朝日新聞の戦争責任

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263戦時下の言論統制
がんじがらめの法律
 朝日新聞が、軍・政府に屈していく過程で、着々と進められたのが言論統制である。当
時の新聞はどんな法律や制度で制約を受けていたのかをまとめてみよう。
 様々な言論弾圧法規の原点となったのが、言論の自由についての当時の憲法規定である。
大日本帝国憲法第29条は「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由
を有ス」と規定していた。
 この条文は法律の範囲内においては言論の自由を保障する、という意味で、無制限に言
論の自由を認めていたわけではない。あくまで「法律の範囲内」における自由であった。
この「法律の範囲内」という規定はあいまいで、支配権力がたやすく言論弾圧法規を作れ
ることを意味した。その理由は現在の憲法と対比するとわかりやすい。
 戦後に制定された日本国憲法第21条は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現
の自由は、これを保障する」と規定している。そこには、「法律の範囲内」というような
制約条件はなく、無条件に言論の自由を保障している。従って、この条文の下では、言論
を制約する法律を作ろうとすると、原理的には憲法違反になることを意味し、現憲法は言
論を抑圧する法律に抑止力を持っている。これに対し、戦前の憲法は言論を制限する法律
に抑止力を持たない。というのも「法律の範囲内」とあるように言論を制限する法律の登
場を前提とした内容だからである。
 この憲法制定を背景に、戦前、戦中には各種の言論弾圧法規が続々と生まれていったの
である。