というわけでその頃のコラムから。
2007年6月13日付朝日朝刊 経済気象台
エミッションの経済:1 「美しい星50」
安倍首相はG8のハイリゲンダム・サミットで、2050年までに地球規模で温暖化ガスを半減するという、
メルケル独首相とブッシュ米大統領の折衷案となる提案をした。「1人1日1キロ」削減する国民運動を
提唱するとともに、河川敷でのゴミ拾いも行った。
こういう話は、毛沢東の「土法高炉」を想起させる。経済性を無視し、人海戦術に頼る小規模分散生産を
推進した結果、鉄くずのゴミの山が生産され、大失敗に終わった。老いた毛沢東が泳いで黄河を渡ったと
いうパフォーマンスもあった。
40年以上先をターゲットにするのも政治家お得意の先送りとも思える。為政者が国民運動という時は
別の意図があると考えた方が良いし、河川敷のゴミ拾いなどは選挙対策というしかない。
安倍提案の最大の問題は、経済合理的な解決策を欠く点である。京都会議の後直ちに排出権取引など
の経済施策を実行に移した英国などと比較すれば、その付け焼き刃が目立つ。優れて経済的な問題である
温暖化ガス対策に具体的な方策を提案しないのは、元々政治的なシンボル操作に過ぎないからであろう。
政治家や政党はシンボル操作で支配力を強化して人心掌握を図る。具体的なシンボル操作で支持率を
高めた先の宰相に比べ、拉致問題で頭角を現した現首相は「美しい国」に始まり、教育、憲法といった
抽象レベルの高いシンボル操作を駆使しているが、政治資金、官製談合、天下り、社保庁といった問題で
国民の失望を招いている。
唯一具体的なシンボルの拉致問題の先行きがますます不透明になり、今回は環境問題に便乗して
「美しい星」と言い出したように見える。ノルウェーなどは温暖化ガスの排出量ゼロを目標にしているが、
コスタリカも5月下旬に今後約20年間でゼロにすると宣言した。腰の入り方にも歴然たる差がある。(匡廬)