☆朝夕の娯楽★天声人語&素粒子。親の因果が52報い

このエントリーをはてなブックマークに追加
430文責・名無しさん:2010/02/10(水) 03:53:26 ID:iXHHTN0z0
天声人語 2010年2月9日(火)付

 踏鞴と書いて「たたら」と読む。昔、足で踏んで溶鉱炉などに空気を送る送風機のことを言った。転じて「たたらを踏む」
は空足(からあし)を踏むこと。段差のある場所で見当を誤り、よろけた経験は誰にもあるだろう。

 車のブレーキを踏んでも利かない感覚は、「たたらを踏む」のに近いだろうか。1秒前後の利きの遅れとはいえ、
違和感に運転者があわてれば、事故につながりかねない。あると思って踏んだ地面がなかった。大仰だが、
ブレーキが利かないとはそんな印象である。

 人気車種プリウスのブレーキの問題で、トヨタがとうとう国交省にリコールを届け出るという。全車の無償修理であり、
欠陥を認めることでもある。発覚以来、不具合ではなく「運転感覚の問題」で片付けようとする姿勢に批判が高まっていた。

 ひと月ほど前の小欄で、プリウスの成功を「一流の技術陣がアクセルを踏み込んだ時の馬力を思う」と書いた。
組織にも「心技体」がある。技は一流でも、心や体が覚束(おぼつか)なければ信頼はついえてしまう。

 「不良品にはならなくても、『こんなものを納品したら会社の恥だ』と妥協しない人と、『まあいいや』と見逃す人とでは、
ネジの出来がまるで違う。ネジが積まれた山をひと目見たら美しさが違うんですわ」。作家の小関智弘さんの
『現場で生まれた100のことば』に見つけた、あるネジ職人の心意気だ。

 見事な「ものづくり魂」に比べ、不良品にあらずと言いつのるトヨタは小さく見える。守るものは体面ではなく、
お家芸の「品質と安全」であってほしい。
431文責・名無しさん:2010/02/14(日) 00:12:36 ID:SWhcMlly0
>>430
心技体って元々武道の言葉だろ。
>技は一流でも、心や体が覚束(おぼつか)なければ信頼はついえてしまう。
朝青龍の時と違って「大企業」には随分と手厳しいな。
ところで素粒子の下衆な表現に心が伴っているとでもいうのかね?
432文責・名無しさん:2010/02/16(火) 04:13:31 ID:iP5D3KAf0
天声人語 2010年2月10日(水)付

 ノーベル賞を受けた英国の劇作家バーナード・ショーは、嘘(うそ)か誠か、こんな逸話を残す。
パーティーの席上、とある女優に「私と結婚しませんこと」とささやかれたそうだ。

 「私の容姿とあなたの頭脳を持った子が生まれたら素晴らしい」と。だがショーは「やめておきましょう」と断る。
「僕の容姿とあなたの頭脳を持つ子だったらかわいそうだ」。ブラックジョークめくが、皮肉屋の本領発揮である。

 さて、この結婚がどんな果実を生むか、期待した人は少なくなかっただろう。キリンとサントリーである。
財界人も飲んべえも、それぞれの立場で注目した縁談だったが、破談になった。相整えば世界5位の
食品企業が誕生するはずだった。

 昨夏に「交際」が発覚した。だが多難とも噂(うわさ)されていた。社風も違う。浪速で生まれ、
「やってみなはれ」精神のサントリーに対し、旧財閥系のキリンは重厚で手堅い。例えるなら草書と
楷書(かいしょ)か。異質が溶けあい、墨痕も鮮やかに大書される旗印が、掲げられる日はもうない

 双方のファンには、持ち味の減殺を案じる声もあった。知人の飲み助は、落語の古今亭志ん生と桂文楽を
引き合いにした。融通無碍(ゆうずうむげ)な志ん生。端正な文楽。昭和の名人の芸風を双方の社風に例え、
「“古今亭文楽”など聞きたくはない」と赤い顔で力んでいた。

 破談発表の夜、紅灯の巷(ちまた)はその話題に花が咲いたそうだ。経済論、文化論、カイシャ論……結婚論も
あったかも知れない。一夜の酒のサカナとなって左党のサービスにこれ努め、冬の空にはかなく消えた。

433文責・名無しさん:2010/02/16(火) 04:16:40 ID:iP5D3KAf0
天声人語 2010年2月11日(木)付

 出世作の「遠雷」も忘れがたいが、立松和平さんといえばオニオンスライスである。早大に合格して上京し、
下宿の近くの食堂へ行った。むろん懐は寒い。品書きをにらみ、一番安いオニオンスライスを注文した。

 「オニオンス・ライス」、つまり玉葱(たまねぎ)ご飯だと解釈したのだった。薄切りの玉葱が運ばれたが、
おかずだと思い、ご飯が来るのをひたすら待ったそうだ。「玉葱の上にかかった花かつおが、
人を小馬鹿にしたように揺れていた」と回想している。

 そんな田舎の青年が、そのまま年を重ねたような風貌(ふうぼう)だった。故郷の栃木弁が似合っていた。
玉葱の食堂では、訛(なま)りが恥ずかしくてご飯を「催促」できなかったという。だが後年はそれが持ち味になり、
語りは炉辺談話の趣をかもしていた。62歳での他界は惜しまれる。

 いわゆる書斎派ではない。世界を旅し、足跡は南極にもおよぶ。知床に山小屋を構えて通いつめた。
諫早湾の干拓に物申し、鉱山開発で荒廃した足尾の山に木を植えた。自然が本来持つ「豊饒(ほうじょう)」への、
ゆるがぬ信頼が身を貫いていた。

 かつて小紙に、「老後の楽しみは木を植えること」だと寄せていた。何百年も伐採しない森を作り、その木材で
法隆寺など古い寺院を未来に残したい。夢を温めていたが、人生の時間を天はもぎ取ってしまった。

 冒頭の食堂に話を戻せば、立松さんは玉葱だけ黙って食べたそうだ。そして「東京暮らしはつらいな」と思う。
切ないのに、どこかおかしくて、あたたかい。そんな空気を人徳のようにまとい続けた作家だった。
434文責・名無しさん:2010/02/16(火) 04:19:48 ID:iP5D3KAf0
天声人語 2010年2月12日(金)付

 ある行為がすたれたために忘れられていく動詞がある。「くべる」もその一つだろう。漢字で書けば
「焼べる」となる。若い人はご存じだろうか。燃やすために、物を火の中に入れることを言う。

 〈湯ぶねより一(ひ)とくべたのむ時雨かな〉川端茅舎(ぼうしゃ)。いまなら追い焚(だ)きボタンですむが、
「ひとくべ」の言い方を懐かしく思い出す人もおられよう。とりわけ都会は火を焚く暮らしから遠くなった。
正月の松飾りを燃やす機会がなくなり、生ゴミに出す人もいると先ごろの声欄にあった

 たしかに、どんど焼きの祭事は減った気がする。落ち葉焚きは何年も見ない。もはや「絶滅危惧(きぐ)種」らしい。
童謡は歌えても、生き物のように変化し、飽きずに眺めていられる火を都会っ子は知らないようだ。

 「火を焚きなさい」とわが子に呼びかける詩が、屋久島で暮らした詩人の山尾三省にある。〈やがて調子が出てくると/
ほら お前達の今の心のようなオレンジ色の炎が/いっしんに燃え立つだろう〉

 〈人間は/火を焚く動物だった/だから 火を焚くことができれば それでもう人間なんだ……〉。そして火のある所、
火を囲む行為が生まれる。〈一人退(の)き二人よりくる焚火かな〉久保田万太郎。だが、手をかざし、お尻をあぶりつつの
コミュニケーションも今は遠い光景である

 囲む人々の中には、鍋奉行ならぬ「焚き火奉行」がいたものだ。生きている火は、燃やすというより「育てる」という
言い方がふさわしい。「くべる」の語とともに、奥深い技術を忘れつつあるのかもしれない。
435文責・名無しさん:2010/02/16(火) 04:21:32 ID:iP5D3KAf0
天声人語 2010年2月13日(土)付

 ロッキード事件が発覚した当初、自民党の中曽根康弘幹事長から「もみ消し要請」があったとする米側の
公文書が見つかった。内容もさることながら、表記が興味深い。言葉をめぐる日米関係の一端を見る思いがする。

 文書を読むと、もみ消す意味の「HUSH UP」に続けて(MOMIKESU)と日本語のローマ字表記を残している。
この「もみ消す」は政治的陰影に満ちた要請のキーワードだ。単純に「HUSH UP」に置き換えていいものか。
訳した米側担当者は悩んだのに違いない

 戦争末期にポツダム宣言を「黙殺」するとした日本の回答を思い出す。徹底抗戦派を抱えつつ終戦を模索していた
政府には、ぎりぎりの表現だったという。これが相手方には「無視」「拒絶」の意味に英訳されて伝わったとされる。

 広島と長崎の惨事はそれから間もなくだった。『ベルリッツの世界言葉百科』には「この一語の英訳が違っていたら
原爆投下はなかったかもしれない」とあるそうだ。鳥飼玖美子さんの『歴史をかえた誤訳』に経緯が詳しく書かれている。

 日米繊維交渉の佐藤・ニクソン会談では、「善処する」が「最善を尽くす」と通訳された。だが佐藤首相は、
「善処する」の日本的な意味どおり何もしなかった。腹芸的な言葉がまっすぐに訳されて、日米関係はこじれていった。

 そしていま、鳩山首相の「トラスト・ミー」である。政治的陰影をかなぐり捨てた直球を、もみ消す術(すべ)はないようだ。
一つの言葉がときに背負う重みを、冒頭の文書から思い巡らせてみた。
436文責・名無しさん:2010/02/16(火) 04:26:06 ID:iP5D3KAf0
天声人語 2010年2月14日(日)付

 自慢話にならない限り、長老の人生論は聴くに値する。どんな人生であれ、一つをほぼやり遂げた事実が
言葉に重みを与える。80近くまで生きた江戸時代の俳人滝瓢水(ひょうすい)も、教訓めいた句を多く残した。

 〈浜までは海女も蓑着る時雨かな〉は、いよいよとなるまでは最善を心がけよ、といった意味らしい。評論家の
外山(とやま)滋比古(しげひこ)さんが、近著『マイナスのプラス』(講談社)でこの句を引いて、「どうせ」の思考に
クギを刺している。

