1 :
花山小吉:
まず、朝日が日本を徹底的に戦争へと扇動した事をアピールすると良いでしょう。あの頃生きていた人に聞いてごらんなさい? 必ず「朝日新聞が、もっとも凄まじかった。と言います。今と同じです。朝日は「軍部に脅されていた。逆らえなかった。」と言っていますが、とんでもない! 逆上して熱狂していました。終戦まぎわまで、「敵のなまぎもをこの口で、この爪で」と報道していました。軍も朝日に扇動されたといった方が適切と思う。
今から十年もしたら、朝日は「あの時は学習組から、明日にでも若狭湾の原発を攻撃すると脅されていたのだ。すべては日本のためだった。」くらいの事は、平気で言いますよ。その時のためにも、久米宏の迫真の演技を、よく覚えて置いてください。あれが脅されて出来るものかどうかを。
戦争におけるマスコミの役割と言うのは、日本でもドイツでも、非常に大きなものだった。にもかかわらず、これをタブーにしている。私は現在が60年前と非常に似ていると思う。もう数年で、日本は敗戦当時のような状況になるのではないかと、毎日苦しい。そうなったら、今度は全部朝日の責任です。
リヨン社が『朝日新聞の戦争責任』という本を出しました。朝日が著作権を盾に告訴をかけ、出版を妨害した。「私がやりました。」と手を上げたようなものです。マヌケですね。で、50年と言う著作権が切れたので、大田出版が同名の本を出版した。この両著を手に入れ、HPにして、誰でもが当時の朝日新聞を読めるようにしてあげたら良いでしょう。扇動の度合いをABCランク分けしたり、日替り配信などすれば解りやすく、読者の負担も軽減されるのではないかと思います。
しかし新聞に著作権があるなんて、知らなかった。新聞って、公的なものではなかったのか。(読めば分かるか。)朝日のおかげでまた一つ賢くなったね。
2 :
文責:名無しさん:2001/07/12(木) 00:07
3 :
文責::2001/07/12(木) 00:21
ナチとの同盟を煽ったことは許されん
戦争におけるマスコミの役割をおおきく超えてる
いままた韓国北朝鮮中国との絆とか煽ってる
4 :
文責:名無しさん:2001/07/12(木) 00:24
「軍部に脅されて」なんて理由にならんわな。
オウムに脅されて坂本弁護士のビデオ見せたTBSと一緒。
そんなヘタレが報道なんてやるな。
5 :
文責:名無しさん:2001/07/12(木) 00:27
朝日の歴史はミスリードの歴史だな。
6 :
文責:名無しさん:2001/07/12(木) 00:33
「朝日新聞の戦争責任」は、出版当時は朝日の協力で出されたものと
ばかり思ってた。著作権を理由に絶版させたと聞いたときは
「過去の歴史を直視する」というのは、どうなったんだよ?と思ったな。
あれが、自分の朝日不信の始まりだったのかも。
朝日が付いて勝った政体って、北ベトナム以外にどっかあるっけ。
8 :
文責:名無しさん:2001/07/12(木) 00:40
無責任新聞、朝日新聞
9 :
植木:2001/07/12(木) 00:44
朝日はこの世で一番
無責任と言われた新聞
戦前の頃から調子良く
真に受けた皆さん
ご苦労さん!
10 :
文責:名無しさん:2001/07/12(木) 00:49
今日、自分の働いてる漫画喫茶に朝日関係者と思われる客がきた。
うちの漫画喫茶は産経新聞とサンスポをとってるんだが
明らかに不愉快そうな顔をして
「産経とってんの?朝日3ヶ月とってくんない?
経営者と話できる?」と半分脅された。
朝日の実態を垣間見た。
11 :
文責:名無しさん:2001/07/12(木) 01:14
韓国へのODAとして、朝日新聞を無償で進呈します。
お持ち帰りください。
12 :
文責:名無しさん:2001/07/12(木) 01:24
朝日にもA級戦犯いるよね!
13 :
文責:名無しさん:2001/07/12(木) 01:31
「歴史から目を背けまい」という特集記事でも捏造記事を書いて
思いっきり歴史から目を背けていた朝日新聞。
いい根性してるな。
14 :
文責:名無しさん:2001/07/12(木) 01:36
朝日はS級戦犯
15 :
文責:名無しさん:2001/07/12(木) 01:38
朝日はG1級戦犯
16 :
文責:名無しさん:2001/07/12(木) 01:40
>>14、
>>15 S級とかG1級ってなに?スマソ、マジで解説きぼん。わからん...
17 :
文責:名無しさん:2001/07/12(木) 01:41
S級は競輪、G1は競馬かな。
18 :
文責:名無しさん:2001/07/12(木) 01:43
朝日は日本人の手で裁こう。
証拠は十分に揃っている。
責任転嫁、頬かむりはさせない。
19 :
:2001/07/12(木) 01:44
朝日は日本の恥部、存在自体が悪である他のマスコミも突っ込まない
突っ込みが甘い、民間への突っ込みの方がまだきつい
違うだろみるところが、バカタレ
20 :
文責:名無しさん:2001/07/12(木) 03:31
元軍人や遺族が集団訴訟を起こせば、朝日に対する戦争責任の追及は以外と簡単なんじゃないかな。
訴えの当事者である被害者が生存してる。
戦争を煽ってたのは事実だし、指摘されてる通り資料も豊富にある。
軍部に脅されたからというのはもちろんウソだ。
確かに共産党員は弾圧されたが自由や民主主義を弾圧したわけではないからな。
朝日新聞は戦争報道で大変儲かったんだから、その分ぐらいは遺族や傷痍軍人に償っても罰は当たらんだろう。
靖国のA級戦犯合祀問題よりも朝日はこっちの方をなんとかすべき。
曲がりなりにも彼らは自らの生命で償ったからな。
問題は当事者たちにその気があるかどうかだと思う。
戦争で儲けてた慰安婦さえもカメラの前で泣き叫んでみたら補償金がもらえたんだから
遺族会あたりが少しやる気を出してくれたら社会問題化しそうだ。
あと朝日の北朝鮮帰国運動を信じてしまったお調子者にもそれなりの手当をしてやる責任があるんじゃないか。
21 :
文責:名無しさん:2001/07/12(木) 03:33
朝日不買運動
ってのをやっては
22 :
文責:名無しさん:2001/07/12(木) 04:06
23 :
浄化委員会:2001/07/12(木) 06:36
age
24 :
やめて:2001/07/12(木) 06:48
学問的にいづれはわかるんだから
25 :
名無しさん。:2001/07/12(木) 07:43
もうわかってんじゃない??
26 :
文責:名無しさん:2001/07/12(木) 10:03
age
27 :
ななし:2001/07/12(木) 10:24
どなたか、ドイツにおける
ナチスに協力したマスコミの
戦争責任のとりかたについて
しっていたらおせえて!
28 :
ななし:2001/07/12(木) 10:29
ふたたび世の中が軍国主義化したとき
新聞が権力に圧力をかけられて
抵抗しきれなくなった時
とるべき正しい方法は
一番良いのは、白紙の新聞をだすこと、
どうしようもなくなれば、
廃刊してしまうこと。
協力してあとから弁解するのが最悪。
>北朝鮮帰国運動を信じてしまったお調子者にもそれなりの手当をしてやる責任があるんじゃないか。
北朝鮮に送金する口実を作るだけなので不許可。
30 :
文責:名無しさん:2001/07/13(金) 20:31
age
31 :
文責:名無しさん:2001/07/18(水) 01:25
>>27 たしか、ナチスが政権取るようになって解散したんじゃなかったけ?
誰か詳しい人教えて。
32 :
文責:名無しさん:2001/07/18(水) 01:38
だいたい、朝日新聞社は社旗(軍艦旗)や題字すら変更しようともしない。
あれだけのことをやっておきながら、まったく信じられない。
なぜだ? 俺、マジわからないんだ。
これについても、どなたか詳しい方、教えてください。
文春文庫の「朝日新聞血風録」とか、現代書林の「新聞が日本を駄目にした」とか、
井沢元彦(だっけ?)の「朝日新聞の正義」あたりが参考になるのでわ?
34 :
おい、浅匪:2001/07/18(水) 02:06
国に賠償だの支援だの援助だのとたきつけて、漏れらの税金を
出させて手柄を独り占めする位なら、まじてめーんトコの利益
全部送金しろよ。まず塊より始めよって言うじゃないか。
各社の今年度決算(単純計算で)
売上 利益
朝日新聞 4000億円 900億円
毎日新聞 1600億円 140億円
産経新聞 1300億円 140億円
こんなに利益出してるのも異常だと思うが。
35 :
グース:2001/07/18(水) 02:08
朝日ぼろもうけあげ。
36 :
文責:名無しさん:2001/07/18(水) 02:08
朝日新聞の経常利益は実は全て北京に上納されてます(マジレス
37 :
読売、共同もだけど・・・:2001/07/18(水) 02:16
「天皇の記者」という本(出版社忘れた)には
戦時中、大新聞が占領地(インドネシアとか)で現地語の新聞を出版し、
日本の軍国主義を浸透させようとしたということがかかれています。
そのことは朝日新聞社史にもほとんどかかれていないそうです。
朝日新聞さん、自分たちの社史での戦争協力の記述をもっとふやす
べきではないでしょうか。
38 :
文責:名無しさん:2001/07/18(水) 02:17
巨船、朝日新聞の戦争責任追及しろよ。
39 :
ななし:2001/07/18(水) 02:23
ここにいる人たちはみんな「太平洋戦争は間違っていた」という認識なのかな?
>ALL
40 :
ななし:2001/07/18(水) 02:38
どうなんだ?>ALL
41 :
文責:名無しさん:2001/07/18(水) 02:44
>>40 正しかった、とか間違ってた、とかいう話じゃなくて、朝日は現在
自分たちのやっていたことを、「国家の圧力によって」という風に
責任転嫁をしています。
でも、実はこうだった、ということ、朝日は嘘をついている、という
ことを暴いて晒しあげることが、このスレの目的なんだろうと思います。
42 :
ななし:2001/07/18(水) 02:49
朝日が国民を煽ったことは正しかったんじゃないの?
今、それを「自虐的に」隠蔽しようとしてるだけのことであって。
太平洋戦争を肯定するんなら、「朝日よ!当時のあなたがたは間違
っていなかった!なぜかくも自虐的に当時を隠蔽するのか!」とい
う応援メッセージにならなきゃおかしいだろが。
43 :
論点ずらし:2001/07/18(水) 04:30
煽ったことが正しいとか正しくないとか言ってるんじゃないの。
朝日新聞は、日本の教科書に
「太平洋戦争で日本はアジアの皆さんに迷惑をかけた」
と謝罪と反省の意味で書けと言ってるのだろう?
その様な意見を朝日新聞が言うのだったら、自社の会社案内に
「朝日新聞は太平洋戦争で日本人を煽ってアジアの皆さんに迷惑をかけました」
とか謝罪文でも常に載せて公に知らしむるべきだと言っているの。
要は、朝日新聞は言ってることとやってることが違うということ。
44 :
ななし:2001/07/18(水) 04:37
今の朝日はおかしいが、当時の朝日は正しかった!
ということでいいんじゃないのか?
朝日は戦前の誇らしい時代を思い出せ!
45 :
文責:名無しさん:2001/07/18(水) 12:56
いや、朝日が今でも「日本は正しかった戦争は正しかった」というなら
そうかも知れない。
しかし、「軍に脅かされたから」なんて言ってるんだったら正しい訳無い。
「朝日新聞は自分の命が惜しいので嘘を吐いて日本人を沢山死なせました」
ってことだろ?
マスコミとしては最低最悪の行為じゃないの?
TBSがオウムにビデオ見せたのと同じ。
46 :
ななし:2001/07/19(木) 00:58
だから、今が間違ってるだけなんだって。
誤るなんてとんでもない!
連中は謝罪する必要なし。日本政府も謝る必要なし。
今の朝日がおかしいだけ。戦前の朝日新聞に戻ってください。
>しかし、「軍に脅かされたから」なんて言ってるんだったら正しい訳無い。
脅す前からチョーチン記事をいっぱいいっぱい書いてました。そのほうが売れたから。
つかもうぜ 朝日新聞
世界で一等電波な新聞
追いかけろ 朝日新聞
世界で一等愉快な新聞
日本は中韓の属国さ
そうさ 今こそ土下座ツアー
朝鮮賛美の記事がぎっしり
文革礼賛の虚偽がどっさり
社説のどこかで煽ってる
反日集会に行こうぜBOY
沖縄珊瑚をぶっ壊し
赤のシンパで今日も書くのさ
Let's try try try 摩訶不思議
俺は正しくてお前右翼
Let's fly fly fly 大革命
軍靴の音が聞こえるぜ
潰そうぜ 靖国参拝
世界で一等右翼の神社
告げようぜ 右翼の教科書
世界で一等イカレタ歴史
声欄は電波の楽園さ
そうさ 今こそ自作自演
朝日はいつでもおかしい
50 :
文責:名無しさん:2001/07/19(木) 02:04
51 :
草の根でやることは:2001/07/19(木) 02:19
畳の下 フスマの裏 行李の着物の間 長持の底 そういふところで
くずれさる運命と 闘ひながら 見つけてくれよと しずかに
待ってゐる さふいふ 当時の新聞のかけらを 丹念に集めて
「これがテメーらが隠したい、昔の本当の姿だよ ゴルァ!」と
権力にへつらってゐる 卑しい印刷屋に つきつけることだ
出てくる出てくる 「不逞鮮民」の差別用語 進め一億火の玉の煽り
北韓をこの世の楽土と欺く見出し
52 :
星に願いを:2001/07/19(木) 06:23
人類の敵朝日新聞がこの世から無くなりますように
53 :
:2001/07/19(木) 06:43
朝日はそれでも歴代社長は勲一等
54 :
:2001/07/19(木) 09:48
55 :
文責:名無しさん:2001/07/19(木) 10:01
>>48 あんたはスゴイ
新聞社にとって、購読数の減少ほど怖いものはないと思うのだが。
朝日新聞が嫌いな人って、新聞とってるのかな。見なきゃ批判も出来ないけど。
56 :
文責:名無しさん:2001/07/21(土) 01:55
57 :
文責:名無しさん:2001/07/21(土) 02:00
58 :
文責:名無しさん:2001/07/21(土) 02:34
赤心燃やして ガソリン節約
59 :
朝日体操の歌:2001/07/21(土) 02:48
アカらしい朝が来た 朝日の朝だ
読むほどに胸がいたみ 虚空をつかむ
読者の声に おだやかな嘘を
このサヨの風に 気づけよ
それ 中 韓 朝
(原文)
新しい朝が来た 希望の朝だ
喜びに胸を開け 大空あおげ
ラジオの声に 健(すこ)やかな胸を
この香る風に 開けよ
それ 一 二 三
60 :
文責:名無しさん:2001/07/21(土) 02:55
不定期age
61 :
文責:名無しさん:2001/07/21(土) 06:46
なぜ朝日は自らの過去を隠蔽し、責任転嫁しようとするのだろうか。
62 :
文責:名無しさん:2001/07/21(土) 06:51
ゾルゲ事件マンセー!
63 :
文責:名無しさん:2001/07/21(土) 06:57
ゾルゲ事件の「共産主義バンザイ」映画が進行中です
監督は篠田正浩です
64 :
文責:名無しさん:2001/07/21(土) 07:04
篠田はマジ逝ってるね。
65 :
文責:名無しさん:2001/07/21(土) 07:34
朝日の記事は 天下のペン 読売産経(よみうりさんけい)物ならず
従軍慰安婦(じゅうぐんいあんふ)
南京大虐殺(なんきんだいぎゃくさつ)
前に聳(そび)え後(しりえ)に支(さそ)う
論は山をめぐり
文は谷をとざす
今猶(なお)光る 声(こえ)の投稿(とうこう)
天声人語(てんせいじんご)は言説(げんせつ)滑(なめら)か
社説(しゃせつ)に当るや万夫(ばんぷ)も論破なし
天下に旅する剛毅(ごうき)の記者達(きしゃたち)
マルクス腰に足駄掛け 八里の岩ね踏み鳴らす
斯(か)くこそありしか往時(おうじ)の武士(もののふ)
66 :
文責:名無しさん:2001/07/21(土) 09:52
戦争を煽るだけ煽って戦後はあっさり手のひらを返した朝日新聞。
戦争責任はとったの?
67 :
文責:名無しさん:2001/07/21(土) 10:36
政府は戦線の不拡大方針を取っていたが、当時は人種差別を背景に侵略を広げる欧米と
戦うという善悪の色付けがあったため、大衆の不満に乗る形で新聞が情緒的に煽った。
陸軍の横暴を批判し、日本が孤立化しないよう臥薪嘗胆を期すよう紙面で主張する
べきだったが、時代の空気に流された。
論理や冷静な分析よりも感情に流され、情緒的に煽る体質は今も変わっていない。慰安婦の強制連行や
南京大虐殺など信憑性が疑わしいものについて、日本の立場を代弁、または検証したり、過激な外国の
主張を批判したりすることはない。中韓擁護の論調や教科書問題、靖国参拝もしかり。
68 :
☆文句があるなら朝日新聞社まで来い!☆:2001/07/21(土) 10:37
組織的に朝日たたきをやってる奴は、朝鮮人倒逸の手先です。
騙されないでね。
69 :
文責:名無しさん:2001/07/21(土) 10:37
戦争を煽った罪の意識がトラウマとなって、180度逆になっているのかも。
そうすれば「あれは軍部の締め付けだった」と言えるし。
70 :
文責:名無しさん:2001/07/21(土) 10:38
サンゴもあるでよ。
71 :
>68:2001/07/21(土) 10:38
あんたの書き込み&コピペ、誰もまともに相手にしてないよ。
72 :
文責:名無しさん:2001/07/21(土) 11:38
夏休み中のリアル厨房・工房諸君も
朝日の犯罪はきっちりと知っておいてくれage
73 :
文責:名無しさん:2001/07/21(土) 11:41
>>68こそ「灯台・射撃同好会」の唐乙です。
騙されてはいけません。
74 :
文責:名無しさん:2001/07/21(土) 12:05
というか統一も創価も朝日も連係して日本叩きしてるよな(藁)
ちなみに政教分離を一番口煩く言ってるのが公明。
お前らが先に解体しろ!
75 :
73:2001/07/21(土) 12:08
当時発売された新聞ってまだ著作権は続いてるの?
よく2chで震災の時の新聞は酷いときくけど
正直いって紙面をアップしてくれないと
どんなものか検討がつかないよ〜
77 :
文責:名無しさん:2001/07/21(土) 12:33
78 :
文責:名無しさん:2001/07/21(土) 13:10
age
79 :
文責:名無しさん:2001/07/21(土) 13:26
80 :
文責:名無しさん:2001/07/21(土) 14:11
朝日ゴラァ!
81 :
文責:名無しさん:2001/07/21(土) 16:14
34>>
お金儲けはお上手。
∧ ∧∧∧
(,,#゚ロ゚) _ ,,)
/ つ |
〃(@ ノ /U
U UU
83 :
文責:名無しさん:2001/07/23(月) 09:30
平和平和と偉そうにほざく朝日新聞ですが
実態はこんなものなんですよ。
84 :
文責:名無しさん:2001/07/23(月) 11:52
朝日の戦争責任追及age
85 :
文責:名無しさん:2001/07/23(月) 12:57
ちなみに朝日がナチス礼賛を始めたのはナチスが政権を採る前です。
86 :
文責:名無しさん:2001/07/23(月) 15:13
>59 ワロタ
87 :
文責:名無しさん:2001/07/23(月) 15:31
>>48 サイコーよ。思わず歌ってもうた。
ところで、結局当時の朝日新聞の記事を見る方法って
国会図書館くらいしかないのん?
88 :
文責:名無しさん:2001/07/23(月) 15:49
朝日新聞が好戦的なのは大昔から。日露戦争で確か帝大七博士事件というのがあって,日露開戦に踏み切らない弱腰政府を,朝日新聞が帝大の世間知らずの学者
をたきつけて批判させ,「帝大七博士も政府を批判」とかいう記事をのっけて,開戦を徹底的にあおった事件があった。
朝日は,その手口も今とおんなじだ。
89 :
文責:名無しさん:2001/07/23(月) 15:54
『朝日新聞の戦争責任』って今でも買えるかな?
90 :
文責:名無しさん:2001/07/23(月) 16:01
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
7/23朝日新聞より
「事実知るのが歴史学ぶ意義」中学生(熊本市 14歳)
ニュースや新聞で盛んに取り上げられている歴史教科書問題について、
歴史を勉強する立場からの意見も聞いてもらいたいと思って書きました。
まず、自国のことを悪く言うと子供達が自分の国に誇りを持てなくなる
という意見がありますが、そんなことはありません。過ちを認めるのは
恥ずかしいことではないのです。私は過ちを認めることのできない国の方が、
よっぽど誇りが持てません。
大切なのは、過去のことをよく知り、踏まえた上で、これからの外国
との関係を生かしていくことだと思います。
だから、事実を教えてほしいのです。二度と同じ過ちを繰り返さないよう、
事実をも何でいくところに歴史を勉強する意義があると思います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
14歳の女の子、こてこての左翼の思想をすでに持っていてかわいそう。
・確かに朝日新聞のように自社の過ちを認めることのできない新聞社は恥ずかしい。
・事実を教えようとして拒んでいるのは左翼と、それを信じるこの中学生たち。
・教科書問題をみても、事実を内政干渉や情報操作によって拒んでいる日本人達は
2度目の同じ過ちをすでに繰り返している。
朝日新聞さん、罪な奴よのぉ
91 :
内部告発:2001/07/23(月) 16:03
この中学生は実在しません
92 :
文責:名無しさん:2001/07/23(月) 16:20
93 :
文責:名無しさん:2001/07/23(月) 16:24
94 :
名無し:2001/07/23(月) 16:25
私の祖母も死ぬまで朝日新聞を許さなかった
新聞屋のおにいちゃんに罵声を浴びせていた
朝日のせいで戦争に流れていったと....
95 :
文責:名無しさん:2001/07/23(月) 16:27
>>90 > まず、自国のことを悪く言うと子供達が自分の国に誇りを持てなくなる
>という意見がありますが、そんなことはありません。過ちを認めるのは
>恥ずかしいことではないのです。
この断定口調がすげーヤラセくさい!
一般的に中学生高校生が大人に向けて書く文章だと
「私はそんなことはないと思います」
「恥ずかしいことではないと思います」
と無意識のうちに一歩引いた表現使う場合が多いが
この投稿捏造した人はそこまで気がまわらなかったらしい
96 :
文責:名無しさん:2001/07/23(月) 17:25
誰か「朝日の戦争責任」って本持ってたら
アップしてくれないかなあ?
