読売と朝日の比較スレッド

このエントリーをはてなブックマークに追加
115文責:名無しさん
今回は読売と朝日の比較ではなく、純粋に朝日のすばらしい社説を鑑賞したいと思います。底の浅い読売には比較できるような記事、社説はありません。

・朝日
「社説 鏡の中の日本4 空海はスーパー国際人だった」
「弘法大師として知られる空海は西暦804年(延暦23年)、遣唐使船で唐に渡った。31歳のときだ。首都長安(いまの西安)で密教の秘法の伝授を受け、2年後、仏教経典や、詩、書、工芸品など唐代文化の精髄を携えて帰国する。」
「だが、空海の入唐から90年後、遣唐使は廃止される。以来、今日に至るまで、日本が中国文化の吸収にたぎるような情熱を見せる時代は二度と訪れなかった。」
「日中国交回復にわいた70年代の中国ブームの熱気は消え、声高に語られるのは、いちだんと存在感を増す中国の「脅威」である。中国をのさばらせるな、といった偏狭なナショナリズムがじわりと頭をもたげ始めてもいる。梅原さんの目には、いまの日本の姿が、遣唐使の廃止後、大陸との往来がしぼみ、内向きになった10世紀の「国風文化」初期の時代と二重写しになるという。」
「四海に臨む日本は外に向かって開き、開かれた、多種多様な文化の結晶体である。自分の殻に閉じこもり、目を閉じる国に未来があろうはずもない。大宇宙の真理と世界文明の精華をわが手でたぐり寄せる。そうした壮大な理想を抱いて波涛(はとう)を越えた空海ら古代人たちの伸びやかさが、まぶしい。」

文章に対するまともな反論は、一部現在の中国を語っている部分を除いては、誰もできないでしょう。1000年以上の前の話し、誰も空海にはあったことはありませんし、紙の上に残った空海の足跡しか現在は残っていません。その数少ない足跡から、空海を想像し場合によっては美化し、そのことを論じられても、読者の頭の中には美しい作文の余韻しか残りません。そしてその余韻を現在の中共に対する畏怖の念に結びつけ、外に向かえというストーリーとなっているのが今回の社説です。

社説の前半は空海が「スーパー国際人」としていかにすばらしい人だったか、当時の中国がいかにすばらしい場所だったかにスペースを割いています。そこでは空海が「語学力がネイティブ顔負け」といった、当時の伝説を揺らぐことのない真実という前提で話を組み立てています。ここで、「といわれている」といったような伝聞形を取らず、断言口調にすることによって読者の頭の中にはより強い空海のイメージができあがってゆきます。