会的地位が高い韓国、そして国力のほとんどを軍事力に傾け、個人には国内移動の自由も与えられない北朝鮮であることをここで書いていません。「かつては弱肉強食は当然だった。今では人道が全面に出る」あまりにかっこのいい机上の空論なので多くの人が反論を忘れてしまうでしょう。中共が天安門事件で、戦車で人をひき殺したという事実や、北朝鮮がいまだにミサイルや核兵器開発に国力を注いでいるということは忘れ去られていい事実なのです。そのとき人道がどの程度表に出たかを問う必要はありません。「人間として過去を知り、明日の指針にする。いびつな自己満足を排し、大人の判断力を培う。それが本当の歴史教育だ」、自社の積極的な戦争支援を見えないように工夫している朝日だからこそこの言葉に重みが増してくるのです。

今日の社説はあまりにも重みのあるものです。文章中での敵味方の明確化、ストーリーの単純化。かっこいい文句の裏側に隠された矛盾を思い出させない、勢いある文章力。自社のことは棚に上げて、他者から反論しにくい机上に空論の振り回し方。

読売は同じ頃に「債権放棄 安易に延命策にしないルールを」、「首都圏空港 羽田再拡張に踏み切る条件」といったいかにも現実的な社説を掲載していますが。朝日のように夢のあるい読んでて気持ちよく、かつ賢くなったと勘違いできるようなすばらしい内容にして欲しいものです。