やっちゃった!今日の朝日のドキュン記事 その75

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250文責・名無しさん
朝日新聞 2006年(平成18年)11月22日 水曜日 大阪 10版 30面 オピニオン面
私の視点
韓国・朝鮮人元BC級戦犯者「同進会」会長 李鶴来(イ・ハンネ)
◆BC級戦犯 韓国・朝鮮人への償い未完

 「BC級戦犯」だった私がスガモプリズン(巣鴨刑務所)から釈放されて、この10月で50年になっ
た。
 私が問われた罪は何だったのか。なぜ私が獄中にあった1955年に「同進会」を結成し、韓国・
朝鮮人のBC級戦犯に対する名誉回復と補償を求め続けてきたのかについては、00年8月に本紙「論
壇」で述べた。しかし、問題は解決されぬまま今に至っている。
 私たちが日本軍の軍属として「徴用」され、朝鮮半島から南方各地に派遣されたのは42年の夏
だった。捕虜収容所での監視任務に就かされたが、捕虜の取り扱いを規定したジュネーブ条約も
教えられず、粗悪な衣食住、医薬品の欠乏、過酷な労働環境の中で、各地の収容所で多数の犠牲
者を出した。当時17歳の私にとっては厳しい任務だった。
 敗戦後、捕虜虐待などの「通例の戦争犯罪」を行ったとされ、無謀な捕虜動員計画を立案・遂
行した責任者より、現場の捕虜監視員が多数、BC級戦犯として訴追された。監視員の多くは朝鮮
と台湾の青年で、合計321人が有罪となり、内49人が処刑された。
 理不尽を負わされた無念もさることながら問題はその後の日本政府の対応にあった。私たちは
「日本人」として収監され服役したが、釈放された時は「外国人」。その後は「国籍がないから」
と補償や援護の対象から外されたのだ。先に釈放された仲間や友人の世話で生き延びてきたが、
日韓のはざまで見捨てられた身分だった。
 そして65年に日韓請求権協定が結ばれると、日本政府は私たちの問題はすべてこの協定で権利
が消滅し、終わったと言い出した。しかし、昨年韓国政府が公開した当時の会議録によって、協
定交渉時に、日本政府は「これは別途研究したい」と提案して、交渉の対象にもしていなかった
ことが明らかになっている。
 私たちは条理に基づき、謝罪と補償を求めて91年に東京地裁に提訴したが、99年に最高裁で請
求は棄却されて終わった。しかし裁判所も私たちへの「不条理」を認め、判決の中で「適切な立
法を講じることが期待される」と述べている。
(続く)
251文責・名無しさん:2006/11/22(水) 14:07:36 ID:pYJ+u2tA
(続き)
 韓国政府は今年6月、私たち朝鮮人元BC級戦犯は、植民地時代の日本の強制動員の被害者であ
ると初めて認定し、11月中旬までに合計83人の名誉を回復してくれた。韓国の公共放送KBSも8月
15日にこの問題の特集番組を放送し、戦後61年たってようやく、韓国の国民がBC級戦犯問題を知
り、理解するところとなった。日韓の友人らが祝う集いを催し、激励してくれた。釈放後の、本
当にありがたい夏となった。
 この問題解決の残りの半分は日本政府が動いてくれない限り、実現しない。私たちを捕虜監視
員にして派遣したのは韓国政府ではなく、日本国なのだから。
 立法府は因果関係を踏まえて、「深刻かつ甚大な犠牲ないし損害」(最高裁)に対する立法措
置を速やかに講じて欲しい。日本国民の道義心と良識に改めて訴えたい。
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誤字脱字などありましたら、お詫びいたします。

彼個人に対しては「不幸な身の上だな、苦労したのだろう」という同情がない、わけではないと
あらかじめ断っておく。
その上で言うが、やはりこの件は韓国政府が補償すべきことであろう。
会議の過程においてどういう話がされたかを問題にするのは、協定が結ばれた以上無意味だ。
また、戦犯裁判による罪と罰とは、死刑判決出された李氏個人のものなのだから、その拘禁時間
を「侵害」とするのは、都合よすぎる解釈だろう。

韓国・朝鮮人BC級戦犯者の国家補償等請求事件 最高裁判決文
http://www.ne.jp/asahi/nadja/bc/frameHANKETSUj.html