97 :
ほい:2001/07/23(月) 18:30
朝日新聞の戦争責任 東スポもびっくり!の戦争記事を徹底検証
現役記者 安田将三、石橋孝太郎 太田出版
98 :
ほい:2001/07/23(月) 18:42
目次
はじめに
読み始める前に
記事中頻出用語解説
第一章 戦況を読む
真珠湾攻撃
・毎日に抜かれた開戦第一報
・米国は「第三流の海軍国に」と論評
・大手新聞・通信社が「米英撃滅国民大会」
・「世界地図は変わる」と陶酔しきった解説
・天皇は勅語、大詔、御嘉尚を連発
破竹の快進撃
・香港・マニラ・グアム次々占領「(英国の)東亜侵略の夢空し」と報道
・シンガポール陥落で熱狂ピーク「この万歳全世界も聞け」
・新戦術「落下傘作戦」降下場所は牛の背中と報道
米・カナダへの攻撃
・朝日一面を飾る米国本土への爆撃被害はぽっかり空いた小穴、ニューヨークタイムズ報道
米軍の反撃
・日本本土初空襲でっち上げの米機撃墜を報道
・ミッドウェー海戦完敗を「肉を切らせて骨をたつ」と勝利の解説
・「撤退」を「転進」と報道敗北を伝えなかったガダルカナル攻防戦
戦局に暗雲
・その日は雨だが、その記述はない出陣学徒壮行会
・アッツ島守備隊全滅戦死を「玉砕」と美化
破滅への道
・無謀なインパール作戦全滅迫る日本軍の優位伝える
・サイパン陥落で敗戦決定的しかし、戦争遂行の是非問わず
・レイテ沖海戦、台湾沖航空戦国民を狂喜させた最悪のデマ報道
・神風特攻隊の登場に「大いに神がかりになるべき」
・責任は国民にあり東京大空襲報道
・沖縄・硫黄島陥落島民らを見捨てた解説
・原爆投下にも敗戦前日まで戦争継続を主張
・天皇陛下に「おゆるし」を請い、敗戦の原因、責任追及するな、と訴える
99 :
ほい:2001/07/23(月) 18:51
第二章 人物・世相を読む
・社告 朝日の社長以下、従業員一同が軍に献金
・敵性文化排撃 早大教授の提唱で「抹殺せよ”アメリカ臭”」
・戦時標語 「撃ちてし止まむ」をキャンペーン 日本を戦争一色に
・広告 戦争に乗じて松下グループは自社製品を宣伝
・敵国スパイ撃滅 女性は外国人に弱いを注意促す
・東条英樹 報道姿勢は「我らの東条さん」
・真珠湾九勇士 「軍神」と持ち上げ、部数拡張につなげる
・山本五十六 戦死の際には、敵国への憎悪をあおる
・ファッション 衣服でも日米の差は歴然
・結婚 「独身者退治」に集団見合い
・朝鮮・台湾に徴兵制 朝鮮の民意に応え徴兵開始と報道
・細川隆元記者 国民を欺いた署名入り記事
・スポーツ 陸上競技に爆弾投げが登場
・東京 深刻化するし尿処理問題「小」は庭で「大」は会社で
・受験・教育 戦争末期でも裏口入学が存在
・配給 乳児には米を混ぜた「白い水」投書欄に母親の嘆きも
・皇室報道 御誕生日には写真入りで登場の明仁皇太子
・B29 朝日が選定したあだ名は「ビイ公」
・食生活 庶民の食料はイモリ、朝日記者は高級料亭
・空襲 「らっきょう食べれば安全」広がるデマ
・疎開 地方でひんしゅく買う都会人
・女子挺身隊 食事をめぐって女子工員と対立
・一億特攻 紙面で殺人を指導
100 :
ほい:2001/07/23(月) 18:54
第三章 言論統制下の朝日とマスコミ
・朝日の報道姿勢と戦争責任
・朝日戦時報道のルーツ
・戦時下の言論統制
・軍・政府に抵抗した新聞・雑誌↓
福岡日日新聞
信濃毎日新聞
毎日新聞
あとがきにかえて
参考文献
101 :
文責:名無しさん:2001/07/23(月) 18:55
時代がいまなら産経がほとんどやりそう
102 :
文責:名無しさん:2001/07/23(月) 18:58
産経を読みもしないでいいがかりつけるのはやめろよな。
朝日ほど極端なデタラメをする新聞じゃないよ・・・というか、
朝日ほど極端にデタラメな新聞は他にはない・・・。
103 :
:2001/07/23(月) 18:59
104 :
おお:2001/07/23(月) 19:05
うわっ、す、すごい!!
読みて〜〜〜!!!!
105 :
おお:2001/07/23(月) 19:06
読みたいのに朝日の圧力で読めないとは・・・
なんということだ!!
106 :
文責:名無しさん:2001/07/23(月) 19:07
//////
ところで朝日新聞都庁担当の○村君。
慰安婦の抗議同伴記は記事にしないのかね。
もしかして、取材じゃなくて、運動体の一員として抗議に行っただけなのではないのか。
107 :
文責:名無しさん:2001/07/23(月) 19:12
>>105 今は著作権期間が終了したから読めるんじゃないのか
誰の目から見ても、戦局の悪化が明らかになり始めた昭和19年
後半以降、「体当たり精神」や「特攻隊精神」が盛んに叫ばれる
ようになった。物資は底をつきはじめ、もはや頼れるものは、精
神力しかなくなったからである。
朝日紙面もこうした世相を反映、精神主義を前面に打ち出した
論調を展開している。例えば、北九州空襲直後の昭和19年9月の
紙面ではB29に飛行機で体当たりした操縦士の話を引き合いに
「体当たり精神」を賛美している。
この中で、朝日は、日本兵の突撃精神を弾丸が雨と降る中、倒
れてもなお突撃する超人的な精神力を定義し、この突撃
精神をさらに一歩進めたのが、「体当たり精神」であると論じて
いる。さらに、「物量よりも、武器の性能よりも、生命をもって
ぶつかって行く肉弾精神こそ、敵のもっとも怖るる「不可思議な
力」である」と主張している。
翌20年になると紙面には「一億特攻」という言葉が頻繁に登場。
兵士だけでなく、国民全員にも特攻精神を要求する記事が目立っ
て来る。
その典型的な記事が昭和20年6月14日の紙面にある。「一億特
攻隊」の言葉が叫ばれて既に久しい、との書き出しで始まるこの
記事は、「国民の中にはまだ特攻隊精神に徹しきっていないもの
があるのではにか」と訴える記事全体を通して精神主義丸
出しの主張になっている。この記事では「一億特攻隊!」と文字
通り記者が絶叫したりもしている。
こうしたかけ声の中で、朝日は全国民を戦闘員と位置付け、手
榴弾(手で投げる爆弾)の投げ方や、刀、竹槍からナタ、出刃
包丁などまで、刃物を使った殺傷の仕方を紙面で説明している。
その内容は、刀や槍を用いる場合は、背の高い敵兵の腹部にぐさ
りと突き刺した方が効果がある、などと具体的だ。
新聞が殺人の仕方を教えるーーーー。戦争末期の日本は身の毛もよ
だつ殺伐とした状況に陥っていたのである。
109 :
:2001/07/23(月) 19:19
漏れは紀伊国屋で注文したら、あっさり買えたよ
110 :
:2001/07/23(月) 19:19
ちなみに税込みで\1,835-
111 :
文責:名無しさん:2001/07/23(月) 19:22
そんな朝日の記者を靖国で見かけたら、、、、
皆さん、わかっていますね
112 :
:2001/07/23(月) 20:45
「B29め」何するものぞ 馬乗りで叩落とす
敵来らば「一億特攻」で追落そう 陣頭を馳せる我らの東条さん
国家のために嫁せ 朝鮮・徴兵制に感激の波高し
今はただ伏して(天皇に)不忠を詫び奉り(東京空襲に際して)
若干の損害を蒙った模様(広島原爆投下)
恐怖を越えて、また死してなお敵に屈服せざる意志(広島原爆投下)
責は何人が負うべきか、などというなかれ(敗戦)
天皇陛下お許しを(敗戦)
113 :
文責:名無しさん:2001/07/23(月) 22:05
ここまでひどいとかえって基地外新聞の凄みを感じる。(ワラタ)
114 :
:2001/07/24(火) 07:36
安芸
115 :
「朝鮮に徴兵制実施」:2001/07/24(火) 14:36
朝鮮半島から朝日新聞に感謝状が届いたそうな
↓
ただただ感謝します
何十万人の半島青年の全てが受けたであろうこの感激は
一体いかなる言葉で言い表したらよいか分かりません
「兵役は?」と問われ「ない」と答える苦しさ。内地の人の中には
「時期が早い」と思う人があるかもしれませんが、自分に問い
共に問いしても決して遅くこそあれ早くはありません
自分が運良く戦死したら靖国神社に行ける
この気持ちこそ半島青年の気持ちです
かならずや自分もお呼び出し願えるものと固く信じその日を
待ちわびてあます(「あます」は原文のまま)
116 :
広島に原爆投下記事:2001/07/24(火) 14:55
昭和20年8月7日朝刊
広島を焼爆
6日7時50分頃、B29 2機は広島市に侵入
焼夷弾爆弾をもって同市付近を攻撃、このため
同市付近に若干の被害をこうむった模様である<大阪>
117 :
広島に原爆投下記事:2001/07/24(火) 14:59
昭和20年8月8日朝刊
大本営発表 昭和20年8月7日15時30分
1.昨8月6日広島市は敵B29少数機の攻撃により相当の被害を生じたり
2.敵は右攻撃に新型爆弾を使用せるものの如きも詳細目下調査中なり.
118 :
文責:名無しさん:2001/07/24(火) 15:50
「朝日の戦争責任」って鹿児島県立図書館においてあったよ。
市立図書館には無かったけど。
119 :
朝日逝ってよし!:2001/07/24(火) 20:21
>>90をちょっと加工。ちょっと変えたら朝日にぴったり。
「事実知るのが歴史学ぶ意義」中学生(熊本市 14歳)
インターネットで盛んに取り上げられている朝日新聞問題について、
歴史を勉強する立場からの意見も聞いてもらいたいと思って書きました。
まず、自社のことを悪く言うと記者達が自分の会社に誇りを持てなくなる
という意見がありますが、そんなことはありません。過ちを認めるのは
恥ずかしいことではないのです。私は過ちを認めることのできない朝日新聞の方が、
よっぽど信用ができません。
大切なのは、過去のことをよく知り、踏まえた上で、これからの国民
との関係を生かしていくことだと思います。
だから、事実を知ってほしいのです。二度と同じ過ちを繰り返さないよう、
事実を認識していくところに歴史を勉強する意義があると思います。
120 :
文責:名無しさん:2001/07/24(火) 22:33
図書館に置いてあるかな? >朝日新聞の戦争責任
121 :
図書館:2001/07/24(火) 22:38
置いても、すぐ盗まれるので止めました
>>120 組織的に回収しているようです
122 :
千代田区民:2001/07/24(火) 22:58
国立図書館に行ってください
123 :
文責:名無しさん:2001/07/25(水) 01:37
きちんと過去を清算しないから、いつまでたっても言われるんだよ >ブサヒ
124 :
:2001/07/25(水) 09:27
age
125 :
あのね:2001/07/25(水) 09:33
朝日は過去よりいまのほうが陰湿で酷くなってるよ
126 :
文責:名無しさん:2001/07/25(水) 09:47
たしかに..まともな記事のなかに電波記事が少し
混じっていても普通のおじさん、おばさんは
疑ることなく鵜呑みにするだろうな。
でも当時の人もあれをまともな物として認識して
いたんじゃないかな?
「週間朝日・アサヒグラフ 臨時増刊 支那事変画報」
名前からしてなんか権威がありそうだ〜
127 :
文責:名無しさん:2001/07/25(水) 12:42
128 :
非国民:2001/07/25(水) 12:50
他の新聞も同じ。
産経なんか今でも同じ。おっと,そのころは亡かったか。
大本営が悪い。
129 :
文責:名無しさん:2001/07/25(水) 18:25
まず、過去に朝日が何をしてきたかを知ろう。
過去を正確に知ろう。
朝日の報道姿勢と戦争責任
「実録朝日新聞」(中央公論社、昭和33年発行)
当時世界で一番物資の豊富だったアルゼンチンから帰って
来たばかりの私であるから、日本の貧相なのにほとほとあき
れたのは当然だが、私は日本に帰りついたばかりで、この戦
争は負けだと直感した。
幸い同郷の親友の松村秀逸(陸軍少将、現参議院議員=引
用のまま)が大本営陸軍部報道部長をしていたので、彼とは
始終ざっくばらんに話し合う機会を持っていた。私は松村に、
「この戦争は負けだよ。問題はどんな格好の負け方をするかの負けっぷりだな」
とういと松村は、
「大きな声ではいわれぬが、俺も勝つのは困難だと思ってい
る。勝ちも負けもしない方法はないものかネ」
と、彼はいつも心配そうにいっていた。
「貴様、引分けを狙っているな。この大戦にそんな器用なこ
とができるか、早く降参すれば負け方が少くてすむんだよ」
と私はいうと、松村は、
「それはちょっとむずかしかろう。結局アメリカの艦隊が瀬
戸内海あたりまで入って来て、そこでケリがつくのじゃない
か、本土決戦などばありゃしないネ」
と。彼のういことは非常に常識的だった。もちろん彼のラジ
オ放送と彼の腹のなかはまったく裏腹だった。
さすがは敏腕記者としてならした細川である。彼は日本の敗戦
を見通していたばかりでなく、軍上層部とも率直に絶望的な戦況
について意見交換していた。しかし、これまで見てきたように朝
日紙面には、敗戦を予測する記事どころか、戦況の悪化を冷静に
伝える記事もない。勝ち目のない戦いと知っていながら、朝日は
戦争遂行を国民に訴えていたのか。
このエピソードからは国民に真実をかくしてはばからない当時
の朝日新聞の姿勢がかい間見えるようだ。国民が必要とする事実
を伝えないことが当時の社内で当たり前だったからこそ、細川は
自らの報道責任を自覚することなく、戦後著作にうっかり書いて
しまったのではないだろうか。
この本は昭和40年に加筆・修正され、「朝日新聞外史」として秋
田書店から再び刊行されているが、このエピソードは削除されて
いる。戦後20年を経て、細川はこの逸話が意味する罪の重さによ
うやく気付いたのではないだろうか。
132 :
文責:名無しさん:2001/07/25(水) 19:39
断罪せよ!
朝日を法廷に引きずり出せ!
韓国おばあも泣いている!
賠償せよ!!
133 :
オッス!オラ悟空:2001/07/25(水) 19:46
2chのみんな!このスレだけは「レスを全部読む」を
クリックして全部読んでくれ。
普段正義面している朝日新聞が過去にこんなことを
やってたなんてオラ心底ビックリだ!
134 :
文責:名無しさん:2001/07/25(水) 22:28
三国同盟に反対、日米開戦を回避しようとした米内総理を腰抜けと批判し、
半年で辞任に追い込んだ朝日新聞万歳!
なんかとってもうれしい。
朝日が戦時中に何をやっていたか、
『知らなかった』『おどされた』それだけではすまない事を
やってた。
マスコミ関係者として『自戒』と言う言葉はないのか?
ってずっとずっと思ってた。
そして、今は、昔よりずっとずっと、『いーかげん報道』に
偏向してる。そして、それを見て人々は『社会派朝日系マスコミ』
って、、、おいおーい
花山さん本当にありがとう。
136 :
文責:名無しさん:2001/07/25(水) 22:51
真に韓国へ謝罪と賠償をすべきなのは朝日新聞じゃないか。
おっと、それと日本国民全体にも謝罪と賠償してくれよ。
137 :
文責:名無しさん:2001/07/25(水) 23:01
ヒトラーがパリを陥落し、イタリアが英仏に宣戦布告すると、
朝日新聞は、日独伊三国同盟締結のキャンペーンを開始。
三国同盟を締結すると、日本はアメリカを敵に回すことになり
日米開戦はさけられない。
138 :
文責:名無しさん:2001/07/25(水) 23:14
たしかに、「作る会」の教科書は事実をねじ曲げている。
朝日新聞が、三国同盟締結のキャンペーンをやったことを
きちんと記述しなければならない。
139 :
文責:名無しさん:2001/07/25(水) 23:19
>厨房へ
不走者教科書「1946年2月にはゼネストが計画されたが、
GHQによって禁止された。」
だって。
2・1ストは1947年だろ?
そんなことも知らんのか?
140 :
:2001/07/25(水) 23:32
計画からストまで丸1年かかりました
141 :
文責:名無しさん:2001/07/25(水) 23:33
ウヨへ
まともに反論してくれよ!
つまんねーよ!
142 :
:2001/07/25(水) 23:37
朝日新聞って今も昔もクソだね。
よくTVに出られるな清水。
143 :
文責:名無しさん:2001/07/25(水) 23:46
ウヨ敗北!
144 :
文責:名無しさん:2001/07/25(水) 23:48
朝日新聞がウヨだろ。
145 :
文責:名無しさん:2001/07/25(水) 23:48
>>143 今回はそれっぽいな。
だが、ながーい競り合いの幕がやっと上がったって気もする。
146 :
名無しさん:2001/07/25(水) 23:50
なんで オールスターで フジは 金村のインタビュの 映像を カットするの
147 :
文責:名無しさん:2001/07/25(水) 23:52
シロ色テロ
148 :
ともチャン:2001/07/25(水) 23:55
まあ、負けというのならそうでしょうね。
つくる会の教科書は負けといっていいですね。
ただ、これが最初の一歩であるともいえるわけです。
つくる会の教科書は間抜けなものであるかもしれませんが、
次の機会により高度な戦略を取り、よりよいものを作ればいいわけです。
つくる会以外の反日傾向のない教科書が出てきてもいいわけです。。
ちなみに私は西尾とか藤岡とかあんまり好きじゃない。
あの朝生見てたらちょっとね。上杉だの姜だのは言うまでもありませんが。
149 :
ともチャン:2001/07/25(水) 23:55
あ、すれちがい。ごめんなさい。
150 :
文責:名無しさん:2001/07/25(水) 23:57
つーか小泉改革でサヨクは一網打尽。妄想撒いていられるのも今のうち。
いずれは撲滅させられる勢力を遊ばせとくのは大人の余裕。
その後に堂々と教科書を正常化すればいい。
152 :
文責:名無しさん:2001/07/26(木) 01:29
朝日新聞は、日独伊三国同盟の締結を煽るキャンペーンを行った
過去を反省し、中国・韓国を始めとするアジア諸国、ナチスドイツに虐殺された
ユダヤ人、そして、日本国民に謝罪と賠償をしよう!
153 :
文責:名無しさん:2001/07/26(木) 01:36
結局、ここにいるブウヨどもは大声で張り上げればなんでも出来ると
思い込んでる厨房精神異常者集団だってことが証明されたわけだ。
良識有る市民はお前らを絶対に認めない!!
いずれ保健所がお前らを強制入院させに来るぞ。
せいぜい、残り少ない自由を満喫することだね。
154 :
文責:名無しさん:2001/07/26(木) 01:38
>>153 だから、戦前は朝日がブウヨだったんだって。
マトモだったのは中央公論など。
155 :
文責:名無しさん:2001/07/26(木) 01:43
来月は少し暇ができるな。
戦前・戦中の朝日の記事を見られるのは国会図書館だけ?
徹底的に朝日の偽善ぶりを調査したいのだが。
156 :
文責:名無しさん:2001/07/26(木) 01:47
#153
ほとんどのスレにコピペしとるんやな。コイツ
157 :
文責:名無しさん:2001/07/26(木) 08:11
>>153 考え方の異なる者は社会から強制隔離ですか?
黒サヨの本性見たり。
ウヨはほんとに黄色い車に連れてってもらいたい。
159 :
>150:2001/07/26(木) 08:28
ウヨの本音がでたな。そんなことだから、普通の人からおかしい
人と思われるんだ!!!
