2008年12月1日付朝刊 風考計 若宮啓文(本社コラムニスト)
守るべき「いい国」とは何か -自衛隊の君へ-
自衛隊幹部を目指して精進しているA君、久しぶりだね。いま、君はとても複雑な心境
なのではないかと思い、筆をとりました。
ほかでもない、驚くような懸賞論文を書いて解任された田母神俊雄・前空幕長の一件です。
文民統制を踏み外したトップの言動に戸惑うのは当然として、隊員の中には同上の声も
少なくないとか。それが大いに気になっています。
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「朝日新聞は鬼の首をとったような気分だろう」なんて、まさか君は思っていないだろうね。
それどころか、僕らは頭から冷や水を浴びせられた心境です。
数年前、朝日の社説が思い切って有事法制の賛成にカーブを切ったのを覚えていますか。
憲法9条を維持しようとの考えは今も変わらないけれど、準憲法的な平和安全保障基本法(仮称)
を定めて自衛隊をきちんと位置づけようと提言したのは昨年5月。いずれも僕が論説主幹の
ころでした。
それもこれも、半世紀に及んだ自衛隊は、いろいろ問題もあるにせよ、旧日本軍と違う
民主社会の組織として根を下ろしたと思えばこそ。自衛隊が守るべきはかつてのような国家
ではなく、民主国家の日本であり、だからこそ自衛隊と国民の信頼が大事だと考えたのです。
そこに降ってわいた今度の論文事件。僕らのショックも大きいというものです。
日本は蒋介石やルーズベルトの罠にはまって戦争した被害者だ。そんな趣旨で貫かれた
この論文が事実誤認や都合のよい思い込みに満ちていることは、多くの信用ある歴史家が
語っているので繰り返しません。どうか、そうした指摘をよく参考にしてください。
僕が問題にしたいのは「日本がいい国だと思えなかったら、誰が命がけで国を守れようか」
という意味の田母神氏の発言です。共感する隊員もいるようだね。
国を愛すればこその国防だというのはよく分かる。だけど、だから日本が間違いを犯した
わけがない、侵略なんかしなかったというのは子供じみていないかな。
2年前の6月、天皇が愛国心に関連して答えた記者会見での言葉を思い出します。
日本では1930年から6年間に要人襲撃が相次いで首相と首相経験者の計4人が殺され、
この時期に政党内閣が終わって言論の自由も失われた。そう指摘した天皇は「先の大戦に
先立ち、このような時代があったことを多くの日本人が心にとどめ、そのようなことが
二度と起こらないよう日本の今後の道を進めていくことを信じています」と語ったのです。
要人襲撃とは、軍人が起こした5・15事件や2・26事件などこのこと。満州事変から発展した
日中戦争や太平洋戦争も、こうした流れの上に行われたことを忘れまい、という自戒の言でしょう。
天皇が日本を愛していないわけがない。かげがえのない国だと思えばこその痛恨の思いが見て
取れます。田母神氏は、こうした軍人のテロやクーデターも外国の罠だったというのでしょうか。
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痛恨の思いは、実は僕らにとっても切実なのです。5・15事件を批判した朝日新聞も前年の
満州事変では軍部独走の太鼓をたたいたし、2・26で東京本社を襲われるや、翌年の盧溝橋事件
からは恥ずかしいほどに中国侵攻や対米戦争の旗を振ってしまった。
戦後、わが先輩たちはそれを深く悔いて出直したのです。最近、朝日新聞は「新聞と戦争」
という連載で当時の報道を検証し、本にもしました。読めば目を覆いたくなることばかりだけれど、
僕たちはそれを胸に刻み、苦い教訓として受け止めるしかない。
だからといって、日本の近代化に新聞が果たしてきた大きな役割を否定するわけではないし、
ましていまの仕事に誇りを失うわけでもない。むしろ、遅ればせでも過去の汚点を検証できた
ことで、勇気もわくのです。
自衛隊発足にあたり、時の吉田茂首相が最も気を配ったのが旧軍との断絶だったことを、
若い君たちは知っているかな。初代防衛大学校長の槙智雄さんも、首相から託されたのが
民主主義下での自衛隊教育だったと書いてます。
いまの世にも問題は多く、腹の立つことばかりでも、戦争と弾圧の時代に比べれば余程よい
社会に違いない。田母神氏は戦後50年の村山談話を目の敵にするけれど、反省すべきを反省し、
謝罪もできる潔い国こそ、守るに値する「いい国」だと僕は信じます。
最後に、今度の事件で米国の友人たちが驚いていることを伝えておこう。日本がナチス・ドイツ
とも手を組んで行ったあの戦争を、よりによって自衛隊のトップが正当化し、ルーズベルト大統領
の陰謀で片付けようとは……。果たしてこれが信頼する同盟相手の言葉だろうか、という嘆きです。
こんなことがもし繰り返されるなら、アジアとの関係ばかりか日米関係も壊れてしまいかねないよね。
どうか君たちは今度のことに惑わされず、旧軍とは違った自衛隊ならではの気概と誇りを持って
ほしい。心からそう思います。
それではどうぞお元気で。いずれゆっくり語り合いましょう。