【アンカー】青山繁晴 Part10 【ぶったま】

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79文責・名無しさん

伊賀忍者が韓半島をしのんでツツジを植えた新宿コリアタウン


東京を韓国人が観光する時、新宿は外せないコースの一つだ。東京都心全体はもちろん、運が良け
れば富士山までただで見られる都庁展望台や東京最大の遊興街、歌舞伎町、ヨドバシカメラなど電子
製品量販店及び有名百貨店が密集しているからだ。

新宿は元々韓国人学校があって東京駐在員がたくさん住んでいた地域だ。それでソウルオリンピック以
後、海外旅行制限が解けて日本行きを選んだ若者達が相対的に定着しやすい場所だった。新宿の
新大久保駅に近い大久保駅を中心に一つ二つあった韓国スーパー・マーケットと食堂は2001年に新
大久保駅で酒に酔った日本人を助けようとして電車に轢かれて亡くなったスヨンさん事件と、2002年
韓日ワールドカップに続いた韓流ブームが大きな刺激薬になって爆発的に増えた。

今はこの一帯が看板だけでなく事実上、東京で最大のコリアタウンだ。行政区画で新宿区百人町に
あたるこの地域と韓国の縁が何百年かさかのぼるということを最近ある日本人の知人から知った。百
人町という名前は江戸時代にその近所に100人の幕府精鋭小銃部隊が住んでいたことに由来すると
彼は説明した。当時、徳川幕府の護衛兵として抜擢された三重伊賀の忍者らがこの一帯に居住して
いたと言う。

伊賀の忍者がツツジを植えてこの地域は江戸から20世紀初めまでツツジの名所でもあった。これを
記念して新宿区は1972年ツツジを区花に決め、今も毎年4月末「大久保ツツジ祭り」が開かれている。
伊賀の忍者はどうしてツツジを植えたのだろうか。文献によれば日本にツツジが広がり始めたのは9
世紀に入った平安時代と言う。知人はこのツツジが韓半島移住民を通じて入って来たと信じていた。

伊賀の忍者は韓半島移住民の子孫なので故郷をしのんで他郷の東京にツツジを植えたというのだ。
実際に伊賀で忍者の指導者を輩出して来た服部家は新羅系移住民である秦氏の家系として知られ
ている。伊賀地域には韓半島移住民が多く、伊賀焼きというこの地域の伝統陶磁器や酒製造術な
ども一緒に伝来されたと言う。