「従軍慰安婦」はこうして作られた。

このエントリーをはてなブックマークに追加
75780
>671.672.686.693

それでは、連合国軍がビルマの慰安所にいた朝鮮人の証言をまとめたものも信用しないのですか。
 彼女たちの誰かが、将兵と一緒にスポーツ行事に参加したり、ピクニック、演芸会、夕食会に出席したり....
 などと書いてある資料があります。そこに、徴集についての部分があります。

----1942年、5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く
  朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。......これらの周旋業者が用いる誘いの言葉は、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、
  それに、楽な仕事と新天地-シンガポール-における新生活という将来性であった。このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、
  2@`3百円の前渡金を受け取った。
-----彼女たちが結んだ契約は....彼女たちを軍の規則と、「慰安所の楼主」のための役務に束縛した。
(「従軍慰安婦資料集」吉見義明編集.解説/大月書店/441-442ページ)

 ここから、朝鮮人女性が周旋業者にだまされてつれてこられたこと、そしてその周旋業者は軍と密接に関わっていることが読み取れます。
 ちなみに、その人数は約800人とかいてあります。
 また、日本軍が退却するとき、置き去りにされたことも書いてあります。(449ページ)