 「最後の最後まで、生きるために力をつくすのが美しい……浜まで身を大切にする人は、海に入ってからも
いい働きをする」。86歳の外山さんは、「どうせ××だから」との判断は人生を小さくすると戒め、逆境や失敗を
糧にする生き方にエールを送る。マイナス先行の勧めである。

 相通じる発言を本紙で目にした。「こうでなければ幸せになれない、という思い込みは捨てるべきです」。
『不幸な国の幸福論』(集英社新書)を書いた作家の加賀乙彦(おとひこ)さんだ。

 日本人は他の目を気にし、世間のいう「幸福行き」のレールを外れまいとする。勢い、個は育たず、子どもは
考える力を奪われるとの見方だ。精神科医でもある80歳が求めるのは、幸福の形を決めつけないしなやかな精神。
そして、挫折も幸せの要件だと説く。年長の識者2人が、期せずして同じ助言に達したのが面白い。

 バンクーバーからの映像には、準備を尽くして「浜」に立つ選手たちがいる。冬季五輪の開会式に目を奪われながら、
彼らを待つ栄光と、その何倍もの挫折に思いをはせた。
437文責・名無しさん:2010/02/16(火) 04:28:57 ID:iP5D3KAf0
天声人語 2010年2月15日(月)付

 73歳が詠むから許される句もある。〈ときめきが動悸(どうき)にかわる古稀(こき)の恋〉。全国老人福祉施設
協議会の第6回「60歳からの主張」川柳部門には約2千句が寄せられた。入賞作と、最終選考に残ったものから
紹介する。

 〈掛けてきた年金実は賭けていた〉。社会へのまなざしは鋭い。〈日本発武士道にない派遣斬(ぎ)り〉。福祉政策は、
老より幼に重きを置くかに見える。そこで〈敗戦国興して老後報われず〉。

 〈カラオケで美声聴かせて入れ歯落ち〉〈置き場所を思い出せない備忘録〉と、老いを笑い飛ばす自虐の句も目立つ。
〈角が取れ丸くなるのは背中だけ〉〈遼君のスイング真似(まね)て腰痛め〉など、綾小路きみまろさんの名調子で
聴いてみたい。

 名刺抜きの付き合いに慣れるのもひと苦労で、〈定年前の肩書き言うな居酒屋で〉。しかし男というもの、いくつになっても
妙なライバル意識が抜けない。〈買った墓地嫌いな奴(やつ)の相向かい〉

 〈新婚と思って老々介護する〉。何十年も一緒にいれば、夫婦の仲は様々だ。〈補聴器が老妻の愚痴ひろってる〉。
かと思えば〈老妻とダジャレの応酬日々楽し〉という関係も。皆が夢見る共白髪の日々にも、ふと我に返る時がある。
〈婆(ばあ)さんや茶柱立って何がある〉

 優秀賞は、冷めた視線で〈喜寿祝い寿司(すし)に集まり我(わ)れ孤独〉。ごちそう目当ての親族を、声ではなく字で
チクリとやるのが老境。同様に〈子や孫が無理はするなとこきつかう〉。まあ、使う気にさせる体も素晴らしい。
万事、前向きに考えたい。〈物忘れ嘆くな頭のダイエット〉
438文責・名無しさん:2010/02/16(火) 04:32:22 ID:iP5D3KAf0
天声人語 2010年2月16日(火)付

 碁や将棋にはうといが、方寸の盤をめぐる話は面白い。平安期の説話集『今昔物語』に、あやしい碁打ち女の話がある。
天皇の碁の師でもある寛蓮という名人が、ある日、通りで少女に呼び止められる。

 案内された家の女主人に対局を望まれ、気楽に打ち進めた。だが、気がつくと名人の石はみな殺しになっている。
こんなはずはない。女は何者か、と怖くなった名人は逃げ出してしまう。京の街はしばらく、この噂(うわさ)で
持ちきりになったという

 東京の小学5年藤沢里菜(りな)さんの快挙を聞いて、つい、そんな話を思い出した。日本棋院の試験に見事合格し、
男も含めて史上最年少の11歳半で囲碁のプロ棋士になると、先ごろ報じられた。「小学生のうちにプロになりたいと
思っていた」と言うから、万年ザル碁の凡人は脱帽である。

 将棋界では17歳の女流名人が誕生した。島根の高校3年里見香奈さんは「倉敷藤花(くらしき・とうか)」という
女流タイトルをすでに持ち、10代での二冠は約27年ぶりになる。

こちらのプロ入りは12歳だから、「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」の諺(ことわざ)を地でいく。「女流名人に
ふさわしい人になるよう、立ち居振る舞いに気をつけて棋力向上に努力したい」。当たり前といえば当たり前の抱負が、
当節、頼もしく新鮮に響く。

 ところで冒頭の碁打ち女の話は、朝日歌壇の選者馬場あき子さんの『歌よみの眼』に教わった。馬場さんによれば、
かの紫式部も清少納言もかなりの碁好きだったらしい。脈々たる歴史というべきか。囲碁も将棋も、女流の伝統に咲く
新たな大輪に期待が膨らむ。
439文責・名無しさん:2010/02/17(水) 22:58:03 ID:0VyLBYAH0
>>433 オニオンスライスのネタってさ、

ヤングジャンプのマンガ、キャンパスクロッキーの方が先じゃなかったっけ???1980年ころだけど。
440文責・名無しさん:2010/02/17(水) 23:09:04 ID:0VyLBYAH0
>>435 読売だとナベツネとナカソネが盟友だからこんなコラムはMOMIKESUんだろうなー。
441文責・名無しさん:2010/02/19(金) 05:06:56 ID:iQGjT7d/0
天声人語 2010年2月17日(水)付

 どこの湖の冬だろう、彫刻家で詩人の高村光太郎に「氷上戯技」という短い詩がある。〈さあ行こう、
あの七里四方の氷の上へ/たたけばきいんと音のする/あのガラス張りの空気を破って/隼(はやぶさ)よりも
ほそく研いだこの身を投げて/飛ぼう/すべろう〉

 昔の少年たちの歓声が聞こえるようだ。時代は違うが、この2人も冬には、氷雪と戯れる子ども時代を
過ごしたのかと想像した。スピードスケート500メートルで銀メダルを手にした長島圭一郎選手と、
銅の加藤条治選手である

 長島選手は雑草タイプらしい。前回のトリノ五輪では惨敗して泣いた。「力もないのに出て、打ちのめされた。
恥ずかしくて死にたくなった」と言う。タイムより勝ち負けにこだわる哲学は、野天の真剣勝負師を思わせるものがある。

 加藤選手も前回、期待されたが6位に沈んだ。その後車を買い、ナンバーを「3399」にした。世界初の33秒台への
決意というから、こちらは技を研ぎ澄ます求道の人か。どちらも恥辱と屈辱をばねに、日本勢初のメダルをもぎとった。

 残念ながらフィギュアでは、ロシアに国籍を変えた川口悠子選手のペアが4位に終わった。移り住んで8年、
「ペアはロシア人の誇りなんです。それが分かってきた」と言っていた。だがスロージャンプで転んだ。

 〈獲物追ふ豹(ひょう)にも似たり女子フィギュア氷上リンクの轍(わだち)すさまじ〉。朝日歌壇に載った
渕上範子さんの作だ。ペアとて同じ、そして銀盤の傷痕は栄光と悔恨の証人でもある。3位と4位の間の
非情な距離をあらためて思う。
442文責・名無しさん:2010/02/19(金) 05:09:37 ID:iQGjT7d/0
天声人語 2010年2月18日(木)付

 「春秋」とは歳月のことを言い、転じて年齢をさす。「春秋に富む」とは若くて将来が長い意味だが、
昨今はご高齢に向けて使う誤用も多いそうだ。それは皮肉かと、言われた方は面食らう。
齢(よわい)を重ねた人には「春秋高し」という言い方がある

 その「高し」と「富む」が、自民党内でせめぎ合っているようだ。野党転落で檜(ひのき)舞台の減った
重鎮たちが、テレビ中継される国会審議に活路を求め、「質問させろ」とやる気満々なのだという。
いきおい若手のチャンスは減って、ぼやきの声が止まらない。

 5日と8日の衆院予算委の中継時には、質問者10人のうち6人が、派閥領袖(りょうしゅう)ら当選8回以上だった。
電波少年ならぬ電波高年というべきか。「人気回復には世代交代が必要なのに、自分だけは別と思っている」と
若手は手厳しい。

 たしか徳川夢声だったと記憶する。芸について、「自分と同じぐらいのうまさと思ったときは相手の方が数段上」
と言っていた。自分を見る目は誰しも甘い。年齢もしかり。自分と同じ年格好に見える人は、実際には何歳か
若い場合が多いそうだ。

 自民の重鎮には、「春秋高し」ではなく、まだまだ「春秋に富む」心意気の人が多いのだろう。一概に悪いことではない。
重鎮という鍋ぶたを吹き飛ばす、若手の噴火力があればいいだけの話である。

 きのうは谷垣総裁が、中継付きの晴れ舞台、党首討論に挑んだ。飛距離の出ないスキーのジャンプを見るようだった。
若手の目にはどう映っただろう。野党第1党の生命力が萎(な)えてはいないかと、気にかかる。
−−−−−−−−−−−−−−−
自民を叩いて政権交代を煽っといて、今更「生命力が萎えてはいないか」ってアホですか。
しかし自民でもお気に入りの加藤だけはいちいち持ち上げてるのにはあきれる。
443文責・名無しさん:2010/02/19(金) 05:11:07 ID:iQGjT7d/0
天声人語 2010年2月19日(金)付

 騙(だま)し絵で知られるオランダの画家エッシャーに「滝」という作品がある。水路から落ちる水が
水車を回して流れる。流れを目で追っていくと、あれ? また同じ落ち口に戻っていく。錯覚を巧みに使い、
現実にはありえない無限連鎖を描いた傑作とされる。

 ありふれた無限連鎖も人の世にはある。「今どきの若い者は……」の嘆きである。かのソクラテスも
若者に嘆息したそうだ。言われた者がいつしか言う年齢になり、生きかわり死にかわり、有史以来の
バトンリレーが続いてきた。

