朝日新聞の戦争責任

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196敗戦後の毎日、読売新聞
 一方、他の大新聞、毎日、読売新聞の社内では敗戦後、どのような動きがあっ
たのであろうか。
 毎日新聞では戦争終結直後、有力幹部が次々と辞表を提出した。まず、敗戦が
明らかになった時点で、毎日新聞西部本社の高杉孝二郎編集局長は、「その日ま
で戦争を謳歌し、扇動した大新聞の責任、これは最大の形式で国民に謝罪しなけ
ればならない」としながら、「本社は解散し、毎日新聞は廃刊、それが不可なら
ば重役、ならびに最高幹部は即時退陣」という2案を社長に提出。敗戦とともに
高杉局長自身は辞職している。
 この後、8月20日には社長の奥村信太郎が辞表を提出したほか、29日には有力
幹部が続々と退陣を表明した。例えば、東京本社代表・編集総長高田元三郎、大
阪本社代表・大阪本社編集主幹下田将美、主筆上原虎重、東京本社編集主幹阿部
賢一はその地位を退き取締役に留まった。
 こうした相次ぐ幹部の退陣にも、社内では戦争責任を明確化する声が高まり、
約2カ月に及ぶ社内論議を経て、全従業員の名の下に上申書が重役陣に提出され
た。その内容は@戦争責任の明確化と新生再建の態勢を完璧ならしむための全重
役の善処、A局長、主筆、編集参与、局次長、副主筆、部参与、部課長、副部長
は一斉にその地位を去り、更に理事、参事、副参事の待遇を受くる職員はこれを
辞退することーなどだった。
 これは留任している全重役の態度決定を迫り、全役職を白紙にするもので、奥
村信太郎の後を継いだ高石真五郎社長はこれを了承。全重役は一新された。ただ、
辞職した重役は、社の顧問、相談役、参与、社友となった。