【天声人語】2006年07月04日(火曜日)付
ワルシャワで、キュリー夫人の生家跡に行ったのは厳冬期の2月だった。雪道の先にある「キュリー夫人博物館」を
巡りながら、物理学、化学と二つのノーベル賞を受けた人の幼い日の姿を思い描いた。
成人してパリの大学に学んだが、極貧状態だった。娘エーヴの『キュリー夫人伝』(白水社・河野万里子訳)に、こんな
一節がある。「七階の屋根裏部屋が凍りつくこともあった……石炭の蓄えは、すでに尽きている。だが、これぐらい、
なんだというのだ。ワルシャワから来た娘が、パリの冬ごときに負けてたまるか」
重ね着してベッドに入り、毛布の上にも服を重ね、その上にいすまで置いたという。苦学力行の末にラジウムの分離に
成功し、科学の新しい世界を開いた。
ラジウムの製法で特許を取る道があると知らされた時、情報を独占しておくのは「科学の精神に反する」と断った。
私利よりも公を優先する思いがしのばれる。
年々膨大な研究費を計上する現代日本では、公的研究費の不正流用が繰り返し発覚している。早大理工学術院の
松本和子教授は900万円を教授名義の投資信託口座で運用していたという。
「科学には、おおいなる美がある……実験室にいる科学者は、単なる技術者ではありません。まるでおとぎ話を
聞いたときのように胸を打たれて、自然現象の前で目を輝かせている子どもでもあるのです」。このキュリー夫人の
言は、おおいなる美に至るには純な心が要る、とも聞こえる。白血病のため66歳で逝ったのは、1934年の
7月4日のことだった。
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訃報です。
3日前ではなく、72年前の。
ついでに言うと1日前のスポーツ選手引退、2日前の選挙結果も出てきません。
もうね、なんか「予定された原稿」しか書けなくなっちゃてるんじゃないかと勘ぐってしまう。
>>888 つ●文献引用のし過ぎには注意しましょう(全国紙の看板コラム用)