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北朝鮮帰国事業の際、配偶者達とともに北朝鮮へ渡っていった日本人妻。
異常な独裁体制と最貧国の環境で強いられた過酷な生活について、脱北して日本に帰国することが出来た斉藤博子さんをお招きしてお聞きしていくと共に、
同胞を救うために、日本政府として行うべき事を三浦小太郎氏にお話しいただきます。
※『北朝鮮に嫁いで四十年』
・著 者…斉藤 博子
・発行所…草思社
・定 価…1890円(税込)
・想像を絶する日々を生きぬいた半生の記
※まず、なぜ斉藤さんが北朝鮮に渡ったのか?ということで帰国事業の話があると思いますけれども、
朝日新聞が「北朝鮮は地上の楽園」といって、また朝鮮総連もそういった宣伝活動をして、戻った歴史的背景がありますが、
ちょっとこの辺について詳しく三浦さんのほうからご説明いただければ、と思います。
・あの簡単に申しますけれども、北朝鮮帰国事業、これは1959年の12月に始まっています。
もの凄く簡単に言えば、当時日本にいた在日コリアンの人達が祖国…ところが日本にいた在日の人達の90%は韓国出身なんですよね。
だから祖国とはとてもいえないんですけれども、「祖国・故郷に帰る」と言って9万3千人以上の方が海を渡って北朝鮮に向かった。
この中には「北朝鮮は地上の楽園」という宣伝もありました。
そして、この在日コリアンと結婚していた日本人の方、夫もいるんです!少ないですけどね。多くは日本人妻でございます。
その日本人妻の方々、数はいろんな数え方があるんですが、最も少なくカウントしても1千8百人以上の方々が夫と共に北朝鮮に渡りました。
ここで分かっていただきたいのはですね、当時は北朝鮮の実態は全く分かってなかった。
そして、むしろ「北朝鮮は良い国だ」と。そういう宣伝がされていた。勿論やったのは朝鮮総連です、これは。
ただ、それにほぼ全てのマスコミが協力していました。というか、それは正しいことなんだと。「朝鮮人が祖国に帰るのは人道的で良いことだ」と。
これはまた自民党から共産党に至るまでほぼ一致した見解だったと思います。
そしてまたこの日本人妻の方々、この方々についてはあえていいますと、当時1959年、60年代は夫がいて子供がいたら、
自分だけ離婚して日本に残るという選択肢は精神的に採れなかったと思います。
斉藤さんも当時、朝鮮人の旦那さんとの間に子供がいました。
私はある日本人妻の方から「子供さえいなかったら自分は日本に残ったかもしれない」と、こういうふうに話を聞いたことがございます。
私達は当時の時代情勢を本とか回想でしか思えませんけれども、59年、60年はそのような“北朝鮮幻想”“中国幻想”
あえていえば「社会主義が未来だ」という時代だった、ということを忘れないで考えていただきたいと思います。
(割愛させていだだきますが重要です)