新潟日報「窓」平和憲法成立の陰に重い歴史 新潟市秋葉区 桜井久雄(76) 無職
4月29日付本欄の「自衛権明記へ改憲が必要」の投稿に反対の一言。小生は敗戦時15歳の
少年兵の端くれ。敗戦は悔しかったし、平和憲法を信奉するまで何年もかかりました。
不勉強者で、昨年になってようやく終戦にまつわる大変なことを知りました。日本中焼け
野原、二発の原爆、ソ連の宣戦などで、ポツダム宣言受諾か否か再考戦争指導会議で天皇まで
もが悩んでいた1945年8月13日。特攻隊生みの親、大西滝冶郎海軍軍令部次長(中将)は
「われわれが特攻二千万人犠牲の覚悟をするならば勝利は日本のものになる」と上層部に
説いて回りました。多くの証言が残っています。しかし同調者は少なく大西中将は自決しました。
”一億総特攻”の時代でしたが、私は当時の統計を調べてみました。男は15歳-45歳の兵役適齢者
1420万人。46歳-65歳の国民義勇隊免除者560万人を加えても2000万人に欠けます。
総人口7200万人中、残される男は14歳以下と高齢者500万人。そして女性3800万人。
投稿者は「主権者が国を守るのは当然」と断言しますが、今の日本国憲法がこんなゾッとする
歴史が背景に築かれたことをご存じないのでしょうか。
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>平和憲法の信奉するように〜
って、時点で9条教徒”宣言”してるので、主張が支離滅裂ですねぇ〜