160 :
文責:名無しさん:2001/07/26(木) 11:22
161 :
???:2001/07/26(木) 11:25
米軍のB29による日本本土爆撃は、昭和19年6月16日の北九州爆撃
から始まった。空襲は同年末から本格化し、昭和20年8月15日の終戦
の日まで続いた。
地方都市を含め60以上の都市が爆撃され、艦砲射撃による被害を含
めると、全国の被害は死者約50万人、被災者約1000万人、焼失家屋
数は約220万戸に上った。朝日紙面には敵機来襲を伝える記事は頻繁
に登場するが、被害の状況についてはほとんど触れていない。
新聞社自体も空襲の被害を受けるところが続出した。昭和20年5月27日
朝刊は題字が「朝日新聞」から「共同新聞」に変わった。空襲により読売
報知(現読売)、東京両新聞社が全焼したため、朝日が他紙の印刷を代行したのである。
翌28日から3日間は「朝日、読売報知、東京」の共同題字になっている。
1日目に比べ、2日目以降は読売、東京の社名が拡大されている。社名を
小さく印刷された両社が朝日に抗議したのかもしれない。
空襲にともない国民の間に広がったのが、デマである。紙面にはデマを
防ごうとする記事が登場している。昭和19年秋には、「10月15日に東京大空襲がある」
という噂が広がったほか、翌20年には「らっきょうを食べれば(空襲の)被害を受けない」
という迷信も広がった。
朝日は空襲が日増しに激化しても、国民は被害に耐え抜き戦争を継続せよ、
と訴え続けた。空襲の被害が全国に及んだ同20年8月段階でも、地方の人々
は、焼け跡に立ち向かった東京人に比べ精神力において総じて劣っていると
いう、と地方の人々に反省を促しているほどだ。
その一方で、当時の人々の中には、空襲を恐れない人々もいたようだ。投書
欄には、空襲下に家で眠り続ける人の話や、焼夷弾を手でつまんで庭にポイ
と捨てたといった武勇談が掲載されている。
また、米軍が空から投下したのは爆弾や焼夷弾だけではなかった。日本国内
の人心をさらに動揺させようと、航空機で宣伝ビラ、いわゆる「紙の爆弾」を大量
に撒いた。終戦までに日本各地に散布されたビラは約460万枚に上るといわれ
ている。
その内容は空襲の予告や日本軍部批判、降伏勧告など多岐にわたっていた
が、朝日は「笑わせる”紙の爆弾”」との見出しで、これらを一笑に付している。
163 :
文責:名無しさん:2001/07/26(木) 11:47
吉澤 一彦(よしざわ かずひこ)
吉澤 一彦(よしざわ かずひこ)
吉澤 一彦(よしざわ かずひこ)
吉澤 一彦(よしざわ かずひこ)
吉澤 一彦(よしざわ かずひこ)
164 :
文責:名無しさん:2001/07/26(木) 12:01
時は終戦間際。「実録朝日新聞」にはさらに次のようなエピソードが出てくる。
終戦の五日前に下村情報局総裁談話によって「戦局は最悪の状態」と
発表されたのが、日本の敗戦を示唆した初めての政府声明であったが、
もちろん一般国民にはそれを知る由もなかった。日本の舞台裏では九日
から十日にかけて、最高戦争指導会議幹部会、臨時閣議、最高戦争指導
御前会議が相次いで開かれ、政府の態度はポツダム宣言受諾、すなわち
無条件降伏の方向に向かって急角度に動き出していた。
新聞社にだけはこの情報が入ったので、新聞社で問題になったのは、
編集方針をどうするかの問題だった。問題は二つあった。一つは対外的
の問題で、ポツダム宣言受諾の条件すなわち日本の国体の問題、天皇
制の問題に対して、もう一ぺん連合国と交渉を行うこと、もう一つは対内
的の問題で軍がおとなしくこれに従うかどうかの問題である。
二つともなかなかデリケートな問題だから、あまり先走って新聞作製の
態度が敗戦を嗅わせると、かえって問題をこじらせ、特に軍を刺戟して、
戦争終結に支障を与えることにならぬとも限らず、新聞はむしろ知らぬ顔
をして、従来の「国体護持、一億団結」を表に出していった方がよかろうと、
私は自分の編集方針を堅持していた。もちろん数日中に、敗戦による戦争
終結が到来するとの客観状勢は、はっきりと把握しつつも・・・・・・。編集総長
の千葉雄次郎もまったく私と同意見であり、また政治部長の長谷部忠も
全然同じ線を歩いていた。
現にこういうことがあった。あの八月十日に、前に述べたように下村情報
局総裁の敗戦示唆の声明が出たのに対抗して、陸軍では陸相阿南惟幾
の「全軍に告ぐる」の訓示を発表した。
「・・・・・・断乎、神州護持の聖域を戦ひ抜かんのみ。仮令(たとえ)草を喰み
土を噛り野に伏するとも断じて戦ふところ死中自ら活あるを信ず(中略)」
という、まことに激越な戦争継続の声明であった。すでに敗戦を知ってい
た新聞人にとっては、むしろ悲痛のセンチメンタリズムとして受け取れた
のである。
政治部長の長谷部がやって来て、
「いま陸軍から、このような一億玉砕にも等しい声明が出て、さきの下村
声明の狙いとまったく矛盾するもので、すでに敗戦ときまった以上、この
陸相声明はボツにして抹殺すべきだという強い意見が政治部内に出て
いて、いま激論最中である。しかし僕はこれは新聞に掲載すべきである
と主張している。だから載せたいと思う。この際の新聞の使命は、国全体
がスムーズに終戦になるような役割を果すことで、急激に紙面の調子を
変えることは、かえって思わぬ刺戟を軍や世間に与えて、国内動乱など
を引き起こさぬともかぎらぬ。だからこんな強い意見も一方に出しておい
た方がよいと思う」といった。
私も全国的に長谷部の意見に同感の意を表し、傍にいた編集局次長兼
整理部長の杉山勝美に意見を徴したところ、彼も全然同意見であったの
で、私は、
「下村声明と阿南声明とは、これを並べて同じ大きさに扱おうではないか」
と、指示したのであった。
たとえ敗戦が見通され、或いは敗戦となっても、まるで掌を返すように新
聞編集の調子を、ガラリと変えることはすべきでない。ステップ・バイ・ステップ
に調子を変えていくべきだというのが、終戦になってからもしばらくの間の
私の編集方針だった。
米軍による空襲、日本軍特攻機による体当たり攻撃は敗戦の8月15日
まで続いた。敗戦間際に戦争の犠牲になった人達がこの話を知ったらど
う思っただろうか。朝日がいち早く、日本が敗戦に向かっていることを知ら
せれば、これらの人々が命を落とすことはなかったかもしれない。
しかし、朝日は自らの判断で公式発表まで敗戦を示唆する紙面を作りを
避けた。当時の政治部長長谷部忠(のち社長)は新聞の役割は戦争をス
ムーズに終わらせること、と述べたとされている。しかし、新聞は報道機関
である。政府や軍ではない。国民に期待されているのは正しい情報を与え
ることだ。
戦争を長引かせれば、犠牲者が増加するのは自明である。にもかかわ
らず、朝日は起こるかどうかもわからない国内動乱回避を優先したので
ある。そもそも、国内動乱を恐れたのか。当時の政府部内では、敗戦によ
りこれまで耐乏生活を強いられていた一般国民の不満が爆発し、革命が
起こるのを何よりも恐れていた。
そうなれば軍や政府に寄り添ってきた朝日の存在も危うい。こう考えると、
朝日は徐々に戦争終結にもっていくことで、読者の朝日に対する怒りを
抑えようとしたのではないかと考えられなくもない。戦争をスムーズに終わ
らせ、紙面はステップ・バイ・ステップで変えていくーーー。社の存続を
かけた、実にしたたかな戦略があったのではないだろうか。8月15日の敗
戦の日にもこの方針を確認するような様子が次のように書かれている。
その日の午後、社長村山長挙出席のもとに編集局部長会議が開かれ
た。私はこう述べた。
「仕事は平常どおりやっていこう。何も動揺することはない。今まで一億
一心とか、一億団結とか、玉砕とか、醜敵撃滅とかいう最大級の言葉を
使って文章を書き綴って、読者に訴えて来たのに、今後はガラリと態度
を変えなければならない。これはしかたのないことだが、それだからといっ
て、昨日の醜敵が今日の救世主に変ったような、歯の浮くような表現も
とられまい。まあだんだんに変えていくことにしようじゃないか。マックアー
サーが乗り込んで来ても、新聞に関するかぎり、日本が占領地でやった
ようなバカげたことはやらぬと僕は思う。何ごとによらずあんまり先走った
ことはよそう。ボツボツいこうじゃないか。とにかく落ち着いてやりたいから、
各部でもそういう方針でやってもらいたい」
とざっくばらんに私の編集に対する心構えと根本方針を述べた。村山も、
「それがよかろうな」
といった。政治部長の長谷部も、
「もう社員の間には、この際新聞は百八十度転換した態度をとるべきだと
いう議論も出ているが、そう一ぺんに現金な態度の転換は良心が許さぬ
し、また読者にも相済まぬような気持がするから、あまり不自然な敗戦迎合
の態度はやめたい」
と、これも私との方針全然一致する発言をした。
さんざん虚偽の報道を積み重ね、国民を戦争に駆り立てる紙面を展開
しながら「まあだんだんに変えていくことにしようじゃないか」で意見一致で
ある。そこには、国民、読者に対する深刻な罪の意識はうかがわれない。
こうした幹部達は、自らの戦争責任についてどう考え、どう対処したのだ
ろうか。敗戦から8日後の8月23日の朝日紙面には、「自らを罪するの弁」
と題する社説が載った。この社説は「(敗戦の責任は)決して特定の人々
に帰すべきでなく、一億国民の共に偕に負うべきものであらねばならぬ。
さりながら、その責任には自ら厚薄があり、深浅がある」と断った上で、
「特に国民の帰趨、輿論、民意などの取扱に対して最も密接な関係をも
つ言論機関の責任は極めて重いものがあるといわねばなるまい」と、こ
れまでの朝日新聞の責任を認める内容になっている。
ただ、責任を国民全体に分散し、権力者の戦争責任をあいまいにして
いるうえに、内容は具体性に乏しく、どう責任を取るのかについては全く
触れていない。この社説は、当時の新聞の中で、新聞の戦争責任を認
めた初めてのものとされるが、中途半端ともいえる内容に読者によって
は不満を感じたかもしれない。
一方、毎日新聞では8月20日に社長の奥村信太郎が単独で辞表を書
いたのに続き、29日には有力幹部が自発的に退陣した。辞職することが、
戦争責任を取る最適な方法かどうかは別として、戦争責任を具体的な形
で表したのは毎日新聞の方が早かったわけだ。
何故、朝日の幹部は毎日のように敗戦後すぐに退陣しなかったのか。
朝日は「自らを罪するの弁」で「吾人自ら如何なる責任も如何なる罪もこ
れを看過し、これを回避せんとするものではない」と宣言しておきながら、
個々の幹部や記者達には自発的に責任を取る姿勢が欠けていた上に、
派閥抗争が表面化したため、社の方針がまとまらなかったためだ。
169 :
文責:名無しさん:2001/07/26(木) 13:39
このスレにきてるクズウヨは2chから去れ
170 :
文責:名無しさん:2001/07/26(木) 14:10
ウヨサヨほざく以前に、朝日の戦争責任は絶対に消えない。
たとえ、どう事実を歪曲・捏造しようが決して消えない過去、歴史だからだ。
朝日よ、自らがほざく歴史の重さで潰されろ。
171 :
:2001/07/26(木) 14:42
朝日関係者でもないのに朝日の犯罪(証拠がきちんと残っている)
を弁護する奴って一体?
172 :
文責:名無しさん:2001/07/26(木) 14:43
173 :
文責:名無しさん:2001/07/26(木) 14:45
読売産経信者のあつまりなのでは?>ここ
174 :
文責:名無しさん:2001/07/26(木) 14:47
ナベツネ氏ね!
175 :
文責:名無しさん:2001/07/26(木) 14:51
>>174 そんな事言ってもいいのか?本当にナベツネが死んだら、
アンチ巨人の朝日読者がみんな読売に乗り換えるぞ。
敗戦後の朝日社内は、村山長挙社長をはじめとする、原田譲二(代表
取締役)、鈴木文四郎(常務)、北野吉内(取締役)らの一派と、緒方派の
流れをくむ千葉雄次郎(取締役・編集総長)、細川隆元(東京編集局長)、
香月保(大阪編集局長)、白川威海(取締役・西部編集局長)、佐佐弘雄
(論説主幹)、嘉治隆一(同)の編集幹部6人が対立を強めていた。
派閥が生まれた原点は村山長挙社長と、主筆や副社長を務めていた
緒方竹虎(昭和19年に退社し、情報局総裁に就任)の確執にあったとさ
れている。
創業社長村山竜平の死後、その養子である村山長挙は昭和15年に社
長になったものの、対外的に朝日の顔といえば緒方竹虎だった。
例えば、緒方は政府が設置する各種委員会への参加を求められ、様々
な委員会のメンバーになったが、村山にはそうした誘いが一つもなかった。
村山にしてみれば、こうした緒方の名声が面白くなかったことは想像に難くない。
そうした両者の対立が決定的になったのは昭和18年夏頃であった。当時、
緒方と同じく専務であった石井光次郎は、村山に対し、退任と新社長への
緒方起用を提案したのである。その理由は、新聞経営は資本家と経営者
を分離することで、健全化が図れるというものだったが、この進言で村山
と緒方の溝は一層深まったとされる。
一方、派閥は違う角度からも生まれつつあった。それは職場間の対立
である。戦時中の朝日社内は@東京本社と大阪本社、A政治部・経済部
の硬派記者と社会部の軟派記者ーの折り合いが悪い状況が続いていた。
大阪がもともと本社だったにもかかわらず、日中戦争勃発の頃から東京
本社の存在が大きくなっていったことや、政治部の硬派記者は、他の部署
に比べ、待遇が良かったことなどが対立の要因だった。
その東京本社で硬派記者の筆頭に立っていたのが緒方竹虎で、政治、
経済、論説などの硬派の記者達が緒方一派と見られていた。
一方、反緒方の立場を取る村山は、大阪派や軟派と手を組み、”緒方
つぶし”を画策。昭和19年には緒方を干す形の人事刷新を行い、辞職に
導いている。その大阪派の代表が原田譲二であり、軟派の代表が鈴木
文四郎であった。
緒方が去った後の敗戦直後も、村山一派と細川隆元ら緒方派残存勢
力である編集幹部との対峙は続いていたのである。
村山派が動いたのは昭和20年10月15日。緒方派残存勢力を封じ込め
る強行人事を打ち出したのである。その内容は千葉雄次郎に辞任を求
め、細川隆元、佐佐弘雄を編集局参与という閑職につかせる一方、主
筆兼編集責任担当重役に村山腹心の鈴木文四郎、東京編集局長に北野
吉内を据えるものであった。
この強行人事に細川らは反発。16日夜、細川ら編集幹部6人は料亭
に集まり、打開策を協議し、翌17日に村山と会見。@社長・会長は退
任し、社主となる、A全重役と東京、大阪、西部の編集局長、論説主
幹の総退陣、などを進言した。「村山一派も道連れに」といえるよう
な反撃を行ったのである。
この反発には別の理由もあったようである。細川ら6人組のひとり
である佐佐弘雄論説主幹の息子で自らも朝日の記者だった佐佐克明が
書いた「病める巨象 朝日新聞私史」(文藝春秋)は、当時の細川ら
の心境をこうみている。
もしこの辞令をすんなりのめば、うっかりすると、世間は千葉・細
川を朝日新聞社の戦争責任者として受けとりかねない。さらには、朝
日代表の”戦犯”であるかのように、占領軍の目に映ずるかもしれな
かった。そういう危険性は、たぶんにあったのである。
つまり、おとなしく千葉・細川が辞めれば、朝日新聞の軍部協力路
線の紙面づくりは、千葉・細川に全責任がある、と”人身御供”とし
て、首をさしだすようなことになる心配があった、ということだ。(中略)
戦犯追及が、どの線までひろがり、どんな処置がとられるのか分ら
ない時点での異動である。
当事者の千葉・細川のほか、香月保・大阪編集局長、白川威海・西
部編集局長(故人)と嘉治・佐々両論説主幹の六人が、村山社長に対
して辞令の撤回を求めるにいたったのは、責任転嫁の気配を察したか
らであり、それがとうとう社内に点火しつつあった火気を炎上させて
しまったのだ。
六人組にしてみれば、社内での戦争責任ならびに社外に対する言論
責任について、原田代表、鈴木常務らが、すべてを「緒方系になすり
つけるのではないか」と推測したとしても当然であったろう。
この見方が正しいとすれば、朝日幹部達には素直に過去の過ちを反
省する姿勢はまるでうかがわれない。責任を細川らになすりつけ、社
内で優位な立場を保とうとする村山派、自分達だけが戦争責任を取ら
されるのを避け、責任を分散化しようとする細川ら。戦争に駆り立て
られた当時の読者が、この見苦しいまでの幹部の対立を知ったら、ど
う思ったろうか。
いずれにしろ、この細川らの提案で事態はさらに紛糾し、騒ぎは大
きくなった。細川らの動きを契機に、村山の姿勢に対する批判が起こ
り、今度は社内の各部から幹部総退陣を求める動きが活発化したので
ある。
まず、東京編集局部長会議は細川ら6人に同調「朝日新聞はその言
論報道機関たる重責に鑑み戦争責任を痛感し、内外に対しその責任を
明らかならしむる措置を執るべきものと信ず。よって我々部長会はさ
きに総長、三編輯局長、論説両主観より社長に対して提示せる要請を
全幅的に指示すると共に、その責任は現全部長に及び、その地位を去
るべきものなりとの意見に一致せり」との意見書を村山に提出した。
この東京編集局部長会の決定を大阪、西部の編集局部長会も支持。
一方、東京編集局内には代表委員会が生まれ、19日には東京本社で社
員有志役700人が集まり、社員大会を開くなど、村山退陣や強行人
事撤回を求める運動は全社的なものにたっていった。
この社内情勢の変化へ窮地に立った村山はついに辞任を決意、22日
に@今回の人事異動並びに機構改革の白紙還元、A社長・会長は戦争
責任上、自発的にその地位を退き社主となる、B全重役も辞任する。
但し本社運営に必要な数名は残す、C編集総長、三局長及び二論説主
観は現職を退くーなどの方針を発表した。
これで事態は収拾したが、こうした経緯を見る限り、朝日の幹部達
は自発的に戦時中の報道を反省し、責任を取ったのではなかった。派
閥抗争と責任逃れの行き着いた先が幹部の退陣だったに過ぎなかった
ようである。
ところで、幹部の責任明確化を求めた朝日の一般記者達は自らの戦
争責任についてはどう考えていたのであろうか。当時の記者達の意識
を示すエピソードや記事が残っている。
敗戦が決定的になった8月12日、東京本社社会部では20数人の記者
達が、今後について話し合いを始めた。その中で武野武治記者は「記
者全員が辞職すべき」と発言したが、ほかの記者は沈黙し、武野の意
見に賛同したものはひとりだけだったという。この後、責任を感じ、
実際に辞職したのは武野のほか少数の記者だった。朝日の一般の記者
達の多くは幹部同様、罪の意識はあまり感じていなかったのかもしれない。
一方、辞職に追い込まれた村山派の鈴木文四郎(執筆名は文史朗)
は「中央公論」(昭和23年2月号)でこう書いた。戦時中の記者がそ
のまま社に残り、戦時中とはガラリと変った紙面を作っていることへ
の批判である。
こうした行き方は、夜郎自大というよりも、無反省と無思慮がさせ
る業であった。軍人と酒を飲み、晩めしをいっしょにするのを誇りと
していた男が、あるいは陸軍省の「指導記事」の作文まで得意になつ
て手伝つていた男が、あるいは軍官の命令の先き走りをして統制の強
制力を絶対必要と常に説いていた男が、あるいは天皇の神性や「みい
くさ」の「深遠」な意義を狂信的国学者のお株をとるつもりで書いて
いた男が、同じ鉛筆をもつて、それまで書きつづけって来たものとは
対蹠的な作文を書き出して、読者がー少くとも識者がーこれを納得し
ていると思つたら、それは世間様というものを余りに甘く見るもので
はなかつたろうか?
鈴木の批判は、そうした記者達をきちんと管理できなかった経営者
の責任を全く無視したものだが、戦中、戦後の記者の姿を暴露してい
るのは間違いない。もちろん、戦時中の記者すべてが、鈴木がいうよ
うな記者ではなかっただろう。しかし、この鈴木の指摘と無縁の記者
は果たして何人いたのだろうか。
朝日がここまで扶桑社の教科書批判やる理由って、
新しい歴史教科書が採択する地区が増える
↓
国家意識を持つ人、歴史に興味を持つ人が増える
↓
朝日の記事のインチキに気が付く
↓
もうこんな新聞取らねえよヽ(`Д´)/プンプン
↓
朝日の部数激減
↓
( ゚Д゚; )マズ―
・・・・こんなところかな?
180 :
文責:名無しさん:2001/07/26(木) 23:22
「朝日新聞の戦争責任」の題名を「輝かしい朝日新聞の歴史」とでも変えよう。
そうすれば左系の人が間違って買うかもしれん。
そして朝日の本性に気づいて、朝日離れが進む...といいな
181 :
文責:名無しさん:2001/07/26(木) 23:27
>>180 朝日が潰れりゃサヨクが生き残ってもいいのか?
逆だろ?
サヨクを潰して朝日は黙らせる、それが愛国者というものだ。
182 :
名無しさん:2001/07/26(木) 23:45
軍部に脅されて戦争翼賛させられた、なんて大嘘だ!
関東軍が独断専行して勝手に戦線拡大したとき、これをヤンヤと喝采したのはどこのどいつだ?
政府はこれに対して、兵糧を止めようとした。軍律違反だから当然だ。
(それどころか、ただの軍律違反ではない。国境を越えるには天皇の裁可が必要なのに、朝鮮駐屯軍は天皇の裁可なしで国境を越え満州になだれ込んだのだ。大逆罪だ)
しかしマスコミはこの政府の方針に罵詈雑言浴びせた。「兵士を見捨てるのか!」と。
兵士たちの銃後の家族を味方につけ、政府に罵詈雑言を浴びせたのだ。
そうしてとうとう、内閣を総辞職に追い込んでしまった。
政府に罵詈雑言を浴びせ無謀な戦線拡大をあおり立てたくせに、なにが「政府に脅された」だ!
見え透いたウソもいい加減にしろ!!
183 :
文責:名無しさん:2001/07/27(金) 01:21
朝日も必死なんでちゅ。
184 :
文責:名無しさん:2001/07/27(金) 01:25
185 :
:2001/07/27(金) 01:45
186 :
文責:名無しさん:2001/07/27(金) 05:05
「もし」日比谷焼き討ち事件の時、朝日新聞がポーツマス条約反対と煽らなければ・・・・。
「もし」関東大震災の時、朝日新聞が朝鮮人は暴動を起こしているという虚報を流さなければ・・・。
「もし」ロンドン海軍軍縮条約とき、朝日新聞が統帥権干犯だと軍と国民をあおらなければ・・・・。
「もし」日中戦争に突入するとき、朝日新聞が必要以上に国民を戦争にあおらなければ・・・・。
「もし」ノモンハン事変のとき、ソ連のスパイであるゾルゲに協力しなければ・・・・。
「もし」戦後、朝日新聞が北朝鮮を”この世の楽園”と宣伝していなければ・・・・・。
「もし」朝日新聞が教科書の”侵略”書き換え問題で誤報を垂れ流さなければ・・・・。
「もし」従軍慰安婦問題で朝日新聞が虚報を垂れ流さなければ・・・・。
朝日新聞を思うと、「もし」という言葉が次から次へと浮かんでくる。
もし、虚報誤報を垂れ流さないための防止措置が適切にとられていれば
今の日本はもう少し良くなっていたのではないか、と。
朝日新聞は、この「もし」を現実にする責務がある。
187 :
文責:名無しさん:2001/07/27(金) 07:13
>>182 朝日だけでなく全国の新聞社が連名で
戦争の続行を要請する意見記事を出しておきながら
軍部に騙されたもないだろう!
新聞社が書きたいから書いたんだろ!
