朝日新聞の戦争責任

このエントリーをはてなブックマークに追加
福岡日日新聞 5・15事件後、ファシズムの台頭に警鐘
 福日が軍批判を展開したのは昭和7年の5・15事件直後の社説である。
5・15事件とは、軍の一部将校らが首相官邸などを襲い、犬養毅首相ら
政府要人を殺害、クーデターを企てたが、未遂に終わった事件である。
これ以後、軍部の勢力は増大し、日本がファシズムに突入していくきっ
かけとなった出来事である。
 この事件に際し、福日は執拗に軍部の責任を問い、台頭するファシズ
ムに警鐘を鳴らしている。ます、事件直後の5月17日朝刊社説では、軍
人によるテロは言語道断とした上で、「ファッショ運動が、日本を救うべし、
と信じ得べき何等の根拠もない」とファシズムを痛烈に批判している。
 だが、この論調に右翼や軍は黙ってはいなかった。福日に圧力をかけ
たのである。爆撃機が福日本社社屋上空を旋回して威嚇したり、福岡
連隊区司令部などからは脅迫状が相次いで舞い込んだのである。しか
し、こうした圧迫にも福日は筆を緩めることはなかった。例えば、5月19日
朝刊社説では、「言うべきを言わず、為すべきを為さざるは、断じて新聞
記者の名誉ではない」「事実を事実として指摘するのは吾々に課せられ
たる一大義務」と圧力に屈せぬ姿勢を表明。続いて、その翌日の社説で
は事件後の陸軍の対処の仕方を取り上げ、「今回の事件に対し、遺憾の
意を表し、上陛下に対し奉り、下国民に対して、全責任を取りて、寸毫の
遺漏なき処置を取ることが先決問題であらねばならぬ。それ以外に軍部
首脳者の取るべき処置はない筈である」と軍にテロの再発防止を迫って
いる。
 福日の抵抗はこれで終わらなかった。翌年の昭和8年5月16日朝刊社説
では、5・15事件1周年に際し、国民に明治以来の憲法にのっとった政治
とファシズムのどちらを選ぶのか、問うている。しかも、5・15事件は各社
が事件勃発を伝えた後、1年後の5月17日までは記事にすることが禁じ
られていたが、敢えて解禁前日に取り上げ、軍に抵抗したのである。
 福日は満州事変の際には、事変を支持する紙面を展開していたが、
これら軍批判の記事は、満州事変後その横暴ぶりが目立ってきた軍の
姿勢に歯止めをかけるために掲載したものであった。
 しかし、福日の抵抗もこれら記事を境に影をひそめる。例えば、昭和11
年に、5・15事件同様一部軍将校によるクーデター未遂事件、2・26事件
が起こった際には、権力側に対し社説の事前検閲に応じるなど屈服して
いる。