朝日の基地外投稿195面

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676文責・名無しさん
2011/04/22(金)発売 週刊金曜日(844号) P58のコラム欄より


「天皇一族の政治を賛美するな」 中嶋啓明(共同通信社記者)

加害と被害の関係を曖昧にし、被災者を慰撫してその怒りを回収することで加害者の責任を
隠ぺいする天皇一族の露骨な政治が続いている。

東日本大震災の被害が刻々と伝えられ、制御不能に陥った福島第一原発に、日本社会の緊張が
極度に高まっていた最中の三月十六日、天皇明仁が「国民向け」のビデオメッセージを発した。
メディアは、報じられるべき事実を脇に置き、この明仁メッセージに大きなスペースを割いた。

その後、明仁は皇后美智子とともに同月三十日、原発近隣の福島県いわき市などからの避難住民
が多く身を寄せている東京・足立区の東京武道館(武道館)を訪れ、被災者らにもったいなくも
有難きお言葉をお垂れになった。さらに都内や埼玉、千葉県内の避難所へと「慰問巡幸」を開始し、
皇太子徳仁や秋篠宮も、それぞれ妻とともに避難所を訪れている。

例によってメディアは、こうした天皇一族のパフォーマンスを、最大級の敬語と賛辞を持って
ありがたがるのみ。これらの言動が、きわめて政治的なパフォーマンスであることは、たとえば
武道館での一連の経緯を見れば明らかだ。

東京都は、都の施設での避難住民受け入れを決めた三月十七日からの数日間、食事の提供などを
申し出るボランティアらの活動を受け付けず、居場所の提供という「最低限」の対応しか取らな
かった。聖公会のキリスト者が、炊き込みご飯のパックを配ろうと持ち込んだが、都は「食中毒
の恐れ」を理由に受け付けを拒否。聖公会は、都が放置し続けた野宿者に対する生活支援で長年、
こうした食事提供の活動に取り組んでいたにもかかわらずだ。抗議と交渉を重ねながら、二三日
になってやっと聖公会に山谷労働者福祉会館も加わった野外での炊き出しが、都の黙認の下、
行なわれ、住民らに温かい食事が提供されるようになった。「山谷」のメンバーの一人は、当初の
都の対応は、避難住民らが国の避難指示区域外から避難してきた人たちだからではないかと
疑っている。

続く
677文責・名無しさん:2011/04/27(水) 21:34:11.10 ID:JjR6KifB0
>>676の続き


これを境にさまざまなボランティアらによる相談活動も受け入れられるようになり、相次ぐボラン
ティアの申し出に、都から対応を丸投げされた足立区が支援センターを立ち上げ、正式に受付を
始めたのは二八日だ。

当初、場当たり的な対応に終始していた都が、明仁、美智子や、それにくっついてくるマスコミ
の来訪を前に体裁を整えていったのではと指摘するのは、先の「山谷」のメンバーだけではない。
武道館の近隣住民もネット上のブログに同様の疑いを書いている。

労働者福祉会館が参加した炊き出しは、公安刑事が遠巻きに監視し、明仁らの訪問は厳戒態勢の
中で行われた。だが、こうした一連の経緯がメディアで暴露されることはない。

都は、武道館の避難施設としての提供を四月半ばまでと期限を区切っているが、一四日現在、その
後の方針は未定。いわき市から自転車でたどり着いたという男性は、見通しの立たない現状を前に
途方に暮れていた。天皇一族のパフォーマンスと、それを称揚するメディアの報道は、問題を覆い
隠すだけでしかない。

明仁、美智子は四月一七日、訪日した米国務長官クリントンと会談した。天皇一族のパフォーマ
ンスを賛美し、「がんばろう日本」「ひとつになろう日本」と気持ちの悪い挙国一致キャンペーン
を繰り広げるメディアは、米軍の「トモダチ作戦」を大々的に宣伝し、日米安保の維持、強化と
有事体制の日常化に向け、率先して旗を振り続けている。

<なかじま ひろあき・共同通信社記者、「人権と報道・連絡会」会員。>