188 :
文責:名無しさん:2001/07/27(金) 07:33
1殺すぞ
190 :
文責:名無しさん:2001/07/27(金) 10:51
191 :
文責:名無しさん:2001/07/27(金) 13:13
清水も20年後には今とは全く異なる言説を
吐いているものと思われ。
こうした社内騒動を経て、昭和20年11月7日朝刊には「国民と共に立たん」
と題する社告が載った。
この社告は「支那事変勃発以来、大東亜戦争終結にいたるまで、朝日新聞の
果たしたる重要なる役割にかんがみ、我等ここに責任を国民の前に明らかにす
るとともに、新たなる機構と陣容とをもって、新日本建設に全力を傾倒せんこ
とを期するものである。
今回、村山社長、上野取締役会長以下全重役、および編集総長、同局長、論
説両主幹が総辞職するに至ったのは、開戦より戦時中を通じ、幾多の制約があっ
たとはいえ、真実の報道、厳正なる批判の重責を十分に果たし得ず、またこの
制約打破に微力、ついに敗戦に至り、国民をして事態の進展に無知なるまま今
日の窮境に陥らしめた罪を天下に謝せんがためである。
今後の朝日新聞は、全従業員の総意を基調として運営さるべく、常に国民と
ともに立ち、その声を声とするであろう。いまや狂瀾怒濤の秋、日本民主主義
の確立途上来るべき諸々の困難に対し、朝日新聞はあくまで国民の機関たるこ
とをここに宣言するものである」と、朝日新聞が新しく生まれ変わることを誓っ
ている。
この社告は朝日新聞の戦後の再出発を語る上で欠かせないもので、過去の過
ちを認め、今後の理念を明確にしたという点で、好意的な評価が与えられるこ
とが少なくない。
しかし、この社告に疑問を持つのは筆者だけであろうか。その理由はいくつ
かある。第一にこの社告はわずか33行(1行13字)で、一面下方に小さく掲載。
太平洋戦争の約3年8カ月にわたり、連日国民を戦争に駆り立てた割には、あ
まりにも目立たない扱いだ。
第二に社告は謝罪しているだけで、朝日が戦争に加担していった経緯や理由
についての詳しい説明がない。同じ過ちを繰り返さないための教訓が導き出さ
れていない。
第三に幹部退陣までに社内騒動があったにもかかわらず、この社告は幹部達
がまるで自発的に責任を感じて辞職したような印象を与える内容になっている。
第四に「幾多の制約があったとはいえ、真実の報道、厳正なる批判を十分に
果たし得ず、またこの制約打破に微力」というくだりは、朝日の戦時報道の大
部分を体制のせいにしているきらいがあり、自己弁護的だ。朝日新聞には自ら
進んで戦争を推進した面もあるのではないか。
戦時中の朝日社長以下全社員による軍への献金運動、戦意高揚標語「撃ちて
し止まむ」の大写真を東京の繁華街に掲げたこと、新聞・通信八社合同で「米
英撃滅国民大会」を開催したことなど、朝日が戦争に積極的に協力した印象を
持たせる事柄について朝日はどう説明するのだろうか。
この3つの出来事は、朝日社史に全く掲載されていない。この点を考えると
朝日はこれらの事柄について、やましい気持ちを持っているのかもしれない。
その朝日社史は今年、従来の社内頒布から、一般販売も開始したそうである。
こうした疑問はともかく、朝日はこの社告で対外的に戦争責任にケリをつけた
のは事実である。しかし、その数年後には、再び疑問を感じさせる出来事が起き
る。昭和26年、辞職したはずの村山は会長、上野は取締役として経営に復帰、そ
の後村山は社長、上野は会長に就任し、昭和39年まで経営の実権を握るのである。
さらに、同じく辞職した上野精一の息子、上野淳一も昭和45年に取締役に就任
するとともに社主の座につく。取締役こそ平成6年に退いたものの、現在(平成7
年7月現在)も社主として君臨しているのである。
今でも政治家や企業経営者は、不祥事などが起こるといったん辞職し、一定期
間をおいて復帰するケースが多いが朝日新聞の場合も同様だ。
太平洋戦争で約250万人の日本人が死亡し、日本を除くアジアの約2000万人
が命を落としたといわれる。朝日新聞がその戦争の片棒をかついだのは紛れもな
い事実である。その朝日新聞の経営者は、一定期間経営から離れれば、”みそぎ”
は済んだと判断したのだろうか。
一方、村山、上野らとともに戦後すぐに責任をとって辞めた他の幹部達はどう
なったか。「国民と共に立たん」が発表された当時退職した幹部などのその後を
表
>>194に示した。ほとんどの幹部は国会議員、企業経営者など見事なまでの”転身”
を遂げ、各分野でリーダー的な地位についている。さすがは朝日新聞というべき
か、会社を辞めた後でも、受け皿はたくさんあったようだ。
一方、現場の記者を監理した部長職にいた人々はどうなったのであろうか。表
には敗戦時の東京本社各部の主な部長とその後の経歴も示した。昭和20年10月の
戦争責任をめぐる社内騒動の際、「その責任は現全部長に及び、その地位を去る
べきものなりとの意見に一致せり」と決議したはずの部長達の多くは、そのまま
社内に残り、ほとんどが社内で出世。中には長谷部忠のように社長にまで登りつ
めるなど、幹部として活躍した。
村山、上野をはじめ、戦争中部長などの重職にいた人達、あるいは戦争をあお
るような記事を書いた記者達が戦後の朝日新聞をリードしたとすれば、社内には
過去の歴史を素直に見つめ、反省する姿勢は生まれにくかったのではないだろう
か。むしろ、戦争に導いた戦中の「朝日人」の姿勢が、脈々と受け継がれた可能
性の方が大きかったとはいえないか。
50年前の朝日新聞の体質が、今は残っていないことを祈るばかりである。
氏名 戦前地位 戦後経歴
村山長挙 社長 朝日新聞社会長('51〜'60)、朝日新聞社社長('60〜'64)
上野精一 会長 朝日新聞社取締役('51〜'70)、朝日新聞社会長('60〜'64)
緒方竹虎 副社長 衆議院議員、自由党総裁、吉田内閣副総理大臣
原田譲二 代表取締役 貴族院勅選議員、大阪観光バス社長
石井光次郎 代表取締役 衆議院議員、通産大臣など歴任
鈴木文四郎 常務取締役 参議院議員、NHK理事
美土路昌一 常務取締役 全日空社長、朝日新聞社社長('64〜'67)
小西作太郎 常務取締役 日本高野連顧問
野村秀雄 取締役 代表取締役、NHK会長
千葉雄次郎 取締役(編集総長) 東大新聞研究所所長、東洋大教授
北野吉内 取締役 アサヒイブニングニュース取締役
白川威海 取締役(西部編集局長) 不明
木村豊二郎 取締役 役員辞任後、死去
杉江潤治 取締役 博報堂専務
新田宇一郎 取締役 読売テレビ副社長
上野淳一 取締役 朝日新聞社取締役、現在、朝日新聞社社主('95年7月現在)
細川隆元 東京編集局長 衆議院議員、評論家
香月保 大阪編集局長 福岡県田川市長、九州朝日放送会社副社長
佐佐弘雄 論説主幹 参議院議員、九州大教授
嘉治隆一 論説主幹 文部省大学設置審議会委員
杉山勝美 整理部長 朝日新聞社取締役
長谷部忠 報道第一部長 朝日新聞社会長('47〜'49)、朝日新聞社社長('49〜'51)
高野信 報道第一部長 朝日新聞社取締役、日本教育テレビ(現テレビ朝日)社長
荒垣秀雄 報道第二部長 朝日新聞社論説委員、17年間にわたり「天声人語」執筆
橋本登美三郎 東亜部長 衆議院議員、建設大臣、運輸大臣、ロッキード事件有罪
島田巽 欧米部長 朝日新聞社論説副主幹
本多助太郎 通信部長 信濃毎日新聞社副社長
遠山孝 写真部長 朝日新聞社取締役
飯島保 連絡部長 朝日新聞社論説委員
横田省己 査閲部長 不明
織田幹雄 運動部長 早大教授、日本陸上競技連盟名誉会長
芦田浩 調査部長 不明
池上退蔵 校閲部長 不明
山下義 監理部長 朝日新聞社監査役
深沢明吉 庶務課長 神奈川新聞社取締役
195 :
文責:名無しさん :2001/07/27(金) 19:52
A級戦犯ですな
一方、他の大新聞、毎日、読売新聞の社内では敗戦後、どのような動きがあっ
たのであろうか。
毎日新聞では戦争終結直後、有力幹部が次々と辞表を提出した。まず、敗戦が
明らかになった時点で、毎日新聞西部本社の高杉孝二郎編集局長は、「その日ま
で戦争を謳歌し、扇動した大新聞の責任、これは最大の形式で国民に謝罪しなけ
ればならない」としながら、「本社は解散し、毎日新聞は廃刊、それが不可なら
ば重役、ならびに最高幹部は即時退陣」という2案を社長に提出。敗戦とともに
高杉局長自身は辞職している。
この後、8月20日には社長の奥村信太郎が辞表を提出したほか、29日には有力
幹部が続々と退陣を表明した。例えば、東京本社代表・編集総長高田元三郎、大
阪本社代表・大阪本社編集主幹下田将美、主筆上原虎重、東京本社編集主幹阿部
賢一はその地位を退き取締役に留まった。
こうした相次ぐ幹部の退陣にも、社内では戦争責任を明確化する声が高まり、
約2カ月に及ぶ社内論議を経て、全従業員の名の下に上申書が重役陣に提出され
た。その内容は@戦争責任の明確化と新生再建の態勢を完璧ならしむための全重
役の善処、A局長、主筆、編集参与、局次長、副主筆、部参与、部課長、副部長
は一斉にその地位を去り、更に理事、参事、副参事の待遇を受くる職員はこれを
辞退することーなどだった。
これは留任している全重役の態度決定を迫り、全役職を白紙にするもので、奥
村信太郎の後を継いだ高石真五郎社長はこれを了承。全重役は一新された。ただ、
辞職した重役は、社の顧問、相談役、参与、社友となった。
緒方は小磯内閣で情報局総裁無任所大臣やってたよ
これってまんま...
198 :
ほお:2001/07/27(金) 20:15
こりゃ興味深い。続きをお願いします!
5年後には経営に復帰
自発的に辞職した幹部が多かった毎日に対して、読売新聞の場合は対照的な動
きを見せた。こちらは株式の大半を握る社長の正力松太郎と従業員側とが全面対
立するなど、2度にわたる労働争議が起こった。
敗戦直後から社内の民主化運動が盛んになった読売新聞では10月23日、大規模
な社員大会が開かれ、戦争責任明確化を目的に社長、副社長以下全重役、並びに
全局長の総退陣などを要求することを決議した。
この社員側の要求に対し正力は、「戦争責任につき、諸君にうんぬんされるい
われはない」と拒否。これを受けて従業員側は組合を結成。組合長をして、左翼
的な信条を持つ鈴木東民が従業員をリードし、会社側を闘争に入った。
鈴木は共産党の徳田球一らの支援を受け、正力退陣を求めたが、正力は「共産
党に(読売新聞を)渡すぐらいなら、この社をつぶしてしまえ」と対決する姿勢を
見せた。しかし、正力は争議の最中にGHQ(連合軍総司令部)から戦犯容疑指名
を受けたこともあり、結局は鈴木らの意見を飲み、退陣を表明(昭和20年12月)。
こうして最初の争議は決着した。
勝利をかち取った鈴木はこの後、編集局長に就任、編集権を握って左傾化した
紙面作りを推進した。しかし、巻き返しを図った株主側は、社外からリベラリス
トとされる馬場恒吾を社長に据えた。保守化傾向を強めていたGHQは、昭和21
年5月に掲載された読売記事をめぐって、編集責任者の解雇を求めた。これに便
乗する形で経営者側は昭和21年6月、鈴木局長らの解雇を通告したのだった。
鈴木らはこれを拒否し、ストライキを決行。第二次争議に発展した。しかし、
ストが長期化する中で従業員の間には鈴木らに対する批判勢力が生まれ、組合は
分裂したため、鈴木らは社を去った。
こうして読売新聞が左傾化から脱した後の昭和26年、正力はGHQによる公職
追放から解放され、死去する昭和44年まで経営の実権を握った。
200 :
文責:名無しさん:2001/07/27(金) 20:20
うぜー
朝日の報道姿勢と戦争責任
>>130,
>>131,
>>165,
>>167,
>>168,
>>176,
>>177,
>>178,
>>192,
>>193,
>>194,
>>196,
>>199
満州事変で転向
朝日新聞はもともと軍部の片棒をかつぐ宣伝機関、戦争推進機関であったわけ
ではない。戦前にはむしろ軍部批判や戦争への反対姿勢を明確にしていた時期も
あった。いつ、なぜ、どのように朝日は変貌をとげたのか。
朝日新聞の論調が劇的に変化するのは、日本が中国への侵略を本格化する満州
事変(昭和6年)以降である。満州は現在の中国東北部。日本は日露戦争の勝利に
より、南満州鉄道(満鉄)と満州の旅順、大連の租借権をロシアから引き継ぎ、事
変前には南満州に大きな勢力を打ち立てていた。
これらの権益を、満州と隣接する内蒙古の地名から、当時「満蒙権益」と呼ん
だ。事変前には日本国内で叫ばれた「満蒙問題」とは満蒙権益の維持をめぐる問
題であり、「満蒙の危機」とは中国に対し様々な権益を持ち、中国を半植民地化
する日本や欧米諸国の支配を打破しようとする中国の民族主義高揚が、日本の満
蒙権益を脅かしたことを指す。南満州に駐留していた日本軍の出先部隊、関東軍
は満蒙権益を維持、拡大するため、満州の武力占領を計画した。
この結果、勃発したのが満州事変である。関東軍は中国軍が満鉄線路を爆破す
るとともに日本軍を攻撃したので、自衛のため応戦したと虚偽の発表をしたが、
線路爆破は関東軍の自作自演が真相で中国軍を攻撃する口実を得るための謀略だっ
た。
満州事変前の朝日新聞は、大正デモクラシーの流れを受け継ぎ、自由主義的、
民主主義的な傾向が強い新聞と位置付けられていた。当時の朝日新聞は経営母体
はひとつであったが、大阪朝日新聞と後発の東京朝日新聞に分かれ、別々の編集
をしていた。この内、特に大阪朝日新聞は軍備縮小や軍部批判の論調を強く打ち
出していた。しかし、事変勃発後は日本軍の侵略行動を全面的に支持し、読者に
軍への協力を訴え、戦意高揚を図る論調に急転回する。
満州事変前は「軍は危険」と訴える
満州事変が起きるのは昭和6年9月18日。大阪朝日はその直前の同年4月19日付
け朝刊の「内閣の決心を示せ 軍備整理の実現につき」と題した社説で「軍部の
一手に軍制改革の大事業を任せて置くことはわが国策のうえに多大の不安が伴生
する虞れがあるのである。この上は内閣の方針として軍備整理及びこれに伴う経
費節減額を決定し内閣において断然これが実行の決心を示すべきである」と軍縮
断行を強く求めている。
また、同朝刊経済面の「財界六感」では「整理緊縮と金ピカ禍」の見出しの後
に、「陸海軍大将を即座に一ケ小隊もズラリと並べ得る国といったら、我国を除
いては、恐らく世界中のどこにも発見出来まい。何も大将が多いから強いという
わけでもあるまいにー。(中略)金ピカの禍もまた大なるかなだ」と金色の階級章
を付けた大将を多数抱える軍を痛烈に皮肉り、軍首脳部を削減すべきと主張して
いる。
軍の政治、外交への介入や横暴ぶりにも手厳しい批判を浴びせている。同年8
月8日の社説では、「軍部が政治や外交に喙を容れ、これを動かさんとするは、
まるで征夷大将軍の勢力を今日において得んとするものではないか。危険これよ
り甚だしきはない。国民はどうしてこれを黙視できようぞ」を論陣を張っている。
さらに、大阪朝日はその後も満州での武力行使を戒める論調を展開。事変発生
前日の昭和6年9月17日朝刊社説でも「故に吾人は若槻首相に望む。昨今満蒙問題
の論議、漸く激化する折柄、軍部の昴奮を善導して意外の脱線行為なからしめ、
これを支柱として対支外交に清鮮味を加えその基礎の上に国際正義に本づく近代
的外交の殿堂を築き上げんことを。(中略)これが何人かの手によって成し遂げら
れなければ、徒らに退嬰の結果による衰退か、または猪突主義による顛落か、日
本の運命は二者その一つを出でないであろうことを確信する」と論じ、満蒙問題
を中国との外交により解決するよう求めている。
その翌日、満州事変が勃発。日本は日中戦争、太平洋戦争と続く、いわゆる15
年戦争の泥沼に足を踏み入れ、破滅への道を突き進むことになる。この社説は皮
肉にも、坂道を転がり落ちる事変以降の日本の姿を予見するものであった。
右翼の申し入れに満州事変支持?
その満州事変後、大阪朝日の論調はどう変わったのか。事変発生直後の昭和6
年9月20日朝刊の「日支兵の衝突 事態極めて重大」と題した社説では中国兵が
満鉄爆破を企てたのをきっかけに、日中両軍が衝突したと伝える各種情報を前提
に、「わが守備隊が直ちにこれが排撃手段に出たことは当然の緊急処置といわね
ばならぬ」と関東軍の行動を容認。ただ、「本事件は一局部のものとして速やか
に解決を図りたい、全面的の衝突となるを極力避けなければならぬ」と武力衝突
の拡大防止を訴える冷静さも残している。
ところが、同10月1日朝刊の「満蒙の独立 成功せば極東平和の新保障」と題
した社説は事変前の論調と一変する。「満州に独立国の生まれ出ることについて
は歓迎こそすれ反対すべき理由はないと信ずるものである」と満州の独立を認め
る社説を載せたのである。これはそれまで、満州は中国の一部としてきた大阪朝
日の主張から百八十度転換するものだった。
関東軍は満州の武力占領後に、日本が思うがままに操れる傀儡国家樹立を画策
していた。満州を見かけは独立国にし、実質的には日本の植民地にしようという
野望であった。大阪朝日は軍部に都合の良い主張に変わったのである。
なぜ、大阪朝日の主張が短期間にガラッと変わったのか。元朝日新聞記者が書
いた「辛亥革命から満州事変へ 大阪朝日新聞と近代中国」(後藤孝夫 みすず書房)
はその理由を分析している。それによると、社論転換の直接の原因は軍部と密接
な関係にある当時の右翼の巨頭、内田良平から圧力がかかったことだとういので
ある。満州事変直後の昭和6年9月24日夜、内田は井上藤三郎大阪朝日調査部長と
料亭で会談。内田は知り合いの井上部長を通じ、大阪朝日幹部に面会を求めてい
たが、幹部の代わりに井上部長が応対したという。
当時の幹部の日記によれば、翌25日に大阪朝日は役員会を開催、時局問題につ
いての社論統一などについて話し合った。席上、内田の忠告について報告があり、
高原操大阪朝日編集局長の「満蒙放棄論」の流説に関し、新聞紙上で広告を出す
ことにして、案を決定し散会したという。
美土路昌一(昭和33年〜昭和42年かけ朝日新聞社長)の戦後の追想によれば、広
告とは高原編集局長の満州に関するそれまでの論説が軍首脳らから満州の放棄論
だと抗議を受けたため、高原名で東西両朝日新聞に掲載されることになった釈明
文とされる。
その広告は美土路の追想では「まるで謝罪広告である」という内容だった。こ
のため美土路はこんなものをのせたら、軍部に降伏したと物笑いになると考え、
軍首脳と話し合い、結局謝罪広告は闇に葬ったという。
内田は朝日社員の会談、翌日の役員会議、そこで議題となった謝罪広告ー。こ
れらを考えると、「大阪朝日を震駭させたのは、直接には軍部の威を借る内田の
申入れである。暴力に抗する方法なしというのが、村山社長変身の理由であろう
が、いったん屈した以上、<聖戦>への協力を阻む歯止めはもうありようがなかっ
た」(「辛亥革命から満州事変へ」)との結論は説得力を持つ。
10月中旬、朝日新聞の満州事変に対する社論が統一される。それを示す決定的
な証拠が残っている。大阪憲兵隊が軍中央に提出した大阪朝日新聞、大阪毎日新
聞両社内の動向に関する秘密報告である。それによると大阪朝日では10月12日に
重役会議を開き、軍批判を中止し、軍を支持すること、あわせて東京朝日にも同
調させることを決定しているのである。
205 :
文責:名無しさん:2001/07/27(金) 23:21
「満州の政治的安定は、極東の平和を維持する絶対の条件である。而して満州国の独立と其健全なる発達とは、同地域を安定せしむる唯一最善の途である。東洋平和の保全を自己の崇高なる使命と信じ、且つそこに最大の利害を有する日本が、国民を挙げて満州国を支援するの決意をなしたことは、まことに理の当然といはねばならない。いな、ひとり日本のみならず、眞に世界の平和を希求する文明諸国は、ひとしく満州国を承認し、且つ其成長に協力するの義務ありといふも過言ではないのである。
然るに国際連盟の諸国中には、今尚ほ満州の現実に関する研究を欠き、従つて東洋平和の随一の方途を認識しないものがある。われ等は、かかる国々の理解を全からしめんことを、わが当局に要望すると共に、荀しくも満州国の厳然たる存立を危くするが如き解決案は、たとひ如何なる事情、如何なる背景に於て提起さるるを問はず、断じて受諾すべきものに非ざることを、日本言論機関の名に於て茲に明確に声明するものである。
昭和七年十二月十五日
日本電報通信社 東京朝日新聞 大阪朝日新聞社 都新聞社 報知新聞社 中外商業新聞社 読売新聞社 時事新報社 東京日日新聞社 大阪毎日新聞社 国民新聞社 新聞連合社」
逃げも隠れもできない、朝日新聞の戦争責任の証拠です。どなたが、これを長期間どこぞで放置プレイの刑に処して下さい。
206 :
文責:名無しさん:2001/07/28(土) 03:08
朝日を告訴せよ!
朝日は賠償せよ!
責任をとれ!
茶番劇を支持した責任
なぜ、朝日は右翼の圧力にやすやすと屈服したのか。朝日新聞は以前から社長、
役員に対する襲撃事件や社屋への乱入事件など、右翼のテロの標的になることが
多かった。時の政府や軍部にたびたび批判的な立場をとったからである。右翼は
政府や軍部と通じていることも多く、警察は右翼テロを熱心に取り締まらず、せっ
かく犯人を警察に突き出してもすぐに釈放されることがしばしばあった。
また在郷軍人(平時は民間人だが、事変などの際に召集される軍人など)や軍部、
右翼などによる朝日新聞の不買運動もたびたび展開された。こうした相次ぐ嫌が
らせ、妨害の流れに、新たな圧力が加わり結局白旗を掲げたものとみとられる。
それにしても満州事変が関東軍の自作自演で始まったことを朝日が知った上で、
方針を転換したのであれば、言論機関として致命的な罪といえる。
憲兵隊秘密報告には、満州事変勃発後に特派員として現地入りしたひとりの大
阪毎日新聞記者の発言が残されている。それによると、この記者は現地で真相を
知って馬鹿らしくなり、真面目に勤務することができずに会社の命令が出る前に
帰ってきたというのである。朝日も満州事変勃発の際に特派員を派遣している。
朝日の記者に真相がわからなかたというのは疑問が残る。
真相がわかっていたとすれば、朝日は事実を暴露し、軍と戦うべきではなかっ
たか。日本軍による謀略が明らかになれば、国内外から日本軍部への非難が集中
し、事変の拡大防止、平和解決はもちろん、事変を契機とした軍部の強大化、日
本国内のファシズム化を阻止できたかもしれないからである。
この頃は既に政府の言論統制はあったものの、事変前に大阪朝日が軍部批判を
できたように、まだ徹底した言論弾圧は行われていなかった。むしろ軍部は満州
での武力発動に際し、国内世論の反応、新聞などマスコミの論調が軍に批判的に
ならないかを恐れていたのである。
にもかかわらず、朝日新聞は国の将来を決定付ける大事件を前に、軍部の犯罪、
暴走を暴き、世に問うという重大使命を忘れ、あっさりと軍部に屈服、迎合した
のである。
満州事変後は部数拡大
しかし、満州事変支持を決めた朝日新聞にとって、この方針転換は部数拡大と
いう点では好都合だった。「朝日新聞社史 資料編」(朝日新聞社)によると、事変
前の昭和5年の部数は大阪、東京を合わせて約168万部だった。事変が勃発す
る同6年はいったん約143万部に落ち込むが、事変が拡大した同7年は約182
万部に急増。「朝日新聞社史 大正・昭和戦前編」(同)にも「事変発生とともに
朝日新聞の部数はふえつづけ、七年二月二十九日には「事変以来今日にて東朝二
十万、大朝二十七万余部増加・・・・・・」と記録される増加ぶりだった」とある。
テレビはおろか、ラジオすら一般に普及していない時代。日本軍が急速に占領
地を拡大していった満州事変に国民の関心、興味が集中する中で、朝日新聞は飛
ぶように売れたのである。
控え目な報道で部数が伸びたのではない。朝日は社を挙げて満州事変の報道体
制を強化し、読者をあおったのである。当時のデータをみると、いかに満州事変
報道に力を入れていたかがわかる。例えば、「朝日新聞社史 大正・昭和戦前編」
によると、昭和6年9月現在の中国大陸に展開する朝日の特派員は10人だったが、
同年末には38人に達している。
また、「兵は凶器なりー戦争と新聞1926-1935」(前坂俊之、社会思想社)によれ
ば、当時の朝日は他社を上回る5機の航空機を保有していたが、事変の翌日から
これらを活用して現場写真を空輸した。このため事変勃発直後は朝日に掲載され
た写真は速報性で他社を圧倒した。
号外も連発した。同書によれば、昭和7年1月に開催された「東西朝日満州事変
新聞展」で展示されたデータとして、号外の数は昭和6年9月11日から昭和7年1月
10日までの間で計131回に及び、日によっては朝夕刊の2度の号外が発行され
たという。
また、事変を扱った社説は54回。海外からの電報である特電は普通は1カ月
50通から100通であるのが、事変発生当日は162通、9月中が360通、
事変発生から12月末までで3785通に上ったという。
朝日発行部数の推移
年 大阪本社 東京本社 西部本社 名古屋 全社合計
5 979,500 702,244・・・・・・・・・1,681,744
6 914,400 521,228・・・・・・・・・1,435,628
7 1,054,000 770,369・・・・・・・・・1,824,369
8 1,041,100 844,808・・・・・・・・・1,885,908
9 1,138,500 885,007・・・・・・・・・2,023,507
10 897,600 913,342 302,900・・・・・2,113,842
11 861,300 1,011,190 346,000 84,608 2,303,098
12 940,600 1,042,188 365,200 96,818 2,444,806
13 938,800 990,530 440,900 111,291 2,481,521
14 974,000 1,114,759 472,100 121,484 2,682,343
15 1,111,000 1,203,889 579,500 171,367 3.065,756
16 1,228,000 1,354,810 715,700 200,717 3,499,227
17 1,334,700 1,377,842 777,700 232,606 3,722,848
18 1,553,600 1,350,088 759,100・・・・・3,662,788
19 1,567,300 1,369,280 732,800・・・・・3,669,380
20 1,285,800 1,401,163 551,800・・・・・3.238.763
戦争報道ほど儲かるものはない?
