【アンカー】青山繁晴 Part10 【ぶったま】

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481文責・名無しさん

【噴水台】大統領専用機がないという事実が恥ずかしい


 「まともな大統領専用機1機ないという事実が恥ずかしい」。李明博大統領の言葉ではない。専用機購
入予算を申請したが、はねつけられたボリビアのエボ・モラレス大統領の昨年の発言だ。彼は外国を訪
問する度にブラジルやベネズエラなど隣国から航空機を借りて乗る。

 我々にもそんな時代があった。「在任期間中に別途の専用機はやめてでも国籍機に乗って海外に一度
出てみたいというのが望みです。国籍機は空に浮かぶ領土1番地であり、国籍機が飛んでいる所まで、そ
の国の国力が広がるのではないか」。1968年、朴正煕(パク・チョ ンヒ)大統領が韓進グループ設立者
趙重勲(チョ・ジュンフン)を青瓦台に呼んで言った言葉だ。

 今は故人となった趙重勲会長は、自伝でこの面談が大韓航空設立のきっかけになったと回顧している。
そのときまで朴大統領は米国の航空会社であるノースウエストのチャーター機を主に利用した。米国だ
けでなく、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドなどの第三国に行くときも同じだった。64年、西ド
イツ訪問には西ドイツ政府で送ってくれた飛行機に乗ったこともあった。マイカーがないためレンタカーを、
それもほかの国の自動車を借りて乗るか、もらって乗って行ったのだ。

 当時、国内には大統領が外遊の際に乗るようなまともな航空機がなかった。韓国国籍機の米国就航は、
69年、ジェット機1機、プロペラ機7機がせいぜいだった赤字国営企業の大韓航空公社を買収して出帆
した大韓航空が、軌道に乗った70年代に入って実現した。

1人当たりの国民所得が200ドル前後(68年)の貧国から、2万ドル所得の世界12位の経済強国に生ま
れかわったが、大統領が「レントプレイン」に乗って行き来するのは変わりがない。85年、全斗煥(チョ ン・
ドゥファン)大統領時に用意した専用機があったが、老朽化した問題は二の次で、もとからろくに役割を果
たせない欠けた状態だ。1度の給油で飛べる航続距離が短いので日本や中国を行くときのみ使い、米州
やヨーロッパを回るのには民間航空会社の航空機を借りて乗らなければならないからだ。