●●●朝日の社説 Ver.146

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527文責・名無しさん
>>478-479
カード 夫婦別姓旧慣習説を否定する学説−大藤修

 フェミニスト・夫婦別姓推進者の主張するところの「夫婦別姓旧慣習説」(例えば洞富雄
「明治民法施行以前における妻の姓」『日本歴史』137号1957、熊谷開作『歴史のなかの
家族』酒井書店1963等)が通説化されていた時期があったが90年代以降は否定されて
いるとみてよい。

 近世においても明治維新後も銘文、文書として残っている各種資料を精査しても社会生活に
おいて、出嫁女の生家姓(または名字)冠称の自称、指称、呼称の事例はきわめて例外的な
事例しか見いだすことができないのである。
 太政官指令「婦女人二嫁スルモ仍ホ所生ノ氏ヲ用ユ可キ事」は社会生活の実態とまったく
乖離しており、事実上実効性がなかったと考えられる。それは夫婦の別氏を称することの
不便さが各府県の多くの伺文で取り上げられていることでも明らかである。役所が公文書に
生家姓を強いることも困難な実態にあり、事実上明治民法に先行して夫婦同氏が普及し慣行
となっていた。

◎妻の姓の問題
 大藤氏は旧慣習説を批判して次のように述べる。
 近世において妻がどちらの姓を称していたかを資料的に確認するのは難しいのが実情である。
第一、それについての法的規定は存在しない。そもそも近世においては、女性の役割は家の
内部に限定され、社会的役割を果たしていなかったので、女性が姓を冠して対外的に自己を
表示する必要はあまりなく、したがって法的に問題にすらならなかったのである。文書のうえでも
女性は「某室(女房)○○」「某女○○」「某母○○」というふうな、当主たる夫や父あるいは息子
との関係で表示されるのが通例である。
(これは学者らしい慎重な表現だが夫婦別姓は資料的に確認されてないので旧慣習説は否定
されると言いきってよいだろう)
http://antilabor.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-4309.html