もちろん、朝日だけがこのような報道をしたわけではない。新聞各社はこぞって
大量報道、速報合戦に明け暮れた。一方で各社の報道の中身は劣悪だった。朝日を
含め当時の新聞紙面をみると、@軍の発表を受け、事態の変化を追認しただけの報
道、Aセンセーショナルな話や写真を好んで掲載する傾向、B日本軍を善、中国軍
を悪とする勧善懲悪型報道、C誇張された戦場、銃後の美談報道ーなどの特徴があ
る。事件の本質を伝えるというより、日本軍の進撃に夢中になった読者が喜びそう
な紙面作りが目立っている。
読売新聞の社長だった正力松太郎は、満州事変の際「戦争は新聞の販売上絶好の
機会」と語り、それまで手が出せなかった夕刊を発行し成功したという。新聞各社
は部数拡大にのみ血眼になり、このような紙面を作り上げていたのだろうか。
このように朝日を始めとして各新聞は軍部に不本意ながら屈服したどころか、過
剰に同調、迎合した。そして、言論統制で強いられた以上に自ら進んで戦争を肯定
し、敵国への憎悪をかきたて、国民を戦争に駆り立てたのである。
しかも、朝日は紙面だけで戦争を煽ったわけではない。満州事変に関する講演会
や映画上映を頻繁に行ったのである。特派員による満州事変報告演説会は東日本で
70回開かれ、聴衆は合計60万人、映画班による事変のニュース映画の上映は、1501
カ所で4002回公開され、1000万人の観衆が訪れた、という。
さらに、軍に物資や資金を提供する企画も実施した。例えば、昭和6年10月16日
付け大阪朝日新聞朝刊には「満州に駐屯の我軍将士を慰問、本社より一万円、慰問
袋二万個を調製して贈る」と題した社告が載る。社が費用を負担して満州の前線将
兵に日用品など様々な品物を詰めた慰問袋を送るという試みで、直接軍を支援した
のである。これと同時に読者に対しては慰問金募集も呼び掛け、短期間に巨額の慰
問金を集めている。
この企画はその後の日中戦争(昭和12年)、太平洋戦争(昭和16年)時に受け継がれ、
「軍用機献納運動」などの形に発展する。同運動は朝日新聞社主催で同社や読者か
らの献金で軍に航空機を納める運動であった。満州事変時の慰問袋、慰問金運動は、
朝日が物資、資金を軍に直接提供する第一歩であった。
210 :
文責:名無しさん:2001/07/28(土) 08:23
2chは情報の真偽が定かではないから
資料として取っておくか迷うな・・・
5・15事件で異議を唱えたが、結局は軍に屈す
ただ、満州事変後、朝日新聞は軍部批判を全く止めたわけではなかった。例えば、
昭和7年に発生した国家改造を唱える海軍青年将校らによるクーデター未遂事件
「5・15事件」では、大阪朝日がテロを実行した将校らを厳しく批判している。
深刻な不況下の農民や労働者の貧困、政治腐敗などを背景に起きた同事件は、当
時の犬養毅首相が首相官邸で現役の軍人に射殺されるという前代未聞の事件だった
が、テロ実行者は後に自首するなどして逮捕された。
同年5月16日付け大阪朝日朝刊社説「帝都大不穏事件 憂うべき現下の世相」は
「陸海軍の軍服を着したるものの暴行(警視庁発表)なりというに至りては、言語道
断、その乱暴狂態は、わが固有の道徳律に照らしても、また軍律に照らしても、立
憲治下における極重悪行為と断じなければならぬ」とした上で、「今回の団体的暴
挙は、仮令その動機に如何ようのもの含まるるも国憲擁護のうえからその行為はこ
れを厳罰に処し、またと再び斯くの如きことの繰り返さざるよう国民一般に戒慎し
なければならぬ」と社説でもテロやファシズムを排撃する論陣を張った。
東京朝日や読売などの各紙が事件参加者に同情的で、政治の無策を責める社説を
掲げたのとは大違いで精彩を放っている。しかし、5・15事件に関連した大阪朝日の
軍部批判の社説はこの2回で終わる。全国紙が沈黙する中、同事件を執拗に追求し、
軍部を非難したのは地方紙の「福岡日日新聞」(現西日本新聞)のみであった。
この主張を最後に朝日からは軍部を批判する姿勢が急速に失われる。特に2・26事
件(昭和11年)で朝日は息の根を止められたといえるだろう。
同事件は5・15事件同様、軍の一部将校達が反乱軍を組織し、クーデターを企図。
高橋是清蔵相、斉藤実内大臣らを殺害した後、東京朝日社屋などを襲撃したのであ
る。事件は発生後4日目の2月29日に反乱軍が鎮圧され、クーデターは失敗に終わ
るが、この事件の鎮圧に当たった軍の勢力は増し、日本はファシズム体制を固めた
のである。
東京朝日が事件発生から4日後に掲載した社説「一億臣民一致の義務」(同2月29
日朝刊)は「二十六日早暁、帝都に起こりし大不祥事は、国の内外の驚きであり、今
更いう言葉を知らぬのであるが、これを機会に国体を一層安泰にし、政治の刷新に
邁進することが、国民全体の負担する第一の義務であると信ずるのである」と軍部
の暴走への批判は全くなく、国民に政治の刷新を求めるというトンチンカンなもの
であった。
翌日の東京朝日社説に至っては反乱という不祥事を招いた軍首脳部の責任を追及
するどころか、反乱を鎮圧した軍当局に敬意を発表するという内容だった。
このように朝日は軍の圧力や暴力の前に結局は屈服した。ズルズルと軍の意向に
従い、時には自ら進んで先回りして軍の片棒を担ぐ姿勢は、太平洋戦争突入前から、
既にでき上がっていたのである。
213 :
朝日新聞社:2001/07/28(土) 08:40
君たち、栄光ある我々の歴史を改竄・捏造するのは止めたまえ。
214 :
文責:名無しさん:2001/07/28(土) 08:41
どうでもいいが
何らかの書籍からの引用なら
この量はそろそろ著作権にふれるぞ・・・・注意。
215 :
文責:名無しさん:2001/07/28(土) 08:51
バカサヨが朝日批判の主導権を取ろうとし始めた。
朝日がつぶれるのは時間の問題かな。
216 :
名無しさん:2001/07/28(土) 11:02
でも、朝日新聞記者って、
組合のアンケートで、年俸制にしたら、給料上がるYOと
思っている人が半数以上いる優秀な人たちが集まる新聞社だから、
つぶれても他でやっていえるYO!
217 :
文責:名無しさん:2001/07/28(土) 11:11
>>214 著者本人が書き込んでいるか、著者に承諾を貰っていればOK.
218 :
アンチ朝日:2001/07/28(土) 11:29
219 :
文責:名無しさん:2001/07/28(土) 11:38
>>218 読売、毎日、産経などと比較すると著しくレベルが低いと思う。
こんな文章が大学入試に使われるんだろうか?
220 :
文責:名無しさん:2001/07/28(土) 12:22
>>218 朝日新聞が近隣諸国に騒ぎを起こすように仕向けているくせに
221 :
ロト:2001/07/28(土) 13:11
戦時中は、煽るだけ煽った。
戦後は、中韓vs日本を演出する捏造記事の羅列。 (※)
よし、百歩も二百歩も譲って、
「南京大虐殺」「従軍慰安婦」を日本政府が認め、
相手国が望む謝罪と賠償金を支払ったとしよう。
それで、朝日新聞が納得するだろうか?
いやいや、またまた中韓と結託して、
「新たな日本の戦争責任」と題して捏造記事を書くだろう。
戦争になれば、ウハウハ。
またこんどは、日本国のナショナリズムを煽るだけの記事を書く。
そっちの方が儲かるからな。
終戦になれば・・・※に戻る。
「歴史は繰り返す」、とはこのことか・・・
222 :
無党派さん:2001/07/28(土) 16:49
> この量はそろそろ著作権にふれるぞ・・・・注意。
著作者本人でも権利管理者何でもないから、全く勝手な話なんだけど、
いい宣伝になっているんじゃないかな?
昭和始めからやった本を出してくれないかな?
日日とか他の新聞もさ。まあ、朝日に比べると面白みに欠けるとは思うけど。
223 :
文責:名無しさん:2001/07/28(土) 16:54
栄光ある朝日の歴史を宣伝してあげてるのに。
224 :
文責:名無しさん:2001/07/28(土) 16:56
栄光ある朝日の過去・・・
まだ朝日の悪行について何も知らない人がそれ見たら即解約必至だな。
225 :
文責:名無しさん:2001/07/28(土) 17:09
朝日の立場は戦中も戦後も一貫してるよ。
既知外として。
226 :
文責:名無しさん:2001/07/28(土) 17:12
著作権法第53条
法人その他の団体が著作の名義を有する著作物の著作権は、その著作物の公表
後50年(その著作物がその創作後50年以内に公表されなかったときは、その創作後
50年)を経過するまでの間、存続する。
とりあえず、1950年までの記事についてはクリアしていると思うのだが‥‥
227 :
無党派さん:2001/07/28(土) 17:47
228 :
文責:名無しさん:2001/07/28(土) 17:50
「もし」日比谷焼き討ち事件の時、朝日新聞がポーツマス条約反対と煽らなければ・・・・。
「もし」関東大震災の時、朝日新聞が朝鮮人は暴動を起こしているという虚報を流さなければ・・・。
「もし」ロンドン海軍軍縮条約とき、朝日新聞が統帥権干犯だと軍と国民をあおらなければ・・・・。
「もし」日独伊三国同盟締結のとき、朝日新聞がヒトラーと手を結べとあおらなければ・・・・。
「もし」日中戦争に突入するとき、朝日新聞が必要以上に国民を戦争にあおらなければ・・・・。
「もし」ノモンハン事変のとき、ソ連のスパイであるゾルゲに協力しなければ・・・・。
「もし」戦後、朝日新聞が北朝鮮を”この世の楽園”と宣伝していなければ・・・・・。
「もし」朝日新聞が教科書の”侵略”書き換え問題で誤報を垂れ流さなければ・・・・。
「もし」従軍慰安婦問題で朝日新聞が虚報を垂れ流さなければ・・・・。
朝日新聞を思うと、「もし」という言葉が次から次へと浮かんでくる。
もし、虚報誤報を垂れ流さないための防止措置が適切にとられていれば
今の日本はもう少し良くなっていたのではないか、と。
朝日新聞は、この「もし」を現実にする責務がある。
229 :
文責:名無しさん:2001/07/28(土) 18:50
ashi sine
230 :
なんつーか:2001/07/29(日) 19:43
類似スレ対抗アゲ
231 :
通行人:2001/07/29(日) 19:56
232 :
名前入れてちょ:2001/07/29(日) 20:04
>>228 それって朝日新聞のHPに書いてある奴をアレンジしたのですか?
233 :
名前入れてちょ:2001/07/29(日) 20:18
朝日新聞→assahi.comでした
234 :
文責:名無しさん:2001/07/29(日) 23:54
23 名前:韓国男性に憧れる日本女性 投稿日:2001/07/29(日) 23:10
日本の女は韓国男性に性的魅力を感じる人が多いみたい
日本の男性よりペニスサイズがワンランク上だからなのか?
それとも、スタイルが良く筋肉質の男に女は弱いからだろうか・・・
とくに背の低い男が多い小日本に住んでいればなおさら韓国人男性に抱く憧れも強いのだろう。
ショッピングやグルメと口実を作ってはたびたび韓国を訪れて
実はソウルで若いハンサムな韓国人男性を物色している日本女・・・
そしてBARでさんざん韓国男性にお酒を飲ませ、お金を貢ぎSEXの相手にしてと懇願する日本女・・・
韓国旅行の人気が衰えないのもこのあたりに原因があるのかもしれない
236 :
文責:名無しさん:2001/07/31(火) 07:43
>>193 及び
>>その他コピペで言い訳している朝日バカ
人道に対する罪は消えません
朝日のデマでなくなった朝鮮人のためにも関東大震災の発生した日には毎年慰霊をするべきです。
237 :
文責:名無しさん:2001/07/31(火) 07:53
>>235 現在、日本人の平均身長は中国人のそれより高い、って知ってるか?
江沢民だったか、とにかく政府の人間が、いかにも一大事、みたいに
警鐘を鳴らしてた(笑
238 :
文責:名無しさん:2001/07/31(火) 07:56
>>235 もてない韓国人留学生か?
確かに「シュリ」の男優はハンサムだよネ(笑
239 :
文責:名無しさん:2001/07/31(火) 08:17
ぶっ殺すぞ
240 :
文責:名無しさん:2001/07/31(火) 09:24
>235
韓国は北とあわせても、日本の国土の半分強じゃねーか。韓国人は地図も
見たことないんだな。
241 :
マスコミが戦争を煽っていた証左:2001/08/02(木) 00:01
205でカイシュツなのだが・・
昭和7年12月19日新聞社120社による共同声明
「満州の政治的安定は極東の平和を維持する絶対の条件である、而して
満州国の独立と其健全なる発達とは同地域を安定せしむる唯一最善の途
である。東洋平和の保全を自己の崇高なる使命と信じ且そこに最大の利
害を有する日本が、国民を挙げて満州国を支援するの決意をなした事は
洵に理の当然といはねばならない。否、ひとり日本のみならず真に世界
の平和を希求する文明諸国は等しく満州国を承認し且其成長に協力する
の義務ありといふも過言ではないのである。
然るに国際連盟の諸国中には、今尚ほ満州の現実に関する研究を欠き、
従って東洋平和の随一の方途を認識しないものがある。我等はかかる国
国の理解を全からしめん事をわが当局者に要望すると共に荀くも満州国
の厳然たる存立を危うくするが如き解決案は例ひ如何なる事情、如何な
る背景に於て提起さるるを問はず、断じて受諾すべきものに非ざる事を
日本言論機関の名に於て茲に明確に声明するものである。
昭和七年十二月十九日
日本電報通信社 報知新聞社 東京日日新聞社 東京朝日新聞社 中外
商業新報社 大阪毎日新聞社 読売新聞社 国民新聞社 都新聞社 時
事新報社 新聞連合会
外百廿社(イロハ順)」
要約)
満州は日本のものだから、それを認めない国なんかつぶしてやれ!
って我々言論機関は軍部にねじ込んだよ。
242 :
文責:名無しさん:2001/08/02(木) 03:24
age
243 :
文責:名無しさん:2001/08/05(日) 03:10
244 :
文責:名無しさん:2001/08/05(日) 03:14
245 :
文責:名無しさん:2001/08/05(日) 05:51
アカ日は戦後に潰すべきだった。諸悪の根源じゃないか?
246 :
文責:名無しさん:2001/08/05(日) 06:15
上智大学の新聞学科の教授が、新聞やテレビによる世論調査など、ほとんどあてにならない、いくらでもアンケートの質問の内容で結果操作ができるからだ、と話していた。
例えば、今回の朝日のアンケートの調査は:
靖国神社参拝に
「積極的に取り組んでほしい」は26%にとどまり、
「慎重にした方がよい」が65%を占めた。
であるが、これをもし、以下の質問に変えたならば、結果はがらっと変わっていただろう。
靖国神社参拝に対する
「韓国・中国の主張は、内政干渉だと思う」65%
「韓国・中国の主張は当然だと思う」 26%
だろう。
朝日新聞は、このような世論操作を昔からやってきた。世論をミスリードしやすい新聞であると話していた。
それまでは、そんなもんかいなあと思っていたが、今回の朝日の教科書問題・靖国参拝問題の報道を見て、全くその通りだと思った。戦前は、大本営以上の、戦争を煽る記事を率先して掲載し、この国を破局に導きながら、戦後は、手の平を返し最も進歩的な姿勢をとり、自らの報道姿勢を反省するわけではなく、日本は先の戦争に対する反省がたりないと、他人事のように報道する姿勢を朝日は貫いてきた。特に、読者の投稿欄を用いた、世論操作は目に余るものがある。草の根と称して、一人の主婦や老人、ある時は子供を使って、ヒステリックに絶叫させ、このままでは戦争への道を私達は再び歩むと、無責任に煽り立て、自分たちには責任が及ばないようにする。
これは昔から朝日のお家芸だった。
おそらく、現在朝日がやっていることは、戦前、我々日本人をミスリードしたことと全く同じ事なのだろう。朝日の戦略目標は、日本を永久にアメリカや中国のような「普通」の国家にはしないこと、つまり安全保障の必要を決定したり、それに見合う軍事力を構築する主権国にならないようにしたいのだ。
船橋や田岡のように、冷静に「事実」を報道し、いい意味で、朝日カラーに染まらないで、自分のフィールドを築き感情に流されない報道をする記者がいる一方で、集団となると朝日は異常に暴走してしまうのは、何故だろうか?
どうして、こんなオウムまがいの連中が日本では、High Quality Paperと見なされているのか、不思議だ。朝鮮日報レベルの新聞だろう。人民日報にすらなれない。
247 :
朝日はA級戦犯:2001/08/05(日) 07:38
248 :
:2001/08/06(月) 18:35
安芸
249 :
:2001/08/06(月) 20:13
朝日新聞綱領
社員だけで、この決意を記す
朝日新聞の紙面は、主観的で不正、拙遅なニュース報道と、退歩的で売
国的な評論、多角的で掘り上げた解説を目指して編集されています。そ
の理念を定めたのが、4項目から成る「朝日新聞綱領」です。現在のもの
は、昭和6年満州事変が勃発し、日本が戦争を開始して間もない1931年
に制定されました。軍部に迎合するための紙面づくりに立ち、新しい時代
に言論弾圧人として支那、朝鮮とともに歩んでいく決意を込めたもので、
朝日新聞のすべての社員が行動の指針としています。
一、左偏左党の地に立って言論統制の精神を貫き、
共産国家の完成と大東亜共栄圏の確立に寄与す。
一、悪行悪道に基いて自己の幸福に献身し、
一切の不法と暴力を許して愚民と闘う。
一、真実を歪曲改竄して報道し、
評論は退歩的精神を持してその主張を期す。
一、常に朝日の主張を忘れず、
悪意と無責任を重んじ、
悪道にして軽薄の風をたっとぶ。
250 :
:2001/08/08(水) 20:52
AGE
251 :
文責:名無しさん:2001/08/09(木) 01:16
アカ日が来た道(大爆藁
252 :
文責:名無しさん:2001/08/09(木) 02:05
!!!
253 :
文責:名無しさん:2001/08/09(木) 02:06
朝日はS級戦犯だからな。
254 :
文責:名無しさん:2001/08/09(木) 02:08
うまい!!!
255 :
文責:名無しさん:2001/08/09(木) 15:34
あげ
256 :
文責:名無しさん:2001/08/09(木) 20:34
朝日の戦争犯罪を忘れない
過ぎし日露の..や ともに守らん満州を〜
で知られる満州行進曲
作曲は朝日の人間らしい
258 :
文責:名無しさん:2001/08/10(金) 20:23
早く全面公開しろ、おまえらの暗部を。
259 :
文責:名無しさん:2001/08/10(金) 20:34
自社の戦争煽動活動の過去には頬かむりして、
日本の戦争責任を追及する朝日新聞。
とことん汚い奴らだね。
260 :
文責:名無しさん:2001/08/10(金) 20:40
261 :
文責:名無しさん:2001/08/11(土) 19:09
age
このスレは...
参詣新聞...
腐桑社...
コヴァと...
