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今回は、事故後初めて取材が許可された福島第一原子力発電所を巡る報道について思うところを申し上げると共に、
医療従事者の方から送られてきた熱い思いを御紹介させて頂きます。
※質問者:中村和生さん(福岡県北九州市在住)
・今、閑散とした薄暗い診察室で手紙をしたためております。
私は九州の田舎で診療所を営む町医者です。昭和四十七年生まれです。医者になって十三年が経ちました。
私が研修医の頃、医師の過労死が最高裁で認定される前でしたから、悲惨な研修、修練医生活でした。
昼も夜も曜日もなく、食事は一日一回摂れればgood。倒れる者が弱いと目される風潮の中、必死で生きてきました。
医療事故で癌患者と同等の患者が死んでいると報告・報道された時期でもありました。
医療従事者は常に自らにミスがないか考え、謙虚に、高潔に、真摯に医業にあたるべきだと考えます。
それは日本人としてのモラル、武士道に裏打ちされるとも考えています。
青山さんの御尊父が医療過誤で亡くなられたから言う訳ではありません。
データは取っていませんが、少なくともいい加減、適当、冷徹な医療従事者よりも、
患者さんに感謝され、ご家族も信頼してくれ、患者さんは歩いて退院する、喜びも一入(ひとしお)でした。
散髪中に呼び出され、半分刈り上げの奇抜な髪型で治療したことさえありました。
そうした最中のある日、生暖かい風が救急センターの階段を降りる私の白衣を吹き上げました。
実は、父が倒れたという連絡があった日でありました。風はその予兆だったと判りました。
父は「何年生きたかではない。何をし、いかに死ぬかである。母、妹を頼む」と私に言い残して死にました。
私は父の髪を刈り、常に肌身離さず持っています。
診察を終え、診療所二階の雑務室でテレビをつけました。その夜は月曜日で、TVタックルが放送されていました。
突如、黒づくめの男が原口議員に「他人事のように言わないでほしいな」と怒声を上げて詰め寄っていました。
私は「何者だコイツは」と唖然としました。それはTVタックルに参加された青山繁晴さんだったのです。
そしてその後、青山さんの参加されておられる番組の動画を見、書物を読み、問題提起を咀嚼し、日本人としてあるべき姿を深く考えるに至りました。
元気、覇気がない時、青山繁晴さんの動画を見て、自らを鼓舞し、診察しております。
・青山さんは日本人としての高潔な精神、武士道に基づく理念、脱私を求められています。
・九州の田舎に住む私ですが、同胞(はらから)として、日本人として、国を憂う一人として、私の手紙を受け取ってください。
(末娘は妻の腹の中です)
・灰燼と海に舞いなん 日の出前
照らせ老婆の 夜叉孫の笑み
※質問者:両国潔俊さん(宮城県加美郡在住)
・サントリーがHPで、日本海のことを「東海(日本海)」と表示していたことがショッキングでした。