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`レfォ、,〉 :rfォ.、, !iル┤ 悪友に親しむ者は共に悪名を免るべからず
. { `¨ i ・、¨ ´ `{ゞ'} 我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。
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近代文明や国際法の重要性を知りながら,それでも中華思想、小中華思想に耽溺して日本や
欧米を「禽獣」と見下し、その傲慢さを正当化するために捏造歴史に血道を上げる支那と韓国。
教育といえば儒教(じゅきょう)を言いしかもそれは表面だけの知識であって、現実面では
科学的真理を軽んじる態度ばかりか道徳的な退廃をももたらしている。
たとえば国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
これを例えれば、一つの村の村人殆どが無法で残忍で狂っておれば、たとえ一人がまともで
それを咎(とが)めても、村の外からはどちらも同じに見えると言うことだ。
実際アジア外交を評する場面では、このような見方も散見され、日本の一大不幸だと言わざるを
得ない。もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
「東アジア共同体」の一員として、その繁栄に与(あずか)ってくれるなどという幻想は捨てる
べきである。
日本は、むしろ大陸や半島との特別関係を絶ち、先進国と同じように進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならないのだ。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則(のっと)って接すればよい。
悪友の悪事を見逃し関係を保つ者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は心において「東アジア」の悪友と謝絶するものである。
【福沢諭吉一門『脱亜論』、時事新報、明治18年(1885年)3月16日】