環太平洋文化圏      

このエントリーをはてなブックマークに追加
1文責・名無しさん
 
 
 
悲しい記念日なぜ多い 美里高放送部が番組制作
6月18日10時45分配信 琉球新報

「なぜ沖縄は悲しい記念日が多いのか」―。
美里高校放送部(伊佐春奈部長=3年)が沖縄の記念日に焦点を当てたラジオ番組を制作した。
慰霊の日(6・23)、復帰記念日(5・15)、沖縄を日本から切り離したサンフランシスコ講和条約発効(4・28)…。
8、9の両日開かれたNHK杯全国高校放送コンテスト県大会で最優秀賞を受賞し、
7月に開かれる全国大会(東京)では「なぜ沖縄だけ、という疑問を全国の高校生に問い掛けたい」と話している。
18日には同校の平和学習会で披露される。
「私たちの古里・沖縄にはどんな記念日があるんだろう」という素朴な疑問から始まった。
取材では沖縄戦で父を亡くしたという名護市の男性の言葉が生徒たちの印象に残った。
伊佐部長と、安田有輝さん=2年=は「亡くなった時の話をしていると暗い声だったが、お父さんと何をやりたかったか聞くと、いろんな遊びを笑顔で話してくれた」と語る。
最初は平和問題に強い関心がなかったという部員たち。
山川里さん=2年=は取材を進めるうちに「悲しい記念日と基地。なぜ沖縄だけ戦争の負の遺産を背負わないといけないのか」と憤り、疑問を抱いた。
23日に糸満市で開かれる沖縄全戦没者追悼式にも行く予定だ。
「取材を通して感じたことを忘れたくない」とメンバーは力を込めた。
2文責・名無しさん:2010/06/18(金) 21:21:47 ID:xe7jPk6y0
ラジオ板でやれ。
3文責・名無しさん:2010/06/23(水) 17:32:50 ID:paV/TayX0
沖縄「慰霊の日」 「なぜ生き延びた」 元ひめゆり学徒、今も自問
6月23日15時26分配信 産経新聞

「なぜ私は生き延びたのか」。
沖縄戦にひめゆり学徒として従軍した宮城清子さん(84)。
悲惨な地上戦に巻き込まれ、多くの仲間が命を落とす中で生き残ったことに、戦後65年となる今も自問自答する。

教員を夢見て師範学校に通っていた宮城さんがひめゆり学徒として配属されたのは、沖縄県南風原町の病院壕(ごう)。
ある日、用があり壕を出た直後、「ドォー」と爆発音が鳴り響いた。
すぐ引き返したが、壕の入り口は砲弾にやられ、中では負傷兵や看護師らが血まみれで壁に張り付いていた。全員即死だった。

「戦争は人間が人間でなくなる。二度と起こしてはならない」。戦争反対を心に決めた。

例年、慰霊の日には平和祈念公園(同県糸満市)へ足を運び、仲間の名が刻まれた礎(いしじ)に手を合わせてきた。
足を痛め、今年は行けないが、亡き仲間の霊に祈りをささげるとともに、基地問題に翻弄(ほんろう)されない平和な沖縄を願っている。

一方、激戦地の糸満市摩文仁を訪れた戦没者遺族らは、過重な基地負担軽減に願いを込め、静かに平和を祈った。

警察官だった父親を亡くした名護市汀間の男性(75)は、好物だった泡盛を手向けた。
「32歳の若さだった。悔しかったと思う。戦争は罪悪。二度とやってはいけない」

うるま市で農業を営む男性(73)は「沖縄は65年も(基地の)犠牲になっている。総理が来てもうれしくはない」。
父親の遺骨は見つからないまま。3万5千柱余りの無縁仏が眠る糸満市内の「魂魄の塔」で祈った。
4文責・名無しさん:2010/06/24(木) 01:02:54 ID:dJfJgIbX0
終了
5文責・名無しさん:2010/06/24(木) 01:06:53 ID:lf4xhcBN0
>>4
スレ主が無い知恵絞ってひねり出した「環太平洋文化圏」なる言葉の説明くらい聞いてやろうよ。



















こいつの言う太平洋って、裏庭の池より狭いって事がわかるぜw
6文責・名無しさん:2010/06/24(木) 07:11:14 ID:9b1csGDi0
ストーカー?>>5
7文責・名無しさん
>>6
おい池沼。
また太平洋を1/100周もしてないぜw
アホなこと書いている暇があったら「環太平洋文化圏」についてどんどん書けよ。