風考計 笑っているのは誰か 竹島と教科書
3年前、島根県の「竹島の日」で騒動になったころ、私は当コラムで
「いっそのこと島を譲ってしまい、『友情島』にしてもらう」
との「夢想」を書いた。
おかげで「国賊」ともたたかれたが、思い切ってトゲを抜き、
東アジアの自由主義どうし絆を固められるなら勘定も合わないか、
ものは考えようだ、という発想だった。
それが現実になろうとも思わないが、それにしても、
「独島」に寄せる韓国の情念を知りつつ、なぜまた刺激するのか。
小泉政権で決まった方針とは言え、このセンスはどんなものだろうか。
と、しばし嘆いた後で気がついた。
待てよ、ものは考えようだ。
そもそも「竹島は我が国固有の領土で、韓国に不法占拠されている」
というのが、これまで一貫した日本政府の見解だ。
政府の見解を学校では教えるな、というのもいささか無理がある。
しかも政府は悩んだ末、竹島を教える際に日韓の
「主張の相違」に触れるよう求めた。
自分の立場だけでなく、相手の言い分も聞いてみよう、ということだ。
3年前には、竹島について日韓が「対立している」と書いた中学の教科書が、
文部科学省の検定によって「韓国が不法占拠している」と書き換えられた。
百八十度ともいえる今度の転換を、韓国もけなすばかりではもったいない。
いや、この意味は案外もっと大きいかも知れない。
教科書や授業で韓国の主張に触れるとあれば、子供たちに少なくとも
過去の植民地支配や、支配された側の思いを伝えないわけにはいかない。