 かつて「太陽族」があり「みゆき族」があった。五輪スノーボードの国母和宏選手の服装問題も、
逸話の一つになろう。だいぶ叩(たた)かれ、国会でも取りあげられた。出場辞退がちらつき、
本人は開会式参加を自粛した。「バンクーバー五輪外伝」として記憶されるに違いない。

 多少の小言はわが胸にもある。にも増して、ひとりの若者のささいな「未熟」をあげつらう、
世の不寛容が気になった。若いネット世代からの非難も目立ったと聞く。どこかとげとげしい時代である。

 皮肉屋だった芥川龍之介に一言がある。〈最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑(けいべつ)しながら、
しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである〉。だが、若い身空でその処世術にたけた人物が
魅力的だとも思えない。

 「両親が見えた。応援してくれるのでうれしかった」と臨んだ決勝ではふるわなかった。8位は不本意だったろうが、
次がある。4年後に、「今の若い者は」と嘆くほど自身が老け込んでいないよう、願っている。
−−−−−−−−−−−−−−−
朝日の入社試験に腰パン・シャツ出し・ドレッドヘアで行っても受かるんですかね。
こういう「若者文化に寛容なオトナ」を演じたい人間か、TPOを本気で分かってない人間しか
こうなるまで周りに居なかったのが國母の不幸のような。
444文責・名無しさん:2010/02/21(日) 17:40:06 ID:WXz2vZD10
>ひとりの若者のささいな「未熟」をあげつらう、世の不寛容が気になった。

一般論としては「若者のささいな未熟をあげつらう」のは良くない。
しかし、国母のふるまいから見て、次はもっと酷いトラブルを引き起こすかもしれない。
朝日は一般論や普遍論を振り回して、個々の特性を見ようとしない。
北朝鮮問題がいい例だ。「北朝鮮の行動をことさらにあげつらうな」
「北朝鮮を批判ばかりする風潮に危うさを感じる」と言い続けて
朝日は北朝鮮の本質を見ようとしなかった。
一般論・普遍論ならちょっと本を読みかじれば中学生でも言える。
本当に重要なのは、そこに存在する「固有の本質」を見抜く洞察力を持つことだ。
445文責・名無しさん:2010/02/23(火) 05:05:38 ID:Fu7h1r050
天声人語 2010年2月20日(土)付

 氷がとけたら何になる? テストである子が「水になる」ではなく「春になる」と答えたという話を、先ごろの小欄で書いた。
伝聞だったので「虚実はおいて」と断ったら、子ども時代を札幌で過ごしたという60代の女性から便りをいただいた。

 セピア色をした「りかのてすと」のカラーコピーが入っていた。「ゆきはとけるとなにになる」の問いに「つちがでて
はるになります」と鉛筆で書かれている。残念ながらバツをもらい、全体の点数は85点。お母さんが取り置いていたのを、
遺品の中から見つけたそうだ。

 電話で話をお聞きした。子ども時代、クロッカスなどの球根を庭に植えた。春になると真っ先に球根の上の雪がとけ、
丸く小さく地面が見えた。やがて美しい緑の芽が出る。その印象が答案になったのでしょう、と話しておられた。

 早春の風はまだ冷たいが、石垣りんの詩「二月のあかり」を思い出す。〈二月には 土の中にあかりがともる。
……草の芽や 球根たちが出発する その用意をして上げるために 土の中でも お母さんが目をさましている〉

 植物ばかりではない。都内の井の頭自然文化園を訪ねたら、越冬中の昆虫を観察できる展示があった。
落ち葉の下や土の中に様々な命が息づいている。「お母さん」が小さきものたちを起こして回る日も、遠くはない。

 テストで「春になる」と答えた人は他にもおられることだろう。きのうは二十四節気の雨水だった。水ぬるみ始めるころ。
もうひと辛抱、ふた辛抱で、幼い答えを正解とすべく、季節がめぐる。
446文責・名無しさん:2010/02/23(火) 05:10:10 ID:Fu7h1r050
天声人語 2010年2月21日(日)付

 子どもは宝探しが大好きだ。繰り返し遊ぶうち、そこが庭なら庭を、森なら森を知ることになる。小道を抜けたら杉木立、
桜並木の裏手には小さな池というように。

 年初から続く本紙の「しつもん! ドラえもん」が50回を迎えた。1面にあるクイズの答えをその日の紙面から探し、
「情報の森」に遊んでもらう試み、幸い好評と聞いた。丸っこいのが跳んだり転げたりする姿に、横の当方も和んでいる。

 東京の「ひととき」欄で、埼玉県の主婦がドラえもんの効能に触れていた。教室での態度が乱れ、学校から脳波検査を
勧められた小学4年生の息子さんが、新聞を熱心にめくり始めたという。「その横顔を見るたび、私の心にかすみ草ほどの
小さな花が咲く。大丈夫。この子は大丈夫……」

 興味の対象を見つけた子を、祈るように見守る親心である。多くの読者から、親子の会話が増えた、子どもが朝刊を
取りに行くようになったと、うれしいお便りが届いている。新聞が喜ばれ、併せて小さな読者を育むのなら言うことはない。
小欄も見習いたい。

 22世紀からやって来たドラえもんは、腹のポケットから色んな道具を取り出し、のび太を助ける。ご近所のよしみで
質問。のぞけば文章が浮かんでくる「すぐ書けるーぺ」なんてものは……ないよねえ。

 ドラえもんのせりふに〈未来(みらい)なんて、ちょっとしたはずみでどんどん変(か)わるから〉がある。作中では
楽観を戒める言葉だが、何事もあまり悲観することはないとも取れる。毎朝の問答で、一つでも多くの未来が輝きますように。
−−−−−−−−−−−−−−−
天声人語はまだだけど、朝日社説が浮かんでくる自動生成プログラムはすでにありますねw
447文責・名無しさん:2010/02/23(火) 05:11:49 ID:Fu7h1r050
天声人語 2010年2月22日(月)付

 かぐや姫のヒット曲「赤ちょうちん」の一節にある。〈雨がつづくと仕事もせずに/キャベツばかりをかじってた……〉。
喜多條忠(きたじょう・まこと)さんの詞は、若い二人のその日暮らしをうたう。前作の「神田川」と同様、
いわゆる四畳半フォークの香りが強い。

 曲中ではキャベツが貧しさを語るが、昨今、節約のシンボルは別の野菜らしい。モヤシが家計と食卓を支えていると
読める記事に、三十数年前の歌が浮かんだ次第である。

 総務省の家計調査によると、2009年の世帯当たりの消費支出は2年続けて落ち込んだ。収入が減り、食費が
切り詰められる中、モヤシへの出費は07年半ばからずっと前年同期を上回っている。去年は1割を超す伸びだったという。

 確かにモヤシは、みずみずしい食感、豊かな栄養価とともに、安値安定が売り物だ。とはいえ三食こればかりとはいかない。
野菜炒(いた)めのように、脇役で使われることが多い。焼きそばあたりでは、増量の密命を帯びて縁の下にもぐるような
役どころである。

 作家の椎名誠さんに、健康診断で痛風の恐れを言われ、モヤシ料理にはまる作品がある。この野菜を愛(いと)おしむ
「私」は考える。〈野菜炒めだけでなく、モヤシが全体的にその実力のわりには軽んぜられた地位にあるのは「その安さ」と
いうことも関係あるのではないか〉

 その安さから軽くあしらわれ、その安さゆえに台所のピンチを救う。脇役が活躍するドラマも悪くはないが、細身の色白が
やけに頼もしく見える目下の悲喜劇。政治という名の主役はどう眺めているのやら。
448文責・名無しさん:2010/02/23(火) 05:12:59 ID:Fu7h1r050
天声人語 2010年2月23日(火)付

 〈江戸の敵(かたき)を長崎で討つ〉の例えは、本来は「長崎が討つ」だという説がある。江戸での見せ物興行で
大阪の竹細工が大評判を呼び、地元勢は面目をつぶされる。ところが長崎からのガラス細工がさらなる人気を博し、
江戸の職人たちも留飲を下げた、との由来である。

 外国に開かれた長崎は先取の地でもあった。「長崎で討つ」となるとその意味は消え、意外な場所や筋違いのことで
恨みを晴らす例えとなる。だが、これは筋違いどころか当然の報いではないか。与党が敵を討たれた長崎知事選だ。

 すべての国会議員を民主党が占める長崎。自民党系の圧勝は、現政権への不満でなくて何だろう。ガラス細工の
新しさが江戸っ子を驚かせたように、参院選に先がけて風が変わったと、民主党は肝に銘じるべきだ。

 本紙調査の内閣支持率は4割を切った。「政治とカネ」の当事者が十分な説明を怠ったままなのに、党内から
批判が聞こえてこない不思議に、無党派層の離反は加速する。改革を見守りたい層の我慢も限界に近い。むろん、
審議拒否に出るようでは自民党の支持率も上向くまい。

 冒頭の「長崎が」説を付した小学館の「ことわざ大辞典」に、〈長崎の怖い雑魚〉という古語があった。遠隔地の
不案内と、イワシなどの「小合(こあい)雑魚」をかけた言い回しで、何ともいえぬ恐ろしいことの意味だという

 自民はイヤ、民主もダメの政治不信。そのうち選挙も納税もばからしくなって、日本社会から活力がますます
失われていく。そんな展開こそ、いま一番の「怖い雑魚」である。
−−−−−−−−−−−−−−−
そもそも「世襲」「金持ち」をキーワードに安倍、福田、麻生をこき下ろしておいて、
世襲で金持ちの鳩山を「華麗なる一族」と持ち上げるマスコミは何なのよと。
449文責・名無しさん:2010/03/03(水) 22:20:09 ID:m+dxRf4f0
天声人語 2010年2月24日(火)付

 ビートルズの解散から40年になる。メンバー個々の活動が目立ち始めたのは1968年だった。
別れを意識した4人は69年夏、有終の美を飾るべく最後のアルバム録音に臨む。「アビーロード」だ。

 広報担当の著作によると、プロデューサーのジョージ・マーティンはこの傑作をこう評した。「A面はジョン、
B面はポールと僕が望むようになった」。それは、ジョン・レノンに始まりポール・マッカートニーで終わった、
とも語られるバンドの歴史に重なる。

 先ごろ、アルバムが制作されたロンドン北部のスタジオが売りに出ると報じられた。ところが「売らないで」
の声がわき起こり、所有者のEMIグループは売却を断念したと伝えられる。

