【アンカー】青山繁晴 Part10 【ぶったま】

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117文責・名無しさん

「1400年前の百済人、水洗トイレ使っていた」〜「厠考古学」が明かす


時代と空間がどれほど変わっても人間の排泄欲求は変わらない。1400余年前この地に暮らした先祖
はどんな方式で大小便の‘生理現象’を解決したのだろうか。

興味深い手がかりがある。2004年、6〜7世紀百済宮廷跡として有力な全北,益山,王宮里遺跡で国立
扶余文化財研究所が初めて発掘した大型厠跡だ。<ハンギョレ>報道で初めて知られたこの遺跡は、
王宮里王宮の跡地西北側工房跡付近で発見された深さ3.4〜1.5m程度の大型糞尿溜め三個が核心。
東西方向に並べて掘られた糞尿溜めは各々一方の端に尻尾形の小さい水路を通し横の石築水路に
汚水を流す仕組みだ。溜めの中から底を浚うための木棒(朱木)と木製柱,瓦の破片など数十点余りが
発見され、底土を掘って分析してみると寄生虫卵も多量に検出された。百済人の糞尿でいっぱいだっ
た国内最高の便所であることが立証されたわけだ。国内の厠遺跡調査は1990 年代以後、光州,(光山
区)新昌洞,先史遺跡と慶州,新羅王京遺跡などで便所跡あるいは人糞と推定される遺跡,遺物が報告
されたのが端緒であった。だがこれらの遺跡は明確な実証分析資料を残すことができず王宮里遺跡は
これまで国内で公認された唯一の古代便所遺跡として国内‘厠考古学’の母胎に位置した。

研究所側は王宮里便所跡が溜めの上に木材で排便踏み台を渡し、その上に草と瓦で屋根をあげた
建物だったと推定する。だが、後代考古学者などの意地の悪い問いは続く。本当に溜めの上に尻をむ
いて用をすませたのだろうか? 王宮跡の主人だった貴族も下層民と顔を向き合わせて用をすませたの
だろうか? 実際に2001年この遺跡では便座式便器のような携帯用便器が出土したこともある。