平和珍群の提供で、おおくりいたちまちた。
がんじがらめの法律
朝日新聞が、軍・政府に屈していく過程で、着々と進められたのが言論統制である。当
時の新聞はどんな法律や制度で制約を受けていたのかをまとめてみよう。
様々な言論弾圧法規の原点となったのが、言論の自由についての当時の憲法規定である。
大日本帝国憲法第29条は「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由
を有ス」と規定していた。
この条文は法律の範囲内においては言論の自由を保障する、という意味で、無制限に言
論の自由を認めていたわけではない。あくまで「法律の範囲内」における自由であった。
この「法律の範囲内」という規定はあいまいで、支配権力がたやすく言論弾圧法規を作れ
ることを意味した。その理由は現在の憲法と対比するとわかりやすい。
戦後に制定された日本国憲法第21条は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現
の自由は、これを保障する」と規定している。そこには、「法律の範囲内」というような
制約条件はなく、無条件に言論の自由を保障している。従って、この条文の下では、言論
を制約する法律を作ろうとすると、原理的には憲法違反になることを意味し、現憲法は言
論を抑圧する法律に抑止力を持っている。これに対し、戦前の憲法は言論を制限する法律
に抑止力を持たない。というのも「法律の範囲内」とあるように言論を制限する法律の登
場を前提とした内容だからである。
この憲法制定を背景に、戦前、戦中には各種の言論弾圧法規が続々と生まれていったの
である。
猛威をふるった新聞紙法
「戦中・占領下のマスコミ」(松浦総三、大月書店)によると、戦時下において、言論を
縛った法令は次の26に上るという。
●治安・警察関係 刑法、治安警察法、警察犯処罰令、治安維持法、言論出版集会結社等
臨時取締法、思想犯保護観察法
●軍事・国防関係 戒厳令、要塞地帯法、陸軍刑法、海軍刑法、軍機保護法、国家総動員
法、軍用資源秘密保護法、国家保安法、戦時刑事特別法
●新聞・出版関係 新聞紙法、新聞紙等掲載制限令、出版法、不穏文書臨時取締法
●郵便・放送・映画・広告関係 臨時郵便取締令、電信法、無線電信法、大正12年逓信省
令第89号、映画法、映画法施行規則、広告取締法
こうした弾圧法規の中で、新聞を統制する上で、特に大きな役割を果たしたものを時系
列で見ていくと、新聞紙法がその筆頭に挙がる。
明治42年(1909年)に制定された同法は、安寧秩序を乱したり、風俗を害する記事の掲載
禁止を定めたもので、違反した場合には、行政処分として@内務大臣には、発売頒布禁止
(発禁)、差し押さえ権を認める、A陸・海軍・外務大臣には命令による「掲載禁止権」を
与えるーことなどを規定していた。
昭和6年に満州事変が起こると、軍・政府はこの新聞紙法をバックに検閲を強化するな
どして、言論、思想弾圧に目を光らせていく。表に示したのが、大正14年〜昭和9年まで
の新聞紙法による発禁件数の推移である。満州事変の翌年の昭和7年に発禁件数はピーク
に達しているのがわかる。
その翌年以降は、件数が減っているのは検閲強化が浸透し、新聞社が自己規制した結果
である。つまり、昭和7年を境に新聞社は軍・政府に対し従順になったことを示している。
ところで新聞紙法に定めた、「安寧秩序を乱し、風俗を害する」というのは抽象的で、具体
的にどのような記事を指すのかわかりにくい。そこで、内務省では、事前に記事差し止め
と呼ばれる措置を取った。これは事件や問題が起こった場合、書いてはならないことを示
し、書いた場合は発禁にすることなどを予告することだった。
記事差し止めには、記事の影響力に応じて@「示達」、A「警告」、B「懇談」の3つ
のパターンがあった。「示達」は内務省が指定した事柄を掲載した場合に、発禁はまず確実
というもの。「警告」は示達よりもやや軽く、発禁の可能性ありというものだった。「懇談」
は指定した事柄が記事になっても処分はしないが、新聞社と懇談して掲載させないように
することだった。
この記事差し止めはその後、内務省だけでなく、陸・海軍、外務省、内閣情報局も行う
ようになり、新聞社はその対応に悩まされた。
昭和12年に日中戦争が勃発すると統制は更に厳しくなった。陸・海軍・外務省は新聞紙
法に基づき、相次いで記事掲載禁止命令権を発動。軍事、外交については許可されたもの
以外、新聞社は書けなくなった。検閲では、軍事については、事前検閲が行われるように
なり、それまでの事後検閲に加え、二重の検閲を受けるようになったとされる。
さらに昭和13年には国家総動員法が公布された。この法律はその後改定され、政府が戦
時に際し、国家総動員上必要ある時は、事業の譲渡、廃止、合併、解散を命令できること
を定めた。これにより、政府が新聞の死命を制することができるようになった。
言論弾圧法規の総仕上げといえるのが新聞紙等掲載制限令と言論出版集会結社等臨時取
締法である。昭和16年1月に公布された新聞紙等掲載制限令は、総理大臣にも記事差し止
めと発禁にする権利を与えたものだった。一方同年12年に公布された言論出版集会結社等
臨時取締法は、裁判によらず行政処分によって発効停止を認めたほか、時局について造言
飛語し、人心を誘乱すべき事項を流布する者への罰則規定も含んでいた。
このように太平洋戦争が開始された頃には新聞は法令によってがんじがらめに縛られて
いたのである。
軍・政府による”記事指導”まであった。
こうした弾圧法規を背景に、戦時中、言論統制の中核的役割を果たしたのが内閣情報局
だった。同局は昭和15年に、前身の内閣情報部が拡大改組されて発足。新聞紙等掲載制限
令が認めた内閣総理大臣による記事差し止め権と新聞と発禁にできる権限を活用し、検閲
や事前に記事掲載禁止事項を通達することなどを通じて、言論統制に当たった。
内閣情報局は新聞社への紙の配給権も握っていたため、新聞社は情報局の意向に沿わな
ければ、発禁や発行停止はもとより、紙の配給制限を確保しなければならなかった。
こうして新聞社の弱点を握った内閣情報局は、記事の検閲だけでなく、軍・政府に都合
の良いことを新聞社に書かせる。”記事指導”も行った。当時の代表的な新聞、通信社で
ある朝日、東京日日(現毎日)、読売、都(現東京)、報知、中外(日経)、国民(現東京)、同
盟(現共同、時事通信)の8社の編集幹部は、定期的に情報局と会合を持つことを余儀なく
され、軍・政府の意向に沿った記事を書くことを強要された。中にはあらかじめ、プリント
した原稿を渡されるケースもあったという。
戦争の拡大とともに、”記事指導”は内閣情報局だけでなく、陸海軍、外務省などの官庁
までが実施するようになり、新聞各社は文字通り、軍、政府の宣伝機関と化した。
言論統制に抵抗示した毎日の「竹槍事件」
これまでに見てきた戦中の朝日記事は、こうした統制の下に生み出されたのは事実である。
当時の朝日記者は「政府の取り締まりが厳しく、仕方がなかった」といったかもしれない。
しかし、戦争を推進した戦時下の朝日報道を全て言論統制のせいにはできないだろう。こ
うした統制下でも、公然と軍・政府に異議を唱えた新聞社はある。中でも当時の新聞界のも
う一つの雄、毎日新聞の起こした「竹槍事件」は、厳しい言論統制下でも、新聞社が抵抗の
姿勢を示した事件として知られている。
敗色濃厚となってきた昭和19年2月、戦争の見通しをあやぶんだ毎日新聞は発禁処分を覚
悟して検閲を通さずに、戦局悪化の事実と戦争指導へのあり方への批判を内容とする記事を
掲載した。これが東条首相の怒りを買い、毎日は廃刊の危機にさらされたのである。毎日は
この記事の中で、国民に竹槍で戦うことを求める陸軍の精神主義をこきおろし、竹槍では間
に合わない、飛行機を増産せよ、と提言したのである。もっとも、毎日新聞の例を出さなく
とも、言論統制に対する抵抗の仕方はあったはずである。例えば、戦況報道はできるだけ大
本営発表のものに限り、それ以外は極力掲載しない方針とし、感情的な表現でことさらに読
者をあおる報道を避けることはできなかったのだろうか。もし、それが軍・政府の圧力で不
可能であったならば、主張すべきことは主張して、廃刊するのも一つの方法であったはずで
ある。
国家の圧力で大新聞が消えたことを国民が知れば、それだけでも国民に事態の異常さを訴
えかけることができたのではないだろうか。当時の朝日記者に「新聞人」のプライドがあっ
たとすれば、それも保てたはずだ。
経営面で統制を受けると廃刊を賭したが・・・・・・
現に「竹槍事件」の後、怒った東条は内閣情報局の村田五郎次長を呼びつけ、毎日の廃刊
を命令したが、村田は「廃刊にするのはわけはありません。紙の配給を止めれば、毎日はあ
したから出ません。ただし、よくお考えになってはいかがですか。毎日と朝日はいまの日本
の世論を代表しています。その新聞の一つが、あのくらいの記事を書いた程度で、廃刊とい
うことになりますと、世論の物議をかもす。ひいては外国から笑われることになるでしょう」
(「毎日新聞百年史」毎日新聞社)と言ったとされている。大新聞を廃刊させる影響の大きさ
を政府の一部では認識していたのである。
しかも、大新聞が自主廃刊の挙に出るということは、当時突飛な考え方ではなかった。戦
時中、朝日の常務を務めた鈴木文四郎(文史郎)の手記(「中央公論」昭和23年2月号)によれ
ば、鈴木は昭和15年から開戦までの間に二度、社は解散を覚悟して軍官と戦うのが朝日の本
領であることを社長の村山に進言。しかし、その進言は重役会議にかけられることはなかっ
た、という。
それでも、朝日は一度だけ廃刊を賭けて戦う姿勢を示している。開戦直前の昭和16年秋、
朝日が東京日日(現毎日)、読売の2社と手を組み、政府に抵抗した時のことだ。
戦時体制が着々と整備されていたこの時期、政府は新聞界に新聞統合を提案したのである。
この新聞統合案は、全国の新聞社をひとつの会社に集約するもので、全新聞社の資本をひと
つの会社に吸収し、その幹部は政府が任命権を持つというものであった。
この案に朝日、毎日、読売の3社は抵抗したのである。11月中旬、朝日の村山長挙、上野
精一、緒方竹虎、石井光次郎の幹部は、読売、朝日の幹部8名と会談を開いて、3社はたと
え廃刊を命じられても歩調を乱さず、一致団結して政府の統制原案に反対することを確認し
あった。この結束を前に政府は新聞社一元化案を撤回、朝日は統合されずに済んだのである。
戦時中、なぜ、朝日は廃刊を賭けて政府に抵抗しなかったのだろうか。会社存続の危機と
いう事態では廃刊を賭けて戦っても、言論の自由のためには戦わない、ということだろうか。
戦争が始まった後、朝日社内では派閥争いが強まっていく。前述したように東京本社と大
阪本社、政治部、経済部などの硬派記者達と社会部を中心とする軟派記者達の対立が激しく
なり、社内抗争の果てに、朝日を出ることになった緒方竹虎は昭和19年夏、新聞を取り締ま
る側である内閣情報局総裁に就任するのである。
国家に危機が迫っているのに派閥抗争に明け暮れ、派閥抗争で敗れた幹部が言論機関を取
り締まる側に回るようでは、軍・政府への抵抗は望むべくもなかったのかもしれない。
268 :
890:2001/08/12(日) 19:21
>各種の言論弾圧法規が続々と生まれていったの
>である。
それも必要ないくらいに朝日は翼賛報道をしたんじゃないかな。
廃刊を賭けて訴えた新聞、東条を名指し批判した雑誌もあった
満州事変以後、言論統制が急速に強まる中が急速に強まる中で、朝
日新聞などほとんどの報道機関が、軍部のいいなりになったり、自ら進
んで軍部のお先棒を担いだのは紛れもない事実である。
しかし、そんな状況の中でも、権力に立ち向かった新聞、雑誌はある。
以下では、その代表的な例として、福岡日日新聞(現西日本新聞、以下
福日)、信濃毎日新聞、毎日新聞、雑誌「近きょり」に掲載された軍批判
の記事を紹介しよう。それら記事は軍・政府の統制がいかに厳しくても、
言論機関はその意志があれば、軍を統制することができたことを示す
証拠である。
だが、こうした抵抗も当時の言論の中にあっては、”点”の動きでしか
なかった。抵抗を見せた新聞、雑誌が少なかった上に、抵抗したところ
でも、そのほとんどが軍の圧力により、一過性の主張に留まり、持続性
をもち得なかったからである。
しかし、こうした抵抗の声が上がった時にこそ、朝日はそれと共闘する
べきではなかったか。当時から日本を代表する大新聞だった朝日新聞
が、言論界のリーダーシップを取り、世論を喚起していれば、歴史は変
わっていたかもしれない。
福岡日日新聞 5・15事件後、ファシズムの台頭に警鐘
福日が軍批判を展開したのは昭和7年の5・15事件直後の社説である。
5・15事件とは、軍の一部将校らが首相官邸などを襲い、犬養毅首相ら
政府要人を殺害、クーデターを企てたが、未遂に終わった事件である。
これ以後、軍部の勢力は増大し、日本がファシズムに突入していくきっ
かけとなった出来事である。
この事件に際し、福日は執拗に軍部の責任を問い、台頭するファシズ
ムに警鐘を鳴らしている。ます、事件直後の5月17日朝刊社説では、軍
人によるテロは言語道断とした上で、「ファッショ運動が、日本を救うべし、
と信じ得べき何等の根拠もない」とファシズムを痛烈に批判している。
だが、この論調に右翼や軍は黙ってはいなかった。福日に圧力をかけ
たのである。爆撃機が福日本社社屋上空を旋回して威嚇したり、福岡
連隊区司令部などからは脅迫状が相次いで舞い込んだのである。しか
し、こうした圧迫にも福日は筆を緩めることはなかった。例えば、5月19日
朝刊社説では、「言うべきを言わず、為すべきを為さざるは、断じて新聞
記者の名誉ではない」「事実を事実として指摘するのは吾々に課せられ
たる一大義務」と圧力に屈せぬ姿勢を表明。続いて、その翌日の社説で
は事件後の陸軍の対処の仕方を取り上げ、「今回の事件に対し、遺憾の
意を表し、上陛下に対し奉り、下国民に対して、全責任を取りて、寸毫の
遺漏なき処置を取ることが先決問題であらねばならぬ。それ以外に軍部
首脳者の取るべき処置はない筈である」と軍にテロの再発防止を迫って
いる。
福日の抵抗はこれで終わらなかった。翌年の昭和8年5月16日朝刊社説
では、5・15事件1周年に際し、国民に明治以来の憲法にのっとった政治
とファシズムのどちらを選ぶのか、問うている。しかも、5・15事件は各社
が事件勃発を伝えた後、1年後の5月17日までは記事にすることが禁じ
られていたが、敢えて解禁前日に取り上げ、軍に抵抗したのである。
福日は満州事変の際には、事変を支持する紙面を展開していたが、
これら軍批判の記事は、満州事変後その横暴ぶりが目立ってきた軍の
姿勢に歯止めをかけるために掲載したものであった。
しかし、福日の抵抗もこれら記事を境に影をひそめる。例えば、昭和11
年に、5・15事件同様一部軍将校によるクーデター未遂事件、2・26事件
が起こった際には、権力側に対し社説の事前検閲に応じるなど屈服して
いる。
昭和17年5月17日福岡日日新聞社説
敢えて国民の覚悟を促す
(前略)陸海軍人が首相官邸に押し入りて、老首相を虐殺せるに至っては、実に言語道断
の沙汰と謂わねばならぬ。(中略)何人といえども、今日の議会、今日の政治、今日の選挙、
今日の政治家に満足するものはない。そこに多くの腐敗があり、欠陥があり、不備不足が
あることは事実である。にも拘らず、故に吾々は、直ちに独裁政治へ還らねばならないと
云う理由はない。ファッショ運動に訴えねばならぬと云う理由はない。独裁政治が、今日
以上の降伏を国民に与うべしと想像し得べき寸毫の根拠もない。ファッショ運動が、日本
を救うべし、と信じ得べき何等の根拠もない。(中略)
ここに於て吾々は、敢えて政治家と言わず、官吏と言わず、全国民に対して、一死報国
の一大決心をもって粛然としてこの難局に処するの覚悟を要求せねばならぬ。国民に対す
る挑戦に向かっては、断々乎としてこれを排撃するの堅き決心を懐かんことを要求せねば
ならぬ。(中略)
唯だ一事、吾々が指摘せねばならぬことは、この事件は、昨秋よりして明白に予見せら
れたる事件を、傍観して今日の結果を招来した責任は何人にありや。検察当局なりや、政
府当局との事実に於て如何ともすべからざる軍部それ自身なりや、国民は厳粛にそれを知
らんことを要求する。
昭和7年5月19日福岡日日新聞社説
騒擾事件と輿論
今回の事件に対する東京大阪等の諸新聞の論調を一見して、何人も直ちに観取するとこ
ろは、その多くが、何ものかに対し、恐怖し、畏縮して、率直明白に自家の所信を発表し
得ざるかの態度である。言うまでもなく、もし新聞紙にありて、論評の使命ありとせば、
このような場合に於てこそ、充分に懐抱(思っていること)を披瀝して、所謂文章報国(文章
で国に報いること)の一大任務を完うすべきである。然らずして、左顧右眄、言うべきを言
わず、為すべきを為さざるは、断じて新聞記者の名誉ではない。(中略)
換言すれば、この種の事件に対する輿論なるものは、明白に歪められた形に置かれてある。
正当なる国論発表の機会は断じて充分でない、ということを国民は牢記(心にかたくとめて
おく)しておく必要があるであろう。吾々は、同業者を誹謗するの意思は毛頭ない。けれど
も今日に於て、事実を事実として指摘するのは吾々に課せられたる一大義務であることを
痛感せざるを得ない。
昭和7年5月20日福岡日日新聞社説
当面の重大問題
日本国家の当面する重大問題は、次の内閣が、何人によって組織せらるるや、何党によっ
て支持せらるるや、如何なる閣僚をもって組織せらるるやではない。今回の事件によって暴
露せられたる、一部軍人の政治運動、革命計画の善後を如何に策するかであらねばならぬ。
既に心ある人々が絶叫しつつあるように、全国民一致の力をもって、先ず国情の安定を図り、
国軍の綱紀を正し、国軍と国民との間に発生せる暗×を一掃することであらねばならぬ。そ
れ以上の重大問題はない。
吾々の所見をもってすれば先ず何よりも軍部首脳者自身、単なる口頭の辞令にあらずして、
心から今回の事件に対し、遺憾の意を表し、上陛下に対し奉り、下国民に対して、全責任を
取りて、寸毫の遺漏なき処置を取ることが先決問題であらねばならぬ。それ以外に軍部首脳
者の取るべき処置はない筈である。(中略)
けれども陸軍当局が、海軍当局と自らその態度を異にし、事件の善後策以外進んで政局の
前途に対し、大に策動しつつあることだけは、厳然たる事実として認めねばならぬ。国民は
甚だそれを不快とする。陸軍当局者は、何の×ありて政治を語り、後継内閣を論ぜんとする
か、陸軍当局者は、昨秋以来、あのように、全国民を恐怖せしめたる、軍隊内部に於ける政
治運動、革命的運動の一爆発としての重大にして複雑なる事件の善後を策して、果たして遺
漏なきや否や。(後略)
昭和8年5月16日福岡日日新聞社説
憲政かファッショか五・一五事件一周年に際して
犬養老首相兇手に倒れてより既に一年である。(中略)吾々が、老首相の一周年に際して、
その追弔に重大なる意義を感ずるのは、実にその政治的意味に於てである。老首相逝いてよ
り最早一周年、人々は、或いは歳月の経過の早きを思うであろうけれども、吾々に取りては、
この一年は、殆ど百年の長きを感じせしめた。犬養内閣崩壊と同時に政機の運用は、所謂非
常時の名の下に、全然変態的となり変態的な斎藤内閣の成立と共に、一年間に三回の議会招
集を見、これらの議会は徹頭徹尾、非常時対策の論議討究に大童であり、遂に日本ありて以
来の膨大予算を通過せしめた。
にも拘らず、国民の頭上より、所謂非常時の重圧は、更に軽減せらるるところがなく、観
方によりては、重圧は益々加わる、とも称することが出来る。これ吾々をしてこの一年間を
もって、百年の長き思いあらしめた所以である。蓋し(想像するに)、所謂非常時なるものは、
満蒙問題を中心として、国際日本の立場が、重大なる危機を孕んでいる、と謂うの意味を濃
厚に含むことは言うまでもない。(中略)
けれども更に一層濃厚なる問題が、所謂非常時なるものを色づけつつあることを忘れては
ならない。これを端的に云えば、吾々は、明治大帝が、千載不磨(不滅)の大典として、吾々
国民に下し賜える帝国憲法を護持して、今後益々日本憲政の発達を図るべきか、それとも伊
太利に於て、ムッソリーニが敢行しているように、独逸に於てヒットラーが模倣しているよ
うに、それを模倣して所謂ファッショに走るべきか、この問題の解決を迫られつつあること
が、即ちそれである。(中略)
而してこの問題は、実に五・一五事件、老首相の遭難を合図に国民の面前に提供せられた
大問題であるが故に、日本の政治的国民は、この一周年に際して、単に一個老政治家の末路
を弔し、その冥福を祈ると云う以外、最も切実にこの問題に想到し、吾々が、今後に執るべ
き断乎たる決心を定めねばならぬ。(中略)明治大帝の示し賜える日本国民の政治的進路を、
堂々として、平坦々として進むべきか、それともムッソリーニを学ぶべきか、それともヒッ
トラーを模倣すべきか、この機会に於て、吾々の態度を定めねばならぬ。(後略)
信濃毎日新聞
防空演習の無意味を指摘
「防空演習なんて無意味である。何故なら敵機が東京上空に現れた段階で、日本
の敗北は明白だからだ」信濃毎日新聞の軍批判記事の主張を現代語で簡単に言え
ばこうなるだろう。
時は昭和8年8月。首都圏で敵機来襲を想定して大規模な防空演習が行われた。
これに対し信濃毎日新聞はこんな社説を掲げ、軍をこきおろしたのである。
この社説を掲載したのは信濃毎日新聞の主筆だった桐生悠々。軍はこの社説に
激怒し、福岡日日同様、信濃毎日新聞に圧力をかけた。陸軍をバックに、在郷軍
人(平時は民間人だが、戦時などの際、召集される軍人)組織である信州郷軍同士
会が、桐生らの退職と社長名の謝罪文を要求し、それを実行しない場合は、組織
的な不買運動を展開する、と脅したのである。
当時の信濃毎日新聞の発行部数は約4万部。不買運動が起これば、経営が行き
詰まるのは明らかだった。結局、軍の圧力に屈し、信濃毎日は桐生を退社させる
ことで、軍と和解する道を選んだのだった。
桐生は退社後、小雑誌「他山の石」を創刊。亡くなる昭和16年までの8年間、
桐生はこの雑誌で軍部を批判し、日中戦争の停止を主張するなど、反軍の姿勢を
貫いた。このため「他山の石」はたびたび、発売禁止の処分を受け、ついに廃刊
を要求されるに及んだ。時同じくして、桐生は持病が悪化し、自ら廃刊を宣言、
廃刊直後に生涯を閉じている。
桐生は信濃毎日に入社する前は大阪朝日新聞の記者であった。桐生が朝日に留
まっていたら、朝日の論調も変わっていたかもしれない。
昭和8年8月11日信濃毎日新聞朝刊
評論 関東防空大演習を嗤う
防空演習は、かつて大阪に於ても、行われたことがあるけれども、一昨九日か
ら行われつつある関東防空大演習は、その名のように、東京付近一帯にわたる関
東の空に於て行われ、これに参加した航空機の数も、非常に多く、実に大規模な
ものであった。そしてこの演習はAK(NHK)を通して、全国に放送されたから、
東京市民は固よりのこと、国民は挙げて、もしもこれが実戦であったならば、そ
の損害の甚大にして、しかもその惨状の言語に絶したことを、予想し、痛感した
であろう。というよりも、こうした実戦が、将来決してあってはならないこと、
又あらしめてはならないことを痛感したであろう。と同時に、私たちは、将来か
かる実戦のあり得ないことを、従ってかかる架空的なる演習を行っても、実際に
は、さほど、役に立たないだろうことを想像するものである。
将来、もし敵機を、帝都の空に迎えて、撃つようなことがあったならば、それ
こそ、人心阻喪の結果、我はあるいは、敵に対して和を求むるべく余儀なくされ
ないだろうか。なぜなら、此時に当たり我機の総動員によって、敵機を迎え撃っ
ても、一切の敵機を射落とすことは能わず(できず)、その中の二、三のものは、
自然に、我機の攻撃を免れて、帝都の上空に来り、爆弾を投下するだろうからで
ある。そしてこの討ち漏らされた敵機の爆弾投下こそは、木造家屋の多い東京市
をして、一挙に焼土たらしめるだろうからである。(中略)
投下された爆弾が火災を起こす以外に、各所に火を失し、そこに阿鼻叫喚の一
大修羅場を演じ、関東地方大震災当時と同様の惨状を呈するだろうとも、想像さ
れるからである。しかも、こうした空襲は幾たびも繰り返される可能性がある。
だから、敵機を関東の空に、帝都の空に、迎え撃つということは、我軍の敗北
そのものである。この危険以前に於て、我機は、途中これを迎え撃って、これを
射落とすか、又は撃退しなければならない。戦時通信の、そして無電の、しかく
発達したる今日、敵機の襲来は早くも我軍の探知し得るところだろう。これを探
知し得れば、その機を逸せず、我機は途中に、あるいは日本海岸に、太平洋沿岸
に、これを迎え撃って、断じて敵機を我領土の上空に出現せしめてはならない。(中略)
帝都の上空に於て、敵機を迎え撃つような作戦計画は、最初からこれを予定す
るならば滑稽であり、やむを得ずして、これを行うならば、勝敗の運命を決すべ
き最終の戦争を想定するものであらねばならない。(中略)特にそれが夜襲である
ならば、消燈してこれに備うるようなことは、却って、人をして狼狽せしむるの
みである。科学の進歩はこれを滑稽化さねばやまないだろう。なぜなら、今日の
科学は、機の翔空速度と風向と風速を計算し、如何なる方向に向かって出発すれ
ば、幾時間にして、如何なる緯度の上空に達し得るかを精知し得るが故に、ロボッ
トがこれを操縦していても予定の空路に於て寧ろ精確に爆弾を投下し得るだろう
からである。(中略)特にかつても私たちが、本誌「夢の国」欄に於で紹介したよう
に、近代的科学の驚異は、赤外線をも戦争に利用しなければやまないだろう。こ
の赤外線を利用すれば、如何に暗きところに、又如何なるところに隠れていよう
とも、明に敵軍隊の所在地を知り得るが故に、これを撃破することは容易である
だろう。こうした観点からも、市民の、市街の消燈は、完全に一の滑稽である。(後略)
毎日新聞
竹槍では戦えない、と陸軍をこきおろす
当時の朝日新聞のライバル、毎日新聞も戦争中は軍・政府のお先棒を担ぐ報道をしてい
るが、一般に「竹槍事件」と呼ばれる報道がそれである。一度だけの抵抗とはいえ、抵抗ら
しい抵抗をしなかった朝日と比べると、大きな違いといえるだろう。
「竹槍事件」が起こったのは、敗色が濃厚となった昭和19年2月23日だった。毎日新聞朝
刊一面に、「勝利か滅亡か 戦局はここまで来た」「竹槍では間に合わぬ、飛行機だ、海洋
航空機だ」と見出しのついた二つの記事が載ったのである。
「勝利か滅亡か・・・・・・」の内容は、連戦連勝を思わせるニュースしか聞かされていない国