 ビートルズの曲の9割がここで録音された。4人が横断歩道を渡ってスタジオを去る有名なジャケット写真は、
解散を暗示するものと話題になった。周りにはファンの姿が絶えない観光地である。資金難の会社は
巨万のブランド価値に注目したが、「史跡」とあっては換金しづらい。

 稀代の感性が生み出した自在の曲想は、この場で形を整え、人類が永久に楽しめる「音の世界遺産」になった。
4人の活動は実質7年。彼らの才能、友情、不和のすべてを見届けて、スタジオはなおそこにある。

 ゆかりの地にも染みわたる伝説の重さ。最後のシングルにどうにか間に合ったビートルズ世代の端くれとしても、
感慨深い。「どれだけ大切な資産なのかを痛感した」という関係者の言を信じよう。願わくばレット・イット・ビー、
あるがままに。
450文責・名無しさん:2010/03/03(水) 22:23:47 ID:m+dxRf4f0
天声人語 2010年2月25日(木)付

 その結晶の麗姿から、雪には「六花(りっか)」の異称がある。大気中のちりに水の分子がつき、六方に伸びてゆく。
ゆっくり成長した結晶ほど、大きく美しい形になるという。バンクーバーの氷上に、4年待たされた二輪の花が
並んで咲いた。

 冬季五輪の女子フィギュア。ショートプログラムで、韓国の金妍児(キム・ヨナ)選手が首位、浅田真央選手が
2位につけた。ともに10代半ばから世界で争いながら、前回トリノは年齢制限などで出場できなかった。
以来、技と美を六方に伸ばし、初舞台でまみえる結晶二つである。

 先に滑った真央さんの曲は「仮面舞踏会」。ポーズをとって、曲が始まる前に4回まばたいた。仮面も緊張までは
隠せない。しかし、勝負のトリプルアクセルが成功すると、社交界にデビューする少女の生気が戻った。

 続いて登場した妍児さんは「007」。少し背伸びをしてボンドガールになりきり、妖(あや)しく、なまめかしく舞い切った。
この競技、スポーツであり芸術であり、何よりショーなのだと得心した。

 二人は、誕生日が20日違うだけの19歳で、国際大会での成績は伯仲している。両親と姉1人の家族構成も同じ、
背格好までそっくりだ。妍児さんは、真央さんのことを「もう一人の私」と表現してもいる。

 できすぎた背景と展開に彩られて、めったにないライバル物語がいよいよ佳境を迎える。その結末は
期待の真綿にくるまれ、あすのフリー演技へと大切に運ばれた。フィクションでは再現しえない熱狂と鼓動が
二人を待つだろう。だから、「4年に1度」はたまらない。
451文責・名無しさん:2010/03/03(水) 22:28:59 ID:m+dxRf4f0
天声人語 2010年2月26日(金)付

 日本の自動車史で初の純国産といえるのは、トヨタ自動車が1955(昭和30)年に出したクラウンだろう。
3年後には、左ハンドルにして米国に輸出された。だが、パワー不足のうえ壊れやすいと不評を買い、
退散の憂き目に遭う。

 以来半世紀、「TOYOTA」は信頼のブランドに育った。その頭上に輝く「品質の王冠(クラウン)」が今、
ずり落ちかけている。冠を両手で支えるようにして、豊田章男(とよだ・あきお)社長が米議会の公聴会に出向いた。
トヨタ車の不具合をただす、自動車の国の「お白州」である。

 「すべてのトヨタ車に私の名がついている。お客様に安心してほしい気持ちは誰よりも強いのです」。眼鏡の奥の、
少しおびえたようなまなざしは、誠実さゆえと受け止められただろうか。

 この国の自動車は日々の生活に欠かせぬ移動手段だ。技術陣には言い分もあろうが、自らの「足」に裏切られた
米国民の怒りは想像に難くない。航空にせよ食品にせよ、客の命を預かる企業はつくづく怖いと思う。
品質に失望したユーザーらの言動は、この上ない逆宣伝となる。

 ホンダを興した本田宗一郎は、社名にわが名を冠したことを生涯悔やんだ。片や豊田喜一郎は同族経営の
米フォードに親近感を抱いていたという。その孫の章男氏は、一つ間違えば世襲をとやかく言われるハンディを負う。

 公聴会は政治ショーのにおいが強いが、トヨタの振る舞いには日本ブランド全体の信用がかかっている。社長以下、
いく重もの緊張感を信頼回復のバネにしていくしかなかろう。冠を頂く者の宿命である。
452文責・名無しさん:2010/03/03(水) 22:32:12 ID:m+dxRf4f0
天声人語 2010年2月27日(土)付

 映画インディ・ジョーンズのシリーズに、暗黒の谷に架かる見えない橋を渡る場面がある。
〈勇気を示せ〉という指南に従い、神を信じ、己を信じ、主人公は虚空に大きく左足を踏み出す。
彼女も自分を信じ、左足で踏み切ったに違いない。

 冬季五輪の女子フィギュアで、浅田真央選手が3回転半ジャンプをすべて成功させて銀メダルに輝いた。
期待と注目度からして、勝っても負けても、国内的には「真央の五輪」になるとわかっていたバンクーバー。
重圧の下での健闘である。

 緊張によるこわばりを、ご本人はかつて「試合になると心に橋が現れる」と表現した。高くて細い、透き通った橋。
そこから落ちるというより、足が宙に浮いて力が入らない感覚だという(宇都宮直子著『浅田真央、16歳』)。

 小学4年で5種の3回転を、中学2年で看板となる3回転半を跳んだ。小枝のような体つきが少し大人びても、
脇を締めて回転半径を抑え、この大技に挑み続ける。猛練習で見えない橋に打ち勝ち、自己ベストの点数で
極限の谷を渡り終えた。

 ただそこには、ひと足先に世界最高得点で渡りきった金妍児(キム・ヨナ)選手がいた。頂点を目ざしてきた
真央さんには悔しさもあろうが、相手が完璧(かんぺき)に演じたのだから仕方がない。試練から逃げず、
ライバル物語に花を添えた二人に拍手を送りたい。

 タラソワコーチは、真央さんのことを「神様からの贈り物」という。逸材は、日本女性のたおやかさを存分に
見せてくれた。鮮烈、良質なドラマを残し、時差17時間の氷上にも春一番が吹き抜けた。
453文責・名無しさん:2010/03/03(水) 22:35:07 ID:m+dxRf4f0
天声人語 2010年2月28日(日)付

 北国のある地方では、立春のあと初めて雪を交えず雨だけが降る日を「雨一番」と呼ぶそうだ。
足踏みして春を待つ、2月の紙上の人と言葉から。

 「遠野物語」発刊から100年の岩手県遠野市。名所のカッパ淵で、運萬(うんまん)治男さん(61)は
カッパの「守り人」を任じる。遠野の人は実際の出来事にカッパをからませて暮らしを伝えてきた。
「カッパはいるとかいないとかいうもんでなくて、一人ひとりの気持ちの中で会うもんなの」

 秋田県では、国の重要無形民俗文化財のナマハゲが近年おとなしくなった。荒々しさが消え草食系の
新世代が目立つそうだ。民俗学が専門の東北芸術工科大学の赤坂憲雄・大学院長(56)は
「現代人は祭りのパワーを上手に使いこなす知恵を失いつつある」と案じる。

 「ゲド戦記」の翻訳で知られる児童文学の清水真砂子さん(68)が青山学院女子短大を去る。最終講義で
「すぐれた子どもの文学は、苦しくても生きてごらん、大丈夫と背中を押してくれる。みなさんもそんな一人に」

 本紙俳壇の選者金子兜太(とうた)さん(90)が毎日芸術賞の特別賞を受けた。贈呈式の挨拶(あいさつ)で
「講評にある句〈男根は落鮎(おちあゆ)のごと垂れにけり〉は自分のことを書いたのであります」。
「私のにはまだ落ち鮎程度の実体感がある、と。そのことを申し添えたい」に会場は大笑いとなった。
九十翁の悠々たる貫禄(かんろく)である。

 その金子さんが先ごろの本紙俳壇で選んだ一席に、足立威宏さんの〈里芋といふ極上の土食らふ〉。
生かされてある実感は尊い。芋ばかりでなく人も味わいを増す。
454文責・名無しさん:2010/03/03(水) 22:39:06 ID:m+dxRf4f0
天声人語 2010年3月1日(月)付

 ポーランドのノーベル賞詩人シンボルスカの詩集『終わりと始まり』から一節を引く。〈またやって来たからといって/
春を恨んだりはしない/例年のように自分の義務を/果たしているからといって/春を責めたりはしない〉

 そして続く。〈わかっている わたしがいくら悲しくても/そのせいで緑の萌(も)えるのが止まったりはしないと……〉。
訳者の沼野充義さんによれば、夫の死を悼んだ詩だという。自然は色をかえすのに人は戻らない。命あふれる春にこそ、
悲しみは募るのだろうか。

 大切な人を亡くした深い悲嘆と、それを乗り越えていく体験を小社が募集したら、5056編が寄せられた。
審査の下読みに加わって何編かを拝読した。ともに生きた日々への感謝がある。悔やみきれない思いも残る。
上手も下手もこえて、幾度も読み返させられた。

 うち153編を収めた『千の風になったあなたへ贈る手紙』(朝日文庫)が近く発売になる。「息子よ。私も、お父さんも
泣くまいと思ったのです。悲しんだら、あなたは、親不孝者になってしまうから」と59歳の母は語りかける。

 「葬儀から帰って洗面所を覗(のぞ)くと、今はもう主の居ない化粧水の壜(びん)が空(むな)しく並んでいました。
『さよなら』と言いながら全部を流しました。コポコポと泣いていました」。だが79歳の夫は再び前を向いて歩き出す。
亡き妻への手紙は「もう大丈夫」と締めくくられている。

 悲しみの荒野にも緑の芽は吹く。春を喜べる日がきっと来る。空を渡る風の励ましが、胸に染みるような一冊である。
455文責・名無しさん:2010/03/03(水) 22:41:57 ID:m+dxRf4f0
天声人語 2010年3月2日(火)付

 たび重なるつらい経験から、三陸地方には「地震=津波」の教えが染みついているという。だが、50年前の
チリ津波は勝手が違った。前触れとなる揺れがなかったこと、むくむくと高潮のように寄せてきたことだ。

