【靖国参拝】富田メモに関する発言を集めるスレ

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5拾い物ですが疑問点まとめ
【重大な疑問】H18/07/23改訂
1 「日記や手帳に克明に書き残していた。」のになぜかこの部分は手帳に貼り付けてある。
2 日記のページは黄色く変色しているのに、メモ自体の保存状態が極めて良好(紙が真っ白)。
3 ブルーインクで書かれた文字が、経年劣化で退色したりかすれたりせず、綺麗なままである点。
4 天皇陛下が自分の(個人的な)意思で参拝したり、取り止めることはできない。
  それをできると思うのは、外国人か日本の官僚機構を知らない人達。
5 勅使は陛下の私費で現在も靖国神社に派遣されている。
6 昭和天皇の弟宮である故高松宮殿下と三笠宮殿下は、合祀後も参拝を続けられていた。
7 天皇陛下はABC級戦犯も追悼の対象である全国戦没者追悼式に毎年参列して御言葉も述べている。
8 白鳥を白取と誤字。
9 理論構成、概念、時系列が中国共産党にあまりに都合が良すぎるステレオタイプそのもののような文章。
  「平和に強い考え」?何それ?中共の影響力の強い旧社会党や社民党がいかにも使いそうな言葉。
10 「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。」「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」
  合祀された78年ならまだしも、10年後の崩御の前年の88年に語ったとすると日本語としてあまりに不自然。
11 「それが私の(本)心だ。」文末でわざわざもう一度総括(笑)する不自然極まる文章。
12 当時の侍従長でA級戦犯の合祀に大反対だった、徳川義寛氏の発言と考えれば、内容はすべて辻褄が合う。
  http://www.tv-asahi.co.jp/n-station/cmnt/shimizu/2001/0816num90.html
  http://sakuratan.ddo.jp/imgboard/img-box/img20060720181150.jpg
  昭和天皇の侍從長を勤めた徳川義寛氏は、この極東軍事裁判A級戰犯合祀について、
  「筑波さんのように、慎重な扱いをしておくべきだったと思いますね」と、松平永芳宮司の措置を批判的に語つてゐる
  「昭和天皇と50年・徳川前侍従長の証言」(朝日新聞1995年8月19日)
13 1988年4月28日に富田宮内庁長官の拝謁の記録なし?徳川侍従長とは打ち合わせの記録アリ?(※未確認情報)
14 「藤尾(文相)」とあるが、藤尾正行氏の文相在任期間は、1986年7月22日〜9月8日。
   http://www.vipper.org/vip295965.jpg