映画監督の森達也ってどうなの?その2

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114文責・名無しさん
森が犯罪被害者の処遇についての対談をしているという「週刊金曜日」借りてきた。

「週刊金曜日」5月11日号
【激論!】藤井誠二VS.森達也 「殺された側の論理」が突きつけるもの

最近、犯罪被害者遺族への取材をまとめて「殺された側の論理」を刊行した藤井誠二と
森の対談だが、しょっぱなから森は、普段の主張と矛盾することを平気でのたまう

 僕が死刑に興味を持ったきっかけは、死刑囚との出会いでした。三年ほど前に、オウムの
 岡崎(現在は宮前)一明確定囚に面会に行きました。坂本弁護士事件の実行犯の一人。
 やはり冷血な男なのだろうかという思いも少しだけありました。でも会ってみれば、当たり前
 だけど善意あふれる普通の人です。面会や手紙のやり取りの限りでは十分に罪を悔いている。
 「この人を吊るすことが何になるのかな。僕らはそれによって何を得て、何を失うのだろう。
 そもそも死刑って何だろう」と考えました。

被害者に同情して死刑を容認する意見には、感情に呑まれるなとか言ってるくせに、モロに感情で
死刑に疑問を呈す森。それに続いてさらに頓珍漢なことを言い出す。

 調べれば調べるほど、死刑というシステムが「不可視の領域」に置かれていることを実感します。
 一般のレベルで言えば、執行が絞首なのか電気椅子なのかもよくわかっていない人が大半です。

何を根拠にこんなことを言っているのか謎。いまどき、日本で死刑が電気椅子で行われているなんて
思ってる奴がいるのか?まあ、森は自分が知らなかったことは世間も知らないはずだと思い込む癖があるんだけど。
115文責・名無しさん:2007/06/10(日) 18:41:02 ID:qK91r27j0
「週刊金曜日」引用続き

藤井が書いた「殺された側の論理」についても妙な苦言を呈しだす森。

 この本でがっかりしたことも言います。藤井さんの煩悶が描かれていない。煩悶や葛藤が薄い人なら
 仕方がない。でもあなたはそうじゃないことを僕は知っている。でも藤井さんはそこを削ってしまった。
 それがとても残念です。

具体的に何が言いたいのか謎だが、普段、対象である事物についてはろくに書かず、ナルシズムと
自己顕示欲自分丸出しの僕ちゃん語りでページを埋めている森からすれば、そういうことをしない
(当たり前だが)藤井は奇異に見えるのだろう。

藤井は、死刑執行に関する情報、被害者遺族はそれをどう受け止めたか、加害者の家族はどう
思っているか等の情報を公開することが必要だと論じ、森はそれに同意するが、おかしな話そらしを始める。

  情報公開が重要であることは同意します。でも僕と藤井さんとの最大の違いは、この一〇年間の
 急激な変化をどう評価するかの差異でしょう。オウム以降、この社会にはある意味で、不安や憎悪を
 因子とする危機管理の「鋳型」ができました。その鋳型に、白装束集団や北朝鮮のミサイルや
 拉致問題を嵌めこみ、同時にこれらの不安や憎悪の反転として、「犯罪被害者や遺族の内面への
 過剰な共感」という要素も表れた。
  鋳型とはつまりセキュリティです。危機管理への意識がとても高揚し、その帰結として、仮想敵が
 いないと安心できないという、とても倒錯した状態になっちゃうわけです。

毎度の、全てはオウム真理教事件に起因するという短絡的思考の垂れ流し。
116文責・名無しさん:2007/06/10(日) 18:43:18 ID:qK91r27j0
「週刊金曜日」引用続き

森はその後も、殺人事件の件数は1960年から減り始めている、治安は悪くなっていない、仮想敵への
不安や恐怖で皆が踊っているのだと主張している。しかし、藤井は森の欺瞞を見逃さず反論する。

 藤井 冷戦構造時代から一貫して「仮想敵」を欲する国民性は確かにある。でも、仮にすごく治安が
 よくなって、殺人事件の被害者が年間一人になったとしても、今の厳罰化や重罰化の傾向は必要だと
 僕は思っています。この場では重罰化という言い方をしていますが、ぼくは適正化だと思います。
 森 今の量刑よりも、もっと重い罪を与えるべきだと。その前提は、日本のかつての、とくに刑事犯に
 対しての量刑が軽すぎたということ?
 藤井 そうです。殺人事件の死刑理由が被害者の数ではかられたり、性暴力事件に対する裁判所の
 対応が寛容すぎたり等、現状に即していない量刑が多すぎます。
 森 それは僕も賛成します。死刑は別にして量刑は確かに軽い。ただ厳罰が社会防衛に役立つかどうかは
 慎重に考えたい。更生システムがあまりにもおざなりにされています。

結局、毎度のとにかく慎重にしろ論に収束する森。更生システムに言及しているが、それをおざなりにしているのは
お仲間の人権屋・安田弁護士(首をしめようとしたのでなく、泣きやまそうとして蝶々結びしただけ等でおなじみ)
らであることには気づいていないもよう。
117文責・名無しさん:2007/06/10(日) 18:44:36 ID:qK91r27j0
「週刊金曜日」引用続き

藤井は終盤で森に対し、ズバリこう言う。

 藤井 藤井は現況に対するネガティブな懸念がほとんどない、と先ほど言われましたが、森さんの
 その言い方は危機を煽るだけの「そら狼が来たぞ」的に聴こえてしまうのです。空気全体をただ悪い
 と批判するだけでなく、空気で悪いところがあるなら、空気の正体を冷静に分析をして、法律や政治を
 動かして、どのようにそれをコントロールするかを考えるべきです。観念や抽象論でとらえるべきでなく、
 森さんが懸念する「空気」から個別の実態を抜き出して検証する必要がある。
 森 つまり、ロビー的活動?
 藤井 そうです。メディアに対しても冷静な報道を働きかけることで、空気はコントロールすることができます。
 森 風が吹いていることは自覚できても、それが必ずしも悪い方向には行くわけではないと考えている
 ということ?ならば全然違う。僕は、この風が吹き着く先は、かなり悲観的かなと予想しています。
 というか、その予測がないのなら、現実から目を逸らしているとしか思えない。
 藤井 森さんのその警鐘を聞いたとき、僕はその半分ぐらい理解できますが、たとえば北朝鮮拉致
 被害者はおっしゃる「空気」と具体的にどう関係があり、どうすれば好転するかを検証しないと、社会の
 大半の方には伝わらないと思うな。

刑罰問題に限らず、危機感を煽っているのは他ならぬ森自身。
これを認めると、恐怖社会が来るぞ!放っておいていいのか!
でもその根拠は示せない。森のやってることはほとんどこの繰り返し。