 未明に津波を目撃した漁師は「海が膨れ上がって、のっこ、のっことやって来た」と語っている(吉村昭著『海の壁』)。
近海で発生した過去の津波が一気に突進してきたのと違い、引いては寄せる周期が長かった。干上がった海底で
魚を取る子など、間一髪の話が残っている。「のっこ、のっこ」の怖さだろう。

 再びチリで起きた大地震で、三陸海岸などに大津波警報が出た。その名も恐ろしげな警報は17年ぶりだという。
太平洋に沿った鉄道は止まり、全国で150万人が避難を促された。

 NHKは当然としても、東京マラソンの中継、アニメ、CMまでが、警報を伝える列島の地図入りで放送された。
防災大国の入念な態勢は、幾多の犠牲と引き換えに築き上げたものだ。気象庁は「過大な予測」をわびたが、
逆に間違えるより余程いい。

 津波は飛行機の速さで太平洋を渡ってきた。海を介して、どの国もつながっていると実感する。天災に国境はない。
人間社会のはるか前からグローバルなのだ。だからこそ、「対岸の遠き隣国」に急いで救援の手を差し伸べたい。

 防災とは、まだ見ぬ破局に備えることをいう。地球はいま、天変地異ばかりでなく、ともに挑むべき緩慢な危機に
満ちている。温暖化、海洋の汚染、資源の枯渇。厄介な「のっこ、のっこ」である。
456文責・名無しさん:2010/03/03(水) 22:43:15 ID:m+dxRf4f0
天声人語 2010年3月3日(水)付

 雪と氷が舞台ゆえに、札幌も長野も、冬季五輪の記憶は決まって白地によみがえる。浅田真央、上村愛子、
小平奈緒、チーム青森……。女子ばかりで恐縮だが、選手団の帰国を節目に、バンクーバーの興奮も白い紙に
包んで胸に納めよう。

 金メダルなしの戦績には、それぞれ思いがあろう。橋本聖子選手団長は「国の支え」を訴えた。選手たちにも
「国家事業として五輪に臨むという姿勢を再確認してほしい」と伝えたそうだ。

 「銅を取って狂喜する、こんな馬鹿な国はないよ」。東京都知事の石原慎太郎さんは、ご本人言うところの惨敗に
あきれ、「国家の心意気」を求める。「国家という重いものを背負わない人間が、いい成績を出せるわけがない」と。

 国を挙げての育成や強化はいい。ただ、五輪が国威発揚の場になっては、最高レベルの肉体の競演に水を差す。
日の丸に燃えても、背負って押しつぶされては元も子もなかろう。ほどほどに国を意識する、しなやかな精神がほしい。

 ロシア代表としてフィギュアのペアに出た川口悠子さんは、日本国籍を捨ててまで夢を追った。「日本のためとか、
ロシアのためではなく、自分が好きだから滑っています」と話すのをテレビで見て、爽快(そうかい)だった。

 真央さんは「金妍児(キム・ヨナ)選手には現役を続けてほしい。やはり一緒に試合に出て、しっかりと勝ちたい」と語る。
私たちが心に刻むのは、個々の選手の笑顔や涙、正直な言葉である。オリンピックは国家間ではなく、選手間の競争だ。
日の丸は、白い思い出に透けて見えるくらいがいい。
457文責・名無しさん:2010/03/04(木) 00:17:12 ID:mQrqDdAl0
>>456
新聞不信/五輪でも出た朝日の「日の丸」嫌い
http://www.excite.co.jp/News/magazine/MAG6/20100225/104/

五輪報道で露呈。やっぱり朝日は日の丸が嫌いだった?
http://netadane.net/?p=1299

ところが本日(2月25日)に発売された『週刊文春』によれば、朝日新聞では、これら日本人
メダリストが日の丸を掲げた写真を、一度も掲載していたいのだとか。
これって一体どういうこと?
先日の高橋大輔選手の銅メダルを例に挙げると、各新聞は以下のように掲載したとのこと。

【読売新聞】日の丸を手に笑顔を見せる高橋選手の特大カラー写真を、トップ記事の中に掲載。
【産経新聞】同じく、日の丸を手に、観客に答えた場面の写真を掲載。
【朝日新聞】表彰台の上でメダルを掲げる高橋選手の写真を掲載。
【毎日新聞】銅メダルを誇らしげに観客に見せる高橋選手の写真を掲載。

ちなみに朝日も毎日も、国旗国歌法案や学校で国旗掲揚に反対した新聞とのこと。
これは単なる偶然か?
それとも、意図的に日の丸を避けたのか?
朝日新聞朝刊は2月21日現在までに、1面に日の丸を手にした写真は、一度も掲載して
いないのだそうです。

ところで、朝日新聞は18日の夕刊で、女子滑降でワンツーフィニッシュを決めたアメリカ選手の
写真を掲載しています。
そのときは、堂々と両選手が星条旗を振っているカットが掲載されたとのこと。
星条旗ならよくて日の丸はダメなの?

【論説】 「今回の五輪、『日の丸』意識薄らぐ…ボーダーレス化、歓迎すべきことだ。五輪では国は深い意味合い持たない」…朝日新聞
http://yomi.mobi/read.cgi/newsplus/tsushima_newsplus_1267006640/
458文責・名無しさん:2010/03/04(木) 00:19:49 ID:mQrqDdAl0
>>456
「選手間の競争」だというなら、国が金銭面で支援するのはおかしいだろ。
459文責・名無しさん:2010/03/06(土) 06:06:53 ID:kADLL+a20
天声人語 2010年3月4日(木)付

 カクテルは酒や果汁を混ぜて作るが、中には混ぜるべからずの変わり種もある。リキュールなどを
比重の大きい順にそっとグラスに注ぎ、色違いの層を重ねる「プースカフェ」だ。好みの層をストローで飲む、
いわば胃の中で完結する一品である

 これを、上からしか見えない湯飲みでこしらえたらどうだろう。今の民主党である。外見は最近つぎ足された
「オザワ」なる強い酒一色。そこに、そういえば下のほうに「旧社会党」という古酒があったっけ、と思い出させる
事件が起きた

 北海道教職員組合の幹部らが、先の衆院選で民主党候補に違法な資金を出していたとして、札幌地検に
逮捕された。さらされたのは、金も人も労組丸抱えという昔ながらの実態だ。

 片や小沢幹事長の資金問題は自民党の臭(にお)いが強い。何のことはない。55年体制は政権党の中で
生きていた。「○○党的なもの」が半端に混ざり、しかも互いの旧弊を競っているかにさえ見える。有権者は、
正体不明の液体を一口で飲めと言われているようなものだろう。

 今週号の週刊朝日で、識者が「民主党バブルの崩壊」を論じている。東大教授の御厨(みくりや)貴(たかし)さんは
「民主党に期待していた票が引きこもり、参院選の投票率は大きく下がるかもしれない」と、変化を望んだ国民の
白けを案じる。

 カクテル専門書によると、作り損ねたプースカフェほどみじめな飲み物はない。腹に収まれば同じと言われようが、
怪しげな酒を前に飲んべえだって引きこもるしかない。このまま選挙のカウンターに出しては客に失礼である。
−−−−−−−−−−−−−−−
中身を見せずにひたすら「自民は賞味期限切れ、もうこのカクテルしかない」と湯飲みを演じたマスコミ。
はじめは政権交代という勝利の美酒に酔っていた信者も悪酔いして、とにかくジミンガーとクダをまくばかり。
460文責・名無しさん:2010/03/06(土) 06:08:23 ID:kADLL+a20
天声人語 2010年3月5日(金)付

 川崎洋さんの詩に「夏の海」がある。大自然との会話を子どもたちに説きながら、こう結ばれる。〈それから/
あの星とこっちの星とむこうの星と/勝手に結んで/きみだけの星座をつくるといい〉。どうにでもなる未来。
それこそ、10代までの特権だろう。

 それがどうも怪しい。就職という大人への入り口でひとたびつまずくと、起き上がりにくい社会になってきた。
それも、景気の巡り合わせ、親の収入といった本人の力が及ばぬところで、未来が狭まりかねない。

 大卒ばかりか、高校卒業予定者の就職内定率が芳しくない。昨年末で75%、沖縄や北海道では5割前後だった。
とりわけ、家計の事情で大学や専門学校への進学をあきらめた未内定者は、背水の陣を破られた思いだろう。

 授業料を払えない生徒も増えている。滞納ゆえに卒業できなければ就職どころではない。職探しの厳しさとあわせ、
卒業クライシス(危機)と呼ぶそうだ。働く貧困層へと続く道である。彼らが10年後に「貧乏な親」になれば、
貧困が再生産される。

 自分を磨く時間が4年ある大学生と違い、原石にすぎない18歳にまで新卒での一発勝負を強いるのは酷ではないか。
10代で先が見えてしまう国に、輝く未来があろうはずもない。国や自治体の音頭で敗者復活の仕組みがほしい。

 むろん、一度や二度の失敗でふさぎ込むことはない。人生の残り時間が長いのは、それだけで大きな財産だ。
くじけそうになったら、若さという星から夢という星に、まっすぐ、太い線を引き直そう。何度も、何度でも。
461文責・名無しさん:2010/03/06(土) 06:16:54 ID:kADLL+a20
天声人語 2010年3月6日(土)付

 自然界などで、ささいな変化が重大な結果をもたらすことを「バタフライ効果」という。チョウの羽ばたきによる
空気の震えが、巡り巡って地球の反対側で気象異変を引き起こす、との例えらしい。

 嵐を呼ぶかどうかはさておき、チョウが飛ぶ様はどこか神秘的だ。昔は霊魂と結びつけて語られた。
風に任せているようで、時に意思のようなものがのぞく。捕まりそうで、捕まらない。〈めちやくちやに手をふり
蝶(ちょう)にふれんとす〉山口青邨(せいそん)

 「チョウ小型センサー」と題する記事を読んだ。東京大学の研究チームが、チョウの羽に検出器をつけて
飛翔(ひしょう)の仕組みを調べているそうだ。センサーは1ミリ四方。シリコンの薄板のたわみで、羽にかかる
空気の圧力を測る。