民に、太平洋戦線が米国の進撃で苦況にあることを知らせたものであった。
それだけでなく、「太平洋戦争は海洋戦である。しかも太平洋の攻防の決戦は日本の本
土沿岸において決せられるものではなくして、数千海里を隔てた基地の争奪をめぐって戦
われるのである」と本土決戦では、勝ち目のないことを訴えている。
「竹槍では間に合わぬ」の記事はこれを受ける形で、「敵が飛行機で攻めて来るのに、竹
槍をもって戦い得ないのだ。問題は戦力の結果である」と航空兵力増強を主張している。
この記事の背景には陸海軍の反目があった。海軍は深刻な飛行機不足に直面していたに
もかかわらず、軍需物資確保をめぐり陸海軍が反目し合っていたため、十分な資材が海軍
の航空機生産には回らず、飛行機増産が思うように進まない事情があったのである。
>>278の続き
当時の海軍省担当のキャップ新名丈夫記者は、この点を踏まえて新聞による一大キャンペ
ーンを社に進言。海軍担当のキャップが書いた記事については事前検閲不要という紳士協
定を利用し、新名記者自身が執筆したのである。新名記者は「八つ裂きにされてもかまわ
ぬ。社も潰されるかもしれない。しかし、それでもやるほかはない」との決意だったという。
もっとも、この記事は戦争批判ではなく、あくまで体制を肯定した上での提言記事だが、
悪化する戦局を一時的にも打開しようと考えれば、この主張は正論であった。
だが、こんな提言記事でさえ、陸軍やその頂点に立つ東条英機首相は許さなかった。無
検閲で発行された一連の記事を見た東条首相は激怒。発禁処分としたが、朝刊は既に配達
を終わっていた。
東条の怒りはその日の夕方、再び爆発した。毎日は同日夕刊でも、「一歩も後退許され
ず 即時敵前行動開始へ 現戦局・全国民に要請」と題した記事を掲載。ここでも海軍航
空兵力増強を訴えたのである。
こうした記事により、毎日は廃刊を迫られ、新名な責任を感じて進退伺いを出した。し
かし、吉岡文六編集局長はこれを突き返した上で、逆に新名に「金一封」の「特賞」を与えた。
新名はその後、陸軍によって"懲罰召集"され37歳の中年二等兵として兵役につかざるを
得なくなったが、海軍が報道班員として再徴用することで救出されたのである。
毎日は廃刊は免れたものの、抵抗はこれで終わった。新名記者は戦後、雑誌に寄せた手
記で「悲痛の限りであったことは、(抵抗が)たった一日であとが続かなかったことだ」と記
している。
この事件の際、朝日の緒方竹虎副社長(当時)と原田譲二代表取締役(同)が、「どうも飛
んだことで・・・・・・近火見舞いに来ました」と毎日新聞社を訪れたという。抵抗しない新聞
社の幹部として、緒方や原田はどんな心境だったのだろうか。
280 :
朝日新聞の戦争責任を:2001/08/12(日) 21:49
朝日は平気で自己批判するでしょう。
いけシャアシャアとね。
だってどうせ自分たちのことじゃないもん。
一番問題なのはそれが批判じゃなくて切り捨てにすぎないのに
カッコイイコトみたいに自慢さえしかねない社会の木鐸意識。
昭和19年2月23日毎日新聞朝刊
勝利か滅亡か 戦局はここまで来た
大東亜戦争の戦局は太平洋の戦勢をめぐっていまや建国以来二千六百四年、国歩の艱難
なる今日より大なるはないのみか、大和民族の存亡如何が決せられんとするの有史以来、
未曾有の難局にわれわれは直面するに至っている。
マーシャル(諸島)よりトラック(諸島)へ、敵は遂に帝国の光輝ある領土、内南洋ーわが
太平洋の"海の生命線"に対し、決戦を企図しての総攻撃を集中し来った。(中略)
かくて敵はソロモン(諸島)、ニューギニアに着々とその侵攻の線を伸ばし来り、いまや
ラバウル上空に連日間断なく大兵力を挙げて殺到するとともに、一転して中部太平洋方面
に新たなる作戦を展開、ギルバート(諸島)よりマーシャルへ、マーシャルよりトラックへ
と突撃し来った南太平洋と中部太平洋相呼応しての鋏状作戦の展開である。ここに敵の太
平洋作戦の目標がある。鋏の刃の合するところ即ち、南よりの二つの作戦線の延長の合す
るところ、そこに敵の目標がある。具体的にいえば、トラックーその付近海域と更に進ん
では、その西方海域こそはガダルカナル以来の敵の太平洋作戦の大目標であったのだ。
トラックないし同方面の制海権ないしは制空権を万が一にも敵の優越に委ねた場合、如
何なる事態を招来するかは地図を繙けば一目瞭然であろう。帝国が戦争遂行上、南方戦略
資源地帯とわが本土を結ぶ海上交通の確保は決定的に重大である。(中略)
国家存亡の岐路に立つの事態が、開戦以来二年二カ月、緒戦の赫々たるわが進攻に対す
る敵の盛り返しにより、勝利か滅亡かの現実とならんとしつつあるのだ。大東亜戦争は太
平洋戦争であり、海洋戦である。われらの最大の敵は太平洋より来寇しつつあるのだ。海
洋戦の攻防は海上において決せられることはいうまでもない。しかも太平洋の攻防の決戦
は日本の本土沿岸において決せられるものではなくして、数千海里を隔てた基地の争奪を
めぐって戦われるものである。本土沿岸に敵が侵攻し来るにおいては、最早万事休すであ
る。ラバウルにせよ、ニューギニアにせよ、マーシャル、トラックにせよ、わが本土防衛
の重要なる特火点たる意義がここにある。
昭和19年2月23日毎日新聞朝刊
今こそわれらは戦勢の実相を直視しなければならない。戦争は果たして勝っているか。
ガダルカナル以来、過去一年余、わが忠勇なる陸海将士の血戦死闘にもかかわらず、太平
洋の戦線は次第に後退の一途を辿り来った血涙の事実をわれわれは深省しなければならない。
航空兵力が主兵力たり、血戦兵力となった現下の太平洋の戦いにおいて、われわれは航
空機が膨大なる消耗戦たる事実を三省(よく省みること)しなければならない。(中略)ガダ
ルカナル以来のわが戦線が次第に後退のやむなきに至ったのも、アッツの玉砕も、一にわ
が海洋航空兵力が量において劣勢であったためではなかろうか。(中略)
空中戦闘と海上の艦隊決戦において如何に勝利を獲得するとも、海上補給に際して敵航
空機の網にかかっては補給はできないのである。敵航空機の海上補給攻撃に対してこれを
防衛するには、わが航空兵力をもって対抗するほかなきはもちろんである。(中略)太平洋
の攻防ともに航空兵力こそ勝敗の鍵を握るものなのである。
しかも、敵は昨年十月二十七日モノ島上陸に火蓋を切ったソロモンの大攻勢作戦以来、
南太平洋にも、中部太平洋にも、基地航空兵力と機動部隊、即ち海軍航空兵力を結集して
来攻しつつあるのだ。
敵の戦法に対してわれらの戦法を対抗せしめねばならない。敵が飛行機で攻めに来るの
に、竹槍をもっては戦い得ないのだ。問題は戦力の結果である。(中略)帝国の存亡を決す
るものはわが海洋航空兵力の飛躍増強に対するわが戦力の結集如何にかかって存するので
はないか。(後略)
283 :
文責:名無しさん:2001/08/12(日) 22:17
朝日新聞は、自らの戦争責任への反省がありません。たまに、アリバイ的な記事を載せるだけです。
少なくとも、朝日新聞を購読することは近隣諸国に戦争犯罪への反省が無いと思われても仕方が無い行為です。
日本人は、朝日新聞を廃刊に追い込むことで、近隣諸国への謝罪をしましょう。
良スレにつきAGE
285 :
文責:名無しさん:2001/08/12(日) 22:25
朝日新聞は常に強いものの味方です。それが朝日流の世渡りです。
戦前は軍部の味方、戦後は「弱者」を騙る連中の味方です。
高給を貰い、高級車で乗り付けた取材先では威張り散し、本当に反吐が出る。
ここまで長文書くんなら
無料ホームページとか使って
自分でサイト作ればいいじゃん・・・
287 :
文責:名無しさん:2001/08/12(日) 22:31
日の丸をうんぬんする前に、まずテメーの国威発揚風社旗を何とかしろYO!
288 :
文責:名無しさん:2001/08/12(日) 22:40
商業紙だから、売れるような記事を書くのがあたりまえ。
1000万読者が支持してくれている。
文句があるなら、読むな!
文句があるなら、朝日新聞本社まで来い!
289 :
名無し:2001/08/12(日) 23:17
>>288 1000万→600万? いずれ、もっと下がるだろうけど(笑
290 :
文責:名無しさん:2001/08/12(日) 23:30
戦前だって、読者が望む戦争礼賛記事を書いたから、弱小新聞社から一流新聞社になれたんだ。
文句があるなら、読むな!
文句があるなら、朝日新聞本社まで来い!
291 :
文責:名無しさん:2001/08/12(日) 23:33
アジビラみたいな煽り記事を垂れ流して何が悪い!
文句があるなら、朝日新聞本社まで来い!
292 :
文責:名無しさん:2001/08/12(日) 23:41
朝日新聞が反日とお嘆きの諸兄、心配しなくても、次の戦争のときには、1000万読者のためにまたきちっと戦争礼賛をやらしてもらいますよ。
文句があるなら、読むな!
文句があるなら、朝日新聞本社まで来い!
293 :
犯日新聞朝日:2001/08/12(日) 23:47
名スレの予感...
294 :
文責:名無しさん:2001/08/12(日) 23:50
朝日新聞が自らの戦争責任を認めるわけ無いですよ。そんな軟弱なことでは読者が付いてきません。朝日新聞は常に読者とともにあります。
文句があるなら、読むな!
文句があるなら、朝日新聞本社まで来い!
295 :
文責:名無しさん:2001/08/12(日) 23:54
>289
客観的な数字なんて意味が無いんですよ。
朝日新聞が1000万読者と思えばそれが真実なんですよ。
文句があるなら、読むな!
文句があるなら、朝日新聞本社まで来い!
296 :
名無しさん:2001/08/13(月) 00:02
2年くらい前のABC方式調査では、5台紙のなかで部数が
落ちているのは朝日だけだったが、今はどうなんだ?
297 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 00:04
朝日だけです
298 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 00:06
>>285 取材先のカスどもに何で気をつかわなあかんのや。社会の木鐸をなめたらあかんで。
それと、だれより高給を貰ってこそ朝日新聞が社会の木鐸たりえるんや。
文句があるなら、読むな!
文句があるなら、朝日新聞本社まで来い!
_____
/ ____彡
/::::::/━ ━ \
/:::::/ _ _ |
|::::/--((・))―((・))(
(6  ̄ つ  ̄ ヽ
| ___ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ∴)\_/ (∴ | < 木鐸たんに中出ししたいです。ハァハァ...
ヽ ― 丿 \________
\_____/
300 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 00:18
つくる会教科書の中身なんてホントはどうでも良い。
朝日新聞が反対するから、社会的に悪い教科書として認知されたんや。朝日新聞をなめるな。
文句があるなら、読むな!
文句があるなら、朝日新聞本社まで来い!
301 :
>>300:2001/08/13(月) 00:19
_____
/ ____彡
/::::::/━ ━ \
/:::::/ _ _ |
|::::/--((・))―((・))(
(6  ̄ つ  ̄ ヽ
| ___ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ∴)\_/ (∴ | < 友達つれていってイイデスカ?ハァハァ...
ヽ ― 丿 \________
\_____/
302 :
名無しさん:2001/08/13(月) 00:21
>文句があるなら、読むな!
>文句があるなら、朝日新聞本社まで来い!
これ、流行ってるのか?
303 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 00:24
靖国問題は、要は朝日新聞社様が参拝反対と言っている中で、小泉が朝日新聞社様のいうことを聞くかどうかの問題や。中韓なんて関係無い。
朝日新聞様をなめとったら、世論調査捏造して、支持率3パーセントにしたるど。
文句があるなら、読むな!
文句があるなら、朝日新聞本社まで来い!
304 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 00:29
韓国、ワレ、朝日新聞なめとったらお前らの国、暗黒軍事独裁国家にしたるど。
朝鮮人、ワレ、朝日新聞なめとったら、地上の楽園キャンペーンはって、北に送還したるど。
文句があるなら、読むな!
文句があるなら、朝日新聞本社まで来い!
305 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 00:33
なりきり朝日新聞選手権開催中
文句があるなら、読むな!
文句があるなら、朝日新聞本社まで来い!
。
306 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 00:37
age
307 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 00:42
公害企業も、朝日新聞に広告たんまり出すなら、企業名さらすの勘弁しといたるわ。
そうやなかったら、何も無くても所沢農協みたいにたたいたる。
文句があるなら、読むな!
文句があるなら、朝日新聞本社まで来い!
308 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 00:48
お前ら、朝日新聞読むのやめるだと!
文句があるなら、読むな!
って、文句があるから読むのやめるのか。こりゃまた失礼。
309 :
:2001/08/13(月) 00:48
朝日が死んでも、東京裁判史観を変えようとしないのは、朝日自身が、あの戦争のA級戦犯。
日本国民を煽りに煽って鬼畜米英と扇動し、戦争の破局状態にまっさかさまに引きずり落とした責任の多くは
報道関係者にもあり、その中で朝日の占める割合は大きい。しかも敗戦を迎えると、とたんに、戦争中の自分たちの
行為はすっかり棚に上げて、平和の守護神のような顔をして、反対勢力に対して戦争責任の全てを擦り付けようとする。
ここで、朝日は、あの戦争を軍部の一部の人々の責任にしなければ、自分達まで非難が及ぶ。
自分たちが生き延びたいから共犯でありながら、犯人を糾弾しようとする心理はあまりにも浅ましい。
我々は朝日の戦争責任に対して、問い詰めようではないか!
310 :
赤日:2001/08/13(月) 00:57
311 :
:2001/08/13(月) 01:19
>>309 同意。
靖国の戦没者がA級戦犯なら
戦時中の朝日はS級戦犯です。
312 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 01:33
>>309 同意!朝日は今も昔もA級戦犯です。
国民に謝罪してください。もちろん死刑です。
313 :
船橋洋一:2001/08/13(月) 01:38
> 日本は戦後、このテーマに正面から取り組んでこなかった。むしろそれを回避してきた。
>敗戦責任と開戦責任と戦争責任を、それぞれどう考えるか、そこを曖昧(あいまい)
>にしたまま占領が終わり、戦後が終わり、昭和が終わり、冷戦が終わり、
>20世紀が終わった。
http://www.asahi.com/column/funabashi/ja/index.html 是非、開戦責任、敗戦責任をハッキリさせてください。
朝日新聞の誰が戦争煽動の責任者でしょうか。どのように責任をとらせるつもりでしょうか。
朝日新聞社解散したら?
314 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 01:41
>310-312
戦犯かどうかは朝日新聞が判断します。朝日新聞は戦争の犠牲者です。
ってゆうか、「私が悪うございました」なんて言う犯罪者は居ないだろ、普通。
朝日新聞なめとったら、テメーらをS級1班戦犯に認定するぞゴラァ!
文句があるなら、読むな!
文句があるなら、朝日新聞本社まで来い!
315 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 01:49
朝日は逝け 朝日新聞糞新聞 おはよう朝日糞
朝日はSSSS級戦犯 朝日新聞逝ってよし。
テレ朝もいっしょに氏ねよ、マジで。社会のゴミだな
316 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 01:57
>>314 戦犯を自身が判断するってことは、日本のA級戦犯とされてる
人達も犠牲者であって、「戦犯じゃない」って判断するのと
同じことよね。そうみなしてるんだよね?サヨくんもそうなんだ〜!
それに「私が悪うございました」なんて言う犯罪者はいない。
って断言できるの?
ちなみに朝日新聞なんて読んでないよ。
犬のうんこ取り紙だよ。
317 :
わかりません:2001/08/13(月) 02:03
戦犯ほじくりかえしてどうしたいの?
賠償してもらうの?
318 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 02:05
>316
違うよ。誰が戦犯かは朝日新聞様が決めるんだよ。
ついでに、A級戦犯が戦犯なのは朝日新聞様がそう決めたからだよ。
文句があるなら、読むな!
文句があるなら、朝日新聞本社まで来い!
319 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 02:08
>>318 読んでないって。猫のうんこ取り紙だよ。
320 :
わかりません2:2001/08/13(月) 02:13
もう一度聞く
戦犯ほじくりかえしてどうしたいの?
賠償してもらうの?
321 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 02:18
>319
うーん。「文句があるなら、読むな! 」ってのはここの決り文句だから勘弁してよ。それに猫の運小鳥に適した紙質を維持するのも大変なんだよ。最近部数が落ちててね。早く、次の戦争が始まって、がんがん煽って部数伸ばさないと、マジやばいす。
文句があるなら、読むな!
文句があるなら、朝日新聞本社まで来い!
322 :
わかりません3:2001/08/13(月) 02:22
おーし、三度目の正直、もう一度聞く
戦犯ほじくりかえしてどうしたいの?
賠償してもらうの?
323 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 02:25
>>321 紙質は、ペラペラの方が、うんこ取りには適してるよ。
ありがたい。部数落ちてるの?
読んでないけど、うんこ取りには使ってる人多いと思うんだけど。
おかしいなあ・・・。
324 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 02:25
321>
朝日の洗脳が解けますように
325 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 02:28
>>322 戦犯はいません。小泉首相はどうどうと靖国神社を参拝しましょう。
326 :
わかりません4:2001/08/13(月) 02:32
327 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 02:33
>324
世の中で実際に起こっていることが真実なんではなくて、
朝日新聞に書いてあることが真実なんだよ。
例えば、全共闘の生き残りの人権屋でも、朝日新聞がそう書けば良識ある市民になるんだよ。
君も朝日新聞教に入って悩みの無い人生を送らないか。
文句があるなら、読むな!
文句があるなら、朝日新聞本社まで来い!
328 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 02:35
そもそも朝日を信用するから悪い。
朝日のここ80年の歴史は捏造・煽動・誤報の繰り返しだよ。
但し反省はしていない。
エリート読む新聞なんてまさに錯覚・捏造・煽動・誤報
朝日を読む秘訣は「東スポ」を読むが如くフィクション・主張
として読んだら
329 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 02:41
>323
そりゃー、朝日新聞の部数が減るのは、インチキな壷をありがたがる奴がいつまでも大勢居ないのと同じだよ。
読者も馬鹿じゃないからね。
っと、いかんいかん、
世の中で、朝日新聞のみが正しいのです。朝日新聞に書いてあることが真実なのです。
善良なる読者は朝日新聞を支持しています。
文句があるなら、読むな!
文句があるなら、朝日新聞本社まで来い!
330 :
わかりました:2001/08/13(月) 02:42
だから別に朝日が戦犯ではない
331 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 02:47
332 :
わかりません5:2001/08/13(月) 02:50
賠償してもらうの?
333 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 02:53
334 :
わかりません6:2001/08/13(月) 02:56
反省したから、今のような平和路線をとっているのではないのですか?
335 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 02:57
>334
逆に質問します。
朝日新聞はなぜ社旗も題字も変えようとしないのですか?
336 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 02:59
337 :
???:2001/08/13(月) 03:00
そうね。戦争責任を感じていないので社旗や題字が変わらないと言う考え方もあるな。
338 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 03:00
日の丸君が代を批判するならな。
あと、戦争当時の社主の肖像とか、飾ってないだろうな。
339 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 03:01
>334
なぜ朝日新聞は戦前戦中の自らの報道を隠蔽しようとするのですか?
340 :
わかりません6:2001/08/13(月) 03:06
>>335 社員ではないのでわかりませんが
社旗や題字をかえれば反省したことになるのですね
省庁発表で記者クラブをとうっているので
大体どこも似たような記事になるのではないでしょうか?
捏造 煽動 誤報 は朝日に限ったことですか?
341 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 03:07
>>334 >反省したから、今のような平和路線をとっているのではないのですか?
無実の民間人を地上の楽園に送ったこと
中国文化大革命(大虐殺)を賞賛したこと
カンボジア ポルポト政権を賞賛したこと
これ平和路線?
342 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 03:09
>>340 >捏造 煽動 誤報 は朝日に限ったことですか?
ほかの新聞もやっているから問題ないとでも?
343 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 03:11
>>340 >社旗や題字をかえれば反省したことになるのですね
そうです。全然反省してないですね。
344 :
わかりません6.5:2001/08/13(月) 03:12
賞賛した記事があるのでしょうか?
また、それは朝日に限ったことなのか?
345 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 03:15
346 :
わかりません6.6:2001/08/13(月) 03:29
>ほかの新聞もやっているから問題ないとでも?
いいえ、だから、逆にメディアの体質を問わないといけないのでは?
347 :
Tusk:2001/08/13(月) 03:31
というか朝日新聞をこのスレに止めず継続的に監視しよう。
HPを作ればなおに良し。。
348 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 03:33
>346
ですから、朝日が一番酷いから朝日を問題にしているのです。
349 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 03:39
>344
文革期、最後まで北京に残っていられたのは朝日新聞だけなんですよ。
なぜか知らないでしょう?
もうちょっと勉強してください。
参考図書:「朝日新聞血風録」 稲垣武著 文芸春秋
350 :
わかりません6.7:2001/08/13(月) 03:40
>>348 >ですから、朝日が一番酷いから朝日を問題にしているのです。
何を基準にどう酷いのか?
351 :
わかりません6.7:2001/08/13(月) 03:49
ねる
歴史を歪曲し、世論操作を常套手段。低能DQN新聞のための宣伝コピペ
赤日新聞 労働組合委員長 と 株式会社役員 による世論のっとりは成功するか?
報道の自由とジャーナリズムを自ら捨てたDQN集団に明日はあるか
このレスは定期的にコピペされます。
どっかのスレ から勝手にコピペ
>>
考えてみれば、「なかったことにする」のは朝日の得意技か。
■「朝鮮人が井戸に毒を入れている」報道 → 縮小版では削除
■「侵略→進出書き換え」の誤報 → 1記者がやったことに
■「中国への旅」による中国礼賛&歴史ねつ造 → 本多クンの責任
本多クンは「中国に聞け」と開きなおり
すげー、新聞社様だな。
PS:珊瑚もね
353 :
文責:名無しさん:2001/08/13(月) 03:54
>>346 メディア論で焦点をぼかすのはどうかと思う
全国紙を色々読むと、
朝日はどう見ても偏向しているように読めるのは俺だけか?
そうじゃあないと思うが?
