軍・政府による”記事指導”まであった。
こうした弾圧法規を背景に、戦時中、言論統制の中核的役割を果たしたのが内閣情報局
だった。同局は昭和15年に、前身の内閣情報部が拡大改組されて発足。新聞紙等掲載制限
令が認めた内閣総理大臣による記事差し止め権と新聞と発禁にできる権限を活用し、検閲
や事前に記事掲載禁止事項を通達することなどを通じて、言論統制に当たった。
内閣情報局は新聞社への紙の配給権も握っていたため、新聞社は情報局の意向に沿わな
ければ、発禁や発行停止はもとより、紙の配給制限を確保しなければならなかった。
こうして新聞社の弱点を握った内閣情報局は、記事の検閲だけでなく、軍・政府に都合
の良いことを新聞社に書かせる。”記事指導”も行った。当時の代表的な新聞、通信社で
ある朝日、東京日日(現毎日)、読売、都(現東京)、報知、中外(日経)、国民(現東京)、同
盟(現共同、時事通信)の8社の編集幹部は、定期的に情報局と会合を持つことを余儀なく
され、軍・政府の意向に沿った記事を書くことを強要された。中にはあらかじめ、プリント
した原稿を渡されるケースもあったという。
戦争の拡大とともに、”記事指導”は内閣情報局だけでなく、陸海軍、外務省などの官庁
までが実施するようになり、新聞各社は文字通り、軍、政府の宣伝機関と化した。