 クロアゲハで実験したところ、飛び上がる時には通常の飛翔の倍の力がかかっていた。センサーの重さは
チョウの0.15%というから、人ならミカンを持ち歩く感覚だろうか。トンボでも試し、虫が飛ぶ様子を解明したいという

 俳句の世界では、出が遅い大型のアゲハは「夏の蝶」とするそうだ。単に「蝶」といえば、これからの季題である。
モンシロチョウは菜の花やキャベツ畑の上を、ポカポカと弾むように漂う。〈初蝶の触れゆく先の草青む〉野澤節子

 チョウの古名は「かわひらこ」とか。楽しげに舞う姿を目に浮かべれば、その語感にひざを打つ。この虫が呼ぶべきは、
やはり嵐より春である。きょうは、冬ごもりの生き物がはい出るとされる啓蟄(けいちつ)だ。行きつ戻りつ、ひと雨ごとに
季節のページがめくられる。
462文責・名無しさん:2010/03/14(日) 03:08:10 ID:DDlDQ1Lv0
天声人語 2010年3月7日(日)付

 子どもを連れた母親が危険に直面したときにとる姿勢は、日本と米国で異なるらしい。日本のお母さんはたいてい、
わが子を抱きしめてうずくまる防御姿勢をとるのだという。

 これに対し、アメリカの母親は、まず子どもを後ろにはねのけ、敵に直面して、両手を広げ仁王立ちになるそうだ。
歴史学者だった会田雄次の著作を引いた『ことばの四季報』(稲垣吉彦)から孫引きさせてもらった。
民族、文化的背景の考察はおいて、どちらの姿も、本能ともいえる親の愛の表れに違いはあるまい。

 危険からわが子を守るどころか、自らが鬼畜となって子を死なせる虐待が、この国で後を絶たない。
「死なせる」と書いたが、実情を聞けば「殺す」にも等しい。奈良の智樹くんは、食べさせてもらえず、
5歳なのに体重は6キロしかなかった。

 4歳で死亡した埼玉の力人くんは、「お水をください」と哀願する声を近所の人が聞いていた。肉体の苦痛はむろん、
恐怖と絶望はいかばかりだったか。短い命が不憫(ふびん)でならない

 俳優の加藤剛さんの随筆を読んでいたら、幼いわが子を肩車する場面があった。父の額をしっかり押さえる
小さな手を「若木の枝で編んだ桂冠(けいかん)」にたとえている。栄誉の冠を戴(いただ)いて、父親たる加藤さんは
「凱旋(がいせん)将軍のごとく」歩を進めるのである。

 愛された記憶が、愛するという資質を耕す。親から子への豊かな申し送りがいま、揺らいでいるようにも思われる。
虐待という危機には、地域と社会が両手を広げて仁王立ちになりたい。命が奪われてからでは総(すべ)てが遅い。
463文責・名無しさん:2010/03/14(日) 03:09:11 ID:DDlDQ1Lv0
天声人語 2010年3月8日(月)付

 四季折々の詩を残したが、山村暮鳥といえば「春の詩人」だろう。のどかな牧歌を思わせるその詩群に
「郊外小景」という一編がある。遠くに見える山なみは雪で白い。だが、よく見ると、山かげから一すじの煙が立っている

 〈おや、あんなところにも/自分達(たち)とおなじような/人間がすんでいるのだろうか/それなら/
あの煙のしたには/鶏もないているだろう/子どももあそんでいるだろう……〉。煙の立つところ、人の営みがある。
いまは「何軒」と呼ぶ家の数を、昔は「何煙」と数えたこともあったと、民俗学の柳田国男が書いている。

 「くべる」という言葉が死語になりつつあると先ごろ書いたら、多くの便りを頂戴(ちょうだい)した。かつて火を焚(た)く
ことは身近だった。深い郷愁を年配の方々はお持ちのようだ。

 勤めから帰った遅い風呂は、いつも母親が薪をくべてくれたと懐かしむ人もいた。松飾りを庭でくべて
「小さな小さなどんど焼き」を毎年します、という文面もあった。ガスの青い炎にはないぬくもりを、くべるという行為は
包んでいるらしい。

 蕪村の〈春雨や人住みて煙壁を洩(も)る〉を思い出す。つましい山家で柴(しば)をくべている。壁のすき間から
煙がもれ、芽吹きの細い雨にたゆたう様は、暮鳥の詩とどこか響きあう。一幅の絵を見るような名品である。

 「くべる」への郷愁を懐古趣味と笑うなかれ。人が生きるための技術でもある。便りには、マッチを擦ったことのない
若者がいて驚いたというのもあった。何かの折に困りはしないだろうか。老婆心がふと頭をよぎる。
464文責・名無しさん:2010/03/14(日) 03:10:26 ID:DDlDQ1Lv0
天声人語 2010年3月9日(火)付

 冬季五輪のテレビ解説に引き込まれて、カーリングという競技の楽しさを教わった。ストーンを投じるたびに
形勢が動き、打つべき手が変わる。赤い石の優勢を黄色の一投が覆し、黄の支配を赤の一撃が崩す面白さ。

 ミリ単位の偶然が勝敗を分けもする。豪快にして繊細、心技体に加えて知が欠かせない。「一石を投じる」と
いうが、氷上のチェスでは、一石が水面どころか状況を一変させる。

 一つの石が、惑星の未来を変えることもある。恐竜を絶滅させたとされる小惑星の衝突について、12カ国の
共同研究チームが「間違いなし」と結論づけた。各地の地層を詳しく調べた結果だ。6550万年前、
直径10キロ以上の小惑星が今のメキシコ東部に超高速でぶつかったらしい。

 直径200キロほどの衝突跡が確認されている。衝突でマグニチュード11の大地震、高さ300メートルの
津波が起きたという。数字はどれも想像を絶する。大気中に飛び散った粉じんが太陽光を遮り、寒さと食料不足で
多くの動植物が絶えた。巨体ほどもろかった。

 小さな動物はこの試練を生き延び、やがて、進化の枝先から転げ出た人類がこの星の支配者となる。
小惑星が地球をそれ、恐竜が健在だったらと考えてみる。ヤリと弓矢のご先祖様は天下を取れたろうか。

 大宇宙に思いをはせれば、心技体も知も及ばぬ偶然に生かされていると感じ入る。恐竜の全盛に終止符を
打ったのは、ただ一つの小惑星だった。つい、おごれる者は久しからずの戒めが胸をよぎる。
二つ目はいつかと気をもんでも仕方ないのだが。
465文責・名無しさん:2010/03/14(日) 03:12:35 ID:DDlDQ1Lv0
天声人語 2010年3月10日(水)付

 14年前の朝日小学生新聞に、1年生の短い詩がある。〈ようちえん/にゅうえんしきで/ぼくがなき/
そつえんしきで/ママがなく〉秋元健太。短歌にも足らない30字で、自身の成長と親の愛を余すところがない。

 卒園式で父母を泣かせてきたのが「思い出のアルバム」だ。〈いつのことだか/おもいだしてごらん……〉。
顔中を口にして歌う子に苦労を重ね、母親や先生方の涙腺は緩む。NHK「みんなのうた」で全国に広まった
80年代には、9割の卒園式で歌われたという。

 東京都調布市の常楽院に歌碑がある。元住職で、幼稚園を開いていた本多鉄麿が作曲した縁だ。作詞は、
墨田区で保育園長をしていた増子とし。こちらはクリスチャンだった。

 珠玉の合作が生まれたのは1957年。おそらくは保育研究会の場で「異教」が出会い、立場を超えて
子どもの門出を祝いたいとの思いが結実した。四季の回想を連ねた詞は冬だけ二つある。お寺や神社系の園のため、
クリスマスに触れないものを用意したと聞く。

 半世紀前の歌づくりには、次代を担う子どもへの愛情がにじむ。いわば玄人の愛である。片や、
親は育児の素人から危なげに出発し、わが子については誰よりも通じたプロになっていく。卒園式や卒業式は
両親の成長の節目でもあろう。

 泣き笑いを重ねて迎える親子のひと区切り、そして新たな旅立ち。薄桃色の日ざしの中で、それぞれの心の
アルバムに育ちの跡が刻まれる。泣いてよし笑ってよしの集いによって、この国の春はほどよく厳かな、
晴れの季節になる。
466文責・名無しさん:2010/03/14(日) 03:13:59 ID:DDlDQ1Lv0
天声人語 2010年3月11日(木)付

 若手芸人のネタに、バス停を毎日少しずつ動かし、2年で家の前まで持ってくるというのがあった。
「武勇伝」をまねる気はないが、大雨の日は戸口からバスに乗りたくもなる。バスから電車に乗り継ぐ人は、
バス停が駅ならいいのにと思うだろう。

 現実には、駅が乱立することはない。停車してばかりの路線では交通が滞るし、そもそも建設費が許さない。
ところが、空に目をやれば採算そっちのけの「我田引港」が続く。乱立のトリを飾って、国内98番目の茨城空港が
きょう開港する。

 定期便はまずソウル、次いで神戸に1日1往復ずつ。成田や羽田が近すぎ、客足を案じる大手の航空会社は
飛びたがらない。首都圏三つ目と言えば聞こえはいいが、バス停に電車をとめた印象はぬぐいがたい。

 自衛隊の基地に滑走路を足した共用空港だ。税金の無駄と言われた静岡より安上がりだし、旅客ターミナルも
倹約を旨とする。だが、格安航空会社とチャーター便が頼りでは先の需要が心細い。

 国土交通省によると、08年度の利用実績が過去の予測に届いた空港は、羽田など8港だけだった。
見通しの半分にも満たないところが33ある。空港欲しさゆえ、あるいは滑走路を増やすため、計画に合わせて
予測をこしらえたらしい。

 茨城も、年81万人の当初予測に対し20万人そこそことされている。空港近くに住み、韓国や神戸にちょいちょい
行く人にとっては、戸口からバスが出るような便利さに違いない。そのバスはしかし、ほとんどの納税者を素通りし、
イバラの道を行くことになる。
467文責・名無しさん:2010/03/14(日) 03:15:13 ID:DDlDQ1Lv0
天声人語 2010年3月12日(金)付

 政治家の言葉が干からびて久しい。見ばえと、聞こえのいいトークが重んじられる昨今だ。30年前、
現職首相のまま逝った大平正芳さんは逆だった。風姿は鈍牛に擬せられ、口を開けば「アーウー」でも、
弁舌に知性が感じられた。