「近きより」
執拗に繰り返した権力者批判 東条氏は硫黄島で働くべき
戦前、戦中の新聞、雑誌の中で、最も強烈に権力批判をし続けたのは雑誌「近きより」は
戦後、「三鷹事件」や「丸正事件」など数々の事件の弁護士として活躍した正木ひろしが昭和
12年に創刊したものだ。雑誌といっても書店売りではなく、購読者に通信販売する形だっ
た。正木自身が執筆し、発行部数は最大で1万部近くに達し、何度か発禁処分を受けたも
のの、太平洋戦争中も廃刊になることなく生き延びた。
大新聞に比べ、発行数が格段に少ないとはいえ、創刊以来一貫して続いた権力批判の姿
勢は、東条首相をも名指しで非難するほど強烈なものだった。
例えば、昭和19年2月号の「責任を知れ」と題した記事では、国会における東条の答弁を
取り上げて、理路整然と東条の無能ぶりを指摘している。東条が退陣した後の昭和20年1
月号には、特攻隊攻撃によって日本が支えられていることを痛ましいとしながら、「東条
氏なども、せめて硫黄島にでも行って働いたらどうだろう」と痛烈な批判を浴びせている。
正木の怒りは主に権力の座にのさばり、国民を圧迫し、責任感の欠如した特権階級者達
に向けられているのが特徴だ。昭和19年6月には、国民を圧迫し続ける権力者達にはいず
れ鉄槌が下される。その日のために権力者達のやったことを綿密に記録しておこう、といっ
た主旨の記事もある。
しかし、これだけの主張をしながら廃刊にならなかったのは不思議でもある。その理由
を歴史学者の家永三郎は、雑誌「思想」昭和39年1月号で、@発行部数が少ない、A発行者
が共産主義者ではない、B同誌には裁判官の支持者が多く、それが官憲にとって無言の圧
力となったーなどと分析している。
■「近きより」昭和18年2月号
責任を知れ(巻頭言)
東条首相が二月二十九日貴族院に於いて伍堂卓雄の質問に対する答弁に
「・・・・・・此ノ英米ヲ相手トスル戦争ニ於テ、施政演説ニ於キマシテモ申上ゲマシタル通リ、
戦勝ノ確信ニ付キマシテハ十分持ツテ居リマス、負ケルモノトハ毛頭考エテ居リマセヌ、
唯併シナガラ負ケル場合ハ二ツアリマス、ソレハ一ツハ此ノ戦争ノ核心ヲ成ス陸海軍ガ、
ピシヤリト割レル場合デアリマス、是ハ敗戦デアリマス、併シナガラ此ノ点に付キマシテ
ハ私ハ豪末モ心配シテ居リマセヌ、何故ニカ、戦争ヲ現ニ対象トシテ今真剣ニ戦ヲヤツテ
居ル此ノ両者ガ割レルナント云ウコトハ思ヒモ寄ラヌコトデアリマス、第二ノ敗戦ノ場合
ハ国ノ足並ノ乱レル時デアリマス、是ハ明瞭ニ敗戦デアリマス、従ヒマシテ国内ノ結束ヲ
乱スベキ言動ニ対シマシテハ、徹底的ニ今後モ取締ツテ参ル積リデアリマス・・・・・・」
と述べている。
私はあらゆる意味に於て、この答弁を甚だ遺憾とする。先ず第一に、論理的矛盾が多過
ぎる。第二に敵の宣伝道具に使われる。第三に国体観念が足りない。第四に責任観念が乏
しい。第五に、空想力が皆無だ。
「陸海軍ガ割レルナント云ウコトハ思イモ寄ラヌコト」であるならば、誰も問わないこと
を何故突如として口に出したか、思わないことが口に出るか、論理的にも矛盾ではないか。
「此ノ点ニ付キマシテハ私ハ豪末モ心配シテ居リマセヌ、何故ニカ・・・・・・」といって陸海
軍の分裂なき理由として、「戦争ヲ現に対象トシテ今真剣ニ戦ヲヤツテ居ル此の両者ガ・・・・・・
思イモ寄ラヌコト」と述べているが、廻りくどい言葉を簡単にすると、現在真剣に戦争し
ているのだから分裂することは思いも寄らぬと言うのであって、換言すると心配シテ居リ
マセヌ理由は思ヒモ寄ラヌからだという同語反復となる。他に例をとれば「私はこれを白
と思う、何故なれば白に思えるから」というのと同じであって、理由にならない。もし現
在真剣に戦うことが分裂なき理由だとすると、真剣と分裂とは氷炭相容れざる観念の如く
なるが、およそ意見の相違などというものは、互いに真剣な時に起るものであって、一方
が不真面目ならば他方に引きずられるものである。真剣なるが故に直ちに分裂なしという
論理は出て来ない。もし「現在」という所に力を入れて、今戦っているから分裂の暇が無い
というなら、戦争の合間には分裂する可能性ありとの反対解釈を容れる余地が出る。いず
れにしても論理は十分でないのみならず、議会の公開演説は敵国にも直ちに伝わるだろう
から米英の新聞は大見出しで、「東条首相、陸海軍の分裂に悩む」とでも出され、敵の宣伝
道具に使われるにちがいない。こんなことに想い至らないのは東条氏の空想力の不足を物
語ると思う。日本に於て陸海軍の分裂などということのあり得ないのは、現在真剣に戦っ
ているからという薄弱な理由ではなく、日本の国体に於ては、陸海軍は、天皇陛下の統帥
し給うところであるから、分裂などあり得ないことなのである。統帥権については過去十
数年間、一般国民ですら骨の髄までしみ込まされているではないか。しかも東条氏は首相
であると共に陸相である。自分で自分が海軍と分裂することを口にすることは論理的の大
矛盾であるばかりでなく責任観念も疑われるのである。(後略)
■「近きより」昭和19年6月号
(前略)
しかるに現代、未曾有の国難に遇い、
挙国戦事に没頭し、他事を顧る遑なく
只管(ひたすら)国内の静謐を念とするに乗じ
俄か職権に陶酔して民衆を賤民視する者あり
同胞の困窮を逆用して私利を貪る者あり
その他獣心獣欲に耽り、神国の面目を
傷つくる者少なからず
正義が国の生命たるを信ずる我等は
彼等の横行を黙視するに忍びざれど
今、戦い酣わにして、
彼等の
不忠不臣を膺懲する(懲らしめる)を便とせず
されど神国の正義は没すべからず
いつの日にか彼等に鉄槌の下るを見ん
憂国の至情に燃ゆる同胞よ、来るべき日のために
彼等非国民の非行を綿密詳細に記録し置くべし
日時、場所、登場人物の氏名、天候までも記し
完全なる証拠を固め置くべし(後略)
■「近きより」昭和20年1月号
日本の危機が、今、二十歳前後の特攻隊員の連続的な自爆によって支えられていること
は、桜の蕾が嵐に吹きちぎられるようで惜しくかつ痛ましい。これに反し、戦争讃美の倫
理学者や宣伝文学者などが、いち早く疎開し、自家用の野菜作りに日を送っているのを見
ると余りにもその心境の高低の差を感ずる。東条氏なども、せめて硫黄島にでも行って働
いたらどうであろう。
358 :
目次:2001/08/13(月) 09:49
第3章 言論統制下の朝日とマスコミ
朝日の報道姿勢と戦争責任
・舞台裏では「負け戦」と認識。しかし戦争遂行訴える
>>130-131
・「国体保持」の本音は「朝日保持」?
>>165 >>167 ・敗戦後、すぐには責任を取らなかった幹部達
>>168 ・緒方派、村山派の派閥抗争
>>176 ・幹部同士が責任のなすり合い
>>177 ・一般記者の責任はうやむやに
>>178 ・疑問を残す「国民と共に立たん」
>>192 ・社長、会長は復帰 部長職からは社長も
>>193 ・朝日新聞社の主な役員、役職者の戦前・戦後
>>194 ・敗戦後の毎日、読売新聞
>>196 ・正力は一度は退陣したが、5年後には経営に復帰
>>199 朝日戦時報道のルーツ
・満州事変で転向
>>202 ・満州事変前は「軍は危険」と訴える
>>203 ・右翼の申し入れに満州事変支持?
>>204 ・茶番劇を支持した責任
>>207 ・満州事変後は部数拡大
>>208 ・戦争報道ほど儲かるものはない?
>>209 ・5・15事件で異議を唱えたが、結局は軍に屈す
>>211 戦時下の言論統制
・がんじがらめの法律
>>263 ・猛威をふるった新聞紙法
>>264 ・軍・政府による"記事指導"まであった。
>>265 ・言論統制に抵抗示した毎日の「竹槍事件」
>>266 ・経営面で統制を受けると廃刊を賭したが・・・・・・
>>267 軍・政府に抵抗した新聞・雑誌
・廃刊を賭けて訴えた新聞、東条を名指しで批判した雑誌もあった
>>270 ・福岡日日新聞 5・15事件後、ファシズムの台頭に警鐘
>>271 福岡日日新聞社説
>>272-275
・信濃毎日新聞 防空演習の無意味を指摘
>>276 信濃毎日新聞朝刊記事
>>277 ・毎日新聞 竹槍では戦えない、と陸軍をこきおろす
>>278-279
毎日新聞朝刊記事
>>281-282
・「近きより」 執拗に繰り返した権力者批判 東条氏は硫黄島で働くべき
>>354 近きより雑誌記事
>>355-357
359 :
:2001/08/14(火) 06:32
age
360 :
文責:名無しさん:2001/08/14(火) 06:41
差局朝日逝ってね
361 :
文責:名無しさん:2001/08/14(火) 06:54
>>358の引用文から学習することといえば、官憲の言論統制や
右翼の脅迫に対しては断じて屈服してはならないということであり
一新聞社の責任に転嫁するのは間違いだということですね。
362 :
いやいや:2001/08/14(火) 06:56
毎日新聞が戦時中に陸軍を批判したのに比べて朝日はクズ。
363 :
文責:名無しさん:2001/08/14(火) 07:01
毎日?あれは批判といえるレベルじゃないな。例外としてそんな記事も
あった程度。戦前のマスコミには戦争責任はあると思っているが、
普段、戦争賛美や擁護する奴らが朝日批判してるのが、滑稽を通りこして
悲惨だ。
364 :
銀座のユダヤ人:2001/08/14(火) 07:02
つかもうぜ 朝日新聞
世界で一等電波な新聞
追いかけろ 朝日新聞
世界で一等愉快な新聞
日本は中韓の属国さ
そうさ 今こそ土下座ツアー
朝鮮賛美の記事がぎっしり
文革礼賛の虚偽がどっさり
社説のどこかで煽ってる
反日集会に行こうぜBOY
沖縄珊瑚をぶっ壊し
赤のシンパで今日も書くのさ
Let's try try try 摩訶不思議
俺は正しくてお前右翼
Let's fly fly fly 大革命
軍靴の音が聞こえるぜ
潰そうぜ 靖国参拝
世界で一等右翼の神社
告げようぜ 右翼の教科書
世界で一等イカレタ歴史
声欄は電波の楽園さ
そうさ 今こそ自作自演
365 :
文責:名無しさん:2001/08/14(火) 07:50
>>362 清沢洌にはジンゴイスト・ペーパー呼ばわりされていたが?>毎日新聞
ジンゴイスト・・・好戦的愛国主義者
366 :
文責:名無しさん:2001/08/14(火) 09:36
ageageagedana
yappari
367 :
文責:名無しさん:2001/08/14(火) 12:52
age
368 :
文責:名無しさん:2001/08/14(火) 12:55
>>362が言っているのは竹槍事件のことかい?
あんなもん、批判でもなんでもないよ。
海軍記者クラブのおっさんが海軍ヨイショを書いただけだよ。
369 :
文責:名無しさん:2001/08/14(火) 12:57
age
370 :
文責:名無しさん:2001/08/14(火) 21:16
あげ
371 :
文責:名無しさん:2001/08/14(火) 21:22
372 :
文責:名無しさん:2001/08/14(火) 21:28
>>368 海軍記者クラブというと、黒潮会だったけ?
>>363 >普段、戦争賛美や擁護する奴らが朝日批判してるのが、滑稽を通りこして
>悲惨だ。
戦争賛美も擁護もしてませんが何か?
374 :
文責:名無しさん:2001/08/14(火) 21:44
テレ朝の放送免許取り上げちまえ。
朝日の体質は戦前と戦後で方向は違うが、戦前からベクトルは同じ
376 :
文責:名無しさん:2001/08/14(火) 21:56
朝日こそ戦前に戦争を賛美しまくった元凶じゃないか!
戦争賛美どころじゃない
やつらは殺人の仕方まで教えてたのに
こっちで「韓国併合は悪ではあったかもしれないが、罪ではない」と言えば
朝日新聞は「歴史を直視しろ!」と怒鳴り散らし
あっちで「太平洋戦争はやむを得なかった」と言えば
朝日新聞は「戦争を賛美!」「なんと恐ろしい!」「軍靴の音が聞こえる!」と
鳴きわめく。
愉快な新聞社です全く。
379 :
文責:名無しさん:2001/08/14(火) 22:33
あー まじ殺してえ
381 :
文責:名無しさん:2001/08/14(火) 22:57
朝日新聞報道年表age
382 :
名無し:2001/08/14(火) 22:59
昭和24年1月3日の天声人語(一部)
お正月のお年玉として、國旗の掲揚が無制限に自由になったことは、やはり楽しいことだ。
正月の町や村に、門松が立ち晴着姿の羽根つき風景があっても、門毎に日の丸の旗のひるがえっていないのは、画竜点睛を欠くの観があった。
この数年間は國旗のない日本であった。
國旗をあげるのにその都度一々許可を得るのでは、気のすすまないのはいつわりのない國民感情である。
講和条約の締結までは、自由に國旗を立てられる日は来ないものとあきらめていた。
しかし今、日本経済自立への旗印として、マ元帥は日の丸の旗を完全にわれわれの手に返還してくれたのだ。
忘れられていたこの旗の下に、われらは耐乏の首途とし、再建と自立への出発をするのである。
さて國旗は自由を得たが、國民の手に國旗はない。戦災で國旗を失った家々には立てようにも國旗がなく、この喜びをわかつこともできないのだ。
マ元帥は國旗の自由をはなむけした。政府は國旗の現物を配給するべきである。
383 :
文責:名無しさん:2001/08/14(火) 23:02
384 :
文責:名無しさん:2001/08/14(火) 23:14
朝日新聞・・・非道すぎる。
385 :
文責:名無しさん:2001/08/14(火) 23:49
「こんな新聞、勝った勝ったと嘘ばかりじゃないか!」
386 :
文責:名無しさん:2001/08/15(水) 00:02
赤い貴族様たちはずっと昔から日本を破滅に
追いやるべく努力に努力を重ねていたのですね
頭がさがります。
387 :
文責:名無しさん:2001/08/15(水) 00:08
今日は敗戦の日。
388 :
( `.∀´):2001/08/15(水) 00:22
>>382 そんなに問題があるとは思えないが・・・・
でも、朝日は新出良し
このスレは...
参詣新聞...
腐桑社...
コヴァと...
平和珍群の提供で、おおくりいたちまちた。
390 :
文責:名無しさん:2001/08/15(水) 01:36
定期age
391 :
:2001/08/15(水) 04:57
このスレのNo.100から300くらいは大変参考になりました。
ありがと。
392 :
名無し:2001/08/15(水) 08:10
>>388 「日の丸」が嫌いな朝日が書いたんだよ。・・・・「軍部の強制」もなく(笑
393 :
文責:名無しさん:2001/08/15(水) 13:03
age
____
○ ○
/ __∧_∧__∧ |
/ | / \ | |
| | ・ ・ | |
、 フ ⊂⊃ ヽフ
| ̄ ̄ __|_ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| /__/ | < 朝日のことなんてどうでもいいじゃん
/ | ノ\ \________
395 :
名無しさん:2001/08/16(木) 01:05
agee
396 :
文責:名無しさん:2001/08/16(木) 01:06
戦争賛美したいひとが、朝日の「戦争責任」を追求
ダブスタ(ボソ
戦争賛美したい人ってどこにいるの?(キョロキョロ)
もしかして君の脳内?
398 :
文責:名無しさん:2001/08/16(木) 01:09
>>396 そのとおり
朝日の賛美する戦争は戦争に見えて戦争にあらず
中国人さまが日本人を殺しまくるのは光復という
399 :
文責:名無しさん:2001/08/16(木) 01:16
朝日新聞は自らの醜悪な過去を棚に上げ隠蔽しまくっているくせに、
ひたすら日本の「戦争犯罪」のみ(捏造してまで)ほじくり返して嬉しがっている。
なぜだ?
400 :
文責:名無しさん:2001/08/16(木) 01:18
恥知らずだからです。
401 :
文責:名無しさん:2001/08/16(木) 01:21
まあ、とにかく朝日は、偉そうなこと言う前に
当時の関係者を、自らの手で裁いて欲しいよね。
402 :
文責:名無しさん:2001/08/16(木) 01:26
>>1 ずっと気になっているんだけど、花山大吉のもじりか?
403 :
文責:名無しさん:2001/08/16(木) 01:27
404 :
大阪人:2001/08/16(木) 01:37
>>399 中国と取引したのです。奴らは日本批判し続けることを条件に
戦争責任を追及されなくなった。
405 :
文責:名無しさん:2001/08/16(木) 01:49
そうなのか。
ageとこう
407 :
文責:名無しさん:2001/08/16(木) 20:24
「朝日新聞血風録」も読もう。
408 :
文責:名無しさん:2001/08/16(木) 23:34
自浄作用の無い新聞
409 :
swaaaaa:2001/08/16(木) 23:37
戦没者を 愚弄する 報道者名 テレ朝 ニュースステーション編
戦没者を 愚弄する 反日 反天皇 韓国追従 の テレビ朝日 アース製薬 渡辺真理の 戦没者援護法を無視した 偏向報道が 悪い
戦没者を 愚弄する 反日 反天皇 韓国追従 の テレビ朝日 SONY 久米宏の 戦没者援護法を無視した 偏向報道が 悪い
戦没者を 愚弄する 反日 反天皇 韓国追従 の テレビ朝日 シャープ 三反園の 戦没者援護法を無視した 偏向報道が 悪い
戦没者を 愚弄する 反日 反天皇 韓国追従 の テレビ朝日 小宮悦子の戦没者援護法を無視した 偏向報道が 悪い
戦没者を 愚弄する 反日 反天皇 韓国追従 の テレビ朝日 大和田 獏の 戦没者援護法を無視した 偏向報道が 悪い
戦没者を 愚弄する 反日 反天皇 韓国追従 の テレビ朝日 中央出版 吉本興業 島田新助の偏向報道が 悪い
安芸
411 :
文責:名無しさん:2001/08/18(土) 06:49
age
413 :
朝日新聞は:2001/08/18(土) 19:43
一、不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、
民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す。
一、正義人道に基いて国民の幸福に献身し、
一切の不法と暴力を排して腐敗と闘う。
一、真実を公正敏速に報道し、
評論は進歩的精神を持してその中正を期す。
一、常に寛容の心を忘れず、
品位と責任を重んじ、
清新にして重厚の風をたっとぶ。
age
415 :
文責:名無しさん:2001/08/18(土) 20:19
結局、朝日って軍国主義が好きなんだね。
軍国日本から軍国ソ連へ、そして軍国中国・朝鮮
歴史的悪に媚びへつらうジャーナリズムってなに?
416 :
銀座のユダヤ人:2001/08/18(土) 20:59
413 名前:朝日新聞は 投稿日:2001/08/18(土) 19:43
一、不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、
民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す。
一、正義人道に基いて国民の幸福に献身し、
一切の不法と暴力を排して腐敗と闘う。
一、真実を公正敏速に報道し、
評論は進歩的精神を持してその中正を期す。
一、常に寛容の心を忘れず、
品位と責任を重んじ、
清新にして重厚の風をたっとぶ。
417 :
銀座のユダヤ人:2001/08/18(土) 21:00
一、左偏左党の地に立って言論統制の精神を貫き、
共産国家の完成と大東亜共栄圏の確立に寄与す。
一、悪行悪道に基いて自己の幸福に献身し、
一切の不法と暴力を許して愚民と闘う。
一、真実を歪曲改竄して報道し、
評論は退歩的精神を持してその主張を期す。
一、常に朝日の主張を忘れず、
悪意と無責任を重んじ、
悪道にして軽薄の風をたっとぶ。
↑のように朝日新聞の紙面は、主観的で不正、拙遅なニュース報道と、退歩的で売
国的な評論、多角的で掘り上げた解説を目指して編集されています。そ
の理念を定めたのが、4項目から成る「朝日新聞綱領」です。現在のもの
は、昭和6年満州事変が勃発し、日本が戦争を開始して間もない1931年
に制定されました。軍部に迎合するための紙面づくりに立ち、新しい時代
に言論弾圧人として支那、朝鮮とともに歩んでいく決意を込めたもので、
朝日新聞のすべての社員が行動の指針としています。
418 :
文責:名無しさん:2001/08/18(土) 21:17
155 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2001/04/14(土) 22:54
朝日新聞綱領
一、社民党の意見に偏向し、自らの言論の自由を貫き、
社会主義国家の完成と日本に侵略された国々の自己満足の確立に寄与す。
一、正義人道に優先して自社の幸福に献身し、
不法行為と言論の暴力を利用して論敵と闘う。
一、虚偽を不公正敏速に報道し、
評論は自虐的精神を持してそのサヨ偏向を期す。
一、自らには常に寛容の心を忘れず、
品位は軽んじ責任は取らず、
軽薄にして短小の風をたっとぶ。
http://natto.2ch.net/mass/kako/984/984296485.htmlの173より
419 :
文責:名無しさん:2001/08/19(日) 20:44
案鯨
420 :
文責:名無しさん:2001/08/19(日) 23:50
戦争当時の朝日新聞社主の村山は
なぜ戦後公職から離れなかったんだ・・・。
結局、朝日としての総括ができてないから他人を攻撃するんだろな。
そしてすべて、A級戦犯のせいにして。
421 :
文責:名無しさん:2001/08/20(月) 01:41
>>420 朝日が各大臣に靖国参拝を聞いて回ったのは、戦争翼賛の大罪をすべてA級戦犯に
なすりつけて、幕引きしたいのは見え見えだ。教科書問題も過去の歴史を蒸し返されたく
ない為に、ああも歪曲した報道に出たんだろう。そもそも歴史の検証に新聞は
不可欠なのに自発的に資料を示すのを見た事無いよ。
< ヽ
∠ハハハハハハハ_ ゝ
/ ∠_ | 朝日新聞ってさぁ・・・
/ ∠_ |
|  ̄\ / ̄ ̄ ̄ / | なんかそこら辺のマスコミと
. |__ ____ | |⌒l. | 匂い違いますよね・・・・・・
| ̄o /  ̄ ̄o/ | l⌒| . |
|. ̄/  ̄ ̄ | |〇| | 反日というか
. | / |,|_ノ | ブサヨクっていうか・・・
. /__, -ヽ || | もっとはっきり言うと・・・
. ヽ――――一 /\ |\
/ヽ ≡ / \_| \ 三国人の匂いがするっていうか・・・・・・
/ ヽ / | |ー―
/ ヽ / | | ̄ ̄
/ヽ_,/ /|
423 :
:2001/08/22(水) 20:10
age
424 :
文責:名無しさん:2001/08/22(水) 20:13
歴史の被告席に座れよ 朝日!
425 :
文責:名無しさん:2001/08/22(水) 20:14
426 :
文責:名無しさん:2001/08/22(水) 20:21
うるせえよ、サヨ撲滅
427 :
文責:名無しさん:2001/08/23(木) 00:56
伊藤律 KY珊瑚 慰安婦南京
428 :
文責:名無しさん:2001/08/23(木) 01:00
今からでも当時の責任者の名誉を剥奪すべきだな。
偉そうなこというんだったら。
429 :
名無しさん:2001/08/24(金) 00:44 ID:TlgTsNB.
戦争が終わっても日本に戦争責任があるのならば、
朝日新聞にも戦争責任があるんじゃないのですか?
430 :
文責:名無しさん:2001/08/25(土) 18:11 ID:lRIIbVCY
朝日はなにおきても基本的に責任はとりません。
自分のことは棚に上げて、他人の責任のみ追及していきます。
431 :
名無し:01/08/28 22:40 ID:F/pLvyCU
age
432 :
嵐を呼ぶ裕次郎:01/08/29 00:47 ID:rDbc9S1c
戦争行為への煽動は、
人間の本質的な弱さ(習性)が、させたこと。
歴史を引きずって、とりつくろってもしょうがねぇ・・
人間の習性の中に、報道機構も成り立っているのだから、
特殊なトランス状態にあった日本で、
マスコミの戦争責任を追及してもはじまらねぇ・・
いまや、不特定多数に情報発信できる個人は、
みんな、大戦当時のマスコミと同等の影響力をもち、
同等の、言論に対する責任を負わなければならないだろう。
433 :
文責:名無しさん:01/08/29 00:51 ID:IS1EXkJE
>>432 >>いまや、不特定多数に情報発信できる個人は、
>>みんな、大戦当時のマスコミと同等の影響力をもち
全然違うだろ?朝日の責任は比較にならないくらい重い。
434 :
文責:名無しさん:
つかもうぜ 朝日新聞
世界で一等電波な新聞
追いかけろ 朝日新聞
世界で一等愉快な新聞
日本は中韓の属国さ
そうさ 今こそ土下座ツアー
朝鮮賛美の記事がぎっしり
文革礼賛の虚偽がどっさり
社説のどこかで煽ってる
反日集会に行こうぜBOY
沖縄珊瑚をぶっ壊し
赤のシンパで今日も書くのさ
Let's try try try 摩訶不思議
俺は正しくてお前右翼
Let's fly fly fly 大革命
軍靴の音が聞こえるぜ
潰そうぜ 靖国参拝
世界で一等右翼の神社
告げようぜ 右翼の教科書
世界で一等イカレタ歴史
声欄は電波の楽園さ
そうさ 今こそ自作自演