天声人語 2008年8月1日(金)付
鶴彬(つる・あきら)という川柳作家を、どれほどの方がご存じだろう。昭和の初め、軍部な
どを批判する川柳を次々に作った人だ。特高に捕まって勾留(こうりゅう)されたまま、1938
(昭和13)年に29歳で死んだ。今年が没後70年になる。
軍国色に染まる時代に立ち向かうように、その句はきっぱりと強い。〈屍(しかばね)のいな
いニュース映画で勇ましい〉〈銃剣で奪った美田の移民村〉〈手と足をもいだ丸太にしてかえし〉。
2句目は旧満州への入植を、3句目は、手や足を失った帰還兵を詠んだものだ。
資本家にも痛烈な目を向けた。〈みな肺で死ぬる女工の募集札〉。紡績工場では、過酷な労働
で胸を病む者が絶えなかった。〈初恋を残して村を売り出され〉は、貧困ゆえの娘の身売りであ
る。
石川県で生まれ、本名は喜多一二(かつじ)といった。同じプロレタリア文芸家で、『蟹工船』
を書いた小林多喜二に、字づらが似ているのは不思議である。大阪の町工場で働きながら、世に
はびこる「非人間性」への怒りを燃やしていった。
その生涯をたどる映画作りが、70周年を機に始まっている。映画監督の神山征二郎さんは去
年、人づてに鶴の話を聞いた。こんな人がいたのかと驚き、「もっと世に知られるべきだ」とい
う思いに背中を押された。
「日本の破滅が見えていて、『この道を行くべからず』と叫び続けた人」だと、神山さんは、
その人間像を胸に描く。そして鶴の死後、日米開戦から敗戦へと、日本が破滅への道を突き進む
のは周知の通りである。内外の苦難への思いを深める8月が、今年もめぐってきた。
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鶴彬個人のことは知らぬ。だが、彼を取り上げる人々の有り様を見ると、憐憫と嫌悪の混じった
もやもやを感じる。
「日本が悪いから日本が悪いんだ」のための目新しい神輿を持ってきたのか、としか。
ま、8月恒例行事、なのでしょうかね。