 論敵だった共産党の不破哲三氏は「国会での答弁にしろ、討論会での発言にしろ、議事録を起こして
アーウーを抜くと、きちんと筋の通った文章になっている……なかなか信頼できる協議相手でした」と回顧している。

 経済から文化重視へ、地球社会への貢献など、示した未来図も真っ当だった。性に合わない壮絶な派閥抗争が
命を縮めたが、評価は没してなお高い。きょうが生誕100年にあたる。

 池田内閣の外相時代、ライシャワー駐日米大使から朝食に誘われ、核持ち込みの解釈が日米で違うと知る。
これをぐっと腹に納めて「暗黙の合意」が成立した。それでも急死する直前まで、真相の公表を何度か試みたという。
「密約」の存在は終生、心のトゲだったに違いない。

 首相時代に官房副長官で仕え、師と仰ぐ自民党の加藤紘一氏は「思索の人」と評した。ある時、理想の国土を
説いたそうだ。「地方都市が栄え、町はずれの鎮守の森から祭りばやしが流れる」。田園都市構想の原風景だろうか。

 経済や社会の不備を家庭が補えればと念じながらも、「望ましい家庭のあり方を政府が示すのはよくない」と
クギを刺した。言葉の数々をたどれば、日本と日本人への抑えの利いた信頼に行きつく。今や消え入りそうな
「良質の保守」をそこに見る。
468文責・名無しさん:2010/03/14(日) 03:22:33 ID:DDlDQ1Lv0
天声人語 2010年3月13日(土)付

 江戸川柳に〈箱入りにすれば内にて虫がつき〉がある。大店(おおだな)の主人は、娘が悪い男に
たぶらかされないかと気が気でない。なるたけ外に出さずに育てたら使用人と恋仲になった、というお話だ。

 蝶(ちょう)よ花よと大切にされるほど、子は世間に疎くなる。陰から見守りながら、少しずつ風に当てていく
案配が難しい。虫がつく程度ならいいが、命にかかわる「箱入り」もある。

 佐渡島の保護センターにいたトキ9羽が、テンに襲われ死んだ。秋の放鳥に備え、えさ取りや飛び方を
学んでいた一群だ。テンは夜陰に紛れて訓練ケージに忍び込んだ。池や木を配したケージは広いが、
暗闇で飛べないトキはパニックに陥ったらしい。外敵を知らない「愛児」たちの災難に、飼育員らの落胆いかばかりか。

 幸い、これまで野に放たれた30羽の大半は元気で、つがいもできそうだ。センターには卵から育てたトキが
まだ100羽ほどいる。放鳥計画を練り直し、野生復帰に挑み続けてほしい。

 佐渡のテンは、苗木を食べる野ウサギの天敵として、半世紀前に持ち込まれた二十数匹を祖とする。
箱入りだろうが特別天然記念物だろうが、腹ぺこで獲物に遭えば襲うのが野の掟(おきて)である。修業中のトキに
すれば、野生からのとんだ「出張指導」だった。

 テンの駆除を求める声もあるが、もとよりこの小動物に罪はない。あの一匹は闇に身を潜め、野ウサギを食べたら
益獣、トキを殺せば害獣という「人の掟」に小首をかしげていることだろう。万物が動き始める早春、
生きとし生ける物たちの哀れがしみる。
469文責・名無しさん:2010/03/16(火) 11:08:04 ID:Dq70pjX00
天声人語 2010年3月16日(火)付

 ハトは生まれて半年もすれば成熟し、年に十数個もの卵を産み始めるそうだ。強い繁殖力
は都市のハト害の背景でもある。かと思えば、「チェンジ」の多産を期待されながら、
なかなかその気配のないハトもいる

 鳩山政権の半年である。日米密約の解明など、変化の卵も何個か転がり出たが、
ため息はその何倍も出た。鳩山首相と小沢幹事長が招いた失地は、もはや醜聞の
主が代わるまで戻るまい。民主党内は息苦しさで満ちている

 財政赤字に切り込む前に、ばらまき政策に突き進むのも気がかりだ。早晩、消費税の
引き上げが浮上しよう。普天間の先は見えず、景気が劇的に上向く気配もない。なのに、
首相には危機感やリーダーシップが見えない

 そんなこんなで、発足時に70%あった内閣支持率は半減した。期待で水ぶくれした
支持がはがれ落ちている。そいつをいただこうと、この間まで大臣だった自民党の
面々から新党の誘いが止まらない。首相の弟さんがそうであるように、こんな時、政治家は
妙に生き生きする

 さて「失望」の受け皿は、再びの自民党か、それを割って出る勢力か、はたまた野党
第2党をうかがう「みんなの党」か。いやいや、大量棄権という「げんなりの党」かもしれない

 英国の思想家、カーライルの金言に〈経験は最良の教師である。ただし授業料が
めっぽう高い〉がある。授業料を議席で払う政党はまだしも、国民にはここで勉強している
余裕はない。歴史的な政権交代を痛い経験で終わらせては、この国はまた何年かを
失うことになる。
470文責・名無しさん:2010/03/24(水) 02:09:48 ID:vspEgme60
>>469
>歴史的な政権交代を痛い経験で終わらせては、この国はまた何年かを失うことになる。

マスコミもその何年かを失わせた当事者という自覚はないんだろうなあ。
しかし自民でこの状況だったら「政治とカネ」「任命責任」「早く解散を」と大騒ぎしたろうに、
マスコミの皆さんも大人しいことで。
471文責・名無しさん:2010/03/24(水) 02:40:33 ID:vspEgme60
天声人語 2010年3月17日(水)付

 初代林家三平さんに、三軒並んだラーメン屋の小咄(こばなし)がある。右端が「日本一うまい」と
看板を出すと、左端は「世界一」できた。困った真ん中のおやじ、寝ないで考えたのが「入り口はこちら」。
そんな爆笑王の高座を思い起こす異聞が、福岡から届いた。

 博多ラーメンの「元祖長浜屋」は、麺(めん)だけのお代わり、替え玉発祥の店として知られる。
袂(たもと)を分かった元従業員らが昨年末、向かいに「元祖ラーメン長浜家(け)」を開いた。4月には、
そこの一人が「元祖長浜家」を近所に出すという

 三つの「元祖」がトンコツで競うことになる。あつれきを承知でそう名乗るからには、あとの二つも
腕に覚えがあるのだろう。三平師匠ならずとも「もう大変なんすから」である。

 麺とスープ、具だけの作りなのに、ラーメンほど深く研究されている外食はない。職人たちは独自の味を
追い求め、行列のできる店がテレビや雑誌で紹介される。食べ手にも、一口すするだけでダシを当てる
達人がいる。

 行列の元祖といえば、つけ麺を考案し、業界で神様と呼ばれる大勝軒(たいしょうけん)(東京)会長
山岸一雄さんだろう。理想の一杯を素朴に語っている。「毎日食べても飽きがこなくて体にもいい。
成長期の子どものための栄養満点のスープであったり……」。鬼の異名をとるラーメン店主、
佐野実さんとの対談だ。

 元祖を争う伝統と、目新しさを競う情熱、そして神も鬼もいる話題性が、この国民食の爛熟(らんじゅく)を
支えているらしい。どんぶりの中に広がる、数百円の小宇宙よ。日本人の舌は、つくづく勤勉だと思う。
472文責・名無しさん:2010/03/24(水) 02:44:26 ID:vspEgme60
天声人語 2010年3月18日(木)付

 まず、場所がよろしくない。中東のカタールといえば、日本サッカー史の語り草「ドーハの悲劇」の舞台である。
同名の痛恨が、今度は水産史に刻まれるかもしれない。

 大西洋クロマグロをワシントン条約で保護する動きが、ドーハでの締約国会議で山場を迎えた。絶滅の恐れが
認められれば、輸出入が禁じられる。当たり前に市場に出ていた魚が、いきなりパンダやジュゴンの仲間入りだ。
「最後の手段」が出番を間違えた風でもある。

 批判の的は、天然の幼魚を一網打尽にし、いけすで育てる蓄養だ。脂が乗りやすい蓄養マグロは大半が日本向け。
国内には在庫が十分あり、同種はわが太平洋にもいるが、いずれ品薄と高騰が心配される。卵からの完全養殖が
穴を埋めるのはまだ先だろう。

 ビジネスと天然資源の間合いは難しい。目先のもうけに皆が突進すれば、枯渇という仕返しに遭う。トロより赤身が
好きなへそ曲がりとしては、高速で回遊する天然物を細く長く楽しみたい。

 すし職人の小野二郎さん(84)が、『すきやばし次郎 旬を握る』(文春文庫)で、マグロの「甘酸っぱい香り」
「押しつけがましくない甘みと渋み」の由来を語っている。「大海原を泳ぎ回る巨大な赤身魚の血がもたらす香り、
そして味なんですね」と

 口からエラに抜ける海水で呼吸するため、マグロは泳ぎ続けないと死ぬ。巨体が命がけで蓄えた自然の恵みを、
ありがたく、節度を持って味わうのが人の道かと思う。ワ条約による「別件逮捕」の当否はさておき、
漁を控える勇断はあってもいい。
473文責・名無しさん:2010/03/24(水) 02:47:38 ID:vspEgme60
天声人語 2010年3月19日(金)付

 桃太郎はイヌ、サル、キジを引き連れて鬼退治に向かう。ある目的のためにチームができ、
各自が持ち味を生かして大願を成す筋立ては、活劇の王道であろう。滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」、
黒澤明の「七人の侍」など、傑作は数知れない。

 目ざす世の中を胸に、苦難を越えて突き進むのは政党も同じである。無論、金やポストの「きび団子」に
釣られた仲間もいる。民主党の冒険ドラマは、鬼が島に着いてからが締まらない。宝の山で寝ているなら、
次の桃太郎が取りに行くだけだ。

 ところが、次になるべき自民党がいけない。きび団子が尽きて支持団体は遠ざかり、離党議員は元大臣を
含めて6人を数える。新党という脱出ボートが出たり引っ込んだり、余計なことで騒がしい。

 かつての社会党を見るようだ。党勢が衰えると党名を変え、さらに小さくなった。政権を追われた自民党も、
「和魂党」や「自由新党」をまじめに考えたらしい。賞味期限が切れたのは当事者がよくご存じだ。

