今日の読売の「地球を読む」

このエントリーをはてなブックマークに追加
1文責:名無しさん
岡崎が暗に朝日批判しているような...
マンセー!
2名無しふたたび:2001/07/29(日) 12:07
本当に、今日の「地球を読む」は読み応えがあった。
まさか、靖国問題の発火点も朝日新聞だったとは。
外交問題をややこしくしている原因は、朝日新聞であると確信した。
3文責:名無しさん:2001/07/29(日) 12:10
UPきぼんぬ。
4名無しふたたび:2001/07/29(日) 12:13
>>3
このページに全文掲載されています。
http://www.glocomnet.or.jp/okazaki-inst/yasukuni01.html
5文責:名無しさん:2001/07/29(日) 12:14
>>2
知らなかったのか?
6名無しふたたび:2001/07/29(日) 12:20
>>5
恥ずかしながら。
慰安婦強制連行の捏造とか、珊瑚に傷をつけたとかは知っていたが。
朝日新聞なぞ、筒井康隆の「朝のガスパール」を読んでいたくらいで、
興味すらなかったからなぁ。
7その1:2001/07/29(日) 12:28
靖国参拝論争
「極めて政治的問題」
「戦後総決算」への反発が発端
(読売新聞2001年7月29日「地球を読む」)

靖国参拝論争

小泉総理は終戦記念日に靖国参拝を行うと言っている。小泉氏の性格か
らいって、やると言えばやるのであろう。そしてその理由は単純明快に、
戦没者に哀悼の意を表するという事である。結論から言えば私はそれで
良いと思う。公式、非公式の問題などは論ずる必要もない。

ただ、首相の靖国参拝の問題は、一九八〇年代以来内外で激しい論争
の対象となって来ているのでこのあたりで問題の経緯をふり返って、もう
一度整理して置く事は有益であろう。

敗戦の年昭和二十年の十月、幣原首相は靖国に参拝して大戦の戦没
者の霊を弔ったが、その後GHQの指示で、戦没者の慰霊祭への公的関
与は一切禁止された。講和条約が署名されると、吉田首相は、その批准
を待たず、まだ占領中であったが、「戦没者の慰霊祭等への公人の参拝
差し支えなし」という占領軍の許可を得て公式参拝を行った。吉田も遺族
達も感無量であったと報じられている。

その吉田は四回、岸は二回、池田は五回、佐藤は十一回、田中は五回、
首相として、公的形式で参拝している。

公式参拝と私的参拝の区別が論じられるようになったのは三木首相の
時からである。三木は歴代総理の中でも例外的なポピュリスト・パシフィ
ストであり、防衛費の一%枠とか、防衛計画の大綱とか、その軌道再修
正にその後数内閣を要するような、自らの手をしばる制限を自ら課して
いるが、その時私人として参拝したと説明した。これも、そう言わねばな
らない客観的情勢は何もなく、自分から言い出した事である。何か理由
があるとすれば、当時稲葉法相が自主憲法制定国民会議に出席した事
を「個人の立場で」と釈明したことがその背景にあったと推察されている。
福田首相もその前例にしたがい、その後は私的参拝となった。

次に問題となる戦犯合祀の問題の経緯は、まず講和条約発効と同時に、
まだ服役中の同胞の釈放運動が起り、講和条約の規定の下に関係諸
国の同意を得て昭和三十三年までに全員が釈放された。これと平行し
て戦争裁判の刑死、獄死者の遺族年金、恩給支給の運動も起った。懲
役三年以上の刑に処せられた者の恩給は停止されるが、戦争裁判の
刑死者等は日本国内法の犯罪者ではなく戦争の犠牲者と考えるという
事であり、当時の左右社会党を含む国会の全会一致で決定された。そ
の頃の日本人の心の中には迷いはなかったと言える。
8その2:2001/07/29(日) 12:28
「中国外交政策の一部に」

A級戦犯合祀

靖国神社への合祀予定者の選考基準は引揚援護局が決定したが、そ
の際、遺族援護法や恩給法の受給者原簿が参考とされた。そして三四
年から戦争裁判受刑者が逐次合祀され、五十三年にA級十四名が合
祀されて完了した。

この当時は、中国等から何の抗議もなく、五四年の大平、五五、六年の
鈴木参拝も何の問題も生じなかった。五七年となると、最近二十年間の
「自虐史観」問題の端緒となる教科書問題が起り、中国の対日批判が激
しくなるが、「A級戦犯合祀」の批判はなく、中曽根首相となって五八、五
九年の参拝も問題なく行われた。

現在の靖国問題が始まったのは、昭和六〇年からである。中曽根首相
は、かねてから「戦後の総決算」を標榜していたが、五九年に靖国懇話
会を設け、その報告書に基いて六〇年八月十五日には公式参拝を行っ
た。

これに対し、八月七日の朝日新聞は、靖国問題を「中国が厳しい視線で
凝視している」と書き、十一日の人民日報は、靖国参拝に批判的な日本
国内の動きを報道し、はじめは互いに相手国を引用する形で、反対運動
を開始し、そして遂に十四日には、中国外務省スポークスマンが、「アジ
ア各国人民の感情を傷ける」と、はじめて公式に反対の意思表示をした。
そして、二七日から三〇日までの社会党訪中において、社会党と中国は
公式参拝批判の気勢を大いに上げ、反対運動は燃え上がり、中曽根首
相は、その後退任まで参拝できなくなってしまった。そしてこの時以来、
この干渉の成功に味をしめた中国は、靖国問題干渉を中国外交政策の
一部として維持し、また、それは一九九五年頃の中国の愛国運動など
により中国の「国民感情」となり、日本国内左翼と相呼応しつつ今日に至
っている。
9その3:2001/07/29(日) 12:29
公式と非公式

この経緯から見てわかる事は、靖国問題は法的問題ではなく、極めて
特殊な政治的問題である。八二年の教科書問題以降の新しい形の反
体制運動の雰囲気の中で,中曽根首相の「戦後総決算」という姿勢に
反体制勢力が反撥したのが発端である。そして、その後の運動は、例
外なく、日本国内の反体制勢力が意図的に外国の干渉を惹き出し、内
外呼応して政府批判を行う形をとっている。

現在反体制側の立場は、「公式」参拝反対に集約されているようである。
公式参拝は三木首相まで、二十五年間誰も違憲だと言いさえしなかっ
た問題である。最近問題とされているのは、昭和六十年まで六年間A
級戦犯合祀に、中国も反対しなかったのは、それが非公式参拝の時期
だったからだというあとからつけた理屈によるものである。

しかし、公式非公式というのはそもそも三木首相の思いつきであり、今
や、常識的にも法的にも解決されている問題である。

要は憲法二〇条の信教の自由に反するかどうかの問題であるが、昭
和五二年の最高裁の判決は、津市が体育館の起工式に神式の地鎮
祭を行った問題について、そんなものは社会的慣習であって多少の公
的費用も神道への財政的援助とは言えないと、合憲としている。

それが常識であろう。墨田区の戦災慰霊祭は仏式で盛大に行われて
いる。憲法の原案を作った当のアメリカの大統領は、就任の宣誓をキ
リスト教の聖書の上に手を置いて行っている。中曽根首相は、公式参
拝に際して、神式の二拝二拍一拝でなく一拝とし、玉串料でなく供花
料としたが、それは反対側融和の一つのジェスチュアであって、憲法
解釈上必要なものではない。公式参拝違憲論が崩れれば、戦犯合祀
問題は、それまで中国も誰も問題にしなかったものが国内反体制勢力
の工作で生まれて来た構造が明らかになって来る。
10その4:2001/07/29(日) 12:29
国内情勢変化

今年もまた、昭和60年と同じゲームが繰り返されつつある。しかし情勢
は前とは違うのであろう。

まず、中国外交のやり方が国際的にかなり見え透いてきた。米偵察機
衝突事件、李登輝訪日、訪米ビザ問題など見ると、当初の脅迫的な警
告と、、中国外交のやり方が国際的にかなり見え透いて来た。米偵察
機衝突事件、李登輝訪日、訪米ビザ問題など見ると、当初の脅迫的な
警告と、その後実際にとった処置との間の乖離が甚だしい。要求に屈す
る事なく静かに凌いでいればそれですむ事がわかって来た。

そして問題の淵源である日本国内の状況が、三年前の江沢民訪日以
来大きく変わって来たことは、教科書問題に対する日本国民、世論の
対応に現れている。そして、小泉首相は少々の事では、動じない人物
であろう。

中曽根首相は戦後の総決算を呼号して正面から衝突した。しかし小泉
氏はおそらく余計な事は言わずにただ参拝されるのであろう。それがお
のずから戦後の総決算となれば、後世、それは小泉内閣の大きな業績
の一つとして評価されよう。
11文責:名無しさん:2001/07/29(日) 12:52
読売、いいこと書くじゃん。マンセー。
12藤井企業局長:2001/07/29(日) 13:00
というか、こうした流れを把握して靖国参拝の議論をしている連中がどのくらいいるのだろうか。
13名無しさん:2001/07/29(日) 13:02
企業人である前に一国民であれ。
意訳:日経だけ読んでいてはいけないよ、読売も読むのだよ。

国籍変えてから読むものだな。朝セン日ポウは。
14カオナシさん:2001/07/29(日) 13:03
さぁ、今日は選挙だ。
この記事の感動を、具体的に表さないといかんな。
15文責:名無しさん:2001/07/29(日) 13:12
>>12
ほとんどいないでしょう。
反対している人間のほとんどは、条件反射でしょうから。
16 :2001/07/29(日) 13:32
age
17
いい記事だね