朝日新聞の戦争責任

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130文責:名無しさん
朝日の報道姿勢と戦争責任
「実録朝日新聞」(中央公論社、昭和33年発行)
 当時世界で一番物資の豊富だったアルゼンチンから帰って
来たばかりの私であるから、日本の貧相なのにほとほとあき
れたのは当然だが、私は日本に帰りついたばかりで、この戦
争は負けだと直感した。
 幸い同郷の親友の松村秀逸(陸軍少将、現参議院議員=引
用のまま)が大本営陸軍部報道部長をしていたので、彼とは
始終ざっくばらんに話し合う機会を持っていた。私は松村に、
「この戦争は負けだよ。問題はどんな格好の負け方をするかの負けっぷりだな」
とういと松村は、
「大きな声ではいわれぬが、俺も勝つのは困難だと思ってい
る。勝ちも負けもしない方法はないものかネ」
と、彼はいつも心配そうにいっていた。
「貴様、引分けを狙っているな。この大戦にそんな器用なこ
とができるか、早く降参すれば負け方が少くてすむんだよ」
と私はいうと、松村は、
「それはちょっとむずかしかろう。結局アメリカの艦隊が瀬
戸内海あたりまで入って来て、そこでケリがつくのじゃない
か、本土決戦などばありゃしないネ」
と。彼のういことは非常に常識的だった。もちろん彼のラジ
オ放送と彼の腹のなかはまったく裏腹だった。
131文責:名無しさん:2001/07/25(水) 19:05
 さすがは敏腕記者としてならした細川である。彼は日本の敗戦
を見通していたばかりでなく、軍上層部とも率直に絶望的な戦況
について意見交換していた。しかし、これまで見てきたように朝
日紙面には、敗戦を予測する記事どころか、戦況の悪化を冷静に
伝える記事もない。勝ち目のない戦いと知っていながら、朝日は
戦争遂行を国民に訴えていたのか。
 このエピソードからは国民に真実をかくしてはばからない当時
の朝日新聞の姿勢がかい間見えるようだ。国民が必要とする事実
を伝えないことが当時の社内で当たり前だったからこそ、細川は
自らの報道責任を自覚することなく、戦後著作にうっかり書いて
しまったのではないだろうか。
 この本は昭和40年に加筆・修正され、「朝日新聞外史」として秋
田書店から再び刊行されているが、このエピソードは削除されて
いる。戦後20年を経て、細川はこの逸話が意味する罪の重さによ
うやく気付いたのではないだろうか。