朝日新聞の戦争責任

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廃刊を賭けて訴えた新聞、東条を名指し批判した雑誌もあった
 満州事変以後、言論統制が急速に強まる中が急速に強まる中で、朝
日新聞などほとんどの報道機関が、軍部のいいなりになったり、自ら進
んで軍部のお先棒を担いだのは紛れもない事実である。
 しかし、そんな状況の中でも、権力に立ち向かった新聞、雑誌はある。
以下では、その代表的な例として、福岡日日新聞(現西日本新聞、以下
福日)、信濃毎日新聞、毎日新聞、雑誌「近きょり」に掲載された軍批判
の記事を紹介しよう。それら記事は軍・政府の統制がいかに厳しくても、
言論機関はその意志があれば、軍を統制することができたことを示す
証拠である。
 だが、こうした抵抗も当時の言論の中にあっては、”点”の動きでしか
なかった。抵抗を見せた新聞、雑誌が少なかった上に、抵抗したところ
でも、そのほとんどが軍の圧力により、一過性の主張に留まり、持続性
をもち得なかったからである。
 しかし、こうした抵抗の声が上がった時にこそ、朝日はそれと共闘する
べきではなかったか。当時から日本を代表する大新聞だった朝日新聞
が、言論界のリーダーシップを取り、世論を喚起していれば、歴史は変
わっていたかもしれない。