 保守合同で汗をかいた三木武吉は、結党後の演説で訴えた。「旧態依然たる民主党と自由党を解体して、
寄せ木細工式に自民党と名づけただけだ……政党を若返らせなければならぬ」。だが、その党は寄せ木のまま
長期政権にあぐらをかき、見放された。

 こんな逆境こそ観衆を熱くする見せ場なのに、新たな物語に踏み出すどころか一人抜け、二人去り。
桃太郎の旅を逆回しで見せられているようだ。そのうち桃の中に閉じこもり、どんぶらこと川上に消えかねない。
まじめにやってほしい。
−−−−−−−−−−−−−−−
御高説を垂れるのも結構だけど、政権与党もマスコミも自民を批判してりゃいいという
「甘えの構図」から抜けられなければ、賞味期限切れと見放されるだけでは。
474文責・名無しさん:2010/03/24(水) 02:48:34 ID:vspEgme60
天声人語 2010年3月20日(土)付

 日本で携帯電話が広まるのは1990年代後半だ。〈ホームの公衆電話に長い列〉といった手記を読み返し、
普及率が10%に満たない「携帯以前」の凶事を実感した。地下鉄サリン事件から15年になる。

 一報は8時9分、茅場町駅からの119番「お客さんがけいれん」だった。八丁堀、築地、神谷町と、
日比谷線の各駅から救急要請が相次ぎ、東京消防庁は大混乱に陥る。3路線5本の電車を襲った毒ガスで
13人が死亡、約6千人が負傷した。

 「どれほど息苦しかったのか、主人のことを考えるとき、私は呼吸を止めてみることがある。このまま死んでも
いいと思うことさえある」。霞ケ関駅助役の夫を亡くした高橋シズヱさん(63)の記だ。被害者の会代表としての
日々を顧みた著書『ここにいること』(岩波書店)にある。

 21歳で心身をボロボロにされた女性は、退院後も窓から白煙が忍び込む夢にうなされた。現場に居合わせた
己を責め、自殺を考えた。でも高橋さんの陳述を聞いて甘えに気づいたという。「少なくとも私は、大事な人を
一人も失っていない」と。

 後遺症に苦しむ人、職場で孤立し、仕事を辞めた人もいる。そして、なお続く教団、裁判、賠償交渉。数え切れない
人生を狂わせ、オウムによる無差別テロはまだそこにある。

 億万の涙に換えて、犯罪被害者の扱いは改善された。だが、人の不幸にますます鈍い世である。1人1台の
携帯が車内を「個室」にしたように、つながりより閉じこもりが優勢だ。あの日に共有した恐怖と怒りだけは、
歳月から守りたい。
475文責・名無しさん:2010/03/24(水) 02:49:28 ID:vspEgme60
天声人語 2010年3月21日(日)付

 きょう春分の日は彼岸の中日になる。寒から暖へ転じる候だが、きまって思い出すのは正岡子規の
〈毎年よ彼岸の入に寒いのは〉である。母の言葉をそのまま一句に仕立てたそうだ。さすがの自在さである。

 敬意を表して、彼岸の入りに東京・田端にある墓所を訪ねてみた。母八重の墓と並んでうららかな日を
浴びていた。隣には、生前に自ら書いた墓碑銘を刻した碑がある。「……明治三十□年□月□日没ス
享年三十□月給四十圓(えん)」。なるほど、□の部分は生きているうちは分からない。給金を記した墓というのも
随分と珍しい。

 こうした、歴史上の人物の墓めぐりが、いま静かな人気なのだという。愛好者を指す「墓マイラー」なる
言葉も生まれている。そのための地図を作った所もある。子規の親友だった漱石が眠る雑司ケ谷(ぞうしがや)
霊園もその一つだ。

 地図を頼りに訪ねると、文豪の墓は堂々としていた。多くの有名人にまじって大塚楠緒子(くすおこ)の墓も
見つけた。詩文にたけた才女で、早世を悼んだ漱石は〈有る程の菊抛(な)げ入れよ棺の中〉の名高い句を
詠んでいる。

 一説、漱石が思いを寄せたともされる楠緒子は今年で没後100年になるそうだ。漱石の「夢十夜」が
ふと胸に浮かんだ。「百年待っていて下さい」と言い残して死んだ、作中の有名な「女」が重なり合う。
墓マイラーもなかなか面白い。

 きょうは代々の墓にお参りの方もおられよう。有名人でもご先祖様でも、墓はいつもどこか懐かしい。
聞こうと心する耳には届く。そんな言葉で昔を語ってくれているからかもしれない。
476文責・名無しさん:2010/03/24(水) 02:50:36 ID:vspEgme60
天声人語 2010年3月22日(月)付

 弥生や花見月といった温雅な呼び名を持つけれど、ひと皮むけば三月の本性は荒々しい。
冬の寒気と春の暖気がぶつかり合って、思わぬ嵐を各地にもたらす。「三月は獅子のようにやってくる」。
英国のことわざは、そのまま日本にも当てはまる。

 三月は気分屋でもある。どっと南風が吹き込んだかと思うと、返す刀で北風が荒(すさ)び、大雪を
降らせたりする。そんな気まぐれを対馬あたりでは「手のひら返し」と呼ぶそうだ。春突風、春疾風(はやて)、
彼岸荒れ……。春の嵐を表す言葉は多彩だ。おとといから昨日にかけて、連休の列島を駆け抜けた。

 東京や千葉では30メートルを超す風が吹いた。明け方にはごうごうと空が鳴った。鉄道は止まり、
飛行機も欠航が相次いだ。安全優先は当たり前だが、足止めに泣いた人はやりきれない。

 静岡県では野焼きの3人が火に巻かれて亡くなった。これも「凶風」のせいらしい。筆者にも経験があるが、
ゆっくりと野を焼く火も、風が吹くと突然あらぬ方へ走り出す。火と風の相性への油断が、どこかに
あったのかもしれない。

 気象学者、関口武さんの『風の事典』によれば、日本には2千を超す風の呼び名がある。多くが死語に
なりつつあるのは、暮らしが自然から離れたためらしい。野焼きに限らず、風の名は忘れても、風の恐ろしさを
忘れてしまってはなるまい。

 春の嵐のあとは、西風に乗って黄砂が飛来した。大陸で舞い上がる黄砂は年に2億から3億トンというから
風は侮れない。身も心もざらりと不快にする迷惑千万な客に、何か手はないものか。
477文責・名無しさん:2010/03/24(水) 02:51:50 ID:vspEgme60
天声人語 2010年3月23日(火)付

 聞いて慰められる人は多いかも知れないが、たばこをめぐるこんな迷言がある。「禁煙はわけなく
出来ることだ。すでに千回はやってみた」。手元の本によれば米国の作家マーク・トウェインが
発言主となっている。

 ほかにも歴史上の人物が似たことを言っているらしく、禁煙の試みと失敗の多いことを物語る。先ごろの
報道によればオバマ大統領も同じ轍(てつ)を踏んでいるらしい。「必死の努力を続けている」と去年言っていたが、
まだ煙と縁が切れないようだ。

 吸うことを喫煙と言い、好きな人を愛煙家と呼ぶ。たばこと煙は一心同体、切り離せないと思っていたら、
火を使わず煙も出ないたばこが登場するという。日本たばこ産業(JT)が5月に、まずは東京で売り出すそうだ。

 香りを楽しむ「嗅(か)ぎたばこ」の一種だという。紙巻きたばこに似た形で、ニコチンは軽いたばこの
20分の1程度になる。吸う本人の健康リスクはあるそうだが、煙で他人に迷惑はかけない。それが売りである。

 〈嫌煙の鬼にもなれずオフイスの窓少しあけ烟(けむり)逃がしむ〉中島央子。いまや立場は逆転し、
職場禁煙は加速している。とはいえ飲食店は多くが例外だ。客はいやなら席を立てるが、従業員には
つらい人も多いのではないか。

 仮に政府が薦めても防塵(ぼう・じん)マスクなど使えまい。窓を開けて煙を逃がすのは客の手前
はばかられよう。「せめて無煙たばこを」が今後、嫌煙派の従業員や客の声になるやも知れない。
無煙がひいては禁煙の成功を呼ぶなら、JTはいざ知らず、ご本人にも悪いことではない。
478文責・名無しさん:2010/03/25(木) 13:44:03 ID:UH0oc5mp0
天声人語 2010年3月23日(火)付

人生には二つの穴があるという。お金を入れる穴と、出す穴だそうだ。多くの人は、入れる穴の直径より、出す穴を小さめにして暮らしているのだと、人間通で知られた文学者の高橋義孝が書いている
▼世間には、入れる穴を広げる金もうけこそ人生だと考える人がいる。片や、出す穴をできるだけ大きくして、お金を使うのが人生だと考える人もいる。人生色々だが、入れる穴が小さいのに、出す穴ばかりが大きければ、これは早晩行き詰まる
▼さて、この国の穴はどうだろう。きのう成立した新年度予算の一般会計総額は過去最高の92兆円にのぼる。だが税収は37兆円。入れる穴は出す穴の半分もない。新規の国債は44兆円。借金が税収より多いのは、当初予算では戦後初という。数字はどれも空恐ろしい
▼今日をしのぐ借金は、子や孫の代を質草にした借り入れだ。いきおい次世代は、先の難儀を予想して身構える。ある大学生調査では、退職後に頼れるのは「貯蓄など自助努力の資産」だと3分の2が答えていた。「公的年金」は2割に満たなかった
▼若者に老後を聞くのも無粋だが、退職後の生活費の準備をいつから始めるかも聞いたそうだ。8割が学生時代から30代までにと答えたという。何だか彼らに申し訳なくなる
▼国家財政の話ではないが、あれやこれやと事を後世に押しつける風潮に、明治の毒舌家斎藤緑雨はかみついた。「なりたくなきは後世なるかな。後世はまさに、塵芥(じんかい)掃除の請負所の如(ごと)くなるべし」。ツケを回さぬための議論は、もう待ったなしである。


…昔の人の発言とはいえ、
「なりたくなきは後世なるかな。後世はまさに、
 塵芥掃除の請負所の如くなるべし」
などとなんのフォローもなく引用したのでは、
清掃業者への職業差別だろ。
479文責・名無しさん
>>478
3月23日ではなく、3月25日の天声人語でした