【赤旗】追跡 原発利益共同体

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40文責・名無しさん
<スクープレポート>メディア最大のタブー−東電マネーと朝日新聞
週刊現代(2011/08/27), 頁:36

東電が朝日に出した年間広告料2億3000万円(推定、電事連等は除く)。それだけじゃない。朝日有力OBグループは
東電のPR誌を作り、それをすべて買い上げてもらっていた。その額、年間1億4000万円!―原発推進のため、
メディアにカネをばらまき続けた東電、そしてそこにタカる大手マスコミ。歪な原発大国の生成過程を暴く

事故後にも買い上げていた

<略>

  昨年1年間で、東京電力が会社名で朝日新聞に出した広告は合計13本。ほかに電事連名義のものや、
日本原子力文化振興財団などの広告も大量にあるが、それを除いてもかなりの数である。掲載された面によって
価格は違うが、朝日の規定の広告料に従って計算すると、その合計は2億3000万円あまりになる。しかも、
その内容は、東京電力が保有する尾瀬の環境を守ろうと呼びかけるものや、イメージキャラクター「でんこ」の
歌の歌詞・楽譜など直接ビジネスには結びつかないものばかり。事情は他の新聞でも同じだが、東電の気前の
いい広告には改めて驚かされる。ちなみに6月30日に公表された有価証券報告書によると、東電はテレビ朝日の
株3100株(全体の0.3%)を持つ大株主でもある。
 東電と朝日グループの絆は想像以上に深いが、そのことを裏付けるのが、『SOLA』と題する情報誌である。
 A4サイズ、カラーと2色刷りで約50ページ。裏表紙に「定価350円(税込)」と謳ってあるが、街の書店では一切
売られていない。
 カラフルなイラストをあしらった表紙に始まり、芸能人インタビューや健康法紹介、料理レシピ、エッセイなど、
言ってみれば生活情報誌だ。オール電化の利点などを紹介する記事も多く、事実上東電のPR誌と言って差し支え
ないだろう。1989年8月の創刊で、当初は年6回の発行、途中から年4回発行の季刊誌となった。
 実はこの雑誌は、東電の本店営業部が一括して買い上げたあと、各営業所に配布されている。そこで、興味のある
来客に無償で配られているのだ。つまり、身銭を切ってこの雑誌を買っている読者は東電以外、一人もいない。
<略>
4140:2011/09/08(木) 01:26:45.28 ID:SZOhIdhq0
 さらに注目すべきは、東電お抱えの情報誌でありながら、複数の朝日新聞OBの手によって作られているという事実
である。
『SOLA』の発行元は東京・赤坂にある「井田企画」という会社だ。信用調査会社のデータによると、社長の井田敏夫氏
は'47年生まれで、早稲田大学政経学部卒業後、朝日新聞に入社、社会部と政治部に在籍し、'82年1月に退社した。
独立後、'83年11月に広告エージェントやテレビ番組制作を手がける「朝日クリエイティブ」を設立、'86年4月に井田企画
を立ち上げた。
 井田企画と朝日クリエイティブの取引先には東電を始めとする電力各社や日本原燃、原子力発電環境整備機構、
コスモ石油など主にエネルギー関連の法人名がずらりと並ぶ。中でも設立間もなく獲得した大型案件が『SOLA』の
仕事だった。
 東電も井田企画も詳細を明かそうとしないため取引規模は推測するしかない。直近まで『SOLA』の公称部数は
8万〜10万部。1部あたり350円とすれば、年間取引額は最大1億4000万円。信用調査会社には10年前の古いデータ
しか残っていないが、それによれば、井田企画の売上高は1億4400万円。大量購入の割引があるにせよ、『SOLA』が
井田企画の手がける事業の大黒柱なのは間違いない。

 東電の丸抱え

 井田氏は『SOLA』の製作に朝日新聞OBの人脈をフル活用してきた。
 創刊以来、編集長を務めるのは元『週刊朝日』副編集長の江森陽弘氏。また、看板企画の要人インタビューでは
元取締役論説主幹の田中豊蔵氏を起用、ほかにも元論説委員の岡田幹治氏が環境問題にまつわる論考を毎号寄稿
している。
 編集長の江森氏は'60年に朝日新聞に入社。社会部次長や編集委員を務めた。その名が全国区に広まったのは
テレビ朝日系列の「モーニングショー」でキャスターに抜擢されてからだ。'83年から3年半にわたって朝日の顔となり、
その後もテレビにたびたび出演、'88年に朝日新聞を退社してからはジャーナリストとして教育問題などについて発言
してきた。
4240:2011/09/08(木) 01:27:50.41 ID:SZOhIdhq0
江森氏自身が、『SOLA』とのかかわりを説明する。
 「井田君は朝日新聞時代の先輩との縁で知っていましたが、個人的な付き合いはありませんでした。その井田君
から、『江森さん、東電から頼まれて雑誌をつくることになったので編集長をしてくれませんか』と言われたのが
二十数年前だったと思います。<略>担当したのは女優さんとの対談とか柔らかい系の記事。お金は原稿料として
毎回、請求書を出す形で(井田企画から)貰っていました。当初は年間500万〜600万円を貰ってたこともありましたが、
だんだん下がって、ここしばらくは200万〜250万円でした」
 他方、元論説主幹の田中氏が担当するのは「まじめにトーク&トーク」と題する政財界人インタビューだ。
 ここには、荒木浩元会長や武黒一郎元副社長(現・国際原子力開発社長)、元副社長で前参議院議員の加納時男
氏ら、東電関係の要人もたびたび登場する。
<略>
 直近の夏号では環境事務次官の南川秀樹氏が登場しているが、驚くべきは取材が行われた日である。
震災対応で多忙を極めていたはずの、3月17日に実施されているのだ。
 田中氏は'56年の入社で主に政治畑を歩んだ。自民党取材が長い。'78年に論説委員に就任、'91年には社説の
最高責任者である論説主幹にまで上り詰めた。
 朝日新聞を退社後、財務省の財政制度等審議会の委員なども努めている。その一方で、井田氏の会社である朝日
クリエイティブでは取締役ではないものの会長職を務めている。
 政治部畑の田中氏は本来、東電との接点はないはずだ。が、朝日退社後の田中氏は電力人脈でたびたび顔を覗か
せてきた。その最たる例が、東電がスポンサーとなり行われてきた毎年恒例の「訪中団」への参加だ。
「愛華訪中団」と称する、東電幹部とメディア各社の元幹部たちによるツアーを続けてきたのは「自由社」の
石原萌記[ほうき] 氏。元会長の平岩外四氏ら東電首脳と昵懇だったことで知られ、マスコミ界の裏側で情報サロン的
集まりを主宰